展覧会&カタログ評院生委員会

[寸評]「揺らぐ近代――日本画と洋画のはざまに」展

・会期:2006年11月7日~12月24日
・会場:東京国立近代美術館
・評者:永井 久美子

まず、展示作品の質がとても高いことが注目されます。近代絵画の歴史を考えるうえで頻繁に言及されてきた作品と、「日本画」「洋画」というジャンル分けに適さないがゆえに議論から外されがちであったと思われる作品の両方が、一堂に会していました。

注目は、やはりボストン美術館の小林永濯作品であると思われます。他にも《加藤清正武将図》など、国内の小林作品も出品され、小林永濯再考のよい機会ではなかったかと思います。

全体の展示の流れも、これまでの日本近代美術の議論をふまえた構成となっており、分かりやすいものであったと思われます。本展の位置づけを確認するためにも、カタログに参考文献一覧が
付されていれば、より明解であったのではないかと感じました。

カタログでは、作品自体の解説や文献の紹介よりも、作者の人物紹介に重点が置かれている印象がありましたが、本展は、人物研究という意味でも
作品の選び方が大変興味深いものであったと思われます。例えば横山大観の《迷児》や浅井忠の《鬼ケ島》など、一般的に「日本画家」と考えられている人の「洋画」、「洋画家」と考えられがちな人の「日本画」が並び、作者も簡単にジャンル分けできるものではないことが、会場でも一目で分かるように示されていたと思います。

なお、今回のカタログおよび会場のパネルのテキストを通して、本展で取り上げられた作品をどう語るか、そのことばの問題の難しさを感じました。例えば、狩野芳崖の作品を語るにあたり、伝統的な「日本画」にはなかった顔料が云々と論じると、芳崖の時代にすでに「日本画」というジャンルが確立していたかのように解されてしまうが、ではどのように語ればよいのか。また、「日本的な油絵」「日本的な洋画」といったとき、「日本的」というものは具体的にはどのようなものを前提に考えるべきなのか。

これらのことばの難しさは、単なる語彙の問題ではなく、ジャンル分けしにくいものの扱いにくさ、その扱いにくいもの、すなわちジャンル分けされた結果、見落とされがちであったものをどう語るのかという困難さを示していると思われます。本展は、ジャンル分けがもたらした問題を、具体例をもとに浮き彫りにした機会でもあったと思われます。

投稿者: 東大比較文學會 日時: 2007年1月12日 13:58

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