各国の比較文学研究史
――フランス
1 序
2 国際的な影響関係としての比較文学
3 狭義の比較文学への批判
4 一般・比較文学会の発展と分野を超越した活動
5 まとめにかえて
1 序
フランスは比較文学研究の揺籃の地の一つであり、その研究史は長い歴史ならではの多様な研究動向の反映である。イヴ・シュヴレルの文庫クセジュ『比較文学入門』の訳者である小林茂は「訳者あとがき」で、マリウス=フランソワ・ギュイヤールの『比較文学』[Guyard、1951]、イヴ・シュヴレルの『比較文学』[Chevrel、1989]、そのシュヴレルが2006年に大幅な書き換えをほどこした第5版『比較文学』[Chevrel、2006]の3つの版が文庫クセジュにあることを指摘して、「60年ほどの間に、2人の著者によって書かれた3つの稿はそれぞれに、比較文学研究のたどった道のりを反映している」と記している。これは、ダニエル=アンリ・パジョが著した『一般・比較文学』[Pageaux、1994]の前書きに、フランスの比較文学は「1世紀以上にわたり変化し続けてきた学問である」と記したことを思わせる。20世紀初頭の比較文学は21世紀の比較文学とまったく同じというわけではない。フランスの比較文学の研究史をたどるにはそれぞれの時代の出版物を丁寧に確認する必要があるのだ。現在という時点も含めて時代ごとにその目的や性質が異なっており、ある時点での研究動向の理解が他の時代を検討する際に同じように役立つわけではない。
ただ、フランスにおける比較文学研究は教育制度の中で育まれたからこその特徴を有していて、その点では一貫している。そこで本項は、フランス一般・比較文学会のホームページに掲載されているフランス一般・比較文学会の沿革を基軸にしつつ、フランスで出版された比較文学の手引書や教科書を参考に、フランスにおける比較文学研究史の変遷を簡略にまとめる。
2 国際的な影響関係としての比較文学
フランス一般・比較文学会(Société française de littérature générale et comparée, SFLGC)のホームページに掲載されている会の沿革には、1956年から2006年までのフランスにおける比較文学の動向がイヴ・シュヴレルによってまとめられている。なぜ2006年かといえば、この年がフランス一般・比較文学会50周年にあたるばかりではなく、リヨン大学で比較文学講座が1896年に設置されてから110周年目だからであった。「フランスにおける学校・大学生活の組織に本会が必要だということを示す」(沿革の序文)と述べられていることからも理解されるように、比較文学がどのような経緯を経てフランスの公教育の制度の中でその存在を認められてきたかを説明するものとなっている。
むろん1896年より前に比較文学の萌芽がフランスになかったというわけではない。ソルボンヌにおいてクロード・フォリエルによる最初の(単数形での)外国文学の講座が誕生したのは1830年で、フランス文学と古典文学の枠を超える研究がはじめてできるようになった。第3共和制になってからは、リヨンだけではなくパリの大学で1910年にフェルナン・バルダンスペルジェにより比較文学の授業が出講されて、1925年には講座として比較文学が教えられるようになる。リヨンとパリに並びストラスブールでも比較文学で証書が1920年には出されていた。教育・研究をサポートする大学紀要として『比較文学雑誌』(Revue de littérature comparée)がポール・アザールとバルダンスペルジェによって1921年に創刊され[Hazard & Baldensperger、1921-]、1931年には最初の本格的な比較文学の教科書であるポール・ヴァン・ティーゲムの『比較文学』[van Tieghem、1931]が出版された。フランス一般・比較文学会の沿革においてシュヴレルは、この『比較文学誌』とヴァン・ティーゲムの教科書の出版が比較文学のフランス学派を形成したとしている。
さて、ここで少しフランス一般・比較文学会の沿革を離れよう。このリヨン大学の比較文学講座はジョセフ・テクストのために設置されたものだが、テクスト自身が20世紀初頭の比較文学をどのようにとらえていたかを確認する。ルイ=P・ベッツの『比較文学——書誌試作』[Betz、1904]にテクストが寄せた序文では、文学作品の比較がギリシャ古典とラテン古典の時代にさかのぼること、ラブレーのようなルネサンス期のユマニストたちが文学の比較を発展させたことが述べられる。続いて、西洋古典と東洋の古典作品の比較が問題となり始めたこと、とりわけ18世紀以降に各国が自国文学発展に注力したことが指摘される。ここで留意すべきことは、当時の中等・高等教育においてはいわゆる国語(フランス語)と文学の教育が、ギリシャ・ラテンの古典文学の学びを中心としていたことだ。つまり教育制度の観点からは、国語としてのフランス語・フランス文学の学び自体が現在のそれとは異なっていた。別の国の文学に関心が寄せられるのは、自国とは異なる国々の文学を深く知るということもあるものの、なによりも自国文学とは何かという問いに対する思考を深めるためだった。テクストは次のように説明する。「それ[=比較批評]が生まれたのは、諸国を一つにまとめようとする思いや、18世紀式のコスモポリタニズムによるものでもなく、まったく逆で、隣国の影響に抗して各国の才を擁護しようとする傾向によるものだったのである。」また、この序文でテクストが「諸文学の比較史」という表現を幾度も使っていることに注意を向けるべきだろう。ギュスターヴ・ランソンの『フランス文学史』[Lanson、1894]式の文学史観の中に比較文学の試みは位置づけられていたのである。
このベッツの書はバルダンスペルジェが増補改訂を加えて出した第2版である。その第2版への序文の中で、文学におけるキリスト教の影響というベッツの研究についてバルダンスペルジェは言及しているが、ここで(古典ではないにせよ)聖典の近現代文学への影響を比較文学研究の手法として試みるベッツの立場を、バルダンスペルジェは批判的に見ている。実際、バルダンスペルジェは、教義の問題が問われる聖典について、文学への聖典の影響にかかわる書誌項目を作成することへの正当性を批判し、この項目を第2版では削除したのである。また、ベッツの印象批評的な姿勢を批判し、ランソンの文学史観に従って実証的な研究をバルダンスペルジェが目指したというのが、ベルナール・フランコ(Franco、2016)に至るまでの多くの教科書の取る立場である。
続いてポール・ヴァン・ティーゲムの『比較文学』を検討しよう。ヴァン・ティーゲムもイタリアとフランスといったような各国文学の間の影響関係が比較文学であるとする一方で、ランソンの文学史研究を念頭においた比較文学のありかたを説いた。それは印象批評に陥ってしまうような浅い比較を退ける実証的な研究アプローチであると同時に、19世紀中葉にイポリット・テーヌが唱えた「人種・時代・場」に着目する実証主義的文学研究に、国際的な視野を加えることを可能にするものだった。パリ高等師範学校、続いてソルボンヌ大学で教鞭を執り、19世紀末から20世紀初頭のフランス文学教育に大きな影響を与えたフェルディナン・ブリュンティエール[Bruntière、1898]が代表的な西洋諸国の文学を扱って比較文学的な視点を実践したのも、やはり原典探求のような実証研究と国際的な影響関係の解明を目的としていた。いわば影響をキーワードとして比較文学を構築していたのだ。
3 狭義の比較文学への批判
イヴ・シュヴレルがまとめたフランス一般・比較文学会の沿革に戻ろう。ナチス・ドイツ占領下にあった第2次世界大戦期のフランスにおいて、雑誌『比較文学誌』の活動拠点がイギリスにあったこと、そのことにより国際的な協力体制が築かれていたことが述べられている。また、戦後はフランス近現代文学(すなわちギリシャ・ラテンの古典文学ではない文学)の学士号がようやく大学に確立し、そのフランス近現代文学の証書の一つとして、あるいは外国語学士号の証書の一つとして、比較文学教育が可能になったことが記されている。1957年にはフランスの6つの大学で比較文学が講座として存在し、1959年には10の大学において比較文学の第3課程(いわゆる大学院相当の課程)があった。その一方で、中等教育を担う教員に比較文学での中等教員免状(CAPES)はなく、課題であることが指摘される。このようにフランスにおいては、比較文学がフランス近現代文学や外国文学の教育と密接にかかわって発展した様子が記されているのである。
あらためてこのフランス一般・比較文学会の沿革の視点を離れよう。1950年代から60年代は、比較文学が真の意味で一般・比較文学へと変貌を遂げた時代だった。この時代にはアメリカで新批評の流れが活発化していたが(新批評と比較文学のアメリカにおける動向については「各国の比較文学研究史――アメリカ」を参考のこと)、ウィーンで生まれアメリカで活躍したルネ・ウェレックが、1952年から発刊された『比較・一般文学年誌』(Yearbook of Comparative and General Literature)やオースティン・ウォレンとの共著『文学理論』(Wellek & Warren、1949、仏語訳は1971)において、フランス学派があまりに実証主義に偏っていることへの批判を表明していた。そして、この批判がフランスの比較文学研究者の間でも高まったのだ。その好い例がエチアンブルだろう。『(真に)一般的な文学の試論』(Étiemble、1974)などの著書で知られるエチアンブルは、ランソン的な硬直した文献学的研究に固執していてはいけないと説いた。実は30年代のヴァン・ティーゲム『比較文学』でも一般文学への言及はある。しかし、それは実証的文学史研究に重点があるもので、そのような傾向は、1951年に出版されたギュイヤールの文庫クセジュ『比較文学』において、「国際的文学関係史」が比較文学であると定義されていたことからも理解される。各国文学の影響関係のみに閉じこもるフランスの比較文学研究のありかたにエチアンブルは異を唱え、「真に一般的な文学」を目指して北米で高まっていた新しい比較文学の動向を導入しようとしたのだった。当時のフランスではロラン・バルトが『ラシーヌ論』(Barthes、1963)等で精神分析学や一般言語学の分析手法を用いたラシーヌ読解を試み、実証的な文学史研究とは異なるアプローチを実現していた。北米からの批判とフランス国内の新しい文学研究の動向が、フランスの比較文学に変化を促したのだった。
1967年にクロード・ビショワとアンドレ=ミシェル・ルソーにより『比較文学』(Pichois & Rousseau、1967)が出版されたが、比較文学が存在感を増す高等教育でヴァン・ティーゲムの時代とは異なる新しい比較文学の教科書が必要になったことに対応したものだ。原典研究や文学的・国際的な交流といった影響関係の解明だけではなく、イメージ論、民衆心理、一般文学、世界文学、哲学、構造主義、テーマ研究、等々の広範囲にわたる内容を本書は比較文学に与えたのだった。
4 一般・比較文学会の発展と分野を超越した活動
シュヴレルは文庫クセジュ『比較文学』(第5版以降)で、「受容の概念は「影響」の概念を排除したとは言わないが、これに取って変わった(「第2章 外国作品の受容」の「Ⅲ 受容であって、影響ではない?」)」と書いた。また『比較文学 歴史、分野、方法』の序文でベルナール・フランコ(Franco、2014)は、「影響の概念は20世紀初頭の比較研究者のアプローチの中心にあったものの今日ではほぼ完全に放棄されていて、かつての比較文学が今日の比較文学とはたしかに異なることを示している」と書いて、影響の概念を基軸とした比較文学研究のあり方が乗り越えられたことを明らかにしている。
フランスにおける比較文学研究動向のこのような変化は、上述のようにフランス国外の研究者との交流によって生じたものでもあった。実際1950年代以降、国際学会の開催により各国の研究動向の交流が深まっていた。ヴァン・ティーゲムの提案で1928年に始まった近現代文学史国際委員会は30年代から50年代に国際学会を5回開催し、その経験から国際比較学会(Association internationale de littérature comparée, AILC)が1955年に生まれる。フランス比較文学会(Société nationale française de littérature comparée, SNFLC)がほぼ同じ時期にできて、翌年には設立記念の学会がボルドーで開かれる。規約や名称の変更を重ねたあと、1973年には現在のフランス一般・比較文学会(Société française de littérature générale et comparée, SFLGC)となる。学会はたんに学術団体として発展しているのではない。たとえば中等教育における比較文学教育の導入を教育視学官に申し入れたり、アグレガシオン(上級教員資格)の課題に「一般・比較文学プログラム」を導入することを実現したりしている。そして、これは若い会員のポスト確保のためであるとシュヴレルはフランス一般・比較文学会の沿革に明記している。フランスにおける比較文学の発展は、公教育制度の中でいかに重要度を確保できるかにかかっているという視点を、このシュヴレルの沿革に見ないわけにはいかないだろう。また、2002年には規約改正を行い、高等教育機関の研究者だけではなく博士課程の学生や中等教育教員が学会に加入できるように改定し、多様な社会的背景を持つ学会員を受け入れることで、学会の活動を拡張しているのである。
むろん、この幅広い会員の受け入れは、フランスの比較文学が広い学術分野をその活動範囲とするようになったことと呼応している。ピエール・ブリュネルとイヴ・シュヴレルが編纂・出版した『比較文学概説』(Brunel & Chevrel、1989)では翻訳文学、比較詩学(詩学、レトリック、ジャンル理論)、文学と社会、文化的イマジュリーからイマジネール、テーマ研究等々の語が並ぶ。ディディエ・スイエ編の『比較文学』(Souiller、1997)では神話、モチーフ、テーマ研究、受容、間テクスト性、エクリチュール、表象、ミメーシス、小説の冒険のようなキーワードが目次にある。あるいは冒頭に引いたダニエル=アンリ・パジョの『一般・比較文学』では、比較を第1章に置いたあと、接触・交流、読解(翻訳、受容)、イメージ論、テーマ研究、神話研究、形態論、ジャンル研究、モデル論、文学史、文学と芸術、研究と教育といった項目を提供している。これらのキーワードからも理解されるように、比較文学はたんなる文学のみを研究対象としているのではなく、諸分野の理論を積極的に(ときにはいささか乱雑に)取り入れたのである。
5 まとめにかえて
フランス一般・比較文学会が見せるこのような拡張の動きは、分野横断的なアプローチを可能にするとともに、学術としての比較文学の輪郭が曖昧になっていく現状を生んでいるとも言える。比較文学を評して、「方法論のユートピア」(パジョ)、「文学の人類学」(フランコ)といった学術の一領域の定義としてはやや壮大に過ぎる表現が近年のフランス比較文学の教科書に見られるのは、そのあらわれだろう。だがこれは、一般・比較文学という学問領域を、国内の教育制度の中で発展させていく強い意志の表出だと理解すべきだろう。
シュヴレルは一般・比較文学会のホームページの沿革を次のように締めくくる。「一般・比較文学は自らを横断的な分野、十字路と定義する。フランスの大学の現在の組織はこの学際性にまだあまり適応していないのだが、学際性とはこの分野をなす価値なのだ。それゆえ一般・比較文学会は警戒を怠らず、見通しの良さを促進するという2つの要請に立ち向かい続けるのだ。」これは、文庫クセジュ『比較文学』(第5版以降)の結語に「いかなる比較研究部門も、閉ざされた体系の拒否である」とシュヴレル自身が書いていることと通底する。フランスの比較文学は、変わり続けることで研究と教育という両輪を回し続けているのである。
出典および関連文献:各国の比較文学研究史—フランス
- Fernand BALDENSPERGER, « Littérature comparée : le mot et la chose », Revue de Littérature comparée, Paris: Honoré Champion, 1921, pp. 5 – 29.
- Roland BARTHES, Sur Racine, Paris: Seuil, 1963.[邦訳:ロラン・バルト『ラシーヌ論』渡辺守章訳、みすず書房、2006年]
- Louis-P. BETZ, La Littérature comparée. Essai bibliographique, 2e édition augmentée par Fernand Baldensperger, introduction par Joseph Texte, New York: Haskell House Publishers Ltd., 1904.
- Pierre BRUNEL, Yves CHEVREL, Précis de littérature comparée, Paris: Presses universitaires de France, 1989.
- Pierre BRUNEL, Claude PICHOIS, André-Michel ROUSSEAU, Qu'est-ce que la littérature comparée ? (Collection Lettres U), Paris: Armand Colin, 1983.
- Ferdinand BRUNTIÈRE, Manuel de l’histoire de la littérature française, Paris: Ch. Delagrave, 1898.
- Daniel CHAUVIN, Yves CHEVREL, Introduction à la littérature comparée : du commentaire à la dissertation, Paris: Dunod, 1996.
- Yves CHEVREL, La Littérature comparée, 5e édition, Paris: Presses Universitaires de France (Collection « Que sais-je ? »), 2006. [邦訳:イヴ・シュヴレル『比較文学入門』小林茂訳、白水社(文庫クセジュ)、2009年]
- ÉTIEMBLE, Essais de littérature (vraiment) générale, Paris: Gallimard, 1974 (1re édition), 1975 (3e édition revue et augmentée).
- Bernard FRANCO, La Littérature comparée. Histoire, domaines et méthodes, Paris: Armand Colin (Collection U), 2016.
- Marius-François GUYARD, La Littérature comparée, Paris: Presses Universitaires de France (Collection « Que sais-je ? »), 1951. [邦訳:マリウス=フランソワ・ギュイヤール『比較文学』福田陸太郎訳、白水社(文庫クセジュ)、1953年]
- Simon JEUNE, « Littérature générale et littérature comparée. Essai d’orientation », Situation, nº 17, Paris: Lettres modernes, Minard, 1968.
- Gustave LANSON, Histoire de la littérature française, Paris: Hachette, 1894. [邦訳:増補改訂版であるGustave LANSON, Paul TUFFRAU, Manuel illustré d'histoire de la littérature française, Paris: Hachette, 1953.の翻訳):ギュスターヴ・ランソン、ポール・テュフロ『フランス文學史』有永弘人(他)共訳、中央公論社、1954-1967年]
- Daniel-Henri PAGEAUX, La littérature générale et comparée, Paris: Armand Colin, 1994.
- Claude PICHOIS, André-Michel ROUSSEAU, La Littérature comparée, Paris: Armand Colin, 1967.
- Didier SOUILLER (sous la direction de), Wladimir TROUBETZKOY (avec la collaboration de), La Littérature comparée, Paris: Presses universitaires de France (Collection Premier cycle), 1997.
- Paul van TIEGHEM, La Littérature comparée, Paris: Armand Colin, 1931. [邦訳:ポール・ヴァン=ティーゲム『比較文学』太田咲太郎訳、丸岡出版社、1943年]
- René WELLEK, Austin WARREN, La Théorie littéraire, Paris: Seuil, 1971 (traduction française, 1re édition anglaise : Theory of Literature, New York: Harcourt Brace, 1949). [邦訳:ルネ・ウェレック, オースティン・ウォーレン『文學の理論』太田三郎訳、筑摩書房、1954年]