各国の比較文学研究史
——アメリカ

石原 剛
(東京大学大学院・教授:比較文学比較文化)

1 黎明期のアメリカ比較文学研究
2 学会の設立と独自性への模索
3 批評理論への傾斜
4 アメリカ比較文学会(ACLA)報告

1 黎明期のアメリカ比較文学研究

 そもそも移民によって国家が形成された歴史を有するアメリカ合衆国にとって、先端的な知を有する優秀な人材を海外から得ることは、国内の研究を進展させるうえで欠かせない要素であった。特に、ナチスの台頭と第二次大戦の勃発は多くのヨーロッパ知識人の生命と財産を危機にさらし、結果、数多のヨーロッパの優秀な学者が大西洋を越えてアメリカを拠点に知的活動を展開するきっかけとなった。アメリカにおける比較文学研究にとっても、大戦前後のヨーロッパ知識人のアメリカ移住は極めて重要である。例えば、比較文学研究の先進地フランスで、1921年にポール・アザール(Paul Hazard)とともに『比較文学雑誌』(Revue de littérature comparée)を創刊してフランスにおける比較文学の創始者のひとりとなったフェルナン・バルダンスペルジェ(Fernand Baldensperger)。彼は、1935年から戦争が終結を迎える1945年の10年間をアメリカで過ごし、最初の5年間はハーヴァード大学の比較文学科の教授として、そして残りの5年間はカリフォルニア大学ロスアンジェルス校で比較文学を講じている。またオーストリア出身のルネ・ウェレック(René Wellek)もヨーロッパで大戦が勃発した1939年に渡米、アイオワ大学で7年間教壇に立った後、イェール大学で比較文学科を設立、草創期のアメリカ比較文学研究において最も影響力のある学者の一人として活躍した。また大戦中はナチスのユダヤ人迫害を逃れ、トルコのイスタンブール大学で代表作『ミメーシス―ヨーロッパにおける現実描写』(Mimesis: Dargestellte Wirklichkeit in der abendländischen Literatur)(1946年)を著したエーリヒ・アウエルバッハ(Erich Auerbach)も戦後間もない1947年に渡米、ペンシルヴァニア州立大学で比較文学を講じた後、イェール大学に移り、フレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)など、後進の比較文学者に大きな影響を与えている。
 このように、第二次大戦前後に渡米したヨーロッパの有力な比較文学者の貢献の下で出発したアメリカの比較文学研究であったが、ほぼ同時期の1940年代から50年代にかけてアメリカの文学研究を席巻していたのは新批評(New Criticism)と呼ばれる批評運動であった。潔癖なまでに作品への外的影響を関心の埒外におき、徹底した精読に依拠して作品内部の美学的検討に精力を注ぐ新批評は、国境やジャンルを超えたテクスト間の関係をテーマとすることの多い比較文学のアプローチとの親和性は低いと思われるかもしれない。しかし、ウェレックに代表される1940年代から50年代にかけて活躍したアメリカの比較文学研究の創始者たちは、むしろ新批評に理解を示す傾向があった。例えば、ウェレックにしても、もともと文学研究を学んだのはチェコのプラハの大学であり、ロシア・フォルマリズムから深い影響を受けたプラハ学派で活発な活動を展開した若手学者の一人であった。そして、ともに社会や歴史とのつながりを退けて文学作品そのものの形式の分析に力を注ぐ新批評とロシア・フォルマリズムの親和性を視野に入れれば、フォルマリストのウェレックが当時のアメリカで影響力をふるっていた新批評に深い理解を示したことは当然の帰結であった。ウェレックは、自らを「旧き新批評主義者」(old New Critic)と称した比較文学者オースティン・ウォレン(Austin Warren)と共著で文学研究の方法論の古典、『文学の理論』(Theory of Literature)(1949年)を刊行しているが、同書がロシア・フォルマリズムとともに新批評の枠組みにかなりの程度依拠して書かれた事実を思い起こせば、草創期のアメリカの比較文学研究と新批評の結びつきの深さを理解できよう。

2 学会の設立と独自性への模索

 戦後、いよいよ本格的にアメリカの比較文学研究が活動を開始する。1954年に国際的な比較文学研究の学会である国際比較文学会(ICLA)が設立されると、早くも4年後には、第二回ICLA大会がアメリカのノース・カロライナ大学チャペルヒル校で開催される。アメリカのフォード財団などが豊富な資金援助を実施した結果、同大会には当時としては多い240名もの比較文学者がアメリカのみならず世界各国から集まった[Patty 1958]。日本からは日本比較文学会の太田三郎が参加している。そして、チャペルヒル大会から2年後の1960年には、アメリカにおける比較文学研究の研究団体、アメリカ比較文学会(ACLA)が設立され、全米規模で比較文学研究が組織化されることとなる。創設から2年後の1962年にはニューヨークのコロンビア大学でACLA第一回全国大会が開催、その後も3年に一度の頻度で大会が開催され、コロナ禍で中止を余儀なくされた2020年の大会を除いては、1987年以降、年1回の頻度で全国大会が開催されている。現在は、多い時で3000名を超えるアメリカ内外の比較文学者が一堂に会する機会となっている[Heise 2017]。特筆すべきは、ACLAの全国大会が自国開催にこだわらず、隣国のメキシコやカナダでも開催されてきた事実だろう。1997年のメキシコ大会を皮切りに、過去2回ずつメキシコとカナダで年次大会が開催されている(2023年現在)。
 因みに、比較文学の学派を説明する際、しばしば「フランス派」(French School)や「アメリカ派」(American School)といった色分けがされることがある。確かに、アメリカにおける比較文学研究の創始者の一人でドイツ出身の比較文学者ヘンリー・レイマーク(Henry H. H. Remak)は、「比較文学、その定義と役割」(“Comparative Literature, Its Definition and Function”)と題された1961年の有名なエッセイで、便宜上、フランス派とアメリカ派という用語を用いて、異なる文学作品の影響関係を事実に基づいて実証的に分析する手法をフランス派、影響関係やジャンルに限らずより柔軟に多種多様な作品の比較を認めるのがアメリカ派といった形で比較文学の研究手法を定義している[Remak 1961]。実証主義にこだわることなく縦横無尽に文学を論じる傾向のあるウェレック、ウォレン、アウエルバッハ、ハリー・レヴィン(Harry Levin)といった草創期を代表するアメリカの比較文学者の顔ぶれと、バルダンスペルジェやアザール、ヴァン・ティーゲム(Paul van Tieghem)といった実証主義の伝統を打ち立てたフランス比較文学研究の創始者たちの顔ぶれを比較すれば、米仏間の比較文学の学風の違いは確かに存在するかもしれない。しかし草創期においても、米仏間の比較文学者の交流は盛んであったし、ましてや過去とは比較できないほどの速さで国を越えてあらゆる理論が飛び交う今日の比較文学研究において、米仏間の学風の差異をかつてのように明確に指摘することは難しい。一例を挙げれば、欧米で使用されることの多い、比較的近年出版された比較文学の標準的な教科書においても、単純にアメリカとフランスで学派の線引きをする立場にはむしろ懐疑的だ[Dominguez, Saussy, Villanueva 2015]。

3 批評理論への傾斜

 こういったフランス派、アメリカ派といった表層的な分類を警戒した上でなおかついえることは、アメリカにおける比較文学研究があらゆる理論を貪欲に吸収することで発展を遂げてきた事実だ。このことは、アメリカの比較文学研究に顕著な批評理論への(ときに行き過ぎた)傾倒という形で最も端的に表れている。先に説明したように、そもそもアメリカ比較文学研究の創始者でもあるウェレックやウォレンがロシア・フォルマリズムや新批評の担い手でもあったし、その後も、特に1990年代頃までは、アメリカの比較文学者は、構造主義、記号論、脱構築、受容理論、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズ、エスニック・スタディーズ、マルティカルチュラリズム(多文化主義)、ジェンダー批評など、ありとあらゆる理論を積極的に吸収しながら自らの比較文学研究を展開してきた。以下に批評理論の地平を切り拓いていった代表的なアメリカの比較文学者を挙げておこう。
 例えば、ポール・ド・マン(Paul de Man)。やはり大戦前後にヨーロッパから渡米した学者で、フランスのジャック・デリダ(Jacques Derrida)の影響を深く受けたド・マンが『読むことのアレゴリー―ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』(Allegories of Reading: Figural Language in Rousseau, Nietzsche, Rilke, and Proust)(1979年)といった主著を手掛け、イェール大学の比較文学科の教授(のちに主任)として、70年代以降の脱構築批評に多大な影響を及ぼしたイェール学派の中心的人物となったことはあまりにも有名だ。または、フレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)。アメリカの比較文学研究の創始者のひとりでもあるアウエルバッハの薫陶を受け、アドルノやベンヤミン、マルクーゼなどドイツのフランクフルト学派を中心とした知識人や60年代のアメリカの新左翼運動ニューレフトの影響を受けたジェイムソンは、主著『政治的無意識―社会的象徴行為としての物語』(The Political Unconscious: Narrative as a Socially Symbolic Act)(1981年)に代表されるマルクス主義文学批評の分野で、1970年代以降最も影響力のある比較文学者の一人として活躍した。同じく1970年代後半以降、フランスで花開いた構造主義を文学批評に応用し、脱構築批評の分野でも大きな影響力を誇ったジョナサン・カラー(Jonathan Culler)。彼はACLAの会長まで務めた筋金入りの比較文学者で、コーネル大学の比較文学科で多くの後進を育てた。無論、エドワード・サイード(Edward Wadie Said)も忘れてはならない。『オリエンタリズム』(Orientalism)(1978年)によってポストコロニアル批評の発信源となった彼もまた戦後大西洋を越えてアメリカに移民し、批評界に甚大な影響を与えた比較文学者であった。同じくポストコロニアル批評の分野でいえば、ガヤトリ・スピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak)を挙げるべきだろう。彼女もまたアメリカに移住した学者で、ド・マンの下で比較文学を修めた後、脱構築批評、マルクス主義批評、フェミニズム批評をカヴァーする幅広い批評活動を展開し、特に1990年代以降は世界で最も知られる比較文学者の一人となった。

4 アメリカ比較文学会(ACLA)報告

 アメリカにおける比較文学研究のもう一つの特徴として挙げられるのは、研究手法を絶えず意識的に振り返ろうとする姿勢である。そういった姿勢は、アメリカ比較文学研究の黎明期から既に顕著であった。例えば、1958年、アメリカのチャペルヒルで開催された国際比較文学会(ICLA)の第二回年次大会において、ウェレックは材源や影響の研究に終始している比較文学の現状を「比較文学の危機」(“The Crisis of Comparative Literature”)と呼んで批判する[Wellek 1959]。そして、その3年後の1961年には、今度はレイマークが先に触れたように影響や実証重視のフランス派に対してより柔軟で開かれたアメリカ派の比較文学の手法を標榜するエッセイを著している[Remak 1961]。その後も、比較文学の手法をめぐる関心や議論がアメリカで後退する兆しはなかった。それどころか、アメリカ比較文学会(ACLA)は10年ごとに比較文学研究をめぐる状況報告(ACLA State of the Discipline Report)を実施することを内規として定め、研究の現状と問題点を自ら批判的に検討する試みを既に1960年代から開始している。その成果は、ACLAが依頼した執筆者と委員会の統括の下、60年代、70年代、90年代、2000年代、2010年代の5度にわたって行われたACLAの報告に結実している。一国の比較文学研究を代表する学会自らが、今後の比較文学研究の発展に資せんと研究の現状と問題点を定期的かつ主体的に検討するACLAの試みは評価に値しよう。
 過去5回行われたACLA報告の中でも、変化を掲げて大きな反響を呼んだのは1993年の「バーンハイマー・レポート」(“The Bernheimer Report”)であった(刊行は1995年)。同報告の趣旨は、ジェンダー、性、エスニシティ、人種、西洋と非西洋などの領域を越えて展開する同時代の学際的な研究状況を踏まえて、従来の国や時代やジャンルに分けて「文学」をとらえる手法が通用しなくなっている現状を指摘し、比較文学研究が変化への恐れを乗り越えてより開かれたディシプリンへと研究領域を積極的に開いていく必要性を訴えることにあった[Bernheimer 1995]。一名の比較文学者が執筆する短い報告書のみからなる60年代の「レヴィン・レポート」(1965年)や70年代の「グリーン・レポート」(1975年)と異なり、90年代の「バーンハイマー・レポート」は、同レポートに対する種々の反応や、多様な立場の比較文学者による論文を多数収録する形で、『マルティカルチュラリズムの時代の比較文学』(Comparative Literature in the Age of Multiculturalism)と題されて1995年に一冊の書籍として刊行されている。そのタイトルからも明らかなように、隆盛する同時代の多文化主義(multiculturalism)の時代的要請を多分に意識した内容であった[Bernheimer 1995]※1
 そして、「バーンハイマー・レポート」からおよそ10年後の2004年に実施されたファン・サシー(Haun Saussy)による報告は、ある意味、90年代の「バーンハイマー・レポート」で提起された問題に対する回答ともいえる内容であった。元来、コスモポリタニズムや学際性を重視してきた比較文学という学問が「文学研究」という核の部分を大切にしつつ、過去10年で自らヨーロッパ中心主義の伝統を乗り越えてキャノンの範囲を拡大し、世界文学(World Literature)といった新たな文学研究のジャンルをも取り込むなどしてディシプリンの拡大を成功させてきたことを、サシーは「比較文学の勝利」(“The Triumph of Comparative Literature”)という言葉を用いて高らかに宣言して見せたのである[Saussy 2006]。冒頭のサシーの序文の他、多種多様な分野を専門とする比較文学者の手による20本近い論文を収録した同報告は、グローバル・スタディーズやトランスナショナリズムが注目を浴びる同時代の状況を反映して『グローバリゼーションの時代における比較文学』(Comparative Literature in an Age of Globalization)というタイトルで2006年に刊行されている[Saussy 2006]。
 さらに2010年代、サシーの報告から約10年後の2017年、ウルスラ・K・ハイゼ(Ursula K. Heise)によるACLA報告が発表される。ハイゼの報告の特徴は、その多様性のスケールの大きさだ。刊行予定の報告書への論文投稿をACLAのホームページで1年余り呼びかけた結果、主に有名大学の著名学者のエッセイからなる過去のACLA報告とは異なり、比較的無名の大学に籍を置く研究者の他、大学院生を含めた様々なキャリアの段階にある執筆者の文章が収録されている。そのあまりの多様さから本報告の特徴を抽出することは困難ではあるが、目立ったところでは、ポスト構造主義、ポストコロニアリズム、世界文学、環境、メディアといった観点からの議論、さらにユニークなところでは、比較文学との関係を「電子媒体による文学」(electronic literature)、「アニマル・スタディーズ」、「計量的分析」(Computational Criticism)といった新たな分野から論じるエッセイやインタビューなども収録されている。このようにあらゆる分野に開かれた比較文学の可能性を提示しつつも、編者のハイゼは比較文学の現状に満足しているわけではない。1960年代後半から1990年代前半頃にかけてアメリカの比較文学は文学研究やカルチュラル・スタディーズをリードしてきたが、それ以降は、ハイゼが専門とするエコクリティシズムの導入の遅れに象徴されるように、むしろ新たな学問領域の導入に後ろ向きな比較文学の現状が指摘される[Heise 2017]。アメリカでも文学部が近い将来増える見込みは無さそうな中、例えば、障がい、食料、デジタル、環境、医療、都市といった新たな学際的領域を扱うプログラムはアメリカの大学で増えており、そういった新領域に比較文学の理論や手法を広げていくことの重要性を示唆するのである[Heise 2017]。刊行されたハイゼの編集による報告が『比較文学の未来』(Futures of Comparative Literature)と題されたのは、こういったアメリカの比較文学研究の将来の可能性を見据えてのことだろう。ACLAのホームページによれば、2024年にはオンライン版での新たな報告が予定されているという[ACLA Website]。2017年にハイゼが思い描いたアメリカ比較文学研究の未来がどの程度実現しているか、今後発表される新たな報告への興味は尽きない。

【註】

1.1965年の「レヴィン・レポート」(“The Levin Report”)と1975年の「グリーン・レポート」(“The Green Report”)は、1995年のチャールズ・バーンハイマー(Charles Bernheimer)の報告の冒頭に収録されている。また、バーンハイマーによれば、1980年代の報告は原案の内容が不十分とACLAの委員会から判断されお蔵入りになったという[Bernheimer 1995]。

出典および関連文献:各国の比較文学研究史―アメリカ

  • ACLA Website, “The 2024 Report on the State of the Discipline of Comparative Literature,” https://stateofthediscipline.acla.org/.
  • Erich AUERBACH, Mimesis: Dargestellte Wirklichkeit in Der Abendländischen Literatur, (Bern: A. Francke, 1946). [邦訳:E・アウエルバッハ『ミメーシス―ヨーロッパ文学における現実描写』(上・下巻)、篠田一士・川村二郎訳、筑摩書房、1967-69年]
  • Charles BERNHEIMER, ed., Comparative Literature in the Age of Multiculturalism, (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1995).
  • César DOMÍNGUEZ, Haun SAUSSY, and Darío VILLANUEVA, Introducing Comparative Literature: New Trends and Applications, (London and New York: Routledge, 2015).
  • Paul De MAN, Allegories of Reading: Figural language in Rousseau, Nietzsche, Rilke, and Proust, (New Haven: Yale University Press, 1979). [邦訳:ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー―ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』土田知則訳、岩波書店、2012年]
  • Gerald GILLESPIE, “Comparative Literature in the United States,” Companion to Comparative Literature, World Literatures, and Comparative Cultural Studies, edited by Steven TÖTÖSY de ZEPETNEK and Tutun MUKHERJEE, (New Delhi: Cambridge University Press India Pvt, 2013), pp.353-67.
  • Lionel GROSSMAN and Mihai I. SPARIOSU, eds., Building a Profession: Autobiographical Perspectives on the History of Comparative Literature in the United States, (Albany: State University of New York Press, 1994).
  • Ursula HEISE, ed., Futures of Comparative Literature: ACLA State of the Discipline Report, (London and New York: Routledge, 2017).
  • Fredric JAMESON, The Political Unconscious: Narrative as a Socially Symbolic Act, (Ithaca: Cornell University Press, 1981). [邦訳:フレドリック・ジェイムソン『政治的無意識―社会的象徴行為としての物語』大橋洋一(他)訳、平凡社、1989年]
  • Manuela MOURÃO, “Comparative Literature in the United States.” CLC Web: Comparative Literature and Culture, vol.2, no.4 (2000), https://doi.org/10.7771/1481-4374.1095.
  • James S. PATTY, “International Congress of Comparatists.” South Atlantic Bulletin, vol. 24, no. 2 (1958), pp. 6-10.
  • Henry H. H. REMAK, “Comparative Literature, Its Definition and Function,” Comparative Literature: Method and Perspective, edited by Newton P. Stallknecht and Horst Frenz, (Carbondale: Southern Illinois University Press, 1961), pp.3-37.
  • Edward W. SAID, Orientalism, New York: Pantheon Books, 1978. [邦訳:エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』今沢紀子訳、平凡社、1986年]
  • Haun SAUSSY, ed., Comparative Literature in an Age of Globalization, (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2006).
  • René WELLEK, “The Crisis of Comparative Literature,” Proceedings of the Second International Congress of Comparative Literature, edited by Werner P. Friederich, (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1959), pp.148-59.
  • René WELLEK and Austin WARREN, Theory of Literature, (New York: Harcourt Brace, 1949).[邦訳:ルネ・ウェレック, オースティン・ウォーレン『文学の理論』太田三郎訳、筑摩書房、1954年]

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