各国の比較文学研究史:中国
——21世紀における比較文学中国学派は可能か?

呉 衛峰
(東北公益文科大学公益学部国際教養コース・教授:東アジアを中心とする比較文学研究と翻訳研究)

1 成立と発展(1949年まで)
2 政治干渉による30年間の中断
3 復興の1980年代と中国比較文学学会の成立
4 1990年代以降の発展傾向及び復興以降の研究書
5 「比較文学中国学派」とは

1 成立と発展(1949年まで)

 清末から民国初期にかけては、西洋文学をモデルとした「文学革命」や「小説革命」を唱え、外国文学と比較して旧来の中国文学、中国文化の欠点や不足を指摘する言説が多かった。魯迅の「摩羅詩力説」[1907]も端的に言えば、その延長線上にあるものである。一般的には、王国維(1877-1927)が『紅楼夢評論』[1904]においてショーペンハウアーの悲劇理論を使用して紅楼夢を分析した論考が、中国の比較文学的研究の濫觴とされる。また、厳復が提唱した「信・達・雅」[1898]の翻訳理念が、中国における翻訳研究の先駆けと言えよう。
 胡適が1918年、「比較的文学研究」という概念を提起したが、「比較文学」という用語は日本から借用されたものと考えるのが妥当であろう。学問体系もしくは学科建設としての「比較文学」の確立は、1920年代後半、清華大学大学院における「比較文学専題」の設立が一つの目安となる。呉宓(1894-1978)担当の「中西詩之比較」、陳寅恪(1890-1969)担当の「中国文学中的印度故事的研究」などの講義のほか、1929-1930年にかけて中国に滞在したニュークリティシズム理論家I.A.リチャーズが清華大学で「比較文学」という講義を開講していた。1930年代、西洋の比較文学概論の中国語訳が数冊公刊され、「比較文学」を開講した大学も若干増えた。
 1949年まで、比較文学的研究手法で得られた成果としては、主に中国文学における仏教およびインドの影響の研究があげられる。章炳麟(太炎、1869-1936)や梁啓超(1873-1929)が比較宗教学の視点から仏教研究を始め、陳寅恪は『西遊記玄奘弟子故事的演変』[1930]などの論文で、仏教の中国伝来にともなってインドの物語も中国にもたらされ、西遊記の玄奘法師の弟子たちの話など、様々な形で中国文学に影響したことを論証した。
 海外の神話研究の成果を中国の古典文学および神話の研究に応用する学者が現れた。沈雁氷(茅盾、1896-1981)が1925年、論文「中国神話研究」を発表して、西洋の文化人類学の神話理論で中国の神話を再解釈したのち、世界各国の神話を比較研究した論文を立て続けに発表した。一方、聞一多(1899-1946)も積極的に西洋の文化人類学の成果を取り入れ、『詩経』などの先秦時代の古典を再解釈した。『文学的歴史動向』[1943]では、聞は中国を含む世界四大文明の文学を比較し、それぞれの特徴を分析した。
 文学理論の面においては、美学者の朱光潜(1897-1986)が中国と西洋の比較詩論的研究成果をいくつかの重要な論文で発表し、1943年、その集大成として著書『詩論』を上梓した。同書はベネデット・クローチェとエドワード・ブーロウの理論を活用して中国詩の起源・表現・審美的特徴・リズムなど様々な面を論じ、独自の詩学理論の枠組みを構成した。

2 政治干渉による30年間の中断

 1949-1979年の三十年間、政治の干渉によって学問としての比較文学研究が否定されたので、ごく少数の例外を除いて、研究がほとんど行われていなかった。ただ、1966年に始まる文化大革命までの十数年間、国家プロジェクトとして、日本の文学作品をふくめ、世界各国の古典作品やアジア・アフリカ・南米などの国々の文学作品が当時の第一線の外国文学研究者によって翻訳・紹介されたことは、「世界文学」の実践という意味では評価すべきであろう。1950年代の内部刊行物『翻訳通報』において、訳者や学者たちが翻訳の方法について議論を交わしていたが、理論のレベルにまでは高められていなかった。

3 復興の1980年代と中国比較文学学会の成立

 比較文学研究の再開は文化大革命が終了し、1979年より改革開放政策が実施されてからである。同年、銭鍾書(1910-1998)の『管錐編』、季羨林(1911-2009)の『中印文化史論文集』、楊周翰(1915-1989)の『攻玉集』、王元化(1920-2008)の『「文心彫龍」創作論』など、民国期の学者たちの新しい著作が相次いで出版された。もちろん、数十年間の学術的発展の空白が一日で埋められることはあり得ない。中国本土の比較文学研究が短い期間で復活したのは、台湾・香港などの中国語圏における比較文学研究者との交流によるところも大きかった。
 1981年、銭鍾書が顧問、季羨林が会長、楽黛雲(1931-)が事務局長の北京大学比較文学研究会が成立された。1985年、中国比較文学学会(季羨林名誉会長、楊周翰会長)が成立された時点で、比較文学を開講している大学等はすでに三十カ所以上になっていた。1984年、季羨林が編集長をつとめる雑誌『中国比較文学』が創刊され、1985年から現在まで、中国比較文学学会の学会誌として発行されている。北京大学の一極集中を避けるためか、全国学会の事務局は北京大学にあるが、学会誌『中国比較文学』の編集部は上海外国語大学に置かれてきた。
 1998年、教育部の指導下で全国の「世界文学」(中国言語文学系に置かれていた「外国文学研究室」)と「比較文学」という二つの専攻が合併され、「比較文学與世界文学」専攻として中国言語文学系のもとに置かれることになったが、北京大学比較文学與比較文化研究所(最初の名称は「北京大学比較文学研究中心」)は改名していない。北京大学は1981年から三十年間近く中国の比較文学研究を牽引していた。楽黛雲が1981-1998年の間初代所長をつとめた後、日中文化交流史および日本蔵漢籍を研究分野とする厳紹璗(1940-2022)が1998-2014年の間第二代所長をつとめた。厳の在任中、日中比較文学を研究する次世代の学者を多く育て、本来中国比較文学研究で影の薄かった日本研究が補強された。また、上記の事情によって、中国比較文学学会の構成メンバーの特徴の一つは、現在の学会トップ陣を含めて、中文系の学士号を持つ研究者が多いことである。
 1980年代の中国比較文学は、季羨林など民国期にすでに頭角を現した学者から、楽黛雲など1949年以降に学者として成長した世代、もしくは文革終了後の1978年以降に大学入学した世代への転換期でもあったので、インドの影響やヨーロッパにおける「趙氏孤児」など、民国時代の研究成果の敷衍や重複もたびたび見られる。構造主義、精神分析、解釈学、受容理論が積極的に紹介されていたわりに、脱構築についての紹介はまだ少なかった。

4 1990年代以降の発展傾向及び復興以降の研究書

 1990年代より比較文学の研究者が増えるにつれ、論文の数が世界的に見て欧米諸国に遜色ないレベルに達した。理論的研究が主流になり、脱構築関連の比較文学理論や翻訳理論の紹介が主流になった。21世紀に入ってから、ダムロッシュが提唱した「世界文学」が多くの学者に歓迎された。以下、理論面を中心に1980年以来、とりわけ21世紀の中国比較文学の発展に大きな貢献をした学者と書籍を紹介する。
 銭鍾書の『管錐編』[1979]の出版は多くの比較文学者に評価され中国比較文学復興の嚆矢であり、象徴であるとされている。同書は古雅な漢文で書き上げられた百万字からなる大著である。六朝までの中国古典籍についての八百近くの項目に分かれて、文献考証、伝説故事、概念術語など広範囲のテーマにわたるかなり自由なエッセー風の短文から構成される。中国古典籍研究をベースとする著作でありながら、同書の三分の二の部分は八百以上の外国人著者による千以上の外国語著書の引用があるゆえ、東西の文学と文化の比較研究とされ、中国比較文学の名著と位置づけられていた。ただし、現在は1980年代と異なり、銭鍾書の学問に対する評価には賛否両論がある。
 張隆渓(1947-)は1980年代初頭に比較文学の再興に参画したのちアメリカに渡り、The Tao and the Logos: Literary Hermeneutics, East and West [1992]を上梓した。本書は解釈学の視点から西洋と東洋の哲学・思想・文学を理解する共通の地盤を探ろうとした比較文学・比較文化的研究である。作者は東西の詩論・文論の分析を通じて中国の文化伝統における「道」と西洋文化の根幹にある「ロゴス」の間に著しい類似性が存在すると説き、文化的多元主義を主張した。
 翻訳理論に関しては、翻訳研究から比較文学の領域に入った謝天振(1944-2020)が「訳介学」という独自の翻訳論を提起した。主著の『訳介学=Medio-translatology』[1999]では、訳介学は起点言語と目標言語との間の言語的等価性について研究するものではないとし、翻訳文学は目標文化の「国籍」を獲得したゆえ、訳者、すなわち翻訳文学の創造者は、起点文化のテクストに対する「創造的反逆」(trahison créatrice)が翻訳プロセスにおけるもっとも大事な要素と考えるべきであると主張する。
 曹順慶(1954-)がThe Variation Theory of Comparative Literature [2013]で「比較文学変異学」を提起した。作者は中国と西洋文学において、民族と言語を越える文学現象の変異、文学テクストレベルの変異、文化と文明レベルの変異の存在を指摘する。変異学は異なる文学体系、言語体系の交流と衝突から変化の過程で生まれる文学の新しい特質を把握すること、文学性・変異性をベースにして、テクストを交流の中に置いて精査し、「言語の変異」・「テクスト形態の変異」、「文化理論の変異」を明らかにする理論である。「変異」という用語は、厳紹璗が日本における外来文化の受け入れ方を論じた時に使用されていた「変異体」を借用したと考えられる。

5 「比較文学中国学派」とは

 1980年代全国学会成立当初、楊周翰と楽黛雲は比較文学中国学派を建設する必要性を唱えた。21世紀に入ってから、東アジアにおける脱ヨーロッパ中心主義の傾向を背景に、著名な比較文学者たちが様々な角度から西洋文明という枠に捕らわれない新しい理論の構築を試みてきた。オリエンタリズム(中国語:東方主義)の研究に対抗して、東アジアを中心にする新しい東方学が提唱され、曹順慶の変異学や張隆渓の世界文学構想は中国学派が示した方向である。この傾向は今後長きにわたって、中国比較文学の発展の主流でありつつあるであろう。

出典および関連文献:各国の比較文学研究史—中国

  • 北京大学比較文学研究所・《中国比較文学年鑑》編委会(編)『中国比較文学年鑑1986』北京大学出版社、1987
  • Longxi ZHANG, The Tao and The Logos: Literary Hermeneutics, East and West, Durham & London: Duke University Press, 1992.
  • 徐志嘯『中国比較文学簡史』湖北教育出版社、1996
  • 謝天振『訳介学=Medio-translatology』上海外語教育出版社、1999
  • 王向遠『中国比較文学百年史』中国社会科学出版社、2013
  • Longxi ZHANG, From Comparison to World Literature, New York: New York State University Press, 2015.
  • 曹順慶・王向遠(編)『中国比較文学年鑑2020』中国社会科学出版社、2023

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