Contents
各国の比較文学研究史
——韓国
1 比較文学研究のはじまり
2 影響研究中心の1950~60年代
3 1970年代、研究方法の見直し
4 1980年代以降の展開
5 韓日比較文学研究の現在
関連文献・学会・大学院
1 比較文学研究のはじまり
韓国文学における比較文学的研究の本格的な試みは、1950年代以降である。韓国比較文学研究の書誌を作成した金㶅東(キム・ハクドン)によると、韓国の比較文学研究の始まりは、1955年、金東旭(キム・ドンウク)が発表した「新たな文学研究の志向」(1955)と、同じく1955年『思想界』に掲載された李慶善(イ・ギョンソン)の「比較文学序説」(1955)からであるという。両者の論考は、比較文学の方法論を体系化した本格的な論議とは言えないが、韓国文学研究において比較文学の方法論を提示した最初の論考であったという点で注目する価値がある。その後、1957年には、国際ペンクラブの韓国支部で「比較文学研究会」が開かれた。1957年3月から7月まで、毎月1回の研究発表会を開催されたという記録があり、発表会でのテーマは、「比較文学の概念」「韓国文学を中心とした比較文学」「比較文学の領域」などであった。当時は、比較文学的アプローチに方法論的土台を付与する欧米の比較文学理論書が韓国語に翻訳され、知識人の間で比較文学に対する関心が徐々に高まっていた。そのような雰囲気の中、比較文学研究の必要性に共感した韓国文学研究者と外国文学研究者が集まり、1959年には最初の比較文学関連学会である「韓国比較文学会」が組織された。その時期から、韓国において比較文学研究と呼べるような一連の可視的な研究成果が現れるようになった。
2 影響研究中心の1950~60年代
1950~60年代の韓国比較文学研究の内容は、主に韓国文学と外国文学の影響研究に集中した。韓国の作家が外国文学から受けた影響を追及する研究が、比較文学の研究方法の中で最も核心的な領域として浮上したのである。対比研究と影響研究を二分し、影響研究中心の韓国比較文学を確立させること、そしてそのために影響を立証する文献上の調査を強調するのが、草創期の韓国比較文学研究の輪郭といえよう。このように韓国比較文学研究が「影響研究」に集中したのには、1959年にポール・ヴァン・ティーゲムの『比較文学』が翻訳されたことが背景にある。比較文学の必要性に共感した韓国研究者たちにとって、ヴァン・ティーゲムの翻訳書は、容易に参考できるほぼ唯一の入門書であった。1950年代後半という時点に立ってみれば、ヴァン・ティーゲムの『比較文学』は、参照できる数少ない比較文学入門書であり、フランス比較文学の理論的態度を見せる概論書でもあったのだ。興味深いことに、ヴァン・ティーゲムの著作が翻訳された1959年には、ルネ・ウェレックの『文学の理論』も翻訳された。ヴァン・ティーゲムの著作がフランス比較文学の立場を代弁するならば、『文学の理論』はアメリカの一般文学理論が取り込まれていると考えられていた。しかし、韓国比較文学研究にもっと強烈な影響を与えたのは、フランス比較文学の方法論であって、フランス比較文学の方法論中心の韓国比較文学研究は、1960年代に入ってより盛んになった。1960年代までに行われた韓国比較文学研究の大多数は、大概二つに分けられる。一つは、国家間の文学的な関係を探求することであり、もう一つは、影響―受容に準拠して、韓国文学における外国文学からの影響に焦点を当てたものであった。古典文学の場合は、中国文学からの影響を究明し、近代文学の場合は、西洋文学の韓国文学への影響を明らかにする作業が主な課題であった。
3 1970年代、研究方法の見直し
1970年代に入ると、初期の韓国比較文学研究で行われた成果を再検討し、新しい方向転換を促す声が高まる。特に1950~1960年代の韓国比較文学を特徴づける影響研究の問題点を指摘した研究者が多く登場する。西欧文学を原本=起源とし、韓国文学をその亜流として位置づける比較文学研究方法は、典型的な西欧中心主義であり、近代主義の方法論であるという批判であった。たとえば、1977年「韓国比較文学会」の学会誌『比較文学及び比較文化』の創刊号には、李慧淳(イ・へスン)の「比較文学の危機――その理論の受容過程で発見されるいくつかの問題点」、同学会誌の第2号には 金興圭(キム・フンギュ) 「伝播論的前提の上に立った比較文学と価値評価の問題点――韓国比較文学の自己反省と再定向にために―」などの論文が掲載されたが、これらの論文は70年代の雰囲気を代弁している。李 は、韓国比較文学研究が、比較文学の理論を「アメリカ学派」と「フランス学派」に二分し、その中でフランス学派の理論と方法を採用したのは、結果的に方法論的偏重を生んだだけでなく、韓国文学の特殊性を考慮しない結果をもたらしたと批判した。また、金興圭は、1950~60年代の韓国比較文学研究の問題を、「伝播論的前提」という言葉で鋭く指摘し、新たな方向を提案した。金興圭が批判した比較文学の「伝播論的前提」とは、文化人類学で言う伝播論(diffusionism)の偏向性をそのまま内包していることを意味する。 言い換えれば、外国文学の移植、輸入、受容を韓国文学の変化と発展の根本的な動力として認める発想を指す。これまでの韓国比較文学研究は、通常このような前提に基づいて、韓国文学の源泉となった中国文学あるいは西欧文学が何だったのか、そしてそれをどれだけ正確に理解したかを評価することを、主な内容としていたということだ。金は、「伝播論的前提」の背景として、19世紀以前の「華夷論的世界観」や20世紀以後「西欧主義」および「植民地的自己否定」とも深い根で繋がっていると批判した。その上で、正しい比較文学とは移植論ではなく、外国文学を受け入れた状況と原因、そして過程を究明することで、受容側の自発性を理解しようとする努力から始まると力説した。さらに、崔元植(チェ・ウォンシク)も「比較文学断想」(1979)で「韓国文学が外国文学と一定の関係を結んでいることは否定できないが、影響の問題を機械的かつ受動的に把握するのではなく、韓国文学の主体的な要請という観点から理解しなければならない」と主張した。このような影響研究に対する強い批判が、以後「主体的な受容」あるいは「批判的な理解」に立脚した比較文学的観点へと研究の方向性を移行させた。これは、1970年代以降の韓国学全般に民族主義的観点からの研究が興隆した雰囲気と連動していると言えよう。韓国文学史発展における「内在的動力」を解き明かす比較文学的観点の樹立は、以後韓国比較文学の重要な課題に設定された。 民族主義的観点を保ちながら、それが排他的な視点に陥ることを警戒する比較文学研究は、趙東一(チョ・ドンイル)の著作で最も体系的になされている。趙東一は、韓国文学研究を出発点として、世界文学の普遍的な理論樹立に至るのが韓国比較文学研究の目標であり、そのためには影響関係に重点を置いた比較文学研究から抜け出さなければならないという点を明らかにすることで、以前の比較文学研究とは一線を画した。
4 1980年代以降の展開
1980年代に入り、比較文学研究業績は大きく増加した。主な著作として『西洋文学移入史研究』(1980)、『東西文化の潮流』(1980)、『韓国近代詩の比較文学的研究』(1981)、『比較文学』(1981)、『東西比較詩論』(1982)、『韓中小説の比較文学的研究』(1983)、『比較文学論』(1984)、『韓国近代詩のアメリカ詩の影響研究』(1985)、『韓中詩の比較文学的研究』(1985)、『比較文学』(1985)、『比較文学叢書』(1988)などである。それらはアメリカをはじめ欧米で比較文学関連分野で博士号を取得した学者たちが、欧米の多様な理論を韓国に紹介し、それを韓国比較文学に適用しようとする一連の動きであった。また、比較文学比較文化研究の量的増加および研究テーマの多様化は、1990年代末、韓国の大学院にはじめて開設された「比較文学比較文化」協同課程とも深く関連する。1998年、ソウル大学校大学院の協同課程比較文学専攻が開設されて以降、延世大学校の比較文学協同課程と高麗大学校の比較文学・比較文化協同課程、 そして成均館大学校比較文化協同課程がつづけて開設された。当然のことながら、この時期から各大学の比較文学協同課程の修士・博士学位論文は、韓国の比較文学比較文化関連研究を活性化する結果をもたらした。
また、1990年代半ばまでは「韓国比較文学会」が唯一の比較文学関連学会であったが、1994年には「世界文学比較学会」、1997年には「韓国東西比較文学会」が新設された。それに伴い、学会誌も『比較文学』に加え『世界文学比較研究』、『東西比較文学ジャーナル』という学会誌がそれぞれ創刊された。参考までに、『韓国比較文学書誌研究』(2016)の調査結果を引用すると、学術誌に掲載された比較文学論文数は、1961年から1970年までで61篇、1971年から1980年までで159篇、1981年から1990年までで311篇、1991年から2000年までで1,395編、2001年から2010年までで4,683編までに達した。1990年代から論文数が急激に増加したのは、このような背景が反映されている。
5 韓日比較文学研究の現在
韓国における韓日比較文学の研究史についても少しだけ触れておく。韓日比較文学を論ずる際に植民地時代の朝鮮文学と日本文学の歴史的背景が重要な論点になるが、今まで植民地時代の朝鮮文学の研究は比較文学より、韓国国文学の領域で主に行われてきた。ここでは韓国人にとって日本文学が、例えば英米文学、フランス文学、ドイツ文学、中国文学などと同様に一外国文学として受け入れられた1990年代以降の韓日比較文学研究史に注目したい。本格的な韓日比較文学研究史は、1990年代半ばから始まる。『韓日近代文学の比較研究』(愼根締、1995)、『韓日近代比較文学研究』(鄭寅汶、1996)、『韓日近代小説の比較文学的研究』(金順槇、1998)などがそれである。これらの研究は、すべて植民地時代の日韓近代文学の関連性を研究しているが、単に一方的な影響―受容を追究するのではなくて、韓国文学と日本文学の間に一定の距離を意識しているという点で注目に値する。このように韓日比較文学研究は、1990年代半ば、韓国と日本の各国文学史の現象的な比較を中心に出発した。韓日比較文学研究は、韓中比較文学研究や韓米比較文学研究などに比べて出発は遅れたが、その後、文学研究の領域が拡大されることによって、研究テーマも多様化されつつある。その詳細は、『比較文学とテクストの理解』(2016)などを参照されたい。
このように比較文学という学問が韓国に入ってから65年間、比較文学とは何であるか、どのように研究すべきかについての問いは、さまざまな側面から検討されてきた。直接的な影響関係を追求する実証的な研究方法を越えようという議論から、多文化主義という新たな環境、またグローバル化や脱民族主義という新たな問題に直面し、比較文学がどのように生まれ変わるべきかについての真剣な議論が続けられ、今に至っている。
出典および関連文献:各国の比較文学研究史—韓国
- 김학동 『한국 문학의 비교문학적 접근』, 일조각, 1972
- 김학동 『비교문학』 , 새문사, 1999
- 박상진 「비교문학의 새로운 과제 혼종성에서 혼종화로」, 『비교문학』39, 한국비교문학회, 2006
- 박성창 『비교문학의 도전』, 민음사, 2009
- 박영산 외 『한국 비교문학 서지 연구』, 월인, 2016
- 이혜순 「한국 비교문학의 위기—그 이론의 수용과정에서 보이는 몇 가지 문제점을 중심으로 」, 『비교문학』1, 한국비교문학회, 1977
- 조동일, 『한국 문학과 세계 문학』 , 지식산업사, 1991
- 한일비교문학연구회편, 『비교문학과 텍스트의 이해』 , 소명출판, 2016
- 韓国比較文学会
- 世界文学比較学会
- 韓国東西比較文学会
- ソウル大学校協同課程比較文学専攻
- 延世大学校比較文学協同課程
- 高麗大学校比較文学・比較文化協同課程
- 成均館大学校比較文化協同課程
【関連学会】
【関連大学院】