各国の比較文学研究史
——カナダ

前島 志保
(東京大学大学院・教授:比較文学比較文化、比較出版史、比較メディア史)

1 はじめに——カナダの比較文学研究?
2 文学理論・文化理論と文学史への関心——東海岸英語圏
3 言語・文化の差異への繊細な目配り——東海岸仏語圏・内陸英語圏
4 比較カナダ文学研究
5 比較文学プログラムとその周辺における比較研究——西海岸英語圏
6 新しい動向——様々な縛りから解き放たれて

1 はじめに——カナダの比較文学研究?

 「カナダの比較文学研究史について一文を書いてもらいたい」という要請を受け、私はハタと困ってしまった。と言うのも、バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学に3年ほど留学していたことはあるが、その間、一度も「カナダの比較文学研究」について学んだことはなかったからだ。
 確かに、比較文学プログラムから出されていた科目を受講したことはあった。しかし、それは、以前10ヶ月ほど滞在したアメリカのインディアナ大学で受けた比較文学の授業とさして変わらないものだった。すなわち、授業冒頭で19-20世紀前半のヨーロッパ(主にドイツ・フランス)における比較文学の誕生と展開についてごく簡単に教員から説明があり、続けてエーリヒ・アウエルバッハ(Erich Auerbach)やルネ・ウェレック(René Wellek)らヨーロッパからの移民知識人によるアメリカにおける比較文学研究の誕生、ロラン・バルト(Roland Barthes)、ジャック・デリダ(Jacques Derrida)、フレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)らを通して構造主義からポスト構造主義、ポストモダニズムまでを押さえ、エドワード・サイード(Edward Said)のオリエンタリズム研究、ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァック(Gayatri Chakravorty Spivak)のサバルタン研究、ジュディス・バトラー(Judith Butler)らのジェンダー研究・クィア研究に進むという、いわゆる「文学理論」のラインナップ※1である 。北アメリカの人文学研究が、ナチスドイツの成立以降移り住んだヨーロッパの知識人達によって大きく前進し、ヨーロッパとの密な交流のもとで発展してきたこと、多くの場合、多言語話者(ポリグロット)であった彼らが中心となって、北アメリカの大学に比較文学研究プログラムが北アメリカの大学に立ち上げられ、彼らの薫陶を受けた世代によって生み出された研究が後に「文学理論」とされることになったことを考えると、このような「比較文学研究」の学びは、北アメリカではごく標準的と言える(詳細については、石原剛による「各国の比較文学研究史―アメリカ」参照)。比較文学で学位を取る者は、このほか、各自の興味に沿って、ジェンダーやモダニズムなどのテーマごとに言語・国・文化圏・メディアの境界を超えて文化的産物を分析する授業や、文学テクストを文化的歴史的文脈を踏まえつつ精読する類の授業を受講していく。
 こうした知の流れの大きな動向自体はカナダでもほぼ同様であり、さらにはアメリカとカナダの人文学研究は学会活動などを通して密な交流があることから、双方における比較文学研究の学びが似たような内容になるのは、無理からぬことだ。カナダは、英語圏ではイギリスとアメリカ、フランス語圏ではフランスという巨大な知の「中心」に対して「辺境」の地であり、その研究活動は、これらの文化的「中心」の動向に大きく左右される。とりわけ、地続きのアメリカのインパクトは無視できない。
 とは言え、カナダとアメリカの比較研究の傾向には、大まかな違いがある。より正確に言えば、カナダの比較研究でより強調されている傾向がある。今回、この「お題」を受けて調べていくうちに見えてきたカナダの比較文学研究の特色を要約すると、分野・メディアを越えて文化的産物や文化活動について考えようとする傾向(そしてそれを支える理論への関心)、言語・文化の差異や関係性への繊細な目配り、そして、他国の研究者との積極的な交流の三つと言える。後述するように、日本の比較文学研究者との関わりも深い※2。また、カナダにおける比較文学研究は、カナダ文学研究の展開とも連動していた。これが第四の特色と言えるだろう。文化的発信力や影響力の点で隣国に大きく水をあけられている感のある「辺境」の地ではあるが、時に「中心」の研究者が思いもかけないような新機軸を打ち出す研究者が現れるのも、カナダの面白いところだ。
 カナダ比較文学会は、ほぼ10年周期で研究動向のレポートが出されているアメリカ比較文学会とは異なり、定期的に国内の研究動向を振り返るということを長い間してこなかった。振り返りが必要無いほどに比較文学研究が盛んだったと言うことができるかもしれない。しかし、皮肉にも、世紀転換期に人文学研究がコストカットの対象となって、比較文学プログラムが各地で閉鎖・改組・縮小を余儀なくされたことがきっかけの一つとなり、多文化主義を国是に掲げるこの地ならではの比較研究の流れに光を当て再解釈する論考や書籍が、相次いで出された。グローバル化と効率重視が強化されるなか、「辺境」における人文学研究・比較文学研究の意義を考えるこれらの論考は、日本において学術活動を行う者が抱える問題関心にも通じ、示唆に富む。
 今回はこれらの文書に基づいて、国際的な比較文学研究を牽引したトロント大学の比較文学センター、ケベック州からアルバータ州などカナダ各地へと広がった「シェルブルック(シャーブルック)学派」、カナダ独自の比較文学研究である比較カナダ文学研究、その他の地域・組織における比較研究と順を追って、カナダにおける比較文学研究の世界をご紹介しよう。ただし、筆者の言語能力の限界から、フランス語圏の動向に関する記述が手薄であることは、予めご了承願いたい。

2 文学理論・文化理論と文学史への関心――東海岸英語圏

 1969年は、カナダの比較文学研究の本格的な始まりを告げる重要な出来事が相次いで起きた年だった。トロント大学における比較文学プログラム(Programme in Comparative Literature)の開講※3、アルバータ大学における比較文学科(Department of Comparative Literature)の開設、そして、カナダ比較文学会(Canadian Comparative Literature Association/ L’Association Canadienne de Littérature Comparée)の誕生である。
 トロント大学の比較文学プログラム(後の比較文学研究センター)に草創期から関わったマリオ・J・ヴァルデス(Mario J. Valdés)の回想によれば、当時、文学理論と構造主義の導入で北米における文学研究の動向が急速に変化していくなか、トロント大学における文学研究は相変わらず各国文学の枠組みを死守しようとする傾向が強く、英語とフランス語で創作活動を行なったサミュエル・ベケットの作品を英文学科とフランス文学科のどちらが教えるべきかで揉めるような状態だった。こうした旧態依然の状況を打破すべく、既にウィリアム・ブレイク研究(Fearful Symmetry, 1947)や『批評の解剖』(Anatomy of Criticism, 1957)で文学研究者としての名声を確立していたノースロップ・フライ(Northrop Frye)が、若い教員の支持を受けてトロント大学にかけあうことで試験的に設立されたのが、比較文学プログラムだった。当初は予算が下りず、既存の組織に籍を置く教員有志が全くのヴォランティア・ベースで授業を提供する、手弁当の講座だったという。このプログラムでは、1969年秋から1975年春までの間に修士課程・博士課程で48名の学生が学び、38名に博士号が授与された[VALDÉS 2009]。
 こうした着実な成果にもかかわらず、当初予定されていた予算付きの組織への格上げが大学により反故にされ、教員が英国やアメリカの大学に移ってしまう事態に陥ったものの、学生達による猛烈な抗議運動に大学側も折れ、1978年にようやく比較文学研究センター(Centre for Comparative Literature)が設立された。フライを長とする新設のセンターでは、プログラム創設当初から力が入れられていた文学理論、および、分野を超えた文化現象の考察を促すような意欲的な試みが続けられた。各分野における一流の研究者を招いたコロキアムの開催、刺激的な講演者の毎年の招聘、客員教員による進行中の研究に関する講義の開講、などである。フライ自身、これからの人文学研究の中心は比較文学になるのではないかというメモを残しており、大きな志を持ってセンターの運営にあたっていたことがうかがわれる[HART 2012]。
 センターの知的刺激に富む活発な活動は、国際コロキアムのラインナップによく現れている。例として、初期の数年間に開催されたコロキアムを見てみよう[VALDÉS 2009]。

・ 第一回(1979年)「解釈学と文学理論」(Hermeneutics and Literary Criticism):Hans-Geog Gadamer, Paul Ricœur, E.D. Hirsch, Max Black, Hans Jonas, Northrop Frye, and Bernard Lonergan.
・ 第二回(1980年)「文学史とカノン」(Literary History and Canon):Ralph Cohen, Northrop Frye, Jerome McGann, Donald Heduck, Paul Hernadi, Fredric Jameson, Christie McDonald, David Shaw, Michael Riffaterre, S.P. Rosenbaum, and Mario J. Valdés.
・ 第三回(1982年)「文学テクストのアイデンティティ」(Identity of the Literary Text):Jonathan Culler, Lubomír Doležel, Wolfgang Iser, Hans Robert Jauss, Felix Martinez Bonati, J. Hillis Miller, Paul Ricœur, Michael Riffaterre, Robert Weimann, and Mario J. Valdés.
・ 第四回(1983年)「文学、歴史、倫理哲学」(Literature, History, and Moral Philosophy):Stanley Cavell, Geoffrey Hartmann, Paul Ricœur, George Steiner, Tzveton Todorov, and Hayden White.

 比較文学センターの客員教授には、ハンス=ゲオルク・ガダマー(Hans-Georg Gadamer)、ツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov)、フレドリック・ジェームソン(Fredric Jameson)、ミシェル・フーコー(Michel Foucault)、ヴォルフガング・イーザー(Wolfgang Iser)、ポール・リクール(Paul Ricœur)、ジャック・デリダ(Jacques Derrida)などがおり、センター創設初期に講演や授業を行った研究者の論考は、Interpretation of Narrativeに収められている[MILLER and VALDÉS 1978]。このほか、オクタヴィオ・パス(Octavio Paz)、ハンス・ロベルト・ヤウス(Hans Robert Jauss)、ジェラール・ジュネット(Gérard Genette)、エドワード・サイード(Edward Said)、ミーケ・バル(Mieke Bal)、バーバラ・ハーンスタイン=スミス(Barbara Herrnstein-Smith)、ジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)、チャールズ・テイラー(Charles Taylor)、エミリー・アプター(Emily Apter)、デイヴィッド・ダムロッシュ(David Damrosch)、レイ・チョウ(Rey Chow)、リタ・フェルスキ(Rita Felski)らが、講演や講義を行っている。彼らの代表作の一部は、トロント大学の比較文学研究センター滞在中に著された※4。フライ自身もこの間に『世俗の聖典』(The Secular Scripture, 1976)、『大いなる体系』(The Great Code, 1982)などを出し、活発な研究・批評活動を行った[VALDÉS 2009; Centre for Comparative Literature website 2023; HUTCHEON 2023]。
 ガダマー、リクール、イーザー、ヤウス、リファテール、トドロフなどヨーロッパの研究者達は、まだ主だった著書が英訳されて間もないか、英訳が出される前に招聘しており、比較文学研究センターが英訳だけに頼ることなく、国外の研究者とともに研究活動をしていたことがよくわかる。他方で、ジョナサン・カラーやミーケ・バルのように当時は比較的若手だった研究者も招いており、また、文学のみならず、哲学、芸術など様々な分野の動向に目配りして招聘活動を行なっていたこと、オクタヴィオ・パス、レイ・チョウら、ヨーロッパや北米以外の視点から創作・研究活動をしている知識人達も招聘してきたことも、注目される。フライ、サイラス・ハムリン(Cyrus Hamlin)、ヴァルデス、エヴァ・クシュナー(Eva Kushner)ら、歴代のプログラム長・センター長をはじめとする運営側が「目利き」だったのだろう。センターに関わった人々は、いずれも、ジャンルやメディアを越えて、文化的産物の構造・様式、レトリック、コミュニケーション形式に注目する研究者達であり、広い意味での記号学(semiotics)へのセンターの関心の強さを示している。こうした土壌から、文学、演劇、美術、オペラと、ジャンルを軽々と超えて、パロディーやアイロニー、アダプテーションなどの働きについて思考する、リンダ・ハッチオン(Linda Hutcheon)のような比較文学者が生まれたのだった[HUTCHEON 1980, 1984, 1988, 1991, 1992, 1994, 2006; HUTCHEON and HUTCHEON 1996, 2004]。なお、彼女は、1975年に比較文学プログラムが輩出した最初の博士号取得者である。
 比較文学センターにおける国や分野をまたいだ活発な学術活動は、1990年代には国際的な文学史を編むという壮大なプロジェクトへと発展していく。1996年から1999年にかけて、世界各地から同センターに研究者が集り、文学理論や文学史について対話を重ねた[VALDÉS 2009; HUTCHEON 2023]。その成果は、国際比較文学会の国際比較文学史委員会委員長(president of the Coordinating Committee for Comparative Literary History, 1993-2002)を務めたヴァルデスとハッチオンを監修者とする、複数冊の国際的な文学史に結実した[HUTCHEON and VALDÉS 2002; CORNIS-POPE and NEUBAUER 2004, 2006, 2007; VALDÉS and KADIR 2004]。なお、同センターは、北米最大の人文学会the Modern Language Association (MLA)に3名の会長(フライ、ヴァルデス、ハッチオン)を送り出している。日本の比較文学者・川本皓嗣が東アジア学部の客員教授として1989―90年に招聘されたトロント大学では、こうした活発な研究活動が行われていたのだった。
 さて、イタリア系カナダ人であるリンダ・ハッチオン(旧姓Bortolotti)は、学生時代に英国人らしい英文学の読み方を教え込まれることに違和感を感じたことが、専攻を英文学から比較文学に変えたことにつながったのかもしれないと、後に語っている[HUTCHEON 1998]。ジャンルを超えて華麗に批評を展開しているように見えるハッチオンは、「カナダで生きること」「カナダで文化活動をすること」の意味を考え続けた知識人でもあった[HUTCHEON 1991, 1992]。フライも、カナダの文学や芸術に関する著書を著している[FRYE 1971, 1982a]。このような言語への鋭い感覚と「カナダ」にまつわる思考の積み重ねは、続く二つの節で扱う研究者グループの比較文学研究に最も強くあらわれている。

3 言語・文化の差異への繊細な目配り――東海岸仏語圏・内陸英語圏

 オンタリオ州のトロント大学に比較文学プログラムが誕生した1969年、カナダ比較文学会も産声を上げた。直接のきっかけとなったのは、1967年8月にベオグラードで開催された第五回国際比較文学会への参加申請を、カナダの研究者がアメリカ比較文学会を通して行なわねばならなかったという苦い経験だった [KUSHNER 2009]。しかし、もちろんそれだけではなく、カナダで比較文学研究が既にある程度行なわれてきていたという土台があって実現されたことだった。
 当時は新設大学だったオンタリオ州オタワのカールトン大学には、ヨーロッパからピエール・ロレット(Pierre Laurette)、ウラジミール・クリジンスキー(Wladimir Krysinski)、ハンス=ゲオルグ・ルプレヒト(Hans-George Ruprecht)といった若手研究者が集ってきており、1967年には既に比較文学講座が設けられていた。創設時には、ノースロップ・フライが記念講演を行なっている[KUSHNER 2009]。この経験が、トロント大学の比較文学プログラム開設に向け、フライを後押ししたのかもしれない。カールトン大学の比較文学プログラムの初代主任(director)となったエヴァ・クシュナーは、プラハに生まれ育ち、10歳の時にフランスに移住、その後16歳でカナダに移り、モントリオールのマギル大学で博士号(フランス文学)を取得した人物である。なお、クシュナーは後にカナダ比較文学会の初代会長となり、1985年パリで開催された第十一回国際比較文学会のプロシーディングスを日本の比較文学者・芳賀徹と共同編集し、英仏独語で刊行している[HAGA, KUSHNER, and ICLA 2000]。
 他方、ケベック州では、新設のシェルブルック(シャーブルック)大学※5やモントリオール大学、ラヴァル大学などで、それぞれ作家、詩人、翻訳家、批評家といった複数の顔を持ちながら活躍していた研究者達により、英語・仏語によるカナダ文学の研究や翻訳研究が進められていた※6 。なかでも、フランス語系のシェルブルック大学では、初代主任ロナルド・サザーランド(Ronald Sutherland)のもと、1962年には英仏両語で比較カナダ文学を研究する修士課程が開設され、カナダ独自の比較文学研究が推し進められていった。同プログラムの教壇に立っていたD・G・ジョーンズ(D. G. [Douglas Gordon] Jones)が翻訳家のシーラ・フィッシュマン(Sheila Fishman)らとともに1969年に創刊した英仏のバイリンガル文芸雑誌Ellipseでは、活発な創作、翻訳、批評活動が行なわれ、同誌を通して両語圏の間での文学的文化的交流が促進されていく。比較文学者・カナダ文学者のジョセフ・ピヴァート(Joseph Pivato)は、言語や文化の差異に繊細な注意を払う「シェルブルック(シャーブルック)学派」とでも呼ぶべき一派が存在し、彼らがカナダの比較文学研究の基礎を構成していたと指摘している [PIVATO 2011]。このほか、1966年には、モントリオール大学にも大学院に比較文学プログラムが設けられている。日本の比較文学研究者・太田雄三は、カナダ独自の比較文学研究が芽吹き始めていた1974年にモントリオールのマギル大学に赴任しているが、マギル大学に比較文学研究の修士課程が設置されたのは1977年であった[DIMIĆ 1985]。
 モントリオールと近郊のシェルブルックを中心とした地域の知識人達は、多言語話者であったことから、大陸の文学理論や哲学思想を早くから原典を通して取り入れていた。とりわけ、フェミニズム批評の取り入れが早かったことは特筆に価する。モントリオール大学、パリ大学、ボルドー大学で学んだバーバラ・ゴダール(Barbara Godard)は、パリのヴァンセンヌ大学で教えた後にカナダに戻り、1970年代には元同僚のエレーネ・シクスー(Hélène Cixous)と共同で論考を執筆したり、シクスーの論考をフェミニスト雑誌Wavesで論じたりしている。ケベックの女性作家達も、フランスの思想に原書で触れ、創作活動を行なっていた。クリステヴァが1969年にフランス語で著した『セメイオチケ』(Semeiotikê)を、シェルブルックで教えていたマドレーヌ・ギャニオン(Madeline Gagnon)が1980年に英訳する前に、既に多くのケベックの女性作家達はこの書をフランス語で読んでいたという[PIVATO 2020]。
 ゴダールが創刊に関与したフェミニスト文芸雑誌Tesseraや、彼女と作家・詩人で翻訳家でもあるゲイル・スコット(Gail Scott)が毎日曜に開いていた集まりには、多くの作家と研究者が集い、対話を通して、フェミニズム、翻訳、複数言語にまつわる諸問題が活発に論じられた[PIVATO 2020]。1984年1月1日出版のTessera創刊号には、バーバラ・ゴダール、ゲイル・スコットのほか、作家のルイーズ・コットノワ(Louise Cotnoir)、英文学者・カナダ文学者のクリストル・ヴェルデュイン(Christl Verduyn)、フランス文学・カナダ文学研究者のジェニファー・ヴェルティ=ウォーターズ(Jennifer Waelti-Walters)らが、英語もしくはフランス語で書かれた、フェミニズム、ジェンダー、翻訳、マーガレット・アトウッド(Margaret Atwood)の小説(Bodily Harm, 1981)などに関する論考を寄せている。ヨーロッパ大陸(特にフランス)の動きと呼応しながら、創作活動と批評活動が連動して行なわれていたのが、当時のケベックの知的環境の特色と言えよう。ゴダールは後にトロントのヨーク大学で教壇に立ち、フランス語系カナダ文学だけではなく、英語系カナダ文学にも目配りした研究・評論活動を展開していった。
 モントリオールやシェルブルック、ケベックシティで行なわれていた知的文化活動は、カナダの他の地域にも刺激を与えていく。1969年、アルバータ州エドモントンのアルバータ大学に比較文学科が開設され(プログラム自体は1964年に創設)、シェルブルック大学で教鞭をとっていたメアリー・ハミルトン(Mary Hamilton)が二人の学生とともにエドモントンに移り、この地にケベックの文化的な息吹を伝えた。シェルブルックからは、サザーランド、ジョーンズなどがアルバータ大学の客員教授として招聘されている。アルバータ大学では、既に1950年代後半からエドワード・J・H・グリーン(Edward J. H. Greene)により比較文学が講じられ、文学理論の授業も開講されていたが[DIMIĆ 1985]、その流れにモントリオール・シェルブルックの流れが合流した形になる。
 アルバータ大学比較文学科の初代主任は、神話・伝説研究者のミラン・V・ディミッチ(Milan V. Dimić)である[PIVATO 2020]。まだ30代半ばだったディミッチは、ベオグラードに生を受け、旧ユーゴスラビアとドイツで研究者・教育者としてのキャリアをスタートさせ、1966年にアルバータ大学に移ってきたばかりだった。草創期の比較文学科には、ディミッチの他にも、ベルギー、スペイン、ポーランド、イスラエル、アメリカと、世界各地からやってきた文学研究者が集っていた。「外国人」が多かったために、1970年にケベック独立急進派のケベック解放戦線が要人を拉致した十月危機(October Crisis)が起きた際には、学科構成員が連邦警察により査察を受ける憂き目にあったというが、それだけ国際的な研究教育活動が行なわれていたことが見て取れる[BLODGETT 2018]。1970年にカナダ初の遠隔教育によるアタバスカ大学(Athabasca University)がアルバータ州に創設されると、ハミルトンやアルバータ大学で比較文学の学位を取得したジョセフ・ピヴァートもここに加わり、シェルブルックの流れを受けた原典の精読を重視する比較文学研究を推し進め、カナダ各地に広めていった[PIVATO 2020]。口述文芸(oral literature)や民話(folklore)も文化的な産物として考察対象に含めたことは、アルバータ大学における比較文学研究のもう一つの特色であった[DIMIĆ 1985]。
 以降、長い間、アルバータ大学はカナダにおける比較文学研究の拠点の一つであり続けた。1973年に国際比較文学会がマギル大学(モントリオール)とカールトン大学(オタワ)で開催された際には、プロシーディングスの編集には、両大学のほか、ディミッチ率いるアルバータ大学のグループも加わった[KUSHNER 2009]。1974年にはカナダ比較文学会の機関誌Canadian Review of Comparative Literature/Revue canadienne de littérapture comparéeがアルバータ大学で創刊され、今に続いている。1985年にはディミッチを初代所長とする比較文学研究所(the Research Institute for Comparative Literature: RICL; のちthe M.V. Dimić Instituteに改称)が創設され、活発な研究活動が展開された。同研究所では様々な学会が開催されたが、ハイライトは、1994年にアルバータ大学で開催された第14回国際比較文学会であろう[HART 2012]。この少し前の1988年にアルバータ大学に客員教授として招聘されていた大澤吉博は、1993年3月に日本文学の集中講義を出すとともに、東京大学教養学部教養学科日本文化論コース(1992年開設)の学生希望者4名を連れて、一ヶ月間、アルバータ大学で研修旅行を行なっている。

4 比較カナダ文学研究

 トロント、シェルブルック・モントリオール、エドモントンがカナダ国内外の活発な知的交流の拠点となっていた頃、カナダ独自の比較文学研究である「比較カナダ文学研究」が花開いていく。この背景には、カナダが比較的新しい独立国家だったという事情がある。
 1867年にイギリス連邦内の自治領(イギリス領カナダ自治領)となったカナダは、1931年に外交自治権を取得して事実上の独立国となり、1964年にはカエデの葉をあしらった国旗を制定(1965年より使用開始)、1965年にはモントリオール万博を開催した。しかし、独自の憲法はまだなく、また、フランス語が優勢なケベック州における分離独立運動も活発で、国内のまとまりは確固たるものとはなっていなかった。このほか、先住民族(カナダではファースト・ネーションと呼ばれている)やヨーロッパ大陸からの移民者はもちろんのこと、当時はまだ多くなかったものの、中南米やアジアから移り住んできた者も存在していた。英仏二ヶ国語公用語の実施(1969年)、多文化主義政策の世界初の導入(1971年)は、現状を踏まえつつ国内になんとかまとまりをもたらすための策だった。1982年、英国のカナダ法の改正およびカナダ憲法の制定により、カナダはようやく独立国家としての地位を確立する[木村1999年]。
 このような状況下、1960年代以降、カナダ文学というカテゴリーが人々に強く意識されるようになり、カナダ文学研究が活発化していった。バイリンガリズムと多文化主義が国是となったカナダにおいて、カナダ文学研究が一種の比較文学研究である「比較カナダ文学研究」として始まったのは、自然な流れであった。手法として「比較」を選んだため、比較カナダ文学研究がその後直面することになる困難は、世界のその他の地域における比較文学研究全般の経験とも重なっている。
 揺籃期の比較カナダ文学研究の傾向は、ロナルド・サザーランド、クレモン・モワゾンらの試みに明らかに見ることができる。ケベックシティのラヴァル大学で教鞭をとっていたモワゾンは、カナダで創作されたフランス語による作品と英語による作品を対比的に論じながら、そこに共通に見られるテーマを「カナダ文学の特色」ととらえた[MOISAN 1969, 1979, 1986]。同様の研究に、GIGUÈRE 1984、STRATFORD 1986がある。テーマ別に「カナダ文学らしさ」を論じる試みは、サザーランドの『第二のイメージ』(Second Image, 1971)やアトウッドの『サバイバル』(Survival, 1972)にも通じている。彼らのアプローチは、それまでカナダに存在していた単一言語主義的な傾向を打破するものではあったが、英仏二言語の比較にこだわるあまりに、それ以外の言語や文化の存在を捉えきることができないという限界を抱えていた[MCKAY 2009; BLODGETT 2006/2015]。
 この英仏語二元論の図式を乗り越えようとしたのが、詩人で翻訳家でもあるE・D・ブロジット(E.D. [Edward Dickinson] Blodgett)だった。彼は、英仏二言語・二文化では把握しきれないカナダ国内の言語的・文化的複雑さを指摘、より実状にあったカナダ像を提示すべく、ドイツ語やウクライナ語など他のマイノリティー言語による文学の研究にも着手する[BLODGET 1988]。アメリカからカナダのアルバータ大学に1966年に赴任して以来、二十数年におよぶ模索の末に彼がたどり着いたのは、カナダを、ファースト・ネーション、イヌイット、フランス語系、英語系、(その他の)移民の五つの文化グループに大別し、それぞれの間に共通する何らかの「カナダらしさ」を見出す、というものだった。二大公用語以外の言語によるマイノリティー文学研究の重要性は、ブロジットの薫陶を受けイタリア系カナダ人文学研究などに着手したピヴァ―トの研究をはじめ、その後のカナダ文学研究、およびカナダ文学アンソロジーの編集に大きな影響を与えた[MCKAY 2009]。アルバータ大学を拠点として進められたカナダ文学研究は、複数言語への熟達と原文を重視するシェルブルック流の比較文学研究の流れを受け、時に翻訳を用いながらも、原語の表現、および、作品が生み出された文化的社会的な文脈に繊細な注意を払いつつ分析を行うという、堅実で着実な成果があげていった[PIVATO 2011, 2018; MCKAY 2009; BLODGETT 1985/2006/2015]。
 ただし、英仏二元論を脱しカナダ文学の複数性をとらえようとしたブロジットらの研究は、サザーランドやモワゾンらの研究と同様に、「カナダ文学」「カナダ文化」としての統一性を見出すことに執着し、皮肉にも複数性・多様性を十分に把握しきれないというジレンマを抱えていた。確かに、ブロジットらの研究は、これまで顧みられることがなかったマイノリティーの声をカナダ文学研究に反映させた。しかし、様々な文化・言語の集合体としてカナダ文化・カナダ文学をとらえる考え方は、あまりにも個々の文化の固有性を前提にしすぎていないだろうか。カナダで生み出されている文学の様相は、ただ、これまで扱われてこなかったマイノリティー(言語)の文学を加えれば把握できるようなものなのだろうか。複数の言語や文化の間を行き来し、様々な言語・文化が混ざり合ったなかで生きている、カナダに住む人間の言語的・文化的にハイブリッドな在り方は、こぼれ落ちてしまっているのではないか。言語表現の重視は、それ以外の文化的な要素や論じるべきテーマの閑却につながってしまっていないだろうか。翻訳作品の分析が等閑視されていないだろうか。多文化主義の名のもとに、見過ごされている問題があるのではないか。そもそも、カナダ文学研究とは、「カナダらしさ」を見出すことを目的とすべきなのだろうか[MCKAY 2009; WHITE 2020]。
 そうした疑問のなかから、「カナダらしさ」に回収されないカナダ文学研究が登場してくる。ピヴァートはマイノリティ文学を取り上げながらエスニシティーについて、ゴダールは女性作家の作品を取り上げながらジェンダーやセクシュアリティについて、ウィンフリード・ジーマーリング(Winfried Siemerling)は他者性について、ダヴィッド・ホーメル(David Homel)、シェリー・シモン(Sherry Simon)らは翻訳における言語・文化・ジェンダーにまつわる政治性について、それぞれ先駆的な研究を行なった[PIVATO 1985, 1994; GODARD 1987; SIEMERLING 1994; HOMEL and SIMON 1988]。彼らの取り組みは、「比較文学研究」と改めて向き合うことになる次世代の研究へとつながっていくことになる。

5 比較文学プログラムとその周辺における比較研究――西海岸英語圏

 ケベック州、オンタリオ州、アルバータ州での比較文学研究の誕生と発展を受けて、ノヴァ・スコシア州やブリティッシュ・コロンビア州など、カナダのその他の地でも比較文学研究が行われるようになっていく。1980年代には、カールトン大学、モントリオール大学、トロント大学、シェルブルック大、マギル大学、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)といった大学が比較文学研究を教授する大学院プログラムを備え、学部レベルでも、ウィンザー大学、ダルハウジー大学、マウント・セイント・ヴィンセント大学、セイント・メアリーズ大学では比較文学を学ぶことができるようになっていた[DIMIĆ 1985, 1985/2006/2013]。
 ただし、新しく設置された比較文学プログラムの少なからずは、英文学科、仏文学科、独文学科、伊文学科など、既存のプログラムから少しずつ講義を出しあう形で運営されていた。これらの組織は組織的・予算的に脆弱であったため、勢い、比較文学研究は、組織として一定の方向性を示しながら展開されるというよりも、個々人の研究活動を通して推進されていった。加えて、カナダにおける比較文学研究史で言及されることがあまりない研究者も広い意味での比較文学研究を進めていたことも、忘れてはならないだろう。
 たとえば、UBCの比較文学プログラムの主任を務めたこともあるエヴァ=マリー・クローラー(Eva Marie Kröller)は、最初の著書で、詩人、小説家、歴史家、批評家、編集者、写真家であったカナダ議会初の桂冠詩人ジョージ・ボワリング(George Bowering)の多彩な活躍をクロス・ジャンル的に考察し、続けて、カナダ人旅行者達によるヨーロッパ旅行記の分析を行なうなど、英文学科に籍を置きながら、幅広い比較文学研究を行った[KRÖLLER 1992, 2002]。最近では、19世紀半ば以降、スコットランドから北アメリカ、オーストラリアなど大英帝国各地に移り住み、それぞれの地で政治家、起業家、科学者、学者を輩出したマカレート家(The McIlwraiths)の男女が数世代にわたって残した手紙、日記、回想記、資産文書など様々なテクストを読み解き、彼らが大英帝国臣民としてのアイデンティティをいかに形成していったのかを考察した大著Writing the Empire: the McIlwraiths, 1953-1948を著している[KRÖLLER 2021]。
 旅行記の分析に典型的に見られる自他表象の考察は、UBCのアジア研究科(Department of Asian Studies)およびアジア研究所(Institute of Asian Studies)でも盛んに行われてきた。上述のクローラーは、日本古典文学研究者ジョシュア・モストウ(Joshua Mostow)らアジア研究者達と共同で、アジア旅行記に関する論文集も出している[KRÖLLER et al. 1997]。アメリカのワシントン大学で博士号を取得し、トロント大学、UBCで長らく教えていた鶴田欣也は、越境者の目で近代日本文学を読み直す研究を行い、1990年代には日本の比較文学者・平川祐󠄀弘らと共同で日本文学における他者表象などに関する数々のシンポジウムを開催、その成果を著書・編著書で広く公開した[鶴田 1994, 1999]。
 「カナダの比較文学」を広く解釈するならば、オンタリオ州リストーウェル出身のメアリー・ルイーズ・プラット(Mary Louise Pratt)を含めてもよいかもしれない。プラットは、トロント大学とスタンフォード大学で学んだ後、スタンフォード大学、ニューヨーク大学で教鞭をとってきた。その最初の著書は、口述・記述の両方に共通するナラティブ(物語)の構造があることを示したもので[PRATT 1977]、言語の表現や構造に強い関心を示してきたカナダの比較文学研究の特色とも呼応している。スタンフォード大学の比較文学科とスペイン語・ポルトガル語文学科で教えながら時間をかけて書き進められた主著Imperial Eyes (1992)で、プラットは、植民地主義や奴隷制度とその余波など極めて非対称的な力関係が存在するなかで、様々な文化が出合い、衝突し、格闘する社会的空間を「コンタクトゾーン」(contact zone)と名付け、支配被支配の単純な枠組みではとらえきれない複雑な文化的交渉の様相をとらえようとした[PRATT 1991, 1992]。近年、言語教育や多文化主義に対する嫌悪・忌避の傾向が強まり、単一言語化・単一文化化がますます進むアメリカの教育と社会へのプラットの警告は、言葉と文化に対し繊細な注意を向ける比較文学研究者ならではの提言と言えるだろう[PRATT 1995, 2003]。

6 新しい動向――様々な縛りから解き放たれて

 このように、1960年代から1990年代半ばにかけて一定の隆盛を誇ったカナダの比較文学研究だったが、1990年代後半に入ると危機を迎える。この「危機」は、組織としての在り方、および、ディシプリンとしての在り方の両方に関わるものだった。
  組織としての危機の象徴が、2010年に発表された、トロント大学比較文学研究センター閉鎖の予告である。長年にわたりカナダのみならず世界の比較文学研究の活動拠点の一つとして機能してきたセンターの突然の閉鎖計画は、世界中の比較文学者を驚かせた。すぐに閉鎖反対の嘆願書への署名協力を願うメールが研究者や学生の間に行き交い、一週間で5500人分の署名が集まった[ALLEN 2010]。合わせて東アジア研究科の閉鎖計画も発表され、こちらへの抗議の署名も集められた。幸い、トロント大学の比較文学研究センターと東アジア研究科の閉鎖は回避されたが[江上 2012]、大学における予算削減とそれに伴う改組の嵐の中で、最も影響を受ける部門が人文学であり、なかでも、既存プログラムからの授業の持ち寄りで成り立っている場合が多い比較文学プログラムが最初にその煽りを受けるという構図は、カナダ各地で見られる。その典型的な例が、アルバータ大学の比較文学科の現代言語・比較文学科(Department of Modern Languages and Comparative Studies, 1994年)、さらには現代言語・文化研究科(Department of Modern Languages and Cultural Studies, 1998年)への統合・吸収・改組であり、2007年におけるUBCの比較文学プログラムの閉鎖であった[INTEMANN 2023, PIVATO 2020]。
  こうした組織的な危機がきっかけとなって、世紀転換期以降、比較文学研究のディシプリンとしての再検討がたびたび行われ、カナダにおける比較文学研究のこれまでの歩みを踏まえたうえで、今後の道筋を考える論考が多数出された[BLODGETT 2018; GASPERI and PIVATO 2018; HART 2012; HUTCHEON 1996, 2006, 2011, 2018; INGRAM and SYWENKY 2020; MCKAY 2008; KUSHNER 2009; PIVATO 2001, 2018. 2020; ROCHERS 2019; SYNENKO 2021; VALDÉS 2009; WHITE 2020 ]。そこでは、これまでの比較文学研究に対する反省、たとえば、原語による原典の考察を重視するあまり、読者の文学体験の重要な要素となっている翻訳作品が軽視されがちであったこと、文学を重視しカルチュラル・スタディーズを警戒しすぎたために、文学以外の文化的産物の考察に視野を広げることが遅れてしまったこと、比較カナダ文学研究においては「カナダらしさ」の追求に拘泥して他の問題系が軽視されがちであったこと、などが示されている。同時に、多言語社会・多文化社会のカナダにおいて、単一言語主義・単一文化主義の傾向に警鐘を鳴らし、言語や文化の差異や関係性に対する繊細な眼差しを培ってきた比較文学研究が依然として重要であることも、再確認された。加えて、グローバル化の進行で言語としては英語の、文化としてはアメリカの覇権がますます強固になりつつあるなかで、カナダにおける研究が国際的な比較文学研究の推進に貢献しうることも、それが新たな「カナダらしさ」の追求につながる危険性とともに、指摘されている。
  これらの論考が示している今後の比較文学研究の方向性を大きくまとめると、国民国家の枠組みを超えて、文学を文化的産物として改めて考察しようとする動き、そして、文学を特権的なジャンルとみなすのではなく、様々な文化的産物のうちの一つとして捉えようとする動きに集約することができる。「比較カナダ文学研究」を例に取れば、文学作品に何らかの国民性を見出すよりも、作品そのものの丁寧な読みを通して、言語、エスニシティ―、ジェンダー、環境などの諸点について、その作品がいかなる新しい見方や問題を提示しているのかを考察する試みや、原典至上主義の中で軽視されがちだった翻訳作品を重要な文化的産物として分析する研究が出てきている。さらには、言語で表現された文学作品のみにこだわらずに、映画やテレビドラマなど他メディアへのアダプテーションを比較考察する取り組みも盛んになってきた。
 こうした近年のカナダにおける比較文学研究の傾向は、フライやハッチオンがこれまで行ってきた研究の傾向にも通じている。それはまた、東京大学とUBCで比較文学を修め、トロント大学で教鞭を取りつつ、近代日本文学における語りの問題から、前近代・近代の様々な日本語テクストにおける中国像と日本像の構築、日本文学における写真的レトリックの形成と展開、さらには写真研究そのものへと、時代やジャンル・メディアを超えてダイナミックに様々な比較考察を進めてきた榊敦子の研究の軌跡とも、重なっている[榊1996年、SAKAKI 1999, 2005, 2015a, 2015b]。地道な英文学研究から独自のメディア論を切り拓いていったマーシャル・マクルーハン(Marshall McLuhan)を思い起こせば、ジャンルやメディアを超えて文化的産物および文化現象を考えようとする姿勢は、もともとカナダの人文学研究において内包されていた傾向とも言える[MCLUHAN 1962, 1964, 1967]。
 国、ジャンル、メディアの縛りから解き放たれたカナダの比較文学研究(もしくは比較研究)は、今後どのように発展していくのだろうか。日本の研究者を含む国外の研究者との対話も、再び活発になっていくのだろうか。「危機」を乗り越えつつあるカナダの比較研究の今後に注目していきたい。

【註】

1:場合によってはここに、ロシアフォルマリズムやジャック=マリー=エミール・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan)の精神分析理論、ハンス・ロベルト・ヤウス(Hans Robert Jauss)・ヴォルフガング・イーザー(Wolfgang Iser)の読者反応論(受容美学)、ノースロップ・フライ(Northrop Frye)の神話批評、ヘイドン・ホワイト(Hayden White)の『メタヒストリー』、などが加わる。

2:日本の比較文学研究者との交流が密な背景には、カナダでは日本研究が比較的盛んであるという事情がある。Council on East Asian Libraries Statisticsによれば、2016年の時点で、トロント大学図書館は179361冊、ブリティッシュ・コロンビア大学図書館は157,577冊の日本語資料を所蔵しているが、これは、北米(カナダ、アメリカ)の全大学図書館でそれぞれ10番目、12番目に多い所蔵数であり、日本研究・アジア研究で知られるハワイ大学図書館よりも多い[江上 2012]。

3:とは言え、それまでカナダで比較文学研究が全く行なわれていなかったわけではない。1960年代に比較文学研究が正式に大学のプログラムとなる前、既に1921年から1969年の間に125名が比較研究で修士号や博士号を取得しており、1951年から1969年までの間にthe Canada Council とthe Humanities Research Council of Canadaは八冊の比較文学研究書に助成を与えている[DIMIĆ 1985, 1985/2006/2013]。

4:たとえば、Fredric JamesonのThe Political Unconscious、Michel FoucaultのLife: Experience and Science, IserのThe Act of Reading, Ricoeurの Time and Narrative, The Rule of Metaphorは、ここで書かれた。

5:Université de Sherbrooke/ University of Sherbrookeは、フランス語読みでシェルブルック大学、英語読みでシャーブルック大学。ちなみに、フライは、シェルブルックに生まれ、7歳までをこの地で過ごした。

6:作家で文芸批評家のロナルド・サザーランド(Ronald Sutherland)、文学史研究者のカール・クリンク(Carl Klinck)、ジャーナリスト・作家・文芸批評家のジル・マーコット(Gilles Marcotte)、文学史研究者・カナダ文学研究者のクレモン・モワゾン(Clément Moisan)、詩人で翻訳家でもあったD・G・ジョーンズ(D. G. [Douglas Gordon] Jones)およびフィリップ・ストラットフォード(Philip Stratford)など。

出典および関連文献:各国の比較文学研究史―カナダ

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