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2006年12月17日

[寸評]ポーランド国立ウッチ美術館所蔵「ポーランド写真の100年」展

会期:2006年7月25日-8月27日
会場:松涛美術館
評者:佐々木悠介

ポーランド写真の100年を観てきました。
土曜日なのに他にほとんど客はいなくて、閑古鳥が鳴いていました。

展覧会の方向性は明らかで、とにかく今まで知られてこなかったポーランド写真
をガッと集めてバッと見せる、ということです。

1930年代あたりから80年代くらいまでのものを中心に、時代順、作家ごとに簡単な作家紹介を付けて展示していましたが、やはり時代に応じて、たとえ ばピクトリアリスムの作家がいたり、シュルレアリスムの影響を受けた作家がいたり、ドキュメンタリーフォトの作家がいたり、というように、ポーランドに も20世紀の写真史をリアルタイムで辿ってきた歴史があることがわかります。さらにナチス時代、その後の共産主義の時代、民主化、という政治的なバック グラウンドの中で、ポーランドの写真家達が、体制とは常に一歩距離を置いて(なかにはかなり批判的な態度を取って)活動してきた、ということもわかりま す(もっとも、かつて体勢に迎合していたような写真家がいたのに、現在のポーランドの写真史の中からはほぼ抹消されているという可能性もありますが、そ の辺の事情はわかりません)。

しかしいくら約200点持ってきた、といっても、それで20世紀のポーランドの写真史の多用な側面を、イストワールとして把握することはとても無理であ り、ある程度(欧米の)写真史のバックグラウンドを知っている人でも、おそらくそれぞれの時代のそれぞれのジャンルの写真の中に、展示されている写真を 位置づける(ああ、こういうのはポーランド「にも」あったのか)という感じです。もしポーランド独自の写真史というものがあるとしても、今回の展示は、 それを説得力を持って示すところには至っていないように感じます。

カタログですが、まだちらっとしか見ていないものの、これまでなかった、ポーランド写真史のガイドブック・資料という意味では有効なものになりうると思 います。買いです。ただし上にも書きましたけど、今回はポーランド国立ウッチ美術館の所蔵品を持ってきた展覧会であり、現在のポーランド国立美術館の所 蔵品には含まれていないような、あるいは含まれていても公開されていないような、体制に協力的な写真家の存在が、本当はあるのではないか、という気がど うしてもします。
もちろんフランスなんかでも、写真家は亡命者であることも多く、体制とは距離を取って活動した人が多いわけですし、ポーランドでもそうなのかも知れませ んが、それにしてもあまりにもきれいなところだけ見せてはいないか、というわけです。
もっともこれはただの憶測に過ぎず、何の根拠もないのですが。

以上、簡単な感想です。

2006年12月28日

[寸評]Le Scrapbook d'Henri Cartier-Bresson

・会期:2006年9月21日-12月23日
・会場:パリ、アンリ・カルティエ=ブレッソン財団
・評者:佐々木 悠介

 ご無沙汰しております。皆様お元気でしょうか。
 偶然ブリュッセルの本屋で、パリのカルティエ=ブレッソン財団で行われている展覧会のカタログを見つけ、なんとか最終日の二十三日に行ってきました。財団の建物で行われている展示会ですので規模は大きくありませんが、この展覧会の趣旨は、カルティエ=ブレッソンのスクラップブックに貼られていた写真を展示するということです。マグナム・フォトの写真家は、マグナムが厳重にネガやコンタクトシートを管理しており、文学研究で言うところの「ジェネティック」スタディーズの可能性はほとんどありませんでした。C−Bの場合も、『CONTACTS.』というDVDでごく数枚の写真のコンタクトシートを見られるだけでした。今回の展示で、限られた量でもスクラップブック段階の写真が公開されるとなれば、どうしても興味をそそられます。
 彼の写真にはすでに有名になってあちこちで目にするものが何枚もありますが、そうした写真の前後に撮られた、いわゆる「ボツ」写真も展示されていることで、後年の展覧会の際に彼自身がどのような目で写真を選んでいったのかを窺い知ることが出来ます。スクラップブックの写真ですから、いわゆるサービス版サイズの小さなものであり、また彼自身が焼き付けしたものがほとんどでしたが、一つの驚きは、その状態で見ると写真としての完成度が驚くほど低く見えることでした。たとえばジョリオ=キュリー夫妻の写真なども全体的に陰がかかって黒ずんで見えます。多くの写真家にとって写真の重要な要素となる光の加減といったものは、彼にとってはそれほど重要ではなかったということを改めて実感します。
 しかし何と言っても最大の収穫は有名な「パリ、サン=ラザール駅前」の写真に、直筆のトリミング指示が書き込まれていたことです(!)。カルティエ=ブレッソンはトリミングをしない写真家として知られ、それが神話にもなってきましたが、図版につけられた説明によると「これはC−Bが最初のプリントでトリミングを行った二枚のうちの片方(もう一つはピエール・コルのポートレイト)で、直筆のトリミングの痕跡が残っている唯一の図版だ」ということでした。大阪芸術大のコレクションの展示(あのコレクションはピエール・ガスマンのプリントだったと思います)の頃に、今橋先生が「サン=ラザール駅」だけ黒い縁(ネガの内枠)が入っていないから、あれは怪しいんじゃないか」とおっしゃっていましたが、それを思い出して、思わず唸ってしまいました。
 財団が今後も研究者の視点を考慮した資料の公開を進めていけば、面白いことになりそうです。ところで、当日は残念ながら現金の持ち合わせがなくてカタログが買えませんでしたが、近日中に書店で手に入れる予定です。日本の皆様はAmazon.frで買えます。ではどうぞ良いお年を。

2007年1月12日

[寸評]「揺らぐ近代――日本画と洋画のはざまに」展

・会期:2006年11月7日~12月24日
・会場:東京国立近代美術館
・評者:永井 久美子

まず、展示作品の質がとても高いことが注目されます。近代絵画の歴史を考えるうえで頻繁に言及されてきた作品と、「日本画」「洋画」というジャンル分けに適さないがゆえに議論から外されがちであったと思われる作品の両方が、一堂に会していました。

注目は、やはりボストン美術館の小林永濯作品であると思われます。他にも《加藤清正武将図》など、国内の小林作品も出品され、小林永濯再考のよい機会ではなかったかと思います。

全体の展示の流れも、これまでの日本近代美術の議論をふまえた構成となっており、分かりやすいものであったと思われます。本展の位置づけを確認するためにも、カタログに参考文献一覧が
付されていれば、より明解であったのではないかと感じました。

カタログでは、作品自体の解説や文献の紹介よりも、作者の人物紹介に重点が置かれている印象がありましたが、本展は、人物研究という意味でも
作品の選び方が大変興味深いものであったと思われます。例えば横山大観の《迷児》や浅井忠の《鬼ケ島》など、一般的に「日本画家」と考えられている人の「洋画」、「洋画家」と考えられがちな人の「日本画」が並び、作者も簡単にジャンル分けできるものではないことが、会場でも一目で分かるように示されていたと思います。

なお、今回のカタログおよび会場のパネルのテキストを通して、本展で取り上げられた作品をどう語るか、そのことばの問題の難しさを感じました。例えば、狩野芳崖の作品を語るにあたり、伝統的な「日本画」にはなかった顔料が云々と論じると、芳崖の時代にすでに「日本画」というジャンルが確立していたかのように解されてしまうが、ではどのように語ればよいのか。また、「日本的な油絵」「日本的な洋画」といったとき、「日本的」というものは具体的にはどのようなものを前提に考えるべきなのか。

これらのことばの難しさは、単なる語彙の問題ではなく、ジャンル分けしにくいものの扱いにくさ、その扱いにくいもの、すなわちジャンル分けされた結果、見落とされがちであったものをどう語るのかという困難さを示していると思われます。本展は、ジャンル分けがもたらした問題を、具体例をもとに浮き彫りにした機会でもあったと思われます。

2007年1月13日

[寸評]「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」展

・会期:2006年10月14日~2007年1月8日
・会場:森美術館
・評者:中井 真木

http://www.mori.art.museum/contents/billviola/index.html

展覧会・カタログ評院生委員会・有志見学会の第二弾として、12月8日に訪れました。
参加者は、案を出してくださった小泉さん、手島さん、中井の3名と少なめでしたが、楽しく有意義な見学会になりました。


私個人としては、ヴィデオ・アートの個展自体がとても新鮮な経験でした。

作品の中で特に刺激を受けたのは、西洋絵画の伝統を直接踏まえた、「ドロローサ」や「グリーティング」などの作品です。これらの作品は画面も絵画のように額装され、絵画の展覧会のように展示されているのですが、画面の中の人物は超スロー再生によってゆっくりと動いています。特に「ドロローサ」や「アニマ」などの作品は、無音なので、いっそう絵画的です。瞬間を切り取る芸術である絵画に時間が持ち込まれることで生じる不思議な矛盾に強く引き込まれました。


全体として、作品のアイディアも多様で最後まで楽しめましたが、ヴィデオ・サウンド・インスタレーションと、美術館での展覧会との相性については考えさせられました。

一つは、多くの作品が最初から最後まで鑑賞するには長い時間を要するため、とてもすべては見切れないということがあります。その結果、ある作品の前に立ったときに、その作品のどの部分を見るのかは、偶然に支配され、一般の展覧会よりはるかに明示的に、鑑賞行為が鑑賞内容を規定してしまいます。

また隣の作品の音や光が漏れてくる中で鑑賞を強いられることで、作品にあまり集中できない場面があったことは、私としては残念に感じました。


もう一つ残念だったのは、展覧会のタイトルになっている「はつゆめ」という作品は、3回の特別上映のみで、それ以外に「はつゆめ」を感じさせる場面が会場にはなかったことでした。


なお、カタログは、英語版・日本語版が売られ、日本語版はISBNのついた図書の形態で淡交社から出版されています。

2007年1月17日

[寸評]「イギリスの美しい本」展

・会期:2006年 7月22日(土)― 8月27日
・会場:千葉市美術館
・評者:安藤 智子

 私たちが愛してやまない「本」という「物」を芸術作品のように鑑賞し評価するという主旨は意欲的であり、興味を惹かれる企図でありました。本の出版は、文学というテクスト、紙と活字の印刷技術、挿絵と本の装丁という美術のコラボレーションであり、まさに領域を横断する対象として研究の目が向けられるべきであると思われます。

19世紀後半から20世紀にかけてのイギリスにおいて、モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動や中世趣味への回帰、ジャポニスムなど様々な事柄が錯綜していた状況下で出版されていた「私家版」と呼ばれる美しい本がこの展覧会の主役であります。このような芸術的動向のなかで活躍した芸術家たち、つまりロセッティ、バーン=ジョーンズ、モリスたちは、「私家版」の本の出版に深く関わっており、展覧会では、彼らの挿絵を実際に見ることができ、改めて感銘を受けました。

「本」を展示することはそもそも困難な作業のようで、暗い照明のもと、ケースに入れられた「本」の見開き1ページ(計2ページ)しか見ることができません。一部鏡を使って、本の表紙と中身が一度に見られる展示もありましたが、ほとんどの開かれた書物は、中の2ページだけが鑑賞可能で、外の装丁は鑑賞不可能なのです。つまり、本の中と外、テクストと装丁といったコラボレーションの妙味を鑑賞することはできませんでした。

例えば、バーン=ジョーンズが挿絵を担当し、モリスが装丁を施した『チョーサー著作集』は、バーン=ジョーンズ本人によって、「ゴシックの大聖堂」にも匹敵する芸術の集大成であると評された作品ですが、その作品たるべき本は装丁を見せるために閉じられており、中のテクストも挿絵も見られないままでした。古い本を開いて展示することによる、本への物理的な負担が考慮されているとも考えられますが、私個人としては、図版からのコピーでも、中のテクストや挿絵を並置して見せて欲しいと感じました。

小規模な展覧会ではありましたが、小規模だからこそ、親密に鑑賞者へ訴えかける何かひと工夫が必要ではないでしょうか。まして、多くの鑑賞者にとって、これらイギリスの画家たちは馴染みがないのですから、パネル展示で予備知識を与えるだけでは十分とは思えません。カタログも簡潔な内容となっており、「作品」としての「本」が持つ紙やインクの質感が表現されていないのは残念です。

しかしながら、上述したように、イギリスの「私家版」は、これからさらに研究が進められる可能性を秘めており、そしてこの展覧会は、問題含みではありますが、「私家版」を知らしめる契機となるであろう、意義のある試みであったと思います。

2007年1月28日

[寸評]地球(ほし)の旅人―新たなネイチャーフォトの挑戦

・会期:2007年1月2日~2月18日
・会場:東京都写真美術館
・評者:信岡 朝子

 「日本の新進作家」シリーズ第5弾でもある本展は、写真表現に関して将来性のある作家を発掘するという狙いで、東京都写真美術館が継続的に企画しているものです。

 今回は、ネイチャーフォトグラファーとして近年活躍が目覚しい三人の作家、菊池哲男(1961-)、前川貴行(1969-)林明輝(りん・めいき、1969-)の作品が一堂に集められ、展示されています。一口にネイチャーフォトといっても、その内容はさらに細かなジャンルに細分化され、本展に関して言えば、菊池氏は山岳写真、前川氏は動物写真、林氏は風景写真というように、各作家が大まかな専門分野を持っています。そうした質の異なる作品を同一会場で見比べられるという点では、小規模ながら興味深い展示内容になっていたと思います。

 三者の中で個人的に印象が強かったのは、やはり菊池氏の雄大な山々の写真でしょうか。実のところ山岳写真(もしくはネイチャーフォト全般)というものは、ある程度似たり寄ったりで見分けがつかないという先入観を常々持っていたのですが、菊池氏の写真は、山の形状や影と光線の具合、雲の配分など、その光景のどの要素に注目するかという「選択」に、独特の美意識と気迫のようなものが感じられ、自然写真にも作家の個性が出るのだなという実感を改めて得ました。特に太陽のように光り輝く月と白馬岳の映像は鮮烈です。

 その他の前川氏、林氏の写真にも、それぞれ特徴があり、それらを見比べるのも面白いのですが、こうした写真展で思うのは、現像方法(それも印画紙焼付けかインクジェットかという違いだけでなく)のほかに、カメラの機種や、どのようなレンズ、フィルムを使って、どのようなシャッタースピードで撮影したかといった詳細が、ある程度解説された展示であって欲しいということです。特にその画像に出ている「効果」が、作家の選択によるものなのか、あるいはテクニカルな特色(あるいは限界)なのかを見分ける意味で、意外と重要だという気がします。

 また、特に現代作家による写真展では、インクジェット・プリントによる作品展示が近年増えてきているのですが(本展では前川氏)、印画紙焼付けの繊細なクリアーさが、美的観点からもっと大事にされるべきだと感じました。図録ではその違いが消えてしまうので、実物を是非見比べていただきたいのですが、肉眼では見分けがつかないと言われても、残る印象はやはり違うという気がします。

2007年3月24日

[寸評]「ヨーロッパへの視線----ヨーロッパと19世紀ドイツ絵画」展(@ブリュッセル)

・会期:2007年3月8日~5月20日
・会場:BOZAR(芸術センター)
・評者:佐々木 悠介

今年のブリュッセルはドイツ関係の企画が特集で行われているのですが、その一つとして、「ヨーロッパへの視線----ヨーロッパと19世紀ドイツ絵画」展がBOZARで始まりました(5月20日まで)。この企画展は、19世紀のドイツ絵画におけるヨーロッパ各国・各地域の表象を検証するというもので、部屋ごとにギリシャ、イタリア、スカンジナビア、等々というように国・地域をテーマにした展示になっており、ドイツ各地の美術館から集めてきた作品群をこのような視点で並べて観るのはなかなか面白いものでした。館内に掲示された解説は、すべてフランス語・オランダ語・ドイツ語・英語の4カ国語で書かれていますが、カタログはドイツ語版・英語版のみの発行です(ブックショップで「フランス語版はないのか」と訊いたところ、全掲載論文の翻訳をプリントしたものをサービスでつけてくれました)。比較の方には興味深いテーマの展覧会かとも思いますので、いちおうここに書いておきます。カタログはオンラインの書店等で見つかるかと思いますが、正式なタイトルは『Blicke auf Europa』『Views on Europe』で、Hatje Cantzの刊行です。出版社のウェブサイトにも情報があるはずです。取り急ぎ、簡略な情報だけですが、お役に立てば幸いです。

2007年5月 5日

[寸評]未来への贈りもの ―中国泰山石経と浄土教美術

・会期:2007年4月10日~6月10日
・会場:九州国立博物館
・評者:手島 崇裕

大型連休の前半戦、九州国立博物館で開催中の特別展「未来への贈り物」を見に行きました。

中国泰山等の岩壁に刻まれた「摩崖石経」の巨大拓本(もちろん原寸大)が同展の目玉のひとつなのですが、3階の特別展示室の外から1階エントランスに向かっても吊り下げられており、会場に入る前、エスカレーターに乗っている時からそのスケールに圧倒されてしまいました。会場内は4章構成ですが、その第1章「中国摩崖石経の世界」で展示されたものも含め、見る価値ありだと思います。

第2章「末法の到来と浄土経」第3章「法華経信仰と装飾経の美」は、「浄土教美術」(浄土信仰の美術)という、よくある展示テーマとなるわけですが、良い意味で予想を裏切られ、非常に面白かったです。北部九州からの出品物や、同地と直接/間接に関係する中国・朝鮮半島からの伝来文物が展示全体のなかに効果的に織り交ぜられており、それらの対外文化交流における価値が顕現化するとともに、定番の出展物ともうまく響きあっているように感じました。この展覧会においても、同館の東アジア(海の向こう)への視界は良好なのだな、と思いました。

第4章「九州の経塚遺宝」に私はもっとも興味を持ちました。同博物館のある太宰府地域をはじめ、北部九州が経塚文化の一大拠点であることはよく知られています。同地域経塚出土の経筒などは、東京や各地の博物館でも目にすることはできますが、今回のように出土地の間近で、しかも一貫したテーマのもと展示されたことの意義は大きいのではないでしょうか。泰山等中国の石経拓本――経塚遺品と直接的影響関係にあるわけではないのですが――にまず触れ、ついで異文化交流の歴史の中に浄土信仰の展開を見たうえで、九州出土の経筒や瓦経、銅板経などを目の当たりにすると、つい様々な想像をかきたてられてしまいます。中国や朝鮮半島など海外のいくつかの地、そして日本の京都周辺といった各仏教文化発信源からの情報が交じり合う場として当地があります。かつてこの地にかかわった様々な(内外の)人々の信仰心の表れがこれらの「遺宝」なのだと思うと、ついつい見入ってしまいました。

カタログは、スタンダードな作りであるのに加え、例えば図版19『玉葉』という貴族日記(写本)の重要部分について図版下に活字の起こしが加えられるなどの配慮が各所にあり、好感が持てるものです。ですが、同じく図版について、各出品物の制作年代と制作地が写真(図版)と同頁に記されず(現所蔵者(と出土地)のみ記されるオーソドクスな作り)、それらを含めた作品データを知るには後ろの作品解説へとページをめくる必要があることに多少の不便さを感じました――同展の場合、宋や高麗で制作された展示品がいくらか存在し、何度も前後を往復してそれらを確認する必要に迫られるからです。ともあれ、これからじっくり読み進めたいと思っています。

なお、同博物館は4階の文化交流展示室(いわゆる常設展示室)も「海の道、アジアの路」というテーマのもと、充実した展示が行われていると思います。今回の特別展と同時に見学するといっそう楽しめるのでは、と感じました。福岡―九州にお出かけの際は、太宰府まで少し足をのばしてみてはいかがでしょうか。

2007年7月 6日

[寸評]Euro Visions

・会期:2007年3月9日〜2007年7月1日
・会場:ブリュッセル王立美術館
・評者:佐々木 悠介

2005年の9月から10月までポンピドゥーセンターで開かれた展覧会の巡回だそうで、カタログも共通です。今回は、このところブリュッセルで続いている「ヨーロッパ」関連企画の一部として4か月に渡って開かれていました。マグナム(エージェンシー)の写真家たちが、新しくEUに加わる国を撮った写真の展覧会で、たとえばスティール=パーキンスの撮ったスロヴァキア、マルティーヌ・フランクの撮ったチェコといったように、一つの国の写真はすべて一人の写真家によるものです。
新しい「ヨーロッパ」を撮るということ以外にコンセプトはなく、写真家のスタイルから、選ばれている対象、展示の方式(フォーマットや、カラー/白黒の別など)もそれぞれ違って、寄せ集めという印象を与えるのは免れませんが、そもそも写真家によって対象に対する目の向け方、距離の置き方、表現の仕方は全く違うのだということをそのままさらけ出してくれるところに、この展覧会の面白みがあるのかもしれません。
知らない写真家も多かったので、何か新鮮なものはないかという純粋な興味で観に行ったのですが、結局のところフランクは上手いな、という印象を持ってしまったのは少し拍子抜けの感もあります。曲線と直線の複雑に入り交じった忙しい構図によって、動きのない静かな対象を撮っていながらも、画像全体にエネルギーが生まれています。そして他の写真家の写真と並べると、その特性がひときわ際立って見えるように思いました。

2007年7月10日

[おすすめ]千代紙いろいろ 小間紙の世界

・会期:2007年4月10日~7月8日
・会場:旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
・評者:林 久美子

和紙の老舗、榛原のコレクションから、明治・大正・昭和初期の千代紙、絵封筒、祝儀袋などの小間紙を紹介した展覧会です。鮮やかな色彩、斬新なデザインの千代紙が目を楽しませてくれると同時に、下絵や見本帳など貴重な資料も展示されていました。(版木は震災や戦争で焼けてしまったそうです。)
川端玉章や柴田是真、竹久夢二といった画家たちがデザインした千代紙や、絵封筒もあるということに驚かされました。
また、現在では考えられないようなバリエーション豊富な図柄の祝儀袋や、図柄・大きさともに様々な熨斗の一覧があり、それを切り抜いて使っていたという、かつての人々の生活が垣間見えるような部分がとても興味深かったです。また、これらの日用品が現在まで大切に保存されていたことを嬉しく思いました。
残念ながら、会期は終了してしまったのですが、図録は購入可能だと思います。付録として、自分で折って制作するレプリカの祝儀袋が入っていて、ちょっと面白いですよ。

2007年10月 6日

[寸評]旅順博物館展

・会期:2007年7月14日~8月26日
・会場:青森県立美術館
・評者:檜山 智美

なぜ青森で西域美術展?

おそらく、この展覧会を知った誰もが最初に思いつく疑問であろう。

青森市と大連市の友好関係が、このかつてない展覧会を実現させた。
今年開館90周年を迎えた旅順博物館は、現在外国人には非公開らしい。大谷探検隊の発掘物を多く含むその貴重な収蔵品が、100点も出展されたこの展覧会は、当館が海外で開催するものとしては過去最大規模であった。

展示内容は「大連地区出土品」「総合文物」「新疆文物」という三つの大枠に分かれ、さらに龍谷大学所蔵の大谷探検隊資料の展示も加わり、相当に学術性の高いものとなっていたが、映像資料なども取り入れ、分かりやすい展示となっていた。

前半の青銅器や宋・金代の仏像なども目を引いたが、やはり本展の目玉は貴重な西域仏教文化の痕跡を示す「新疆文物」コーナーであろう。

今にも声を上げて叫びだしそうな表情の泥塑や、当時の筆跡や着彩を鮮やかに残す紙や布の仏画たちには息を呑んだ。
既にTVシリーズ「新シルクロード」でその成果が披露されていたが、龍谷大学のデジタル・アーカイブ技術によるベゼクリク石窟誓願図の復元映像では、各国に散在する壁画断片を繋ぎ合わせてゆく様子が詳細に紹介され、図像としても方法論としても大変に興味深いものだった。
また、梵語・トカラ語・漢文による貴重な仏典断面の数々も出品されていた。

このように、本展覧会は少しでも西域の文化に興味を持つ者にとって、貴重な史料の実物を目にすることの出来るまたとない機会であった。

なお、青森県立美術館は建築も優れており、非常に天井が高く、照明や壁の配色なども、居心地の良い鑑賞空間を演出する工夫がなされていたように思う。
常設展も近現代美術の名品揃いで、実に様々な作品をゆったりと楽しむことができる。
美術館のすぐ隣には三内丸山遺跡があり、一日では楽しみきれないほど見所満載のエリアとなっているので、近隣に行かれる方には是非青森県立美術館にも足を運んでみて頂きたい。

2007年12月31日

[寸評]エドワード・スタイケン:写真の叙事詩

・会期:2007年10月9日~12月30日
・会場:Jeu de Paume (Paris)
・評者:佐々木 悠介

 皆様いかがお過ごしでしょうか。年末の大掃除の合間にこれを書いています。

 どう考えても注目の展覧会でしたが、年の瀬(というか会期)も漸う押し迫って、やっと観に行ってきました(このあと、スイス、イタリア、スペインに回るようです)。
今までスタイケンの仕事をこうして概観する機会は、個人的に持たなかったのですが、写真家スタイケンとしての位置と、展覧会を企画する時(とくにMOMAの写真部長として)のスタイケンの位置とが、噛み合うようで噛み合っていないこと、そしてそれがいかに噛み合っていないのかをあらためて実感しました。
 写真家スタイケンが撮った写真のジャンルは多岐にわたりますが、実は現代の写真の大半、つまり風景写真からポートレイト、コマーシャル・フォト、植物図鑑や昆虫図鑑、そして抽象的な合成写真、といったものの構図の原型が、彼の撮ったものの中にあるという気がします。
 そうした写真家としての、固定したスタイルのなさ、良く言えば、自由で実験的な精神とは別に、彼は第二次世界大戦中にMoMAでいくつかのプロパガンダのための大がかりな展覧会を成功させ、それによって戦後、MoMAの写真部長に就任し、やがて55年の「人間家族」展に至ります。「人間家族」展じたいは、私もカタログを見たりして多少勉強したことがありましたが、そこに至るまでの彼の政治的な流れをこうして概観できたのも、今回の展覧会の収穫でした。

 カタログが良い資料たりうるものでしたので、情報を差し上げたいと思って投稿したのですが、実は細かいことがよくわかりません。英語版(Edward Steichen: Lives in Photography)とフランス語版(Steichen, une épopée photographique)があり、日本のアマゾンには、
//www.amazon.co.jp/Edward-Steichen-William-Ewing/dp/0500543461/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=english-books&qid=1199037063&sr=1-4
が出ていて(Thames&Hudson、英語)と書かれていますが、私が持っているソフトカバーの英語版はFEP/ノートンのもので、ここに出ているのとは表紙の文字の色なんかが違います。中身は同じだと思うのですが。
フランス語版のほうは、
//www4.fnac.com/Shelf/article.aspx?PRID=1985514&OrderInSession=0&Mn=1&Mu=-13&SID=4a2dc5cb-c0a9-53ad-d67d-f34593cce6e1&TTL=311220071913&Origin=fnac_google_home&Ra=-1&To=0&Nu=1&UID=08d32e9b4-b320-17ff-bae0-37fa86535f3a&Fr=0
のようです。

図版が全て同じかどうか、会場の書店で確認しませんでしたが、掲載されているテキストは同じです。そこの店員は「多分英語版がオリジナル、フランス語版が翻訳だと思うけど...」と言っていました、が、オリヴィエ・リュゴン氏の論文も入っていますので、それはもしかしたらフランス語がオリジナルかも知れませんね。

曖昧な情報しか書いていないのに恐縮ですが、写真関係の方はカタログは是非。
(ところで英語とフランス語のタイトルの違い、複数形と単数形も面白いと思いませんか)

2008年5月 3日

[寸評]ソール・ライター展

・会期:2008年1月17日〜4月13日
・会場:カルティエ=ブレッソン財団(パリ)
・評者:佐々木 悠介

連休中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
3月にSaul Leiterというアメリカの写真家(1923年生まれ)のフランスでは初めての個展を、カルティエ=ブレッソン財団で見てきました。最初に彼の写真を見たのは今年に入ってからで、Photo Pocheのシリーズから出たばかりの小さな写真集でしたが、それ以来すっかり夢中です。基本的に街頭写真を撮っているのですが、非常に物静かで瞑想的な、それでいて時々ユーモラスな写真家の視線が感じられるだけでなく、特にカラー写真は、色彩の配置で構図が見事に決まっています。展覧会場から出て来ると、平凡な街の光景(色彩)が急に新鮮に見えてしまうような、そういう力を持った写真です。今回出品されたカラー図版はいずれもチバクローム(イルフォクローム)プリントですが、ほとんどがニューヨークのハワード・グリーンバーグ画廊が所蔵するもので、プリントの質も極めて高いものです。

カタログの取り寄せに時間がかかってしまい、ここに投稿するのも遅くなりました。が、結果から言うとカタログ自体はまさに「図録」で、あとは主催者の紹介文と、簡単な経歴と、本人のインタビューが載っているだけです。カルティエ=ブレッソン財団のカタログをずっと出しているドイツのSteidlから出ていますが、さすがにイルフォクロームプリントの現物のインパクトはありません。英語版とフランス語版がアマゾン等で出ているようですが、それは値段もそこそこしますので、写真に興味がある方は手軽なPhoto Pocheシリーズの写真集を入手してご覧になることをおすすめします。

ライターはこれまでほとんど注目されてこなかった写真家ですが、いずれちゃんと勉強するつもりです。

では引き続きGWをお楽しみ下さい。

2008年11月29日

[寸評]氾濫するイメージ 反芸術以後の印刷メディアと美術 1960's-70's

・会期:2008年11月15日〜2009年1月25日
・会場:うらわ美術館
・評者:佐々木 悠介

 うらわ美術館で開催中の「氾濫するイメージ 反芸術以後の印刷メディアと美術1960's-70's」展を観てきました。
 いろいろ珍しいものを見られる、というのが第一印象です。雑誌の表紙はまだしも、ポスターのようなものは古くなればなるほど、なかなか良い状態で保存されたものを観る機会もないですし、そういう媒体で発表されるアート作品が、その時代の芸術潮流のある側面を確かに現している、という想定(主催者の意図は、つまるところそういうことではないかと思うのですが)はやはり大切なことに思われます。
 カタログは、担当学芸員の森田一さんによる解説的(?)な論文一つと、展示図版、年譜や参考文献からなっており、面白い図版が載っているのでいちおう買ってみました(1800円)が、論文はもの足りなく感じました。このような多様な方向性を持った題材であれば、複数の論文が並べて載せられて、異なった視点からの分析が欲しかったというのが一つと、しかしおそらくこの展覧会の構成では、上述の解説的な一本以外は書きようがなかったであろう、というのが一つです。
 というのは、この展覧会は印刷メディアというものに目を付けていながら、それらの媒体で図版と同じ程度の重要性を持ち、なおかつ図版との間に相互的な記号作用を持っているはずの文字テクストのほうには、実はほとんど注意を払っていないからです。担当学芸員の論文では「イメージに焦点を当て」ることが再三強調されていますが、印刷メディアのアート作品を考察する上で、これはすでに無理のある前提です。また論文中、〈複製芸術〉とか「イメージの大衆化」といった概説のほうにかなりのページ数が割かれ、なぜこの展覧会で8人の作家を選んだのか(約30名の候補の中から絞ったということですが)、ということに関する説明は十分ではない。それはおそらく説明しようがないからでもあります。そのような構成の展覧会で、たとえば外部の研究者の論文は、書きようがないかも知れません。
印刷メディアのアートという重要なものを取りあげ、しかもこれだけの数の(通常では手に入りにくい)作品を集めた展示とカタログは、資料としても貴重であり、それだけでもこの展覧会・カタログの意義は充分にあると思います。しかし同時に、印刷メディアのアートというものを考え、分析する視点はまだまだプリミティヴなものかもしれません。会期は1月25日までです。

[寸評]杉本博司 歴史の歴史

・会期:2008年11月22日〜2009年3月22日
・会場:金沢21世紀美術館
・評者:佐々木 悠介

 金沢21世紀美術館で開催中の、杉本博司「歴史の歴史」展のカタログに関する情報です(なかなか東京から観に行く人は少ないかも知れませんが)。
 問い合わせたところ、カタログはまだ刊行されていないようですが、12月16日発行予定(書籍として)、定価8300円、ただし会期中、同美術館のミュージアムショップでは6800円だそうです。郵便振替での前払いを利用して郵送して貰うことも可能で、送料は500円です。詳しくは金沢21世紀美術館 076-220-2800 へ。また、展覧会の詳細に関しては、プレスリリースが以下のサイトからダウンロードできます。

2009年7月 7日

[寸評]ゴーギャン展

・会期:2009年7月3日〜2009年9月23日
・会場:東京国立近代美術館
・評者:佐々木 悠介

先週はちょっと近美の図書室に通っていたのですが、ゴーギャン展の初日に行ってきました(7月3日金曜日)。
思ったよりも(そして美術館側の想定よりも)空いていて、入り口もロープが張り巡らされていましたが、誰も並んでいませんでした。

今回の展覧会の目玉は、晩年の大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(ボストン美術館蔵)が来ていることだと思いますが、個人的には『ノアノア』の連作版画をたくさん見られたのも収穫でした。同じ版画の複数の摺りを見比べることができて(ルイ・ロワ版、ポーラ版、自摺り)、かなり長時間粘ってしまいました。
しかし今回の展覧会の全53作品中、24作品を占めているにもかかわらず、縦に二枚ずつ並べて展示されているなど、展示する側の意識として、絵画より版画が軽視されている感は否めません。
これはやはり横に一枚ずつ並べて展示して欲しかったし、そうあるべきだと強く思いました。縦に二枚並んでいると、下の方は目線よりかなり低い位置になりますので、その場でかがんだりしてじっくり観るのはなかなか難しい部分もあります(他のお客さんもいるので)。

まだ会期が始まったばかりですので、皆さんもどうぞいらしてみてください。

2009年10月18日

[寸評]THE ハプスブルク展

・会期:2009年9月25日〜2009年12月14日
・会場:国立新美術館
・評者:永井 久美子

このところ駅や新聞、テレビ等で広くPRがなされており、ヴィンターハルターによる皇妃エリザベートの肖像や、ベラスケスが描いた王女や王子の肖像などが来日中であることをご存じの方も多いのではないでしょうか。先日その「THE ハプスブルク展」を見に行ってきたのですが、私の専門分野をご存じの方は、平安時代の絵巻物を研究している永井さんがなぜ、と思われるかもしれません。ジョルジョーネにティツィアーノ、デューラーにクラナッハと、もちろん見どころは山ほどあるのですが、専門分野に関連して私が今回足を運ぶきっかけになった作品は、明治2年に天皇からフランツ・ヨーゼフ1世に贈られたという画帖です。

日本の風俗、物語、そして花鳥を描いた画帖は、西洋絵画が並ぶ今回の展示で、やや異彩を放っていました。けれども、両国の友好の証に贈られたとされるこの画帖こそ、日本とオーストリア・ハンガリーの国交140年を記念しての開催となった今回の展示の趣旨を、ある意味もっともよく表した作品といえます。現在、ウィーン美術史美術館の所蔵となっており、日本への里帰りは初めてとなります。2帖全100図に及ぶ画帖の内容をすべて展示することはさすがに難しく、展示部分は限られていましたが、カタログにはカラーで全図が掲載されていたのが大変ありがたかったです。

ガラスケースを覗き込んでいると、きれいな絵ねえ、といった感想が周囲から何度か聞こえてきました。確かに非常に豪華な画帖なのですが、ただ美しいということだけでなく、文化史的にいろいろ考えさせられる作品だと思います。『美術研究』第379号でこの画帖を紹介された塩谷純氏も指摘されていることですが、平安時代の絵巻物のほか、先行する作品の図様が引き写されていること、明治初期に元御用絵師たちがどのような活動をしていたかが窺えること、そして国交に絵画が用いられたことなど、実に興味深い作品です。

今回実物を見て改めて気になったのは、『平家物語』を描いた絵が元御用絵師の住吉広賢によって複数手がけられている点です。『源氏物語』や『伊勢物語』も取り上げられているのですが、一番多かったのが『平家物語』で、その場面の選び方と、明治初期における武士のイメージについて考えさせられました。歴史画におけるイメージの源泉の一つともなった『平家物語』が、明治期にいかに受容されていたのか、考察してみたいと思った次第です。

2009年10月24日

[寸評]「セバスチャン・サルガド アフリカ」展

・会期:2009年10月24日〜2009年12月13日
・会場:東京都写真美術館
・評者:佐々木 悠介

 昨夜、恵比寿の写真美術館で行われたサルガド展の内覧会に行ってきましたので報告します。今橋先生がご都合でいらっしゃれないのを代わりに行ってきたもので、カタログは後日、美博の資料室に入れておきます。

 今回は2003年に続く写美での展覧会とあって、比較的近作が多く展示されていました。元来、サルガドは所謂「アフリカの苦しみ」を写真として表象しながら、一方で映像の極めて美的な側面を強く感じさせるところがあって、それが写真家として稀有なところでもあると同時に、その両義性あるいは自己矛盾が批判(ないし揶揄)されるところがあったと思います。しかしおそらく90年代の半ばあたりから、有り体に言えば「アフリカの希望」のほうに徐々に題材が推移しており、それによってサルガドが抱えていた自己矛盾がいちおう克服されたかに見える、というのが今回の展覧会を見ての印象です。
 昨夜の内覧会ではサルガド夫妻も出席しての簡単なレセプションもあって、本人もフランス語で挨拶をしましたが(自分の写真に関しては一言も喋らず)、相変わらず大柄でスレンダーな体型を維持していて、今なおアフリカに取材に行き続けているのも成る程と頷かせるものがありました。しかしやはり、年齢を重ねて変化していく肉体的条件の中で写真を撮り続けなければならないというルポルタージュ写真家の宿命も、前述のような題材の変化からは感じました。
 もちろんフォト・ルポルタージュというものは決して「現実をあるがままに写し取ってリポートする」ものでは有り得ず、言ってみれば一人の写真家と対象との個人的な対話の記録に他ならないわけですが、そのことを写真家自身は意識しているであろうけれども、一方でこうした展覧会を主催・協賛する側がどの程度それを認識しているのか、興味深いところではあります。

 ところでサルガドの展覧会というのはいつも大変にプリントの質が高く、今回は表面にパール状の凹凸のある紙を使った大きなプリントで、彼の写真の絵画的な側面が遺憾なく発揮されたものでした。カタログによればすべて「インクジェット」によるものだそうで(前回の2003年の時はすべて銀塩プリント)、これには白黒写真のインクジェット・プリントに関する私自身の認識も変えざるを得ませんでした。
 ただしカタログのほうは、過去の日本でのサルガド展と比べてもフォーマットが小さく、なおかつ1ページに複数の図版を配するレイアウトも見られて、かなり小さな図版が多くなっています。写真展のカタログというものは、それ自体が写真集として貴重な表現媒体なわけですが、サルガドの図版の魅力の大半が失われてしまっていて、残念です。

2009年12月20日

[寸評]「日本のオペラ物語 三浦環と田谷力三」展/「浅草オペラと昭和の芸能 田谷力三と俳優たちの物語」展

・会期:2009年11月1日〜2009年11月29日(「日本のオペラ」展)/2009年9月19日〜2009年11月29日(「昭和の芸能」展)
・会場:旧東京音楽学校奏楽堂第1展示室(「日本のオペラ」展)/台東区立下町風俗資料館(「昭和の芸能」展)
・評者:伊藤 由紀

会期終了後の報告となってしまいましたが、今秋、上野公園の内外で連動して開催されていた2つの展覧会のことを書いておきます。1つ目は旧東京音楽学校奏楽堂の企画展「日本のオペラ物語 三浦環と田谷力三」、もう1つは下町風俗資料館の特別展「浅草オペラと昭和の芸能 田谷力三と俳優たちの物語」。会期末に近い日曜日に、2館まとめて見てきました。

まずは公開の曜日が限られている奏楽堂の展示から。入ってすぐに、三浦環が百合姫(エウリディーチェ)を歌った《オルフォイス》(明治36年)の写真パネルが展示されています。この作品が日本人による初のオペラ上演の試みとして、東京音楽学校と東京帝国大学の学生有志の手で舞台に乗せられたのは、106年前のまさにこの建物での出来事だったはずですが、展示ではその点があまり強調されていないように思いました。

もちろん、決して広いとは言えない展示室で、1つのトピックばかりにスペースを割くわけにいかないという事情も理解はできます。今回の展示は戦後の放送オペラの台本や二期会公演のポスターまでをカバーしたものでしたから。私は普段、大正期の外国オペラの日本語台本を専門に扱っているので、昭和期の上演については知らないことも多く、新鮮な驚きとともに展示を見ました。

きれいに紅葉した上野公園を抜けて、今度は下町風俗資料館へ。奏楽堂の展示が日本におけるオペラ上演を通史的に振り返るものだったのに対し、こちらは大正期の浅草オペラと、そこを経由した歌手・ダンサーたちの昭和期のさまざまな活動を個別に取り上げていました。正直なところ、この切り分け方にはやや疑問を感じます。浅草オペラ関連の資料が2館に分散して置かれることとなり、印象が散漫になってしまったように思うのです。

台本研究者としては、オペラ台本の多くが閉じた状態で展示されており、表紙以外の中身を見られなかったことに不満が残りました。楽譜は開かれていたのに(これは奏楽堂の展示についても言えることです)。また、二村定一らのSPレコードも展示してありましたが、これも欲を言えば音声が聞きたいところです。下町風俗資料館は、常設展では大正期の家屋に実際に上がってみられる体験型展示を特徴としているだけに、なおさら残念に思います。

どちらの会場の展示にも、特にカタログは用意されていなかったのですが、「昭和の芸能」展についてはA3両面のパンフレットが無料で配布されており、これが非常に良くできていました。特に、片面すべてを使って掲載されている《オルフォイス》から大正末年までのオペラ上演史年表は、離合集散を繰り返した浅草の歌劇団の人材の流れがコンパクトにまとめられており、何かと重宝しそうです。両館とも、せっかくなので出品目録の配布があると良かったのですが。

2009年12月24日

[寸評]「パールの夢、バレエの記憶」展

・会期:2009年12月4日〜2009年12月25日
・会場:ミキモト本店・6Fミキモトホール
・評者:伊藤 由紀

会期が今週いっぱいなので、取り急ぎご紹介のみ。

「舞踊芸術を彩ったパールの魅力 伝説のバレエ団バレエ・リュス誕生から100年を迎えて」と副題の付いたこの展示は、バレエ・リュスの約20年間の歴史を、パールというキーワードで振り返るものです。時期や作品によって印象の異なるバレエ・リュスの衣裳を、「オリエンタルでエキゾティック」なもの、「ロマンティックでクラシカル」なもの、「モダン」なものの3つに分類して紹介しています。

レオン・バクストによる絢爛豪華な《シェエラザード》(1910年)の衣裳と、マリー・ローランサンによるシンプルで洗練された《牝鹿》(1924年)の衣裳とが、一見正反対でありながら、ともにパールを印象的に用いたものであること、そして前者の時代には舞台が街の流行に影響を与えたのに対し、後者の時代には街の流行が舞台に取り入れられていることの指摘に、なるほどと思いました。

展示資料は公式プログラムなど関連出版物とダンサーの写真が主で、そのほとんどは兵庫県立芸術文化センターの薄井憲二バレエ・コレクションの収蔵品です。1922年公演で実際に着用された「青い鳥」(《眠れる森の美女》より)の衣裳が東京初公開されています。

入場は無料。カタログはA5版12ページで500円、会場のパネルによるキャプションのほぼ全文と追加のコラム、展示資料のうち17点の図版と、展示リストが収録されています。

2010年1月28日

[寸評]「中原淳一と『少女の友』の画家たち」展

・会期:2010年1月25日〜2010年2月4日
・会場:早稲田大学會津八一記念博物館
・評者:伊藤 由紀

早稲田大学演劇博物館GCOEプログラム「演劇・映像の国際的教育研究拠点」研究員の山梨牧子氏による自主企画連続ゼミ「折衷音楽劇としての寶塚」の一環として、上記展覧会の見学会が開催されたので行ってきました。

本展覧会は早稲田大学會津八一記念博物館が所蔵する「内山基コレクション」の資料を中心に構成されています。同コレクションは、故・内山基(昭和3年早稲田大学文学部卒業、昭和6〜20年『少女の友』主筆)の手元に残された同誌の口絵原画などを、氏のご令嬢の内山美樹子氏(早稲田大学文学学術院教授)・伊藤美和子氏姉妹が同館に寄贈したものです。

収蔵品展とは概してそういうものかもしれませんが、作品の基本的な情報のほかはほとんどキャプションがなく、作品の配列順もやや不明瞭でした。『少女の友』の歴史的意義や時代背景、展覧会全体の構成意図について、もう少し説明があっても良かったように思います。今回私たちは、『少女の友』と宝塚少女歌劇の関係について、前述の山梨氏のお話を伺いながら展示を見て回りましたが、見る人の関心によってさまざまな切り口から語ることのできる展示だと感じました。

今回の展示の目玉の1つは、『少女の友』昭和9年1月号付録「小倉百人一首かるた」でしょう。村上三千穂による原画を札に加工したものが、展示ケース1つを丸ごと使って並べられています。絵札の精巧さは言うまでもありませんが、字札の散らし書きの、文字をあまり崩さない(年若い読者たちに配慮したのでしょうか)平明な美しさに目を奪われました。ただ、後で調べたところ、印刷技術の制約から、実際の付録では字札は活字印刷のものになったそうで、参考までにそちらも展示してあると良かったと思います。

出品作品の大部分が、実際には印刷を通じて受容されたということに関して、もう1点。中原淳一の少女像には、白目の一部を(おそらく睫毛の陰として)青く着色したものが多いのですが、印刷媒体で見ているときは気にならなかったこの色使いが、原画ではかなり突飛なものに感じられました。中原が印刷を前提に作品を描いていたことを窺わせる表現だと思います。

入場は無料。この展覧会に合わせて発行したカタログは特にないようですが、同館が平成12年に刊行したコレクション目録(B5版28ページ、1000円、カラー図版5点のほかは白黒)を購入できます。今回の展示の出品目録は会場で無料で配布されています。会期がたいへん短いため、興味のある方はどうぞお見逃しなく。

2010年3月26日

[寸評]Les ballets russes 「バレエ・リュス」展

・会期:2009年11月24日〜2010年5月23日
・会場:Bibliothèque - musée de l'Opéra(フランス国立図書館オペラ座館)
・評者:林 久美子

昨年はバレエ・リュス初公演から数えて100周年ということで、世界各地で記念イヴェントが開催されたようですが、パリでも昨年12月にオペラ・ガルニエで、3月初めにはシャンゼリゼ劇場でバレエ・リュスの公演が行われました。バレエ公演の方も是非見に行きたかったのですが、やはり大変な人気のようで、気づいた時にはすでにどちらも完売という有様でした。ただオペラ座内では、5月23日まで「バレエ・リュス」展が開かれていますので、こちらの内容をお知らせします。

こちらは、バレエ・リュス100周年と、2010年がフランスーロシア交流年であることを記念して、フランス国立図書館所蔵資料を中心に100点ほどの作品を展示したものです。ダンサーや舞台背景を描いたデッサンや版画、ドビュッシーらの自筆楽譜、ダンサーの写真など、比較的小振りなものが多く展示されている中で、やはり人目をひいていたのは《シェエラザード》と《春の祭典》の衣裳です。10点ほど展示されていましたが、鮮やかな飾りが丁寧に縫い付けられている様子を間近に見ることができます。また、個人的に気に入ったのはニジンスキー自身によるデッサンです。展示されていたのは4点だけでしたが、彼が少しずつ狂気に冒され始めた頃に描かれたもので、ほとんど曲線のみで構成された、単純で素朴な感じのパステルの女性像が印象に残りました。

展示構成は「ディアギレフのパリデビュー(1907ー1909)」「ディアギレフとロシア人コラボレーター(1910ー1917)」「パラード(1917)」「国際的アヴァンギャルド(1917ー1929)」「ロシア人造形家の復帰」と5つに分けられ、バレエ・リュスの20年間の流れを一通り概観するものとなっていましたが、展示スペースが狭いためか構成が分かりにくく、時間的流れはあまり感じられませんでした。
私は元々フランスにおける東洋趣味に興味があったため、バレエ・リュスといえば、レオン・バクストらによるオリエンタルでエキゾチックなイメージしか持っていなかったこともあり、今回の展示で最も驚かされたのは「パラード」です。それまでのロシア色を脱し、前衛芸術家たちとのコラボレーションへと大きく変化する転換点ともなった《パラード》は、コクトーの台本、サティの音楽、そしてピカソによる舞台装置と衣裳ですが、絢爛豪華な《シェエラザード》の衣裳を見た後に、《パラード》の箱ロボットとも言えるような奇天烈な衣裳を見ると、バレエ・リュスの持つ幅の広さとわずか数年での大きな変化に驚かざるを得ません。

カタログは、かなり展示内容とはかけ離れていて、別物と考えた方がよいほどです。両者があまりに異なり、少し気にかかることなどもあったため、再度見学に行っていたりして、ここに投稿するのも遅くなってしまいました。15本にも及ぶテキストが中心で、その中に図版が212点織り込まれるという構成ですが、展示にはなくカタログのみ掲載の図版はもちろんのこと、展示されていたものでもカタログには掲載されていないものもかなりあるようです。展示リストなどもありません。これは展覧会自体、フランス国立図書館のコレクション紹介の意味合いが強いことや、図版を国立図書館所蔵品のみに限っていることに大きな理由があると思います。それにしても、ニジンスキーのデッサンは国立図書館所蔵なのですが、なぜかカタログには掲載されておらず、残念です。またカタログ付録として「バレエリュスに関するダンサー及び写真家」事典、「バレエ・リュス公演」一覧のとても詳細なものが付されていて、バレエ・リュス研究には有用なのではないかと思います。

2010年10月 3日

[寸評]「きらめく装いの美 香水瓶の世界」展

・会期:2010年9月18日〜2010年11月28日
・会場:東京都庭園美術館
・評者:伊藤 由紀

会期に先立って17日に行なわれた特別鑑賞会に、美博に届いた招待券をいただいて行ってきました。

鑑賞会ではまず30分ほどのレセプションがあり、庭園美術館館長の井関正昭氏と、本展監修者のマルティーヌ・シャザル氏の開会挨拶のほか、後援のフランス大使館や、出品に協力した各美術館からの出席者が紹介されました。

開会挨拶を聞いているうちに、柑橘系にムスクの混じった良い香りがしてきました。庭園美術館の建物は旧朝香宮邸を利用したもので、レセプションの行なわれた第1展示室の次室には、アンリ・ラパンのデザインによる「香水塔」と呼ばれるオブジェがあります。宮邸で来客時にこのオブジェの照明部分に香水を垂らして芳香を漂わせたというエピソードに因んで、本展覧会では資生堂の協力のもと、「香水塔」周辺で「香りの演出」を行なっているとの説明でした。控えめで嫌味のない良い香りでしたが、「アール・デコの館」朝香宮邸という場所柄や、出品物の大半が20世紀前半の香水瓶であることを考えると、もっと大時代な香りのほうが似つかわしいように思われました。

さて、本展覧会の出品は約350点、うち約280点が広島にある海の見える杜美術館の収蔵品だそうです。古代から現代に至るまでの、材質も大きさもさまざまな香水容器のほか、ラベルやポスター、販売店の写真などが、ほぼ時系列に沿って配置されています。19世紀までの香水が、簡素な規格容器で販売され、使用者それぞれが好みに応じた容器に詰め替えて使う、というスタイルだったのに対し、20世紀の香水は、香水商や服飾メゾンによって空想的な名前を与えられ、そのイメージに合った装飾的な香水瓶に詰めた状態で販売されるのが一般的になりました。このため出品物もこの時代のものが最も充実しています。ただし20世紀後半以降については、一部の限定モデルの香水瓶が紹介される程度です。

展示の一部に使われていた六角柱の展示ケースには、見る人の多くが一瞬驚いた表情を浮かべていました。六角形の対角線上に鏡を配して三角形6つに区切り、それぞれの区画に1つずつ出品物を置いたものです。出品物の背面の意匠を鏡で確認できることに加え、隣の区画へと一歩足を進めるだけで、目の前に見えるものが一変するという、万華鏡のような効果もあって素敵でした。

その一方で、カタログの表紙にも登場する1999年の「ジャドール」限定ボトル(cat. 351)では、肝心の「透明な栓の奥底から《ジャドール(大好き)》の文字が浮かび上がる」ギミックを確認できない展示の仕方だったのが残念でした。また、香水瓶とそれに関連するラベルやポスターがやや離れて展示されていることが多かったのも不便に感じました。

何より、美しい香水瓶とその名前とを目にすれば、やはりその香水の匂いを知りたくなります。それぞれの香水の香調について、会場にもカタログにも説明がないのをもどかしく思いました。もちろん今回は香水瓶の展覧会であって、香水そのものの歴史を示す機会ではないですし、古い銘柄だと資料が残っていない場合もあるのでしょうが。

もう1つ、個人的に物足りなく思ったのは、これらの香水瓶と日本との関わりが示されないことです。本展覧会の出品物の中には、明治期に「赤箱」の愛称で流行した「フルール・ダムール」(cat. 58)、日本人女性の名を冠した「ミツコ」(cat. 155ほか)、今上陛下即位記念の香水瓶(cat. 353)など、香りを通じた日仏交流の痕跡がいくつも含まれていますが、そうしたエピソードの紹介は特にありませんでした。しかし井関館長の開会挨拶には、日本には(香水瓶を作るほどの香りの文化は発達しなかったものの)香水瓶の優れたコレクションがあるなど香りへの関心は高い、との一節がありましたし、しかも会場は「香水塔」を擁する旧朝香宮邸です。日本における香水の受容について、解説があっても良かったと思います。

カタログは菊判ハードカバーで426ページ、図版とほぼ同等のページ数をシャザル氏の論文が占めているほか、庭園美術館の高波眞知子氏による、本展覧会の特徴的な出品物と、「香水塔」とに的を絞った短い論文も収録されています。図版の多くは原寸大より大きく撮影されていて、細部の意匠が確認できるのは良いのですが、香水瓶の小ささゆえの愛おしさのようなものは、損なわれてしまったように思います。実寸と材質は巻末の出品リストで確認できます。

2010年12月30日

[寸評]「大正イマジュリィの世界」展

・会期:2010年11月30日〜2011年1月23日
・会場:渋谷区立松濤美術館
・評者:伊藤 由紀

12月11日に会場内で鼎談「大正 唄うイマジュリィ、踊るイマジュリィ」が行なわれたのに合わせて展覧会を見てきました。お話は谷口朋子氏(挿絵研究家)、芳賀直子氏(舞踊研究家)、辺見海氏(編集者)のお3方。

まず芳賀氏から、バレエ・リュス関連の図像が大正期の商業美術に与えた影響が紹介されました。演目の写真が雑誌の表紙画などのヒントとなった事例はすでに知られていますが、芳賀氏はこのほかに、バクストによる衣裳の柄がそのまま図案として利用されたケースもあることを指摘しました。

これに関連して辺見氏からも、明治・大正期に多数出版されていた図案集というジャンルについて、そしてその性質の変遷について説明がありました。

谷口氏は、竹久夢二の手がけた「セノオ楽譜」の表紙画を主に取り上げていました。セノオ楽譜出版によるこのピース譜のシリーズは、翻訳歌劇の楽曲を多数含んでいることから、私も歌劇の受容史研究において参照することがあり、興味深くお話を伺いました。

谷口氏はまず、本展覧会のポスター等に使われている「汝が碧き眼を開け」(cat. TY-6)について、マスネの同名の楽曲だけでなく、組曲の他の2曲の内容も踏まえて小道具があしらわれていることを指摘します。

その一方で谷口氏は、「歌劇カルメンハバネラの歌」(cat. T-1)、「歌劇椿姫」(cat. TY-17)など多くの作品が、独『Jugend』誌の口絵を下敷きにしたものであることも、それぞれの図版を並置する形で示しました。ということは、夢二の表紙画は必ずしも、それらの歌劇の日本における上演の実際を反映したものではないらしい、ということになります。私にとっては残念な、でもそれだけに有益な情報でした。

なお夢二の楽譜表紙については、年明けの1月9日にも、竹内貴久雄氏(音楽評論家、音楽文化史家)によるギャラリートークが予定されており、こちらも楽しみです。

さて、展覧会は2部構成。地下1階の展示室は「大正イマジュリィの13人」と題して、時代を代表する13人の芸術家の挿絵や装幀の仕事を、作家別に展示しています。2階の展示室は「さまざまな意匠」と題して、「エラン・ヴィタル」「子ども・乙女」「大衆文化」など9つのテーマ別に作品を配しています。主任学芸員の瀬尾典昭氏の、鼎談冒頭の挨拶によると、出品数は全部で約700点にものぼるそうです。

会場には13人の作家と9つのテーマについて説明があるのみでしたが、鼎談の中で行なわれていたように、個別の作品について、その発想源を合わせて展示するなどの解説があっても良いように思いました。

2階の展示室では、CD『あの頃の歌』(日本ウエストミンスター、2006年)が小さな音で流されていました。この音源は1970年頃に、洋楽黎明期の声楽家(当時60〜80歳代)を集めて収録したもので、その資料的価値においても、志においても、大正期の愛唱歌を取り上げた他のさまざまなCDとは一線を画しています。その代わり、たとえば榎本健一らのケレン味たっぷりの録音に比べると地味に聞こえてしまうのですが、おかげで展示を見る邪魔にはなっていなかった、と思います。

カタログはA5版191ページ、2,200円(税別)。展覧会と同じ2部構成ですが、大きな図版が掲載されているのは出品物の約半数程度のようです。巻末に「作品リスト」として、数センチ角のサムネイル画像と作品データを一覧にしたページがあるのですが、これも会場で配られていた「作品リスト」(A4版9ページ)に比べると、だいぶ不足があります。瀬尾氏のお話によると、企画の初期段階には、これほど大規模な展示になるとは想定していなかった、とのことなので、そうした事情が関係しているのでしょうか。

カタログはこのほか、瀬尾氏の序文と、企画監修の山田俊幸氏(帝塚山学院大学)による短い解説、島本浣氏(京都精華大学)と谷口氏による対談、主要作家110人超の略歴、関連年表を収録しています。充実した鼎談を拝聴したあとでは、そこで出てきた情報がカタログにはほとんど含まれていないことを残念に思います。とはいえ今回のカタログは一般書店でも購入できるようなので、多くの人がこの分野に興味を抱くきっかけになれば、と期待します。

2011年2月25日

[寸評]第三回恵比寿映像祭

・会期:2011年2月18日~2月27日
・会場:東京都写真美術館
・評者:堀江 秀史

東京都写真美術館にて現在開催されている映像祭に行ってきました。
美術館全体が解放空間になっていて(無料で入れます! 但し、一階映画館の上映作品を観るにはお金がかかります)、三階から展示がスタートします。

三階は、映像表現の様々な可能性を探求した芸術=実験的な作品が主でした。
昨年カンヌでパルム・ドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセクタン(受賞作は『ブンミおじさんの森』、3月5日渋谷シネマライズにて公開)の映像がまず最初に飾ってあり、劇映画の他、こうした実験的映像も作っているのかと、感心しました。
その他、映像として興味深かったのは、太極拳を舞う白髪の男性が、その動きに合わせて徐々に横に伸びていく(言葉では伝わりにくくてすみません。もっともだからこそ、映像としておもしろいと思うのですが。カタログ掲載の写真を見れば、だいたいは掴めます)、ダニエル・クルックス《動きの中に静寂を求む》です。他に《走る男》(ルームランナーで走る若者が、同様に横に拡がっていくもの)も展示されていますが、やはり前者の方が、ゆったりとした太極拳の動きと映像加工の緩慢な速度がマッチしている点で、面白いものだったと思います(《走る男》はスローモーションに加工した映像をさらに加工するものだったと記憶してます)。
コンセプトとして興味深いのは、ダヴィッド・クレルボの《幸福なモーメントの諸断面》。静止画の映像の数々が、デジタル・フレームのように、巨大なスクリーンに一定時間ずつ映しだされていきます。特異な点は、作品に付された解説にもありますように、それらの静止画が、同一の時空での出来事(マンションに囲まれた中庭で、昼間陽が射すなか、子供たちがボール遊びをする。それを大人たちが見守る。ボールはちょうど放物線の頂点あたりにあり、皆の視線はそこに集中している)を様々な角度から写していること。そして、同一時空であるならば、別の視点から写せば撮影者の姿が写真に写り込んでいるはずなのに、それらの写真には撮影者が一切写り込んでいないことです。同一の時空であることへ観る側の意識を寄せさせるのは、空中で静止したボールと、光によって生じる影の角度、この二点でしょうか。このことに気づくと、違和感が生じ、「ある種暴力的な視線を彼(彼女)らに注ぐことになってしまう」(カタログ及び当日のパネルより)わけです。「暴力的な視線」とは、映像の謎解き、つまりはあら探し、のことでしょう。撮影者が写っていないのならばシチュエーションを綿密に規定した上で、同じことを繰り返し行って何度も撮影したに違いない。ならば、表情やしぐさには、どんなに頑張っても、微妙な差異があるはずだ。その証拠を探し出してやれ。という思考の流れにそって、鑑賞者は、その、穏やかな日常の光景という写真内容を通り越して、あどけない少女の顔のアップ写真にすら、少女の顔をみるのではなく、前の写真との差異を見つけだそうとしてしまう。しかし、それは一定時間ずつ映し出されては消えていくので、決定的な証拠を見つけだすには時間が足りない、あるいは多すぎる(前の写真の記憶をなくさないようにするためには、少々長すぎる)。または、アルバム写真のように、前のページに戻ってじっくり観たいという欲求にかられる。時間とともに流れゆく映像はリニアで、観る側にそのような自由を渡してはくれない。観る側は余計にいらいらしながら、目の前の静止画が移ろいゆくさまをただ観ているだけ。解説には、作者は「作品の長さや編集のテンポ、音響効果、鑑賞環境など、観客の体験を左右する諸要素を厳密に設計する」とあるので、こうした「いらいら」は、全て織り込み済みであり、この作品には、極めて完成されたコンセプトが凝縮されていると云えます。写真に対する問題提起のほか、ユーザーにとってのデジタルとアナログの問題(デジタル書籍と紙媒体など)の融合された、大変面白い作品でした。


二階は、意識下の映像化をコンセプトとした作品が多かった気がします。マニュアルな作業で作られるアニメーションの、制作に使われた(あるいはその過程で生まれた)美術品の展示が主ですが、内容的なテーマとしては三階よりも二階に近い映像作品も三本(スーパーフレックス、水越香重子、ハヴィア・テレーズ)、上映されていました。
スーパーフレックスの作品は、無人のマクドナルドが徐々に水で埋まっていく過程が、おそらく各所に置かれた定点カメラ(水によってそれぞれがだんだんぷかぷかと揺れ動くのですが)によって記録され、それらが編集されたものです。世界に何が起こったのか、人々はどこへ行ったのか、等々、そこには一切の説明がありませんが、映画の予告編、あるいはオープニングを観ているような、高密度な期待感、緊張感が持続していく、不思議な作品でした。

二階から地下一階の展示への移動は、エレベーターではなく階段をお薦めします。しりあがり寿の『白昼夢夫人』が小型スクリーンで階段の随所に並べてあるからです。白黒で3分程度の各作品は、モダンな洋館で昼寝をする夫人がナンセンスな夢をみる、というものですが、ほのかなエロティシズムとナンセンスが混淆して、非日常への橋渡し的な役割を果たします。

これらを見ながら、辿りつく地下一階の展示室では、まず最初に、同じくしりあがり寿の「ゆるめ~しょん」シリーズ作品が小型スクリーンに映し出すかたちで幾つも並べられてあります。薄暗い照明の中、天井からベールを垂らして、その中に各スクリーンを閉じ込めており、映像の光がベールを照らしてその部分をぼうっと浮かび上がらせる、『竹取姫』のお姫様の登場シーンのようなことになっています。近づけば、その中にいるのが「おじさん」である点も、落差があって面白い。文字通り(今回の映像祭のタイトルは、「デイドリーム・ビリーバー!!」です)、白日夢空間へと迷い込んだ感があります。
その他ここでは、社会と映像との接点を捉える作品の展示があります。ネットへの匿名投稿における主婦の言葉を女優が語る森弘治の《Re:》、ネット内空間「セカンド・ライフ」を使ったツァオ・フェイの《RMB》。最後には、米軍のバーチャル映像を使った軍事訓練を扱ったハルン・ファルッキ《シリアスゲーム》。

映像は夢を現実化した表現である、というコンセプトに沿って、テクノロジー的な側面から始まり(三階)、意識の底をえぐるような映像の力にも焦点をあて(二階)、展示が進むごとに映像によって夢と現実の境界があいまいになっていく(二階~階段~地下一階)。かといって、それは芸術の問題だけに止まってはいない。社会的、政治的な利用もされる(地下一階)。それを批評的な眼差しで捉えるのもまた、映像である(《シリアスゲーム》のように)。このような流れが、随所に凝らされた工夫でじわじわと浮かび上がってくる展示でした。

報告の最後に要望を二点。
レセプションでは、二階の吹き抜け空間で、恵比寿駅と逆側のエントランスを背にして、開催の辞が述べられたほか、今回出品されているアーティストの方たちの紹介がありました。これまでも何度かこちらの内覧会には伺わせて頂きましたが、毎回大変な混雑で、肝心の、挨拶をされる方々がわれわれと同じ高さの床に立っておられるため、姿が見えないことが多いです。本当に簡単なものでも良いので、ちょっとした舞台(例えば、しりあがり寿さんがピンク地に黒文字というスタイリッシュな映像祭パネルの前で、仮にビールケースをひっくり返して壇としてご挨拶されていたら、とても恰好良かったのではと思います――冗談でなく)をしつらえてもらえれば、遠目からでもお顔が拝見できるのですが。

もう一点、先日、今一度観覧に行ったのですが、そのときは同じ場所でアーティストの方がラウンジトークをされていました。それほど混雑もなく、ラウンジに用意された椅子に座って聞かせて頂けたのですが、せっかくのお話なのに、吹き抜けの場所だからか、正面の椅子に座っているとマイクの声が拡散して聞きづらいという難点がありました。三階にもスピーカーが設置してあり、その声を聞けるようになっているのですが、そちらで聞いた方がよっぽど聞き取りやすい。これはもうひとつ、残念なこととして挙げておきたいと思います。


写美から出てすぐ、ガーデンプレイスの中庭あたりでは「オフサイト展示」もされているほか、チェコ・センター、日仏会館などとタイアップして様々なイベントが開催されているようです(詳しくは写美にある映像祭のチラシをご参考ください)。
カタログ、展示は全て日本語と英語の二ヶ国語表記です。カタログは、展示のみならず、オフサイト展示、上映映画、イベント全てのカタログを兼ねています。ここでは紹介できませんでしたが、一階映画館上映の映画も貴重なものばかり、もうあと少ししか時間がありませんが、チケットが売り切れてなければ、観賞をお薦めします。

写美での映像祭は今週末までで終了しますが、お時間があえば是非、この楽しいお祭りを観にいってください。

※ここでご紹介した作品名は、簡略化したものもあります。正確な情報はカタログをご覧ください。

2011年9月22日

[寸評]「大倉喜七郎と邦楽―〝幻の竪笛〟オークラウロを中心に―」展

・会期:2011年8月2日(火)〜9月25日(日)
・会場:大倉集古館
・評者:伊藤 由紀

大倉財閥2代目・喜七郎が大正末に考案した、尺八にフルートのキーシステムを取り入れた新楽器「オークラウロ」に関する展示です。オークラウロの実物のほか、その演奏会プログラムや独習本、尺八改良に関する喜七郎の著述などが展示されています。

つい先日、従来の日本のオペラ受容史は伝統演劇の役割を軽視しすぎている、という主旨の口頭発表をしたばかりなのですが、わたし自身、日本の伝統演劇/音楽に関する知識はほとんどありません。自戒の念を込めて見に行きました。

この日は展示室内で小湊昭尚氏(尺八・オークラウロ)と保坂修平氏(キーボード・アレンジ)によるミニコンサートがあり、オークラウロの新旧の歌口と、さらに尺八、それぞれの音色を聞き比べることができました。小湊氏の奏者の立場からの解説が、わたしには知らないことばかりで面白かったです。

特になるほどと思ったのは、オークラウロ考案の頃から現在までに、尺八は機能面で相当改良されているという指摘。喜七郎の時代の尺八を基準に考えたら、オークラウロの画期性は相当大きかったはず、ということになるのですが、それなら当時の尺八も実際に演奏して見せていただけると良かったな、と思います。

展示には、当時の尺八の解説書や音譜も出ていたのですが、当時の尺八のどこが問題で、オークラウロによってそれがどう解消されたのか、展示を見ただけではよく分かりませんでした。尺八がその後どのように改良されたかについても説明があれば、オークラウロと比較できて面白かったと思います。一応、現代になって新しく尺八とフルートを組み合わせた楽器「シャクルート」は展示されていて、見た目のインパクトは抜群でした。

わたしの研究に関わる部分では、浅草オペラの台本作者だった伊庭孝が、ピアノ伴奏者として喜七郎の写真に写り込んでいるのに驚いたのですが、パネルの解説文によると、そもそも「オークラウロ」と命名したのも伊庭孝だったとか。この伊庭をはじめ、当時の邦楽/洋楽のプロフェッショナルたちが、オークラウロをどう評価し、どう関わったのかについても、説明が欲しかったと思います。

カタログはありません。出品リストは大倉集古館の公式ブログから入手できます。「美術に視る音色―描かれた楽器たち―」展と同時開催。

2011年11月 5日

[おすすめ]ヨコハマトリエンナーレ2011

・会期:2011年8月6日(土)~11月6日(日)
・会場:横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(Bank Art Studio NYK)、その他周辺地域
・評者:川辺 和将

もうすぐ閉幕です。今年は美術館内の展示が多数ありますが、照明を暗くするなどハコ感を出さない工夫がされていました。
クリスチャン・マークレーの《the Clock》は映画好きの方におすすめです。

2011年11月12日

[おすすめ]「高畠華宵の珠玉の名作挿絵」(コーナー展示)

・会期:2011年9月30日(金)〜12月25日(日)
・会場:弥生美術館
・評者:伊藤 由紀

企画展「中原淳一の少女雑誌 『ひまわり』」を見に行ったのですが、3階高畠華宵コーナーの、少年少女向けの冒険小説に付けられた挿絵を集めた展示も面白かったです。挿絵とともに紹介される物語のあらすじがどれも荒唐無稽で、スリルとサスペンスとエキゾチシズムとエロチシズムのてんこ盛り。ちょっと読んでみたくなりました。

たとえば『南蛮小僧』シリーズのひとつ、「死中の活」。褌一枚の主人公が格子状にきつく縛られ、頭上の大岩を吊るす縄に火を放たれて絶体絶命、という場面が、華宵の精緻な筆で描かれます。なぜそんな回りくどい方法で、というツッコミは、ここでは用をなしません。

調べてみると、今回取り上げられた小説のうち、有本芳水『馬賊の唄』と濱丘浪三『南蛮小僧』は、駒場図書館所蔵の『少年小説大系』(三一書房、1986〜96年)の14巻・19巻にそれぞれ収録されているようです(挿絵なし)。

2011年11月13日

[おすすめ]生誕120周年記念 岸田劉生展

・会期:2011/09/27-11/23
・会場:大阪市立美術館
・評者:中村 真衣子

 近代洋画家の中でもとりわけ異彩を放つ岸田劉生。その生誕120周年を記念する展覧会が、大阪市立近代美術館で開催されています。
 大々的にポスターを飾る代表作《麗子像》(1921年)に関連する作品だけでも油彩画、水彩画、水墨画を含め20点以上が展示されており、作品点数・質ともに見応えのある大回顧展となっています。展示室にずらりと並ぶ麗子像、「岸田の首狩り」とも称された数多の肖像画、自画像の数々からは、対象をただ「見つめる」ことによって滲み出る劉生の息遣い、熱気さえ伝わってくるようでした。また西欧の様式を積極的に取り入れた静物画や風景画などからは、ひたすらに筆を走らせ様式を模索する画家の姿を垣間見ることができます。
 早逝の画家・岸田劉生の凝縮された人生と、表現に対する執念をじわりと感じられる展覧会。この機会にご覧ください。

2011年11月15日

[おすすめ]「世紀末、美のかたち」展

・会期:平成23年9月17日(土)〜11月23日(水祝)
・会場:府中市美術館
・評者:伊藤 由紀

ミュシャのポスター、ラリックやガレのガラス工芸、ルドンやゴーギャンの絵画など全80点を、「自然とかたち」「文字を刻む」「異形の美」「光と闇」の4つのテーマで編成した展示です。

一部の濃色のガラス作品では、背面に細い鏡を置いて光源としており、これが劇的な効果をあげていました。斜めの位置からでは作品はほとんど不透明に見えるのですが、真正面に立ったときだけ、背面からの光が透けて、鮮やかな彩色や細部の意匠があらわになります。

これを体験した後では、カタログの写真にどうしても物足りなさを感じてしまいます。ぜひ会場でお楽しみください。駅からの道のりも街路樹が色づいて綺麗でした。

2011年11月20日

[寸評] 「松岡映丘―日本の雅 やまと絵復興のトップランナー」展

・会期:2011/10/9-11/23
・会場:練馬区立美術館
・評者:佐藤 弥生

 2011年に生誕130周年を迎える日本画家、松岡映丘。その30年ぶりとなる大規模な回顧展が練馬区立美術館で11月23日まで開かれている。兄に民俗学者の柳田國男を持つ映丘は、古典文学に取材したやまと絵を多く描いた。日本史の教科書などで一度は見たことがあるであろう≪右大臣頼朝≫も、彼の筆によるものである。

 筆者が見たなかで、特に印象深かったのは≪道成寺≫(1917年)だ。歌舞伎や浄瑠璃でもおなじみの道成寺から題材をとった六曲一双の屏風絵で、僧安珍(ここでは浄瑠璃版道成寺に基づき桜木親王の姿をとっている)と清姫が満開の桜の下出会う瞬間を描いている。いわば古典といえる主題にもかかわらず、この作品を斬新なものにしているのはその入り組んだ構図だろう。大きく枝をのばす桜の樹、鐘つき堂の柱が人物群の間をぬうように描かれ、また人物像の視線はみな微妙に異なり、ジグザグ状に交差する。見る者の視線も、こうした複雑に錯綜する構図を目で追ううち自然と蛇行してゆくかのようだ。加えて、六曲一双屏風の蛇腹状の構造も相まり、絵の構図はまるで右隻の若く美しい娘の成れの果てを暗示するかのように蛇のようにうねうねとまがりくねる。

 こうした映丘の入念に計算された構図は、1930年代を境に、それ以前の抒情的だがぎっしりと描き込まれたものから、より余白をたっぷりと取る伝統的日本画のそれへと近づいてゆく。後者の結実ともいえるのが、絶筆となった≪矢表≫(1937年)である。やはり六曲一双屏風の形式をとるこの作品はあえて余白を大きく残すことで、主人を守るため自ら飛び出し盾となる武士の一瞬の様子、その張りつめた空気までも感じさせる。


 残り会期期間もわずかだが、秋の深まりを感じられるこの季節、映丘のやまと絵で日本古来の美を味わってみてはいかがだろうか。

2011年11月23日

[寸評]田名網敬一「迷いの橋シリーズ」

・会期:2011年10月22日~12月11日
・会場:Nanzuka Underground(渋谷)
・評者:堀江 秀史

 渋谷は宮益坂、渋谷駅から行くと明治通りを渡って、宮益坂上まで登りきってブイ字型に右に曲がり、246号線(青山通り)沿いに少し坂を下りて右手にあるビルの地下、そのさらに奥、暗がりに気圧されることなく進むと突如として白く浮かび上がるのが、現代アーティストの紹介を行うギャラリー、Nanzuka Underground です。特に看板や案内が出ているわけではなく、まるで来る者の意思を試すかのように、辿りつくまでの道のりは険しいです(私は、半径30メートル以内まで近づきながら、場所が分からず30分くらいうろうろと迷ってしまいました)。潔いまでにストイックな佇まいのこのギャラリーで、現在、田名網敬一さん(1936~ )の最新シルクスクリーン作品、「迷いの橋」シリーズが展示されています(20点くらい)。

 蛍光色、ラメを使った過剰な色彩と、ときに織りまぜられるアトムやポパイの図柄、アメコミふうにアルファベットで描かれた爆発音の文字、強く虚ろな眼差しの少女などが、混沌とした構図に収められた、悪夢のような、幻覚のような作品群ですが、『朝日新聞』(11月9日夕刊)のレビューに記されているように、1960年代の「流行」であった「サイケデリック・アート」を、その後も一貫して追求してきたからこそ到達できた、単にかつての踏襲ではない、21世紀型の「サイケ」のかたちがそこにはあります。

 並行して、Nanzuka Underground(白金)のほうで行われていた「結び隔てる橋」は、残念ながら11月12日をもって終了してしまいましたが、こちらでは金色の赤ちゃん骸骨と、骸骨面をかぶったおさげのセーラー服女子生徒が赤い橋の真ん中に鎮座する大きなオブジェも見られました。

 粟津潔、横尾忠則らと比肩するデザイナー、美術家である田名網敬一氏の実作品が見られる良い機会です。
 迷ったらお電話下さい。 

2011年12月17日

[おすすめ]セガンチーニ展および常設展

・会期:11月23日〜12月27日
・会場:損保ジャパン東郷青児美術館
・評者:今橋 映子

 今年春の震災で、一度は東京巡回が延期となった展覧会、危ぶまれましたが、東京展が実現しました。スイスアルプスの風景画家として知られるセガンチーニを、これだけまとまって日本で見られるのは実に30年ぶり。また30年は来日しないかもしれませんね。
 私のようにスイスのサン・モリッツにまで行けない方は、ぜひこの機会にいらしてください。
 
 今回の東京展で感じが良いのは、「ガラスケース」越しでなく、この画家の仕事が見られるということ! 筆触分割の緻密なまでの職人仕事をじっくり観察することができ、かつ、その画面から遠く離れて全体を見渡せば、驚くほど透き通った青空とアルプスの風景を堪能できます。そして最後にはこの画家が、実は、単なるアルプスの画家でなく、瞑想する象徴詩人であることに納得させられます。

 ついでといったら余りに酷いですが、企画展の最後の部屋の隣は常設展部屋。あの53億円落札のゴッホ「向日葵」が、展示されています。グッズ売り場に急ぐ方たちが多いせいか、これも独り占めで堪能できますので、久々の方もどうぞ。様々な黄色を同一画面で遣い分ける「向日葵」連作の中で、この絵はとりわけ、背景に緑色が差してあることに、私は今回改めて気付いた次第です。
 余談ですが一方で、同じ常設展部屋にある(この美術館にとっては)肝心の、東郷青児の油絵の退色が、相当進んでいることに、ちょっと心が痛みました。かつて子どもの頃にみた、陶器のような透明な輝きが、あの画面に戻る日を願うばかりです。

2011年12月21日

[おすすめ]殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次 保永堂版・隷書版を中心に

・会期:2011年12月17日〜2012年1月15日
・会場:サントリー美術館
・評者:林 久美子

 投稿が遅くなってしまいましたが、サントリー美術館、広重展の内覧会に行ってきました。
 本展では、歌川広重の代表作《東海道五拾三次之内》(天保4(1833)年頃制作、一般に「保永堂版東海道」)と、およそ15~20年後に再び広重によって描かれた《東海道》(画中の題が隷書で書かれている「隷書版東海道」)が一挙に公開されています。

 江戸日本橋から京都までの55カ所、全ての宿場の「保永堂版」と「隷書版」が並べて展示され、両者の違いを如実に見て取ることができます。同じ場所でありながら、構図や色味、モチーフなどに様々な違いが見られ、広重の工夫の跡が伺えます。また、「保永堂版」と「隷書版」の比較に加えて、刊行当初の〈初摺〉と、後に摺り方などが変えられた〈後摺〉との比較や、〈初版図〉と、図柄が一部変えられた〈変わり図〉の比較が行われている宿場もありました。

 「保永堂版」の〈蒲原 夜之雪〉や〈庄野 白雨〉などは、誰もが一度は目にしたことがある広重の代表作だと思いますが、今回の比較展示により、実は「隷書版」の方が、実際の風景により即したものであったことを知り、驚きました。
 
所々に配された、名所をモチーフとした屏風や工芸品を除けば、ひたすら浮世絵の展示が続き、一見単調にも思える本展ですが、実際は江戸期の旅の様子が生き生きと描かれた作品に導かれて、私もまるで旅をしているような気持ちになりました。
 年末年始、旅行に行く余裕がないという方は、六本木で東海道旅行を楽しむというのはいかがでしょうか。

2011年12月28日

[寸評]「ぬぐ絵画 日本のヌード1880-1945」

・会期:2011年11月15日(火)〜2012年1月15日(日)
・会場:東京国立近代美術館
・評者:伊藤 由紀

明治・大正・昭和(戦前)の、主に女性のヌードを描いた油彩画約100点を通じて、裸体画が近代日本においてどのように理解され展開したかをたどる展示です。

会場では、ほとんどの出品作品に詳しい解説が付され、その物語に沿って作品を見ていく趣です。解説はちょっと独特の、人なつこく饒舌な語り口で(「古賀春江(ちなみに男性です)」といった調子)、それでいて随所に鋭い指摘があり、たいへん納得させられました。

変則的な二つ折りのチラシや特設サイトなど、ビジュアル面に力を入れている印象の本展、カタログは鮮やかなオレンジ色に12×21cmという小ぶりの版型で、これまた目を引きます。

このカタログも、展覧会と同様、蔵屋美香氏による一編の長大な論文の流れに沿って、豊富な図版が挿入される形です。会場の解説が「です・ます調」なのに対し、こちらの論文は「だ・である調」。基本的に、偶数ページ(左)は本文と参考図版、奇数ページが出品作品の図版という構成になっています。論文と割り切ってしまえば良いのですが、展覧会カタログとして見てしまうといかんせん図版が小さい。黒田清輝《智・感・情》(cat.no.23)など、画面を90度回転させて三幅対を1ページに収めているので、あの作品の独特の迫力が感じられません。

上記に限らず、横長の作品の多くは画面を90度倒して掲載されています。しかし垂直/水平というのは、本展の重要な着眼点の1つだったように思います。コランら西洋の画家のヌードの多くが女性を画面に水平に横たえたのに対し、黒田清輝《野辺》(cat.no.29)は画面に対し垂直に寝かせていること、それが萬鉄五郎《裸体美人》(cat.no.40)でどう展開したか、梅原龍三郎《はふ女》(cat.no.54)で、再び画面に水平に描かれた女性が生々しく感じられる理由、前田寛治や小出楢重が、横たわる裸婦を描く際に垂直線の「つっかえ棒」を入れたこと......。それゆえ、カタログの紙面で一部作品が90度回転させられ、垂直/水平の対比が一目では把握しづらくなっているのは、非常に残念に思います。

カタログへの採点が辛くなってしまいましたが、それも展覧会の本編にたいへん興奮したからこそ、です。残りの会期は少ないですが、ぜひ会場でどうぞ。ちなみに1月2日は「新年につき、一肌脱」いだ割引価格(大学生250円)で入場できるそうです。所蔵作品展部分にも関連展示あり。

2012年1月26日

[おすすめ]ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち

・会期:2011年12月10日(土)〜2012年1月29日(日)
・会場:東京都写真美術館
・評者:佐々木 悠介

会期ぎりぎりに「おすすめ」ですみません。
数年前の「明日を夢見て----アメリカ社会を動かしたソーシャル・ドキュメンタリー」展の続編、今回はヨーロッパ版ということのようですが、個人的には前回よりも珍しいものが多くて面白かったと思います。
基本的には所属作品ですが、カタログも良い資料になります。

2012年2月22日

[寸評]東京スカイツリー完成記念特別展「ザ・タワー~都市と塔のものがたり~」

・会期:2012年2月21日(火)~2012年5月6日(日)
・会場:江戸東京博物館
・評者:伊藤 由紀

2月20日に開催された内覧会に行ってきました。1Fホールで行われた開会式は、竹内誠館長の挨拶、主催・後援等の紹介、PRキャラバン隊「えどはくタワーズ」によるパフォーマンス、常設展示室に設置された「太陽の塔 黄金の顔」の紹介、と続きました。「黄金の顔」の3日間の設置作業を、定点カメラの早回し映像で見せていただいたのが面白かったです。

企画展は全5章構成。プロローグ「二つの塔」ではバベルの塔と仏塔を、第1部「都市の塔の誕生前史」では江戸~明治前半期の鳥瞰図と展望施設を、第2部「近代都市の塔と万博」ではエッフェル塔と浅草十二階(凌雲閣)と初代通天閣を、第3部「新しい時代の塔」では東京タワーと現在の通天閣を、エピローグ「塔が生まれるとき」では東京スカイツリーを、それぞれ取り上げています。

私としては浅草十二階を目当てに見に行ったのですが、意外にその前史の部分が面白かったです。アポリネールのカリグラムよりずっと緻密な「300行からなる300メートルのエッフェル塔」(cat. no. 66)が、エッフェル塔完成のその年に早くも書かれて(描かれて?)いるのには驚きました。

その他にも、建設中の定点写真(cat. no. 62)、ペーパークラフト(cat. no. 69)、双六(cat. no. 73)、世界の建造物を一堂に集めた高さ比べの図(cat. no. 49)など、現代でも定番の塔表象のあらかたが、エッフェル塔の時点ですでに登場しています。ただ、日本の双六(cat. no. 46, 119, 142など)が塔の頂点を文字通りの「上がり」とするのに対し、エッフェル塔のそれは頂点で折り返して地上に戻ったところがゴール、というのは面白いですね。家に帰るまでが遠足です。

双六つながりで、これは笑えない......と思いつつも、ちょっと分かる気がしたのが「大正大震災双六」(cat. no. 165)、震災の翌年の発行です。ふり出しのコマの名前は「ゆり出し」で、サイコロの目に従って「上野公園」「被服廠」などの避難場所に行き、「バラック」「仮住居」などを経て「生命 財産 安全」と書かれた上りを目指します。どの避難場所に逃げた後も、サイコロの目によっては「死亡」で終わってしまう可能性があるのが厳しいです。

この出品をはじめ、十二階の震災による炎上(大正12年9月1日)とその後の爆破(同23日)を取り上げた一連の展示は、いま見ると重いものでした。爆破を見ていた人々がつい「万歳」と口にして「どつと笑つた」、というエピソードを伝える川端康成『浅草紅団』の一節がパネルで引用されていましたが、3・11後のあの奇妙な昂奮状態を経験したいま読み返すと、このエピソードも何か妙に腑に落ちます。

ただ、震災の話題がアクチュアルすぎて、建設当初の輝いていた頃の十二階の印象はいまいち薄れてしまったように思います。浅草オペラへの言及が特になかったことも個人的には残念でしたが、順路の後のほうで思いがけず関連資料を見つけました。通天閣のビリケンさん(cat. no. 279)に関する出品の中に、ビリケン到来当時のブームを伝える資料として、東京歌劇座のお伽歌劇《ビリケンとキユーピー》のプログラム(cat. no. 282-283)が含まれていたのです。大正6年11月の日本館での公演は、ビリケン杉寛、キユーピー澤モリノ、主役級らしき少女二人が天野喜久代に河合澄子という豪華キャスト。

会場の展示方法については、また双六の話で恐縮ですが、紙をめくると建物の内部が見える(cat. no. 119)、気球乗りのスペンサーの姿が見える(cat. no. 142)などのギミックが、閉じられた状態のまま展示されていたのは残念でした。せめて開いた状態の参考図版があれば(カタログには掲載)。音声ガイドには、通常のお堅い解説のほかに、別トラックで山田五郎氏のコラムが収録されています。

カタログはA4版208ページ。出品作品の図版のほか、担当学芸員の岩城紀子氏(江戸東京博物館)、船越幹央氏(大阪歴史博物館)の短い論文、細馬宏通氏(『浅草十二階 塔の眺めと〈近代〉のまなざし』)、橋爪紳也氏(『明治の迷宮都市』)など、納得の人選によるエッセイを収録しています。

大阪歴史博物館に巡回(5月23日~7月16日)。

2012年3月10日

[寸評]すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙

・会期:2012年2月11日―3月25日
・会場:神奈川県立近代美術館 葉山
・評者:松尾 梨沙

 神奈川県立近代美術館は県内三カ所(鎌倉、鎌倉別館、葉山)に分立しており、2003年に開館した最も新しい葉山館は他の二館より少し離れ、やや行きにくいところに位置しますが、すぐ目前に広がる海の何と美しいこと! 他方すぐ背面は山に囲まれ、ようやく春の日差しを感じ始めるこの時期にあっては、訪れるだけで心地よい相模湾の潮風と絶景を楽しむことができます。この葉山館で3月25日迄開催中の展覧会「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」に行って参りました。

 村山知義(1901-1977)は1922年に留学したベルリンで、ダダや構成主義などの新興芸術に触れ、帰国後はその多大な影響から、油彩、コラージュなどの造形作品をはじめ、機関誌『マヴォ』発刊、新興ダンスパフォーマンス、舞台装置制作、建築、雑誌の装幀、ポスターデザイン、児童文学挿絵、さらには小説や評論の執筆まで、信じ難いほどのあらゆる創作活動に手を広げ、20世紀前半の激動の時代の日本に大きな足跡を遺した芸術家です。水沢勉氏も触れているように、まさに「美術」という言葉の定義そのものを、芸術家本人が揺るがしたのではないかと思わせるほど、創作範囲があまりに広すぎるため、展覧会に訪れるまで村山という人物をよく知らなかった私にとっては、果たしてその全ての創作に一貫性があるものかと、半ば訝しく思うところがありました。この展覧会は、そうした私の疑念を完全に払拭し、とくにその時系列的な展示方法と詳細なキャプションが、全ての創作に通ずる彼独特の性格や個性を、明確かつ強烈に見る者に伝えてくれていました。

 どのジャンルにもそれぞれに惹き付けられる魅力を持ち、一つ一つ丹念に追っているといくら紙面があっても足りなくなりそうですが、一貫して言えるのはそのくっきりしたラインと色彩、様々な図形をいくつも重ねる描写、視点の位置に無限の可能性を与える空間表現の面白さであり、それらがたとえ油彩であろうが舞台装置であろうが装幀であろうが建築であろうが、村山が本質的に備えた個性であったように感じられました。中でも印象的だったのは、彼が編集、発刊した機関誌『マヴォ』です。第3号の表紙では癇癪玉を貼り込んで発禁回収処分となったように、この機関誌のデザインは常軌を逸しており、掲載されている詩も写真も、しまいにはページの打ち込みまで、あらゆる方向からの見方が成立するようにできています(実用を考えると決して機能的ではありませんが)。雑誌、あるいは美術館の形態そのものの芸術性を問うような見方が、すでに1920年代の日本において発想されていたことを考えると、常に時代の先陣を切ろうとした村山の意気込みに圧倒される思いです。

 展覧会はこの後、京都国立近代美術館(2012年4月7日--5月13日)、高松市美術館(2012年5月26日--7月1日)と巡回し、最後は世田谷美術館の予定です(2012年7月14日--9月2日)。

2012年4月23日

[おすすめ]着物に咲いたモダニズム--バラが彩る明治・大正・昭和--

・会期:2012年4月5日〜4月24日
・会場:ミキモト本店6階・ミキモトホール
・評者:伊藤 由紀

永本ツカサ氏のアンティーク着物のコレクションから、バラを描いたものばかり約100点を展示しています。ブレイクの詩を引用した羽裏や、ウエストミンスター寺院の柄の銘仙など、西洋的モチーフの取り入れ方がとても面白かったです。ただ、個別の出品物へのキャプションが一切ないため、年代や技法、モチーフの組み合わせなど、いろいろ疑問が残りました。

その後、永本氏ご本人が、今回の展示の企画段階から会期中の現在までの経緯をブログに書いておられるのを発見しました。キャプションをつけないと決めた理由も書かれてあって、ならば納得せざるを得ません。代わりに永本氏が毎日2回(14時〜/16時〜)会場を回りながら作品解説をしておられます。

企業の名前を前面に出した会場で、これだけ企画者の自由裁量で展示ができるとはちょっと思っていなかったので、ミキモトさんの懐の深さに感服しました。ただ、企画者本人による作品解説が毎日行われること、そこまで含めての展示だということは、公式サイトに書いておいてほしかったです。

もう会期も残り2日ですが、足を運ばれる方はぜひ作品解説の時間に合わせてお出かけください。

2012年5月18日

[おすすめ]日食展─5.21 奇跡の天文現象─

・会期:2012年3月21日~5月31日
・会場:東京理科大学 近代科学資料館
・評者:伊藤 由紀

「日食を通した科学普及活動」を目指した特別展示。会場は東京物理学校の木造校舎を復元した建物です。

「日食のしくみとその希少性」「古文書に見る日食」「日食計算のあゆみ」などの小テーマが設定されていますが、最も充実していたのは、東京理科大学天文研究部による日食観測の歴史に触れた「いろいろな日食」「日食の魅力を伝える」の両パートでしょう。

「日食の魅力を伝える」は、理科大天文研究部がこれまで各地で撮影した日食写真のパネル展示です。1960年代のものがあくまで太陽の形と軌跡の記録なのに対し、1983年のジャワ島・ニューギニアでの一連の写真は、「遥か遠き空」「太陽のかくれんぼ」などの空想的なタイトルがつけられていたり、現地の風景を写しこんでいたりと、ちょっと趣が異なります。別のパートに出品されていた雑誌『SKY WATCHER』1988年4月号の特集タイトルが「天体写真にもっと自己主張を」だったのを見て、そういう時代だったのかと納得しました。わたしはその方面はまったく詳しくないけれど、アマチュア写真の歴史の観点から見ても、興味深い記録なのではないかと思います。

部外者として一歩退いた目で見ていたつもりですが、1枚のパネルの解説に胸が熱くなりました。今回の金環日食は1958年に種子島・八丈島で見られた金環日食が、3サロスを経て日本付近に帰って来たものであり(1サロス周期=約18年ごとに、地球の3分の1周ぶん西にずれた地点で、条件の似た日食が観測できる)、そして1958年の八丈島遠征から始まった理科大の日食観測の歴史も、今年で3サロスを迎える、というのです。何か歴史の重みを感じさせる、うまい言い方ですね。

入場無料。カタログは白黒40ページ300円で、すべてのパネル解説の内容と、出品物の図版が収録されています。カタログに載らない展示としては、会場1~2階の吹き抜けホールを利用して、日食の起こるしくみが体験型模型で示されています。

2012年8月 2日

[寸評]「具体」--ニッポンの前衛 18年の軌跡

・会期:2012年7月4日―9月10日
・会場:国立新美術館
・評者:松尾 梨沙

 美術史の方々はもう足を運ばれたかも知れませんが、ただいま開催中の話題の展覧会「『具体』--ニッポンの前衛 18年の軌跡」に、私も行って参りました。当日はかなりの猛暑日で、国立新美術館一面のガラスに反射した光には、身を焦がされる思いでしたが(笑)、そんな季節にぴったりの、戦後高度成長期を象徴する関西人アーティストたちの情熱と勢いが、充分に伝わってくるような展示となっています。

 具体美術協会(通称「具体」)は、1954年、戦前から活動していた前衛美術家、吉原治良をリーダーとして、阪神在住の美術家たちで結成されたグループです。吉原の「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思いから、各人の感動や歓喜、精神の自由といった抽象的なものを、色彩、かたち、物質によって、直接的かつ具体的に提示することを目指しました。フランス人美術家ミシェル・タピエに見出されたことから、"GUTAI"は日本の前衛美術グループとして海外で有名になったにもかかわらず、東京ではその実態が紹介される機会がこれまで無かったということで、その意味でも本展は貴重な機会のようです。

 私の専門は音楽なのですが、従来の「絵画」という枠組を越えようとしたそのエネルギーは、なるほどよく伝わって来ます。というか、この時代前後の割と長いスパンで、欧米諸国で起こった芸術の様々な考え方やスタイルが、ここでも同じ様なかたちで表出しているという感じでした。

 例えば、線と平面が意識された、吉原治良、金山明、大原紀美子の作品や、平面性と物質性を意識させる嶋本昭三、前川強の作品などを見ていると、20世紀初頭ロシアのファクトゥーラの概念が、やはり彼らの発想の根底にもしっかりあったように感じられますし、またニューヨーク・スクールの画家たちの取り組み方に共通する部分もあったように思います。とくに前川作品は、やはりシュヴィッタースやラウシェンバーグに似ていますし、金山や吉田稔郎の作品はポロックを想起させます。

 平面性と物質性という考え方は、音楽界においても極めて重要で、とくに私が学んでいるポーランドでも、20世紀音楽でそのように「美術的に」捉えることによって、かたちが見えてくる作品もあるため、その意味では私にとって大変刺激的で、学ぶところの多い展示でもありました。

 しかし抽象芸術のこういったスタイルは、日本のGUTAIと欧米とで、どちらが先に発想したんだろう、やはり欧米が先だっただろうか...、あるいはGUTAIと欧米の芸術とで完全に違うところはあったんだろうか...など、思うことも色々あって、その辺りはぜひまた専門の皆さんによく伺いたいものです。

 カタログはA4版ですが若干縦長で、表紙カバーがボール紙仕様、蛍光黄色地と、なかなか面白いデザインです。展覧会は、今年9月10日まで開かれています。

2012年9月23日

[寸評]国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展

・会期:2012年8月4日-10月8日
・会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
・評者:松枝 佳奈

 本展の最後に掲げられた、トレチャコフ美術館の創立者、パーヴェル・トレチャコフ(1832-1898)の肖像。彼は、自らの館で、愛するロシア美術のコレクションに囲まれながら、長い指で肘をかかえるお気に入りのポーズで佇んでいます。
 画家イリヤ・レーピンが描いた、敬愛する美術蒐集家のいるトレチャコフ美術館の風景とその明るい空気感は、不思議なことに、2008年初秋、筆者が同館を訪れた際のものと全く同じものだったのです。しかし、本展の開催により、レーピンとその作品の持つ、さまざまな魅力に改めて気づかされたのでした。

 イリヤ・エフィーモヴィチ・レーピン(1844-1930)は、19世紀後半から20世紀初頭のロシア美術を代表する画家です。ロシア国立トレチャコフ美術館は、圧倒的な質と量を誇るレーピン・コレクションを所蔵していることで知られています。本展は、レーピンの油彩57点、素描42点から成る、日本では初めての大規模な回顧展です。
 本展の見どころは、さまざまな人物やロシアの歴史的な事件、物語などの題材を、ある時は劇的さと高揚感をもって、またある時には厳粛な静謐さをもって描き出す油彩のみにとどまりません。
 本展の第一の特徴は、レーピンの素描にスポットを当てたところにあります。今回、鑑賞して初めて感じたのは、レーピンの素描や水彩画の持つ迫力です。レーピンがある油彩を制作するまでに、膨大なエスキースや習作を残していたことは、個人的に最も驚いた点でした。
 しかも、その一つ一つが作品としても非常に優れているのです。例えば、油彩のためのスケッチ「コサック、ワシーリー・タルノーフスキー」や、素描「少女アダ」などは、鉛筆による細かい線描と指先によるぼかしのみで、人物の繊細な表情や肌の質感、陰影、そして雰囲気までもを描写することに成功しています。
 確かに、本展は大作が少ないと指摘することができます。しかしそれ以上に、レーピンの上質な小品を心ゆくまで堪能することのできる、稀な展覧会であることには間違いありません。そして彼の素描や水彩画に、観客の誰もが魅了されることでしょう。

 最後に、本展を企画・構成した、神奈川県立近代美術館主任学芸員の籾山昌夫氏の尽力は、多大なものであったことが伺えます。
 籾山氏による、展覧会のキャプションならびに、カタログ掲載の豊富な作品解説や論文がきわめて卓越していることは、特筆すべき点です。その文体や描写は、レーピンの作品の特徴ともいえる、豊穣な物語性を語るのに、きわめて適していると評価できるのではないでしょうか。
 さらに、各作品の背後にある、歴史や社会の状況などが、ロシア美術に初めて触れる観客にとっても分かりやすく、かつ充実した情報量で紹介されています。

 本展は、2012年10月8日まで、Bunkamura ザ・ミュージアムにて開催中。
 その後、10月16日から12月24日まで、浜松市美術館に、来年2013年2月16日から3月30日まで、姫路市立美術館に巡回予定です。そして、この大規模な巡回展は、2013年4月6日から5月26日までの神奈川県立近代美術館 葉山にて、幕を閉じます。
 なお、前半の2会場と後半の2会場で、素描や水彩画の展示作品が20点ほど入れ替わるので、東京近郊にお住まいの方は、ぜひ、Bunkamuraと葉山の両方に足を運ばれることをお薦めいたします。  

2012年10月 4日

[おすすめ]堀辰雄「分去れの村」へのまなざし

・会期:2012年7月5日(木)~11月30日(金)
・会場:堀辰雄文学記念館(軽井沢・追分)
・評者:倉員 宏明

堀辰雄の後期の作品「ふるさとびと」は、ここ追分をモデルにした「分去れの村」を舞台としており、他にもいくつかの作品に追分が登場します。

そうした作品の舞台としてはもちろん、堀にとって追分はいくつもの重要な作品を執筆した場であり、さらには最後の住処でもありました。

そのような堀と追分=「分去れの村」の関わりに焦点を当てた展示となっています。

展示自体は非常にこじんまりとしたものですが、記念館は堀辰雄の旧居を利用してつくられており、生活の様子を偲ぶことができます。

記念館から10分ほど歩いたところには、実際の「分去れの碑」もあり、文学的な空気を味わいながら歩くにはよい場所ではないかと思います。

2012年11月 1日

[寸評]サラ・リプスカ ―巨匠の影に

・会期:2012年8月19日(日)ー2012年11月4日(日)
・会場:ワルシャワ国立美術館(クルリカルニャ)
・評者:松尾 梨沙

 ポーランドの首都ワルシャワには、美しい宮殿がいくつか点在しています。中心から南方5km程のところにある、クルリカルニャ(Królikarnia、もともとここでウサギ(królik)狩りが行われていたことに由来)という宮殿もその一つですが、ここは現在、ワルシャワ国立美術館の分館(ドゥニコフスキ記念彫刻美術館)として機能しています。周辺は広々とした庭園となっており、「黄金の秋」といわれるこの時期には、見事な紅葉でとりわけ美しい空間となります。ただいまここで開催中の展覧会「サラ・リプスカ ―巨匠の影に」に行って参りました。

 サラ・リプスカ(Sara Lipska, 1882-1973)はポーランド北東のムワヴァ(当時ロシア領)という町で生まれ、後にパリで活動したユダヤ人女性芸術家です。当初、その頃女性としては難関だった彫刻家を目指して、ワルシャワ美術学校に入学しますが、そこで当時教鞭を執っていた、のちのポーランド彫刻界の巨匠クサヴェリ・ドゥニコフスキ(Xawery Dunikowski, 1875-1964)に、その感性と美貌を見初められます。二人の親交は彼が亡くなるまで続きますが、法的な婚姻関係を結ぶことはなく、サラは彼との間にもうけた娘とともに、1912年よりパリのモンパルナスに移り住みました。

 以降、彫刻、絵画、インテリアデザイン、劇場の装飾、服飾、ポスターデザイン、挿絵など、あらゆる分野で作品を遺し、またディアギレフやヘレナ・ルビンスタイン、ポール・ポワレらとのコラボでも活躍しました。昨年パリのポーランド図書館(Bibliothèque Polonaise de Paris)では彼女を取り上げた展覧会が行われましたが、これまでポーランド国内で彼女の活動は事実上知られておらず、今年はワルシャワ国立美術館150周年を記念し、フランス大使館などの後援も得て大きく取り上げられることとなったようです。

 展示作品数はそれほど多くありませんでしたが、上述の通り様々なジャンルの展示がありました。油彩では、しなやかなラインと明るい色調がマティスを想わせるところもあり、とくに鳥と植物のモチーフが目を引きます。

 服飾デザインにおいても、比較的ゆったりとしたフォームに、やはり花のモチーフが顕著です。また、メシアンの《異国の鳥たち》の音楽をもとにしたバレエの衣装が企画されたこともあり、あらゆる鳥の衣装デザイン(水彩画)が遺されていたことからも、やはり鳥と花は、彼女にとって主要なモチーフであり続けたように思いました。鳥の衣装デザインにおける、翼や羽の色彩感と曲線美は、その他のジャンルにおける彼女特有の描き方にも通じるところを多く感じます。

 彫刻でも、角張ったデザイン性のあるドゥニコフスキの作品に対して、リプスカは細かい曲線まで描き出し、実に写実的です。とくにアルトゥール・ルービンシュタインの頭像は、肌の質感やたるみ方まで驚くほど良く表現され、まるで本人そのものです。

 芸術のジャンルは幅広い一方で、一つのジャンルに優れる人は、他の方面でも劣らぬ才能を見せるものだと、最近つくづく思います。以前ここで取り上げた村山知義も、国は違うもののリプスカとほぼ同時代で、やはり非常にマルチに活躍した人でした。こうした傾向が時代特有のものかどうか、私にはわかりかねますが、両者とも全ジャンルに共通する独自性を感じさせてくれるのは、非常に興味深い点です。こんな感じで、日本で出会えない芸術家の軌跡を辿る機会が、私の留学の楽しみを一つずつ増やしてくれています。

 カタログはA4版、232頁。前半にポーランド語とフランス語による解説、後半に図版と、分けてまとめられていますが、むしろ図版一つ一つにもう少し詳細な解説を付けて欲しかったです。展覧会は11月4日で終了となります。

2012年11月26日

[寸評]坂口恭平 新政府展

・会期:2012年11月17日〜2013年2月3日
・会場:ワタリウム美術館
・評者:古舘 遼

2011年、「新政府」を設立し、自ら初代内閣総理大臣に就任した坂口恭平。その活動の、過去と未来をたどる、二部構成の展覧会です。

受付で「新政府入国パスポート」(何度でも再入国できる)の発行を受け、会場に入ると、まず目にとまるのは子どもの勉強机。椅子を手前に引き出して、椅子の背と机との間に画板を渡し、上から毛布を掛けることで、秘密基地ともシェルターとも言いうる、子どもの占有空間が生まれます。この、子ども時代のありふれた体験が、坂口の活動にとって一つの原点になっていることに、展示を見ていくことで気付かされていきます。

坂口は、「建てない建築家」と言われます。こぢんまりとした館内には、キャスターの付いた小屋「モバイルハウス」は展示されているものの(これも不動産としての建築ではない)、それ以外に、建築の図面や写真などは、ほとんど見られません。その代わりにあるのは、路上生活者や、自給自足で生活する人に取材した記録と、それにまつわるドローイングです。お金をかけず、莫大な電力も消費しない、それでいて貧しい印象を与えない生活。坂口はそこに、生活の理想型を見出し、自身も一時期、実際に路上生活をしたといいます。また、そこから得た「不動産はいらない」という想が、「モバイルハウス」などに結実しているのです。

美術館の展覧会でありながら、美術展でも建築展でも、まして写真展でもありません。近年増えつつある、いわばプロジェクト型の展覧会なのです。その意味で、挑戦的な試みであると同時に、本展は(表題には明示されないものの)3.11への一つの応答といえます。「新政府」を立ち上げる契機となったのは、3.11と、それをめぐる現政府の対応への失望であったからです。とはいえ、12月7日まで公開されている「過去編」の展示からは、怒りや嘆きといった強い感情の発露は見られず、代わりに、現代社会への冷静な(しかし力強い)問題提起と、それに対する解決案が提示されます。最後の展示室では、坂口自身が新政府総理としてテレビの中で会見を行い、周囲の壁面を、新政府の構想をめぐらしたチャートで埋めつくしています。その強い意欲とエネルギーには、目を見張るほかありません。

「過去編」で投げかけられたメッセージが、会期後半の「未来編」(12月8日〜)にどのように引き継がれるのか、その答えが待たれますが、まずは「過去編」をご覧になることをお勧めします。「新政府」にとどまらず、被災者の避難所や「いのちの電話」を設けるなど、派遣村にも通じる活動を次々と展開する坂口の頭の中をのぞくような、新鮮で得難い体験になることは間違いありません。会場を見渡した限り、カタログは出ないようですので(関連書籍はあり)、会場まで足を運んでいただきたいと思います。

[寸評]生誕100年 松本竣介展

・会期:2012年11月23日〜2013年1月14日
・会場:世田谷美術館
・評者:古舘 遼

例えば、東京国立近代美術館のコレクション展(現「MOMATコレクション」)へ足を運ぶと、かなりの確率で松本竣介の作品と対面することができます。《Y市の橋》《建物》《裸婦》と名品揃いですが、それぞれの絵は印象が違っていて、同一の画家によるものとは、にわかに思えないほどです。

しかし、そうした一種の違和感は、この大回顧展を観ることによって氷解します。絵画120点、素描120点、資料180点を、全館展示で惜しげなく公開する本展は、目まぐるしく作風を変えながら戦時期を駆け抜けた一人の画家の軌跡を、その生きた時代とともに追体験させてくれるのです。

多くの回顧展がそうであるように、大まかには、時系列に沿って画業を振り返る構成となっていますが、都市や人物など、作品のテーマによって分類されており、竣介の多様な側面を、順を追って辿ることができます。展覧会として大変スケールが大きい一方で、時間さえかければストレスなく鑑賞できるのは、一つの魅力と言えるでしょう。

作品についても、一言述べたいと思います。
円熟期の作品をじっくり眺めると、つややかで滑らかな画面になっていることが分かります。もちろんそれは、仕上げに塗られたニスによるところも大きいでしょうが、竣介の作品は、絵の具を何層にも重ねていながら、荒々しく盛り上げることはせず、ナイフなどを用いて一層ずつ丹念に塗り込んでいるのです。そのため、画面空間は大胆でありながら繊細で、すっとする透明感をたたえ、作品を目の前にしても、描かれたモチーフがそこに無いかのごとく、夢のような感覚を与えるように思われます。この感覚は、残念ながらカタログからは得ることはできません。

既に述べたように、竣介は一つのスタイルに甘んじることなく、赤茶を基調とした重厚な絵画を確立する途上で病に倒れるまで、頻繁に作風を変えてゆきました。そして、そのどれもが高い完成度を勝ち得ているのです。こうしたあり方は、同じく早世した、「道化師と蝶の画家」三岸好太郎にも通じるところがあるでしょう。

規模と内容の双方から見て本展は、日本近代美術を扱ったものとして、今年の展覧会において五指に入ることは疑いありません。カタログの厚みからも、その充実を感じ取ることができます。そのカタログは、論考・エッセイを8編収録しているほか、竣介の書簡や蔵書目録まで載っており、研究の基礎文献としての役割も十分に果たすものです。

また、これからどんどん冷えゆく季節、そして、世田谷美術館の建っている砧公園の雰囲気と、松本竣介の絵画はマッチしているように思われます。それは、竣介の絵画に、常にどことなく寂しさと清々しさが同居しているためでしょう。その詩情あふれる作品世界に、多くの人が共感し、寄り添われているような感覚を得るはずです。

2013年1月19日

[寸評]生誕100年 松本竣介展

・会期:2012年11月23日〜2013年1月14日
・会場:世田谷美術館
・評者:太田 直樹

去る1月12日(土)、カタログ委員会企画、第二回展覧会見学会にて、「生誕100年 松本竣介展」に訪れた。画家の知名度に加え、会期の最後の連休であったことから、展覧会は非常に盛況を博しており、各作品の前に人だかりができるほどに賑わっていた。
この生誕100周年記念である本展では、油彩・約120点、素描・約120展、書簡等資料・約180点を、世田谷美術館の一階二階のスペース全てを用いて展示しており、対象の画家自体の規模の大きさが示唆されている。また、その展示構成も、時系列に加え、人物、風景といった作品テーマごとにも区分されており、竣介の作品群の多彩さを一目で感じさせる構成となっている。
さて、作品を一つ取り上げるならば、やはりこの展覧会のテーマともなっている《立てる像》であろう。本展では、この作品に向かって左側に《画家の像》、右側に《三人》及び《五人》と、時期が近く類似したテーマの作品が一望できるようになっている。特に、《画家の像》と《立てる像》とは、一見すると非常に類似した作品のように思われるが、ここに大きな転回があるように感じられる。
《画家の像》では、小さな人々や都市、戦争前夜を意識させる赤褐色の不穏な空気を背景に、それらを受け止めるかのように、大きな男が肩を張って立っている。その表情はやや堅く、少し厳しさのようなものを感じさせる。それに対し、《立てる像》では、人々や建造物が小さく描かれている点は同じであるが、それらは、はるかに広大な空に圧倒されている。そして、無限に広がる空、あるいは無限に続く道の真ん中に、大きな男は肩を下ろし、自然体で立っている。その表情は決して呆然を意味するものではなく、広がる世界、可能性を見据え、切り開いていこうとする強い眼差しを感じさせる。戦時中という厳しい状況において、あるいは厳しい状況であったからこそ、それ以上に広がる可能性に向かって行く姿勢、それこそが、36歳で夭折しながらも、文芸活動も含め多岐にわたる豊かな作品群を残すことに繋がったのだと、《立てる像》を目の前にして思われた。
前述のように、今回の展覧会は、個人ではなく見学会という企画の形で参加させていただいた。そのため、展覧会を観終わった直後に、友人あるいは先輩方と話させていただくことができ、展覧会の印象が深められたと同時に、美術は門外漢である私にとっては非常に学ぶことの多い見学会であった。このような機会があれば、今後とも参加していきたい。

2013年3月26日

[おすすめ]セノオ楽譜と大正クラシックス~夢二・華宵とともに~

・会期:2013年3月2日(土)~5月27日(月)
・会場:高畠華宵大正ロマン館(愛媛県東温市)
・評者:伊藤 由紀

大正期の音楽文化を扱った展示。「セノオ楽譜の部屋」「大正クラシックスと楽譜文化」「高畠華宵と音楽少女」の3室構成。監修は帝塚山学院大学の山田俊幸教授。

セノオ楽譜の竹久夢二による表紙絵は、『竹久夢二「セノオ楽譜」表紙画大全集』(国書刊行会、2009年)にまとめられているし、各種の展覧会でも割とよく取り上げられますが、他の出版社のピース譜シリーズや楽譜絵はがき、斎藤佳三など他の画家の装丁作品がこれだけまとめて見られる機会は珍しいです。

残念なのは、資料の1点1点にはほとんど解説が付いていないこと。発行年だけでも(分かる場合は)記載が欲しかったです。

開館は毎週土・日・月曜のみ。松山空港からアクセスする場合は、伊予鉄道空港リムジンバスで松山市駅に出て、伊予鉄道横河原線で見奈良駅下車、駅から先はタクシーを呼んで10分弱、ということになると思います。

2013年4月 7日

[寸評]奇跡のクラーク・コレクション―ルノワールとフランス絵画の傑作

・会期:2013年2月9日(土)~5月26日(日)
・会場:三菱一号館美術館
・評者:實谷 総一郎

 クラーク・コレクションはミシン製造会社I.M.シンガーミシンの共同設立者の孫、ロバート・スターリング・クラークとパリのコメディ・フランセーズの女優だったフランシーヌが二人で蒐集したコレクションだ。夫妻のコレクションをもとに1955年に設立されたクラーク美術館は、研究所や教育機関を付設し、世界中の学生や研究者の注目を集める重要な視覚芸術の総合施設となっている。30点のルノワールの作品がとくに有名なクラーク・コレクションだが、これまで館を離れまとまって紹介されることがなかった。今回は、2010年から始まった改修工事に合わせ、作品を各国に巡回させる企画が立ち、日本でも開催されることとなったのである。展示作品数73点のうち日本初公開が59点、アメリカ旅行のついでに気軽に行けるような立地にない美術館であることも考えると、大多数の人にとって今回を逃すと一生見る機会がないと思われる作品が多い。
 本展はコレクション展の部類に入るが、作品の質が高く名品展の性質も有する。そうした展示にふさわしく、美術館の側から特定の方向付けが行われることはなく、バルビゾン派からポスト印象派までのゆるやかな年代順の配置と主題やテーマの親近性による自然な整理があるのみとなっている。各作品の個性に任せ、また鑑賞者の自由な見方に任せる展示である。身体表現など特定のものに意識を向けたり、一つの作品をじっくり見たり、画風を比較したりと、各画家の個性が集中する名品の多い本展は多様な見方を誘発する。
 とくに数の多かったルノワールの作品はやはり、画面に膜が張ったような独特なトーンによって際立って見えた。それはとりわけ《フルネーズ親父》や《シャトゥーの橋》で感じられた。その中で、この膜がない青年期の自画像は異質に見えた。横にある老年期の自画像が他の絵と同様のトーンで描かれているのを見ると、画家と自身の様式との複雑な関係が想像され、興味深かった。
 美術館の側からの全体的な方向付けはない一方で、個人コレクションならではの蒐集家の趣味が一定のカラーとして表れてもいる。ルノワールの絵画と言えば、時に暑苦しいほど暖色を用い、印象派らしく輪郭をあいまいにしたものが多いが、展示品ではそれとは反対に温度の低く、より鮮明な作品が多いように思った。こうした特徴はルノワール以外の作品にも見られ、実際、海、川、雨、花瓶といった水が関わる作品や青の美しい作品が強く印象に残っている。ジャン=レオン・ジェロームの《蛇使い》はそうした傾向の一つの典型かもしれない。近景に描かれた裸体の蛇使いの女の向こう側に重厚な壁がある。その壁面全体に、水のように透明感のある繊細な青が塗られていた。ただ率直に感嘆してしまう色彩には、美術館に足しげく通ってもなかなか出会えるものではない。クラーク夫妻は青を好んだだけでなく、青を見る目があったのだと実感した。
 ルノワール、ドガ、モネ、ピサロの作品が目立つ中で、一点だけ展示されている画家たちの作品も気になるものが多かった。ドーミエのコミカルな油彩《版画収集家たち》、自宅の庭師をボヘミアン詩人のように魅力的に描いたカロリュス=デュラン《画家の家の庭師》、歪んだ花瓶の曲線と水の透明感で人目を引くマネ《花瓶のモスローズ》、そして最後に展示されるボナールの《犬と女》には目に心地よい色彩、構成とデフォルメがある。
 「奇跡のクラーク・コレクション」展は良作が多く、純粋に絵を楽しめる展覧会だった。会期は5月26日までと長いが、せっかくなら自分のペースでじっくり見られるように、混雑する終了間際は避け、早い時期に行くのをお勧めする。

2013年6月26日

[おすすめ]オディロン・ルドン―夢の起源―

・会場:損保ジャパン東郷青児美術館
・会期:2013年4月20日(土)~6月23日(日)
・評者:西田 桐子

オディロン・ルドンの展覧会。日本においてルドンの作品を多数所蔵する岐阜県美術館のみならず、ボルドー美術館などから出品された作品も数多く展示されています。特に、前半部ではルドンの生まれ故郷ボルドーに焦点をあて、画家としての形成期を浮かび上がらせる工夫がなされています。

この十年程の間にルドンの展展覧会は何度か開催されていますが、私にとっては、2007年に渋谷Bunkamuraにて催された「ルドンの黒」展以来のルドン展となりました。以前の鑑賞の際には、暗いキャンバスに棲む「異形」の存在という印象が強く残ったのですが、今回は、若きルドンの少々拙い筆さばきから、自然科学への興味、植物学者や文学者らとの交遊まで、またそれらにともない変化する画法や画風などがよくわかる展示方式で、揺れ動き変遷してゆく画家ルドンを感じることができたように思います。

また、文学に関心がある方にとっては、ポーやボードレールを題材とした作品も展示されていますし、さらには、ルドンの作品を見ながら親交のあったユイスマンスやマラルメらの作品との関連や照応を夢想したりなど、さまざまな楽しみ方ができるでしょう。

カタログも、色とりどりの花の絵とパステルピンクを基調とした表紙に、真白いカバーがかけられています。そして、そのカバーは「Redon」と型抜きされており、その名前の部分にだけ下の鮮やかな花の色が透けるという、従来のルドンイメージを覆すような愛らしいつくりとなっていますので是非手にとってみてください。

加えて、私が訪れた損保ジャパン東郷青児美術館は、新宿の高層ビルの42階で、絵を見る前に東京の街を一望し気分をリフレッシュすることもできました。
6月29日からは静岡市美術館にて、その後は岐阜県美術館、新潟市美術館などに巡回の予定となっております。

2013年6月28日

[寸評]Pieśni o podróży. Pieśni o rozstaniu(旅の歌、別れの歌) ―毛筆によるポーランド語古今和歌集展

会期:2013年4月24日(水)―2013年6月30日(日)
会場:アダム・ミツキェヴィチ文学博物館(ワルシャワ)
評者:松尾 梨沙

 ワルシャワ旧市街のまさに中心部に位置するミツキェヴィチ文学博物館は、その名の通りアダム・ミツキェヴィチ(1798-1855)の遺品や資料等を常設に持つ博物館です。と同時に、主にポーランドの文学に関わる作品等をより広く収集、展示することから、毎回とても魅力的な特設展が企画されています。最近では作家ブルーノ・シュルツ(1892-1942)の絵画作品展や、詩人・画家として活躍中のグジェゴシ・モリチンスキ(1936- )の個展などが開かれており、文学から発する様々な芸術作品を一度に堪能できる、まさにクロスジャンル的な空間です。ここでただいま開催中の「旅の歌、別れの歌」という展覧会に行って参りました。

 旅の歌、別れの歌というのは、日本の『古今和歌集』を構成する二十巻のうち、巻八(離別歌)、巻九(羈旅歌)を指します。この展覧会では、これら離別歌41首、羈旅歌16首を、まずは日本文学博士アンナ・ザレフスカがポーランド語に翻訳し、さらにポーランド詩となったそれらを、書道を学んだ画家レフ・ジュルコフスキが、墨と毛筆で記した作品が展示されていました。つまりは「ポーランド語のアート書道による古今集」が展開されていたわけで、日本人の私としては終始興味深い展示でした。

 そもそも短歌は五・七・五・七・七の音節数で構成されますが、ここで翻訳されたポーランド語の詩でも、五行からなる一連の詩として書かれ、各行が五・七・五・七・七の音節数で成り立っています。ポーランド語は元々アクセントがあまり強くなく、音節数を揃えるシラビズムの詩が好まれる傾向も強かったためか、これらのポーランド詩は、和歌のスタイルから意味まで非常に良く反映されており、無理なく自然に読めるものでした。加えて和歌というのは、日本人でも私のように勉強が足りていないとなかなか解釈し難いもので、現代ポーランド語でストレートに表現されている詩の方が、個人的にはむしろ読めるという面も...(笑)

 またポーランド語を墨と毛筆で記すということ自体、これまで思いも寄らなかったことでしたが、縦書きでひらがなを記す日本ならではの書道が、一般に比較的丸みを帯びて柔らかい印象を持つのに対し、本展の作品はもちろん横書きで、I、N、Yといったアルファベットの直線的な面が、とくに強調されているように感じます。この点では、子音が多くどちらかというと硬質な響きの印象を持たれがちなポーランド語の特徴を、視覚的にも表現しているように思われ、均整の取れた美しさに見入ってしまいました。日本の和歌や書道がそっくりそのまま輸入されるのではなく、しかしその形式はできるだけ残したまま、ポーランドの文化や習慣にフィットするよう再編するという、受容の方法のひとつを見られたのと同時に、「ポーランド化された日本の芸術」というとなかなか目にすることのできないもので、私にとっては大変貴重な体験でした。

 ただし本展にはキャプションがなく、カタログもありません。ポーランド詩の作品のみの展示でオリジナルの和歌もないので、古今集一首一首の意味内容までよほど記憶していないと、その場でオリジナルと比較するのは難しい状況です。本展に日本人が訪れること自体、あまり想定されていなかったかも知れません(笑)が、日本語のわからないポーランド人に対しても、和歌そのものの内容や、せめて視覚的な印象を知ってもらうという意味で、展示点数を減らしてでも、オリジナルと詳細なキャプションは各作品に並置して欲しかったと思います。これだけ面白い企画なのに大変残念です。

 私が見ている間も二、三人のポーランド人(しかも博物館関係者ばかり)が見に来ましたが、日本の詩がポーランド語で書かれているという以上にとくに感じ入ったという雰囲気もなく、ものの数分で出て行かれました。ストレートに訳された詩しかないために、ポーランド人にとってそこに何の情感があるのかまで読み取るのは、さすがに難しい気がします。その意味では、形式的な面で受容することができても、日本人固有の美意識を理解してもらうには、一層の努力が必要なんだということも今回よくわかりましたし、でも不可能なことでもないように、私には思われます。ぜひ今後に期待したいと思います。

2013年6月30日

[おすすめ]貴婦人と一角獣展

・会期:2013年4月24日(水)~7月15日(月・祝)
・会場:国立新美術館
・評者:吉岡 悠平

中世ヨーロッパ芸術の最高傑作のひとつに数えられる6点組のタピスリー、《貴婦人と一角獣》。フランスのクリュニー美術館に収蔵されているこの連作タピスリーは、メリメ、ジョルジュ・サンド、プルースト、リルケなど多くの作家に激賞され、今では世界的に有名になりました。人々を惹きつけてやまないこのタピスリーは、幻想的な主題、調和のとれた構成、エキゾチックな色彩、精緻な製作技法など、その名声にふさわしい大きな魅力をそなえています。ですが、《貴婦人と一角獣》の最大の魅力は、なんといってもその「謎」にあります。ここでは、その「謎」のいくつかをご紹介させていただきます。

これから先を読む前に、リンク先にあるタピスリーの画像を少しご覧になってください。
http://www.musee-moyenage.fr/ang/pages/page_id18368_u1l2.htm
ご心配なさらずに。展覧会に行く前に見ても、実物に触れたときの感動が薄れることはないでしょう。むしろ、ディスプレイ上のタピスリーと、実際のタピスリーの絢爛豪華さのギャップに驚き、より大きな感動を得られるかと思われます。

さて、「謎」の紹介です。まず、貴婦人について。6点のタピスリーは、どれも似たような構図をとっています。向かって左側に獅子、右側に一角獣、そして中央に貴婦人。しかし、実物をゆっくり見ていくと、貴婦人の表情がひとつひとつ違っていることにしだいに気づきます。毅然とした顔、穏やかな顔、やさしげな顔、楽しそうな顔、少し疲れた顔、そして・・・。さらに、表情だけではなく、ドレス、装飾具なども、それぞれまったく違っていることにも気づくでしょう。それでは、タピスリーに描かれた貴婦人は、同じ人物ではないのでしょうか?獅子や一角獣は同じに見えるのに、貴婦人だけが違うのはなぜでしょう?

次に、貴婦人をとりまく人やものについて。先に述べたとおり、一角獣と獅子はすべてのタピスリーに登場します。貴婦人のとなりに侍女が描かれているものもありますが、2点は描かれていません。また、ほとんどのタピスリーで、貴婦人たちを取り囲むように4本の樹が描かれていますが、うち1点だけは2本しか描かれていません。そして、タピスリー全体にたくさん描かれている動物や花々も、それぞれに注目してみると、描かれたり描かれなかったりしています。ただ、目を凝らしてみると、なぜかウサギだけがどのタピスリーにも登場しているのに気づくでしょう。間違い探しのようですが、これらはたまたまなのでしょうか?それとも、意味があるのでしょうか?

最後に、最大の「謎」とされる「我が唯一の望み」について。1500年ごろに製作されてから長らく解明されていなかった《貴婦人と一角獣》をつらぬくテーマですが、20世紀初頭に「五感」をテーマにしているという説が有力になりました。それぞれのタピスリーは、次のようなテーマをもっています。貴婦人が一角獣に触れる「触覚」、鷹に餌をやる「味覚」、花輪を編む「嗅覚」、オルガンを弾く「聴覚」、一角獣を鏡に映す「視覚」。しかし、6枚目、すなわち貴婦人の後ろに天幕が描かれているタピスリーのテーマだけが明らかになっていません。天幕の上部には、"MON SEUL DESIR" (我が唯一の望み)という銘文が描かれています。五感を超えた「我が唯一の望み」とは何を意味するのでしょうか?このタピスリーに描かれる貴婦人は、何を想い、何を望むのでしょうか?

本展覧会は、《貴婦人と一角獣》の「謎」を、一角獣、動物と植物、五感、服飾、紋章などの観点から解き明かそうとする試みを行っています。これまで述べてきた「謎」についても、別のタピスリー、当時流行した装飾具、寓話の挿絵などを用いて考察を行っております。もちろん、これらの《貴婦人と一角獣》考察のために紹介される展示品も、見ごたえのある芸術作品ばかりです。

冒頭に述べたように、《貴婦人と一角獣》は第一級の芸術的価値をもちます。しかし、これまでフランス国外に出たことは一度しかありません。もしかしたら、今後100年のうちに再び日本に来ることはないかもしれません。今回の「貴婦人と一角獣展」は、フランスの至宝に直に触れることのできる貴重な機会であり、さらにその最大の魅力である「謎」の解明に迫るスリルも味わえるという、とても贅沢な時間が過ごせる展覧会です。この記事をご覧になった皆さまも、ぜひ会場に足を運んでいただき、《貴婦人と一角獣》のもつミステリアスな魅力を体験していただきたいと思います。

2013年8月 2日

[寸評]ルーヴル美術館展―地中海 四千年のものがたり― La Méditerranée dans les collections du Louvre

会場:東京都美術館
会期:2013年7月20日〜9月23日
評者:岩瀬 慧
 
 「ルーヴル美術館展―地中海 四千年のものがたり― La Méditerranée dans les collections du Louvre」は2013年7月20日〜9月23日までの間、JR上野駅から徒歩7分の、昨年リニューアルオープンした東京都美術館で開催されており、高級感のある洗練された展示室で楽しむことができる。

 「序 地中海世界--自然と文化の枠組み」「Ⅰ 地中海の始まり―前2000年紀から前1000年紀までの交流―」「Ⅱ 統合された地中海―ギリシア、カルタゴ、ローマ―」「Ⅲ 中世の地中海―十字軍からレコンキスタへ(1090-1492年)―」「Ⅳ 地中海の近代―ルネサンスから啓蒙主義の時代へ(1490-1750年)―」「Ⅴ地中海紀行(1750-1850年)」の計6章構成になっており、さらに各章の下に細かく節が立てられており、綿密に構築されている。
 監修はジャン=リュック・マルティネズ新館長、学術協力は高階秀爾先生、三浦篤先生で、主催には日本経済新聞社、NHK、NHKプロモーションが加わる。本展の最たる特徴は、ルーヴルの「古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術」「古代エジプト美術」「古代オリエント美術」「イスラーム美術」「絵画」「彫刻」「美術工芸品」「素描・版画」の8美術部門すべてが横断的に参画していることである。壷、皿、スプーン、モザイク、彫刻、絵画など合計273点と大規模な展示になっており、鑑賞の際には時間配分に気をつけたい(要所のみで1時間、通常で2時間、じっくり観れば3時間はかかるだろう)。カタログも充実した内容になっており論文、解説に加え巻末の「地中海関連年表」と「地中海についての主な日本語文献」(ともに小池寿子、棚瀬沙和子編)まで付加してあり、参照されるべきものである。

 全体として、ある作家やあるテーマの芸術作品を集めた一般的な展覧会というより、地中海沿岸の文化からみる交流をテーマにした文明史展といった印象である。世界史の知識がある程度前提にはなるものの、テーマ設定が独自であるが故に今日の我々の眼に新鮮なものである。展示形式にも工夫が凝らされていることも重要だが、気になった作品を幾つか挙げてみよう。
 まず、《エウロペの神話》のテラコッタの壷は、既に古代ギリシアで発達していた身振りの表現の優雅さに驚かされる。大陸(ヨーロッパ)の名前の由来となったエウロペはフェニキア(現レバノン)王の娘で、白い牡牛に姿を変えたゼウスに連れ去られた。東方に由来するものとしてのギリシア観であり、両者の深い繋がりを表している。独立独歩に発展したギリシア文明という歴史認識の誤りに陥らずに済む。
 他にも《ひげのある男の顔の形をしたペンダント》や《魚形アリュバロス(小型の香油入れ)》など、日々の生活を彩り、楽しませてくれる「モノ」は眺めるだけでも飽きが来ない。300年頃の床モザイクは文字通り床に貼られたものを見下ろす、という実際の配置に近い形式での展示は見逃せない。

 次に《ローマ皇帝ルキウス・ウェルスの妻ルキッラの巨大な頭部》は160cmの頭部(!)というその大きさにまず圧倒される。しばらく眺めていると、「こんなに大きな頭部を作らせた皇帝は、一体どういう気持ちだったのだろう?」という疑問が湧いてくる。皇帝が妻を慕う気持ちの現れなのか、時空を超えて彼女の美貌を留めおくためなのか。整った目鼻立ち、大きな眼、正面をまっすぐ見据える女性としての強い性格、大理石は細部にいたるまでさまざまことを物語っているようだ。
 また、交流に主眼を置いた展覧会、という意味では、《キリストのモノグラムIHSが記された大皿》は、15世紀イスラーム陶器がラスター彩でIHS(イエスのギリシア名の省略形)を書き入れている点は興味深い。《東方と西方のキリスト教会統一の象徴である教会を支える、聖使徒ペテロとパウロ》の絵画もまた、本展のテーマを如実に体現している例である。
 最後に、画家のアントワーヌ=アルフォンス・モンフォールによる《シリアの馬》(1837年)は、馬の黒鹿毛に眼を奪われる。馬、牛などの動物は本展を通して重要なモチーフであり、それぞれの表現の異同に注目してほしいものである。文化は独立して生まれてくるのではなく、相互の関係性から生み出されるものであり、その実態を4000年の歴史から「地中海」を固定点としながら俯瞰する本展の試みは、功を奏しているといえるだろう。

 見学後は東京芸大の間を通り過ぎ、言問通りの信号を渡った角にある「カヤバ珈琲」で休憩するのがよい。2階に上がると座敷になっており、イサム・ノグチのコーヒーテーブルでみつ豆をいただきながら涼を取りたい。

2013年8月30日

[寸評]プーシキン美術館展 フランス絵画300年




会期:2013年7月6日(土)〜2013年9月16日(月)
会場:横浜美術館
評者:松枝 佳奈

 1912年にロシアのモスクワに創設されたプーシキン美術館(当初の名称は「モスクワ大学附属アレクサンドル3世美術館」。1923年に「国立モスクワ美術館」、1937年に「国立A.S.プーシキン記念美術館」に改称。)。世界に誇るフランス絵画の一大コレクションがあることで知られています。また第二次世界大戦後、政治的な理由から廃館となった国立西洋近代美術館からプーシキン美術館に移管されたのが、モスクワが生んだ第一級の西洋美術蒐集家、セルゲイ・シチューキン(1854-1936)とイワン・モロゾフ(1871-1921)の膨大な個人コレクションでした。

 本展覧会ではそれらのうち、17世紀から20世紀までの300年にわたるフランス絵画に焦点が当てられています。とりわけヨーロッパ絵画の中心的主題の一つといえる、風景や室内の中の人物が描かれた油彩や肖像画を中心に構成されています。人物描写を軸にフランス絵画表現の変遷を一堂に見渡すことのできるまたとない贅沢な機会が得られるのです。この点はこれまでのプーシキン美術館関係の展覧会に比べて特徴的であり、見所といえます。また出品された作品の半数以上が日本初公開であることも、日本・ロシア双方の学芸員の方々のご尽力の賜物でしょう。

 展覧会カタログは、見開き1ページ左半分(A4サイズ)に担当学芸員による画家と作品の解説、右半分(A4サイズ)に図版を掲載するという構成になっています。フランス絵画やそれを通じたフランス文化の手ほどきとしても読み応えのある非常に充実した内容と思われます。

 ここでロシア文化研究に関わる評者の立場から、本展覧会について考えた点を少し挙げてみたいと思います。会場に足を運んだのは夏休み期間中だったこともあり、会場では大勢の小中学生が熱心に一つ一つの作品を鑑賞していました。その中にはおそらく初めてフランス絵画に触れた子供たちもいたのではないでしょうか。しかしこれを単なる「フランス絵画300年」の歴史として鑑賞者に提示することには、疑問を覚えざるを得ませんでした。

 本展は紛れもなく「"ロシアが憧れ愛した"フランス絵画300年」の歴史なのです。各作品には、当時の最先端を行くフランス文化へのロシアの憧憬(例えばランクレ「けちな女の愛人は詐欺師」やシャルパンティエ「鳥籠のそばの婦人」など)や、エカテリーナ2世やユスーポフ、トレチャコフ、シチューキン、モロゾフらロシアの制作依頼主や蒐集者たちの色彩感覚や主題・構図・表現などに対する趣向(例えばアングル「聖杯の前の聖母」やゴッホ「医師レーの肖像」、マティス「カラー、アイリス、ミモザ」など)が色濃く反映されていると考えられます。おそらくロシアのフランス美術作品の蒐集・展示には、フランス本国の美術館や蒐集家たちのコレクションとは明らかに異なった傾向が見られるのではないでしょうか。さらにはロシア人が自らモデルになる(例えばミトワール「カンペンハウゼン男爵夫人」やペリニョン「エリザヴェータ・バリャチンスカヤ公爵夫人の肖像」)など、フランス絵画とロシア文化の融合が試みられている作品も数多く見受けられます。これらは先行するプーシキン美術館関係の展覧会や本展覧会でも一部触れられてきた内容とはいえ、それが鑑賞者にもう少し見えやすい形で展示することも可能であったように思いました。実際の作品をに目の当たりにすると、どれも素晴らしい作品であることに気づかされるがゆえに残念でなりません。

 以上に挙げた点は展覧会カタログ収録論文の内容にも表れているように思われます。確かにプーシキン美術館側の担当学芸員は同館のコレクションとロシア人コレクターの歴史について解説しています。しかし日本側の学芸員では、愛知県美術館学芸員森美樹氏がわずかにロシアのマティス・コレクションに言及するのみに留まります。3世紀に及ぶ濃密な露仏美術交流史や美術から見た両国の文化交渉の様相を取り扱う本格的な論考が一つでもあれば、と願わずにはいられませんでした。今後の企画展に期待したいと思います。

 ロシアが愛した上質なフランス絵画を堪能することのできる本展覧会は、9月16日で横浜美術館での開催が終了し、今年9月28日から12月8日までの神戸市立博物館における巡回展が最後となります(愛知県美術館での開催はすでに終了(今年4月26日〜6月23日))。


2013年12月 4日

[おすすめ]明治のこころ―モースが見た庶民のくらし―



・会期:2013年9月14日(土)~12月8日(日)
・会場:江戸東京博物館
・評者:伊藤 由紀

大森貝塚の発見者エドワード・モースが日本滞在中に収集した日用品および陶器のコレクションを、著書『日本その日その日』(Japan Day by Day. 1917)の関連記述とともに紹介する展覧会。現在、日用品などの民族学資料はピーボディー・エセックス博物館に、陶器のコレクションはボストン美術館に収蔵されています。

取り上げられる資料の大部分は、万博出品の精緻な工芸品などとは一線を画する、ありふれた日用品です。かといって実用一辺倒というわけでもなく、動物モチーフなどのゆるーい装飾を施されたものがたくさん。明治10年頃の日本が、すでにこれほどの「ムダ」を許容する豊かな社会であったという事実に驚愕しました。

会場で強く感じたのは、モースが日本に向けた温かなまなざしでした。写真に捉えられた市井の人々がみなカメラに向かって屈託なく笑っていることも、彼が人々の中に溶け込んでいたことを窺わせます。

また、モースの本来の専門分野である貝にまつわるグッズが多数保存されている(貝をそのまま利用したお玉に、貝の形のおはじきや砂糖菓子まで!)のは、「研究者あるある」だなあ……と微笑ましく見ました。

カタログは青幻舎よりISBN付きの一般書籍として販売されています。

なお、江戸東京博物館では20周年記念として平成26年3月31日まで、常設展および過去の展覧会の図録、調査報告等出版物の一部を半額で販売中(在庫限り)だそうです。

2013年12月11日

[寸評]モローとルオー -聖なるものの継承と変容-

・会期:2013年9月7日~2013年12月10日
・会場:パナソニック汐留ミュージアム
・評者:山川 剛人

 去る12月1日(日)、カタログ委員会メンバーは第一回見学会として、パナソニック汐留ミュージアムへ足を運びました。「モローとルオー展」は、それぞれフランスの19世紀、20世紀を代表する画家であり、深い絆に結ばれた師弟でもあったモローとルオー二人の絵画を、ギュスターヴ・モロー美術館館長の監修により、パリに先駆け汐留で展示するという大変意欲的な展覧会です。
 展示は、国立美術学校時代の作品を配した「ギュスターヴ・モローのアトリエ」、デッサンの重要課題である裸体画を配した「裸体表現」、宗教画・神話画を配した「聖なる表現」、色彩と材質についてのモローの教えに関わる作品を配した「マティエールと色彩」、特別セクションとしてモロー美術館を紹介した「幻想と夢」という五つのセクションによって構成されています。全体を通じて、セクションごとにあるテーマを設定することで、観覧者が二人の画家における問題意識や表現の共通性や差異を感じ取ることのできるようにという配慮がなされているように思われました。
 また、公式サイトのトップで写真を見ることができますが、壁や柱のカラーリングが非常に鮮やかで、それも部屋ごとに違った色を用いているなど非常に凝った内装により、二人の作品の世界に相通ずる雰囲気を鑑賞の場として演出しています。更に展示の工夫として、途中、モローとルオーの往復書簡における睦まじい師弟のやりとりが紹介されていたのも面白く、近しい関係性の中でそれぞれに絵画表現の高みを目指していた彼らの「同時代性」のようなものを感じることができました。
 個人的に、二人の対比が大変面白く感じられたのは、中盤の「聖なる表現」、「マティエールと色彩」の2セクションでした。二人とも、聖書やギリシャ神話、古代ローマの故事などを題材に色彩豊かで幻想的な絵を遺していますが、その思想や感受性はそれぞれ独特のもので、かなり違いがあるように思われます。たとえばモローの「油彩下絵または聖女カエキリア」とルオーの「クマエの巫女」、モローの「ゴルゴタの丘のマグダラのマリア」とルオーの「三本の十字架」、モローの「パルクと死の天使」とルオーの「我らがジャンヌ」(この二作品は公式サイトで画像を見ることができます)など、共通性のみられるモチーフを描いた絵を同時に鑑賞することで、その相違が浮き彫りになるような展示になっていたのではないかと感じます。モローが「聖なるもの」を崇高なものと捉えて重厚な色彩で表現したのに対して、ルオーはより素朴な見え方をするものの中に「聖なるもの」を見出し(例えば「聖顔」など)、奔放な色遣いで表現したという印象を持ちました。
 展覧会は、このあと長野県の松本市美術館へ巡回し、12月20日(金)から3月23日(日)まで観ることができます。
 なお余談ですが、汐留はすっかりクリスマス・モードで、パナソニック汐留ミュージアムのお隣のショッピング街(カレッタ汐留)ではダンスミュージックに合わせた盛大なイルミネーションを観ることができ、たまたま居合わせた参加者一同は驚きつつ足を留めてしまいました。



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2013年12月25日

[寸評]「うさぎスマッシュ展 世界に触れる方法(デザイン)」



・会期:2013年10月3日~2014年1月19日
・会場:東京都現代美術館
・評者:岡野 宏

 現在、東京都現代美術館で開催されている「うさぎスマッシュ 世界に触れる方法(デザイン)」展(会期:2013年10月3日~2014年1月19日)について簡単にレポートを行う。
 展示冒頭に示された序文から適宜引用するならば、本展は「私たちの周りで起きている問題に気づかせたり、考え方を示唆するものとしての」デザインに注目し、「私たちが生きる世界の状況を独自の仕方で読み込み、構築し、時には直観や想像力による思いがけない発想で、既存の知識体系や情報伝達のあり方を問い直」そうとする現代の作家の実践を取りあげる企画である。
 ここでいう「デザイン」とは、単になんらかの作品ないし製品の二次元的、三次元的イメージを生み出すことを指しているのではない。それも含むのだが、ここではよりクリティカルな視点が導入されている。私たちはなにげなくこの世界のなかに生きているわけだが、そこにひろがる無意識の「日常」はまた、世界のさまざまなありように対しての感受性を鈍らせるものでもあるだろう。「デザイン」は、これに抗おうとする作家が見出した、ときには想像した世界の別な側面に形を与えることに他ならない。見出された「世界」は「デザイン」によって形態のなかに封じ込められ、私たちのもとに送り届けられる。
 さらに、キュレーションを担当する長谷川祐子氏は「デザイン」と「コンセプチュアル・アート」の相違を、出品作家のひとりであるスプツニ子!氏の言葉を参照しながら、前者のもつ「使うことができる」性格に求めている。デザインされたプロダクトを使用するとき、必然的にわれわれはそれに「触れる」ことになる。それは同時にそれによって媒介された「世界」に「触れる」ことでもあるだろう。プロダクトを「使うか使わないか」という決定がいわば「世界」に対しての態度表明であり、ここにいわゆる美術鑑賞とは異なる、より能動的な世界への参与が切り開かれると長谷川氏は述べている(注1) 。
 会場では、このような構想の下に、21組の作家の作品が比較的にゆるやかなつながりのもと配置されている。ロンドン在住のアレキサンドラ・デイジー・ギンズバーグ氏とサシャ・ポーフレップ氏による水彩画《栽培-組立》(2009年)は、さながら工業製品のようにして生産され、組み立てられる植物の実-その用途は皮肉なことに除草剤である-を18世紀の博物学者のような即物的なタッチで描いている。ドラえもんの道具にも通じる便利な「世界」は同時に、すべてが道具化される悪夢的状況でもあるだろう。植物によって植物を除去する。筆者はそこにある種の倫理的な問題を感じざるを得なかった。
 しかし、会場を進むにつれ、このような「倫理的問題意識」はひょっとすると胡散臭いものかもしれないと感じるようにもなったのだ。ミカエル・マッセイ氏による《ポックス・テディ》(2007年)は意図的にウイルスを染み込ませたちいさな熊の人形である。それこそそのまま食べてしまえそうな、かわいらしいこのおもちゃは、作家によれば、子供に与えることで、子供が遊びながらウイルスに感染し、免疫を獲得することに役立つ。作家はこの作品を通じて、子供を意図的にウイルスに感染させることの是非やウイルスを道具として用いる未来のあり方について問うている。
 《栽培-組立》と《ポックス・テディ》があつかう問題はある部分で重なり合っている。つまり前者は植物によって植物を除去し、後者はウイルスによってウイルスを除去する。しかし、ごく直感的なレベルにおいてであるが、筆者は前者に対しては「倫理的問題」を感じ、後者には感じることが出来なかった(もちろんこれは筆者の主観である)。おそらく、筆者は《栽培-組立》の除草剤を「使う」ことほどには、《ポックス・テディ》を「使う」ことにはためらいを覚えないはずである。だが、両者を隔てる根拠はどこにあるのだろうか。おそらくここでも筆者自身の「世界」が問われているのだろう。
 もちろんこうした問題提起型の作品ばかりが展示されているわけではない。スプツニ子!氏の《ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩》(2013年制作、Youtubeでも閲覧可能→http://www.youtube.com/watch?v=6P1uFNdKdQA、会場では大画面で見られる)は作家独自の想像力に溢れた映像作品である。主人公の「理系女子」セレナはこれまで一度も女性が月面に降り立ったことがないことに奮起し、自作のロボットを用いて月面にヒールの足跡を付けようと試みる。普通には国家や大企業が関わるものとされている宇宙探索を個人で成し遂げようとする想像力が、映像を通して鑑賞者に伝播してゆく。
 総じて出展作品の完成度は高く、コンセプトと提示されたモノのギャップに幻滅するような作品はなかったと思う。展示作品点数はそれほど多いとはいえないが、作品同士を比較して見る分にはちょうどよかったかもしれない。作品間のスペースも過不足なくとられていた。なお、フラッシュ禁止などの条件があるものの、基本的に会場内は撮影可である。営利目的でなければ公開も可能なので、多くの方がスマホ片手に鑑賞していた。
カタログは税抜きで2800円。A5サイズのどちらかといえばしゃれた感じの装丁で、内容としては、展示作品と一部それに関連する作品のイメージ(ただしいくつかの作品はイメージが掲載されていない。そのこともカタログには明示されている)、各作家による自作解説と自分流の「デザイン」の定義、長谷川氏らによる論考、そして作品データを含んでいる。掲載された全ての文章を和文と英文双方で読むことが出来る。注意したいのは、作家の自作解説は「なぜこの作品を作ったか」「作品のコンセプト」「作品を通じてどう社会に働きかけようとしたか」に関してのものであって、一般的な意味での作品の説明ではないということである。そのため、会場で作品を実見せずにカタログだけ見ても、ほとんど作品理解は得られない。ぜひ会場に足を運んでからカタログをご覧になることをおすすめしたい。音声ガイドあり(なお筆者は未聴)。ヘッドフォンの柄の部分にうさみみ(!)が付いているので、装着の際にはそれなりの心構えが必要だが、思いきって「使ってみる」ことで、展覧会の「世界」に参与してみるのもよいだろう。


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マーニー・ウェーバー《丸太婦人と汚れたうさぎ》(2009年、筆者撮影)。丸太に女性の顔が見える。

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シセル・トラース《においの風景 東京》(2013年)の展示台(筆者撮影)。小瓶のなかににおいのサンプルが詰められており、手に取ってかぐことができる。なかなか強烈なにおいである。


注1)長谷川祐子「うさぎスマッシュ――世界に触れる方法(デザイン)」(本展覧会カタログ『うさぎスマッシュ 世界に触れるアートとデザイン』所収)より。

2014年2月 7日

[おすすめ]印象派を超えて 点描の画家たち



・会期:2013年10月4日(金)~12月23日(月)
・会場:国立新美術館
・評者:辛 重官

(※巡回予定
【広島展】2014年1月2日(木)~2月16日(日) 広島県立美術館
【愛知展】2014年2月25日(火)~4月6日(日) 愛知県美術館)

 子供の頃はコンピューター好きの少年だった。パソコンの黎明(スティーブ・ジョブズが車庫から這い出したばかりの頃)から今まで、どれほどの性能向上があったかについて、私は実体験のレ─ベルで話ができる。とにかく昔はひどかった。絵の話をすると、パソコンには16色、あるいは256色という物理的な限界があった。たかが16色でリアル・ワールドの色彩すべてを表現したいというなら、その答えは「点描」しかない。赤の間に白を入れてピンクを作り出すのだ。実際そのピンクは、ピンクというより赤と白の配列にしかみえなかったけど、小学生の私はそんなでたらめな点描で描かれた宇宙船やドラゴンなどをみて熱狂したのだった。
 国立新美術館で「印象派を超えて 点描の画家たち」展をみながら、その頃を思いだした。19世紀の印象派画家たちはパレットで絵の具を混ぜると絵の明度が落ちることに気付き、純色を点描する方法で絵を描き始める。彼等には描写の厳密性より臨場感、あるいは光の鮮やかさをキャンバスにうつすのが大事であったからである。しかし、彼等の絵を直接みながら感じたのは、光の鮮明さよりも情熱だった。私はここで何か大切なことをやっている。絵はただの技術ではなく、個性の表現であるべきだという叫び、まるで子供のようなイノセンスが感じられる。
 「印象派を超えて 点描の画家たち」展は点描の画家たちを時代順で配置し、技法がどのように発展していたのか、一目でわかるようになっている。
私みたいな素人にはとても有り難い企画だった。
 しかし「印象派を超えて 点描の画家たち」はやや曖昧なタイトルではないか。「印象派=点描」という間違った情報を観覧客に与える危険性があったと思う。確かにゴッホは人気者だが、彼だけを強調しすぎると、ゴッホの絵がすべて点描だという誤解を招く可能性もある。
 カタログは見事に仕上げられている。すべての出品作に詳細な説明が加えられており、19世紀の点描画についての入門書として価値が高い。しかも表紙は2種類(ゴッホとスーラ)のどちらかを選択できるようにしている。多くの客がカタログを購入していた。
 音声ガイドは坂本真綾。私は、ラジオ「ビタミンM」の時から彼女のファンなので人選に文句はないが、アナウンサーのような口調にはすこし不満。彼女は元々の声が天使なので、普段通りにしたほうがよかったと思う。

2014年3月20日

[寸評]「ハイレッド・センター」直接行動の軌跡展



・会期:2014年2月11日(火・祝)~3月23日(日)
・会場:渋谷区立松濤美術館
・評者:遠藤 綾乃

 まだ風も冷たく感じられる3月9日(日)、第二回見学会として渋谷区立松濤美術館で開催されている「ハイレッド・センター」直接行動の軌跡展に向かいました。
 「ハイレッド・センター」とは1963年に結成された芸術家集団の名称で、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の三人の姓の英訳の頭文字を並べたものです。(高松のHi, 赤瀬川のRed, 中西のCenter)この展覧会は彼らの活動を文献資料や写真、作品を用いて多角的に紹介しています。赤瀬川氏は1960年代の活動について、芸術とは開けた途端に腐り始めるから芸術じゃないと嘘をついて芸術をした、作家のアトリエ内の状態を町全体に拡大し、材料を掻きまわしていった(撹拌)、と述べています。 (注1)
 本展覧会ではその撹拌の詳細を明らかにしています。
 展示室に入るとまず目に飛び込んできたのは、中西夏之氏の《洗濯バサミは撹拌行動を主張する》(1963年)という作品。衣服やキャンバスに無数の鉄製の洗濯バサミが食いついています。そう、食いついているという感じなのです。その硬い質感も相まって、どこか痛々しくも感じられます。この作品は第15回読売アンデパンダン展に出品されたものですが、読売アンデパンダン展とは読売新聞社の主催する、1949年から1963年まで開かれた無審査自由出品の公募展でした。つまり当時の若い芸術家が、自由に作品を発表できる貴重な場所でした。そのときのこの作品の展示の様子について、赤瀬川氏は『東京ミキサー計画』の中で回想しています。作品の壁の下の床の上に洗濯バサミが散らばっていて、観客の靴でピンと横に飛ばされると、次々と蹴飛ばされて隣の展示室に行き、それを拾った別の観客が、ふと洗濯バサミを見知らぬ人の襟に付けてみたくなる。それが連鎖して、そのうち遠く離れて人の家に入り込んだりする。それはまさに作品のタイトルである「洗濯バサミが撹拌行動を主張した」からなのだ、と。(注2)つまり、洗濯バサミが外へ外へと出ていき、私たちの日常に入りこむ過程が撹拌行動であり、そのように作品が芸術の中心である展示室から自然と離れていく動きこそ、ハイレッド・センターの狙いであると感じました。また、今日行われる展覧会は、作品と鑑賞者の間を厳しく区切っているのが一般的です。しかし、50年ほど前には、鑑賞者が直接作品に関与するような近い展示環境も可能だったのだと新鮮に思いました。
 展示室内には、高松氏、赤瀬川氏、中西氏を中心として、他の芸術家の作品もバランス良く展示されていました。例えば読売アンデパンダン展の展示を再現していたり、会場風景の写真やチラシやポスターと共に展示されていたりと、当時の空気を感じられる構成になっています。特に、当時の写真や関連作家の作品からはハイレッド・センターが周りを巻き込みながらいかに活動をしていたか、当時の芸術家同士の交流はどのようなものであったかを垣間見ることができました。
 次の展示室は帝国ホテルで訪問客の人体の計測を行った「シェルタープラン」や、建物の上から様々な物を落とす「ドロッピング・イヴェント」、画廊の閉鎖から始まる「大パノラマ展」など、ハイレッド・センターの活動を追っています。赤瀬川氏が千円札を模造して逮捕された「千円札裁判」では、公判に使われた写真や判決文、新聞記事とそれに対する赤瀬川氏直筆の抗議文などが展示されており、模造千円札を巡っての芸術家と司法(公共)の応酬が興味深く示されています。赤瀬川氏が法廷で、証拠品として芸術品を提出したとき、芸術をついに非芸術の場に持ち込んだといえるかもしれません。
 全体を通して、ハイレッド・センターの活動を丁寧にまとめ、全体像を紹介した非常に充実した展覧会でした。中でも実際に配られた招待状や整理券などは見る機会が少なく、作家の手の跡の残る資料を目の当たりにした生々しい体験でした。しかし、半世紀が過ぎた今、1960年代の雰囲気を感じるには限界があります。展示室には作品が整然と飾られて、どこかよそよそしく、解説を見ても納得しきれない気持ちがあったことも事実です。それゆえ、作品と現代の鑑賞者をつなぐために、レクチャーの回数を多くする、作家の声を伝える、などの工夫があればもっと良かったのではないかと考えます。
 そして改めて思うことは、これは「行動」の芸術で、次々と行われていくその場を目撃したかったということです。「行動」に面と向かったときに引き出される人々の反応―わからなさ、怖いような不安なような生々しい感情―が、重要ではないでしょうか。当時、やはり読売アンデパンダン展に出品していた工藤哲巳という作家がいます。工藤哲巳もまた違った方法で生々しさを追求しました。《あなたの肖像》(1963年)では人体の一部分を積み重なったサイコロの中に収めています。一見してグロテスクな作品なのに、「あなた」という題名がつき、鑑賞者は違和感と不信感を覚えます。しかし、良く見ればそれはやはり「わたしたち」人間の姿だと認めざるをえません。
彼らのようにこの時期に活躍した日本の作家の作品を見ていると、芸術の枠から飛び出して人々に「生々しさ」を突き付けようとした、そんな試みに見えてきます。
 「ハイレッド・センター」直接行動の軌跡展は3月23日(日)まで、工藤哲巳展は東京国立近代美術館で3月30日(日)までの開催です。
 1960年代、公衆の度肝を抜いた「直接行動」をぜひ会場でご覧下さい。

(注1)赤瀬川原平『東京ミキサー計画-ハイレッド・センター直接行動の記録』1994年、筑摩書房、6頁。
(注2)同上、54頁。

2014年4月 7日

[寸評]今日もコロッケ、明日もコロッケ―益田太郎冠者喜劇の大正



・会期:2014年3月1日(土)~8月3日(日)
・会場:早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 3階常設展示室「近代」コーナー
・評者:伊藤 由紀

大正期の一大流行歌「コロッケの唄」の作詞者として知られる益田太郎冠者の生涯と作品を、小さな展示室2つに詰め込んだ企画展。

「コロッケの唄」は、物の本には浅草オペラ『カフェーの夜』(大正6年10月)の挿入歌、と書いてあることが多いのですが、もともとは帝国劇場の女優劇『ドッチャダンネ』(大正6年5月)の挿入歌として作られた楽曲であることを、本展は繰り返し指摘します。

太郎冠者は三井財閥系の実業家で、経営者として参加した帝劇に多数の台本を書いたという経歴の持ち主です。そのため、帝劇開場以前の時期に新派に台本を提供していたのを除けば、以降の作品はすべて帝劇で初演されました。というわけで、太郎冠者の生涯をたどる本展は、必然的に帝劇の女優劇を振り返る試みでもありました。

従来の日本オペラ史研究では、帝劇については歌劇部(大正5年6月の解散時の名称は洋劇部)による翻訳歌劇の上演ばかり注目されてきた感があります。でも洋劇部の解散以降も、帝劇の舞台では、軽音楽を挿入した太郎冠者作品の上演が続いていたわけで、こちらの動きも見落としてはならないと感じました。会場では貴重な音源を多数聞くことができます。

会場の展示も興味深いものでしたが、それ以上に図録がいいんです! 約20ページにおよぶ「益田太郎冠者作品 上演記録・舞台写真集」は、帝劇ほかで上演された太郎冠者作品の基礎データ(初日、場割、併演作品)と、演博所蔵の舞台写真を網羅的に掲載。さらに、喜劇『唖旅行』『第一回 高速度喜劇』の台本の全文と、2つの談話記事を収録しています。太郎冠者作品はほとんど出版されておらず、現在手軽に読めるものではない(※)ので、これはありがたい。ただそれだけに、翻刻の際の入力ミスらしきもの(「と急ぎか見てに向わんとする」p.55とか)が散見されるのは残念です。

※単行本化されたいくつかの作品は、国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。「唖旅行」は『新作喜劇集』(明治41年東陽堂)に収録のものがネットで読めますが、これは3幕4場の川上音二郎一座版。今回の図録に収録されているのは4幕5場なので、大正3年の帝劇版と思われます。

今回の図録にはこのほかに、2つの解説(落語作家としての業績を紹介するものと、帝劇での仕事に関するもの)と関連年表、主要参考文献一覧が掲載されています。その一方で出品資料のカラー図版は一部に限られており、展覧会の記録というよりは研究資料としての側面の強い仕上がりです。全72ページ、定価900円(税込)。

2014年8月20日

[おすすめ]魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展



・会期:2014年6月18日(水)~9月1日(月)
・会場:国立新美術館
・評者:伊藤 由紀

オーストラリア・バレエ団がレパートリーとするグレアム・マーフィー版『くるみ割り人形』(2002年初演)は、同地の真夏のクリスマスが舞台。主人公の老婆の夢の中で、彼女がかつてはロシア帝室バレエ団のダンサーだったこと、革命を逃れてバレエ・リュスの世界ツアーに身を投じたこと、たどり着いたオーストラリアでバレエの振興を牽引してきたこと......が回想されます。

この作品の印象が強かったので、「オーストラリア国立美術館が有する世界屈指のバレエ・リュスのコスチューム・コレクション」(公式サイト)が来日すると聞いた時は、てっきりド・バジル大佐のバレエ・リュスのツアー時の衣装が、オーストラリアにそのまま残っていたのかと思いました。が、実際にはこのコレクションの大半は、1970年代以降にオークションで購入したものだそうです。とはいえ国立美術館が早くから関連資料を重点的に集めていたという事実は、バレエ・リュスが同地の芸術シーンに大きな影響を与えた存在として記憶されていることの証左に他ならないでしょう。

さて、会場を入ってすぐの小部屋で解説映像を見たあと、メインの展示室に足を踏み入れると、衣装を着たマネキンが展示室の端まで延々と並んでいるのに圧倒されました。劣化の激しい一部の衣装はガラスケースに入れられていますが、ほとんどは遮るもののない状態で、ほぼ全方向から細部を確認できます。

一部の衣装については、デザイン画と見比べることができたのですが、どの作品もデザイン画のほうが圧倒的に色鮮やか。衣装が年月を経て褪色してしまったのか、それとも染色技術や舞台上での効果などの理由で、最初からデザイン画の色味の通りには作成されていないのかが気になるところですが、その辺りはあまり説明がなかったように思います。また、家に帰ってカタログを読んで初めて、これらの衣装が展示できるようになるまでには大変な修復の努力があったことを知ったのですが(デビー・ウォード「看過された事実:タグ、スタンプ、汚れ」)、会場でも多少はそのことを説明したほうが(たとえば同じ衣装の修復前・修復後の写真をパネルで示すなど)、資料との出会いの感慨が一層深まったのではないかと思いました。

出品作品そのものに圧倒的な存在感があるだけに、会場の解説にはほかにもやや物足りなく思う点がありました。作品解説のパネルでは、出品作品名や素材だけでなく、バレエ作品のあらすじと衣装の解説の部分まで、日本語・英語が併記されているのですが(英語版はおそらく、オーストラリア国立美術館で2010~2011年に開催された同趣旨の展覧会の公式サイトで公開されているものと同一)、英語版解説からの誤訳、というよりはおそらく意図的な改変を疑わせるものが散見されました。たとえば「牧神の午後」(cat. no. 12.1-12.3)の結末部分の説明はぼかしすぎだと思うのですが、あそこまで自主規制する必要ってあるのでしょうか。たしかに、会場にはいかにもバレエを習っていそうなお子さんたちの姿も多かったし、カタログには会場とは別の訳が載っていたので、この箇所に関してはこの対応でやむを得なかったのかもしれませんが。

カタログはハードカバー、全280ページで3,500円。基本的には、上述のオーストラリア国立美術館での展覧会のカタログからの翻訳ですが、バレエ・リュスのオーストラリア・ツアーに関する論文のみ、本橋弥生氏の論文「日本におけるバレエ・リュスの受容──1910-20年代を中心に」に差し替えられています。滞欧中にバレエ・リュスに接した日本の演劇人、画家、音楽家らによる舞台評を網羅的に紹介するとともに、バレエ・リュスの画家たちと日本の芸術関係者との私的な交流についても紙幅を割いており、非常にインフォーマティブなものでした。

2014年9月 1日

[寸評]カルポー:帝政の彫刻家 Carpeaux (1827-1875), un sculpteur pour l'Empire



・会期:2014年6月24日(火)~9月28日(日)
・会場:オルセー美術館
・評者:齋藤 達也

19世紀フランスの彫刻家といえばロダンの名が圧倒的に有名でしょうし、少し遡れば凱旋門を飾る浮彫り《ラ・マルセイエーズ》の作者フランソワ・リュードも知られているかもしれません。一方で19世紀半ばを見ると、リュードとロダンの活躍した時期に挟まれた時代、ちょうどクールベやマネがサロンに挑んでいた第二帝政期(1852-1870年)を代表する彫刻家にジャン=バティスト・カルポーがいます。このカルポーの大回顧展がパリのオルセー美術館で開かれています。ボードレールは「彫刻はなぜ退屈か」と問うていますが、そんなことはなく、非常に見応えのある展覧会でした。

19世紀の彫刻研究は二つの展覧会がきっかけとなって80年代以降盛んになりました。1980年のアメリカでの展覧会(註1)、ついで1986年に本国フランスのグランパレ(註2)で開催された19世紀フランスの彫刻作品を集めた大規模な展覧会です(分厚いカタログは必見)。86年に開館したオルセー美術館や、90年代以降のフランスの地方美術館では、収蔵庫に長らく眠っていた19世紀の彫刻を常設展示する動きが広がります。これにともない彫刻史研究が進み、今年にはその名も『彫刻』と題した、19世紀以降の彫刻を対象とする学術誌が創刊されました(註3)。カルポーの大々的な展覧会の開催は、大きな盛り上がりを見せる彫刻史研究の流れの中で実現したものでしょう。

オルセー美術館一階をまっすぐ進んだ突き当たりにある常設展示の区画には、見過ごされがちですが普段からカルポーの代表作が展示されています。大型で移動の難しい《ダンス》や《天球を支える四世界》があるこの一帯が、オルセー美術館としては例外的な仕方で特別展の会場に仕立て上げられています。

出身地ヴァランシエンヌで修行したあとパリの国立美術学校に入学し、ローマ賞を勝ち取ってイタリアに留学、サロンで評価され、作品が国家によって購入されるようになる、いわばアカデミックなキャリアを歩んだカルポーですが、本展は年代順の展示構成をとることで、この彫刻家の生涯とそのときどきの作品がわかりやすく描き出されています。最初に評判となる《貝殻を持つ漁師》(別名《ナポリの少年の漁師》)は大理石像と石膏像が併置してあり、素材が異なることでこうも質感が変わるのか、ということがはっきりと見て取れます。また、鋳造の難しさによるものかもしれませんが、石膏像においては細部が省略・変更されている様子がわかるのも興味深い点です。

ダンテの『新曲』地獄篇からインスピレーションを得た大作《ウゴリーノ》も、筋骨隆々とした肉体の表現が見事でした。《ウゴリーノ》は石膏像とブロンズが会場に併置されていますが、今回の展覧会を共催しているニューヨークのメトロポリタン美術館が購入したばかりの大理石像はパリには展示されていなく、やや惜しまれました。しかしながら、今回の出品作の内の少なくない数の作品が、パリでは展示されているもののニューヨークでは見ることができなかったようです。作品搬送上の問題等があったのかもしれませんが、国際巡回する彫刻の展覧会を開催することはなかなか容易でないのだと感じ取りました。

本展には彫刻のみならず、多くの素描、画帳、油彩画なども展示されています。そのことで、彫刻作品の構想段階で素描の果たす大きな役割が、はっきりと理解できました。くつろぐナポレオン三世の姿を背後からクロースアップして描いた素描はとりわけ印象に残ります。これだけインフォーマルな姿で描き出されたナポレオン三世は珍しいのではないでしょうか。

帝室に重用された彫刻家だけあって、ナポレオン三世、ウジェニー皇后、マチルド皇女らの肖像彫刻も制作しています。他にもシャルル・ガルニエやデュマ・フィスなどの著名人らもモデルになっています。そうした肖像の表情のどれもが、リアリズムを感じさせるものです。1869年にオペラ座で完成した《ダンス》は当時大きく評価のわかれた作品ですが、会場で改めてじっくり見ると、ダンスの擬人像やそれを取り囲む巫女たちの生き生きとした表情が非常に写実的です(ちなみにオルセー所蔵の《ダンス》がオリジナルで、現在オペラ座にあるものは20世紀後半のレプリカ)。

カタログは360頁あり、重厚な仕上がり。年代順にカルポーのキャリアを振り返りつつ、作品解説やテーマ別の論文が収録されています。年表や文献目録は詳細。出品目録には作品来歴と展覧会歴の他に、その作品に言及した文献(同時代のものから現代まで)の一覧も付されており、カルポーの受容研究にとっては必須の情報が詰め込まれています。学術的に完成度の高いこのカタログは、19世紀美術史に関心のある方にとって一見の価値があります。

カルポーひとりに焦点を当てたモノグラフィックな展示でありながら、出品作の質と量の両面において圧倒的な本展は、19世紀フランスの彫刻史全体への関心を喚起するものであるように思います。個人的にも、ロダンにばかり注目するのではいけないのだと痛感しました。日本では、国立西洋美術館、静岡県立美術館、東京富士美術館などでカルポーの作品を所蔵しているようです。

(註1)Romantics to Rodin: French Nineteenth-Century Sculpture from North American Collections, 1980.
(註2)La Sculpture française au XIXe siècle, Galeries nationales du Grand Palais, 1986.
(註3)Sculptures, Presses universitaires de Rouen et du Havre.

2014年12月 5日

[寸評]「ドミートリー・プリゴフ展--ルネッサンスからコンセプチュアリズムまで、そしてそれを越えて-- Dmitri Prigov: from Renaissance to Conceptualism and Beyond」



・会期:2014年5月16日〜11月9日
・会場:国立トレチャコフ美術館新館(ロシア、モスクワ)
・評者:松枝 佳奈

 ドミートリー・アレクサンドロヴィチ・プリゴフ(Дмитрий Александрович Пригов, 1940-2007)は、1970年代から2000年代まで主にモスクワで活動したソ連およびロシアの詩人・芸術家であり、俳優や映画監督としても活動した。1970年代以降のソ連のアンダーグラウンド芸術を牽引したモスクワ・コンセプチュアリズムの重要人物の一人である。ソ連崩壊後、彼のドローイングやインスタレーションなどがオランダ、アメリカなど世界各国の美術館で展示されてきた。そして2010年、ベルリンでドミートリー・プリゴフ財団が創設され、その本部がモスクワのロシア国立人文大学内に設置されたことを機に、近年、ロシア国内でもプリゴフの芸術活動全般への関心が高まり、研究が進展しつつある。2011年、約380点以上のプリゴフの作品を所蔵し、常設展示も行っているサンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館がヴェネツィア・ビエンナーレにてプリゴフの回顧展を行い(1) 、さらに今回、20世紀以降の現代ロシア芸術を扱うトレチャコフ美術館新館において本展が開催されるに至った。
 本寸評ではこの「ドミートリー・プリゴフ展」、ならびにその閉幕に際して2014年11月8日に開催された国際ラウンドテーブル「眼に見えないものの可視化--他館における展示法、美術館の内と外のプリゴフ--(Визуальность незримого: Другие правила, Пригов в музее и вне музея)」を取り上げたい。

 本展そのものの評に入る前に、まずプリゴフと1970年代以降のソ連芸術におけるモスクワ・コンセプチュアリズムについて言及しておく。1932年にスターリンによって定義され、以後のソ連で唯一公式とされた芸術様式、社会主義リアリズムは、現実の生活と革命的発展を歴史に即して忠実に描写することで、労働者大衆を社会主義精神のうちに教育することを目指した。そしてこの様式では決して表現されることのない、独自の自由な表現を追求した前衛芸術家たちは、当時「非公式芸術家」と称されていた。実際、プリゴフも1975年にソ連芸術家同盟に加入するまで「非公式芸術家」であり、それ以降もソ連当局から監視を受けつづけるほどであった。
 前述のモスクワ・コンセプチュアリズムは1970年代にモスクワで生まれたこのような非公式芸術家グループの一つであり(2) 、1960年代から70年代に世界的に広まったコンセプチュアル・アートの流れを汲んでいる。2007年に神奈川県立近代美術館 葉山にて世界で初めて絵本作家としての活動が紹介され、現在は大規模な「トータル・インスタレーション」の制作を中心に国際的な活躍を続ける現代芸術家イリヤ・カバコフも、モスクワ・コンセプチュアリズムの代表的存在の一人である。
 西ヨーロッパではしばしば、モスクワ・コンセプチュアリストのソ連体制との関係性やそれに対する批判的な態度だけが評価されがちであるが、実は彼らが解体しようとしたのは、ソ連の体制やそれが生み出す神話--社会主義リアリズムの上に目指される「明るい未来」や「ユートピア」--だけなく、あらゆる権力やイデオロギーであった(3) 。モスクワ・コンセプチュアリズムの芸術家たちの多くは、ソ連芸術家同盟や美術アカデミーに属さないイラストレーターやポスター画家、教科書や絵本の挿絵画家であり、制度の外にいたためにかえって美術そのものの問題や、美術と美術でないものの境界は何かという問題に取り組むことができるようになった。こうして美術作品と一般の物の区別をとりはらい、社会にあふれる諸記号、諸イメージを作品にとりこむことが、モスクワ・コンセプチュアリズムの課題となったのである(4) 。

 今回、国立トレチャコフ美術館で開催されたプリゴフの回顧展では、プリゴフの芸術家としての活動をヨーロッパ芸術とロシア芸術の歴史的コンテクストの中に位置づけることが目指された(5) 。展覧会の記録として100ページ程度のブックレットがロシア語版と英語版の二種類で制作されており、この点からもプリゴフをロシアのみにとどまらない世界的な芸術家として積極的に評価しようする美術館側、そして展示作品を提供するプリゴフ財団側の姿勢が見てとれる。同ブックレットには、展示のセクションごとに短い解説と作品の図版、会場内を撮影した写真が豊富に収録されているが、残念ながら展示作品全ての図版は掲載されていない。そのほか、担当学芸員のキリル・スヴェトリャコフ氏による本展の目的ならびに論文「ドミートリー・プリゴフの表現と芸術的宗教学における政治性 (6)」、プリゴフの略年譜も収録されている。
なお、無料動画サイトYouTube内のトレチャコフ美術館の公式チャンネルに、本展の映像がアップロードされている。スヴェトリャコフ氏による解説(ロシア語のみ)付きで会場内や展示の様子を把握できるので、ぜひご覧いただきたい(http://www.youtube.com/watch?v=LwLTjb5Aae8#t=227、2014年12月3日最終閲覧)。

 本展の会場は細長く、白い壁やアーチ、黒いカーテンなどによって迷路のように区切られ、トレチャコフ美術館の三階と四階、二つのフロアーにまたがっていた。最初に本展イントロダクションのパネル、プリゴフの略年譜、そしてプリゴフが架空の彫刻家を演じたユニークなパフォーマンス作品の映像が掲げられ、そのすぐ隣から作品の展示が始まる。
 展示の構成は、プリゴフの作品における表現のテーマ、モチーフ、制作に使用した素材などによって以下のように細分されている。すべてを列挙すると、三階は「初期のドローイング」、「形而上学--裂け目と歯車」、「窓」、「無--黒い円のインスタレーションのためのスケッチ」、「球のコンポジション」、「恐竜」、「獣」、「卵」、「缶」、「グラス」、「眼」、「哀れな掃除婦」、「幻のインスタレーション」、「アート・リプロダクション--「受難の絵画」」、「新聞紙の上に」、「カレンダー」、「年譜」、「ヴィジュアル・ポエム」、「クロスハッチによる詩」、「ブーケ」。三階踊り場は「人民同志へのアピール」と「黒い円」と「眼」のスケッチ。そして四階は「マレーヴィチのためのインスタレーションとスケッチ」である。様々なテーマやモチーフから成る作品が次々と展示される構成は非常に斬新ではあったが、プリゴフの伝記的な解説がイントロダクションと略年譜のパネルの記述のみにとどめられ、プリゴフの作品に初めて触れる観客にとってはやや説明不足であるようにも思われた。一方、各セクションともドローイングやインスタレーションのためのスケッチ、立体作品、音声や映像による作品、大規模なインスタレーションなどが目白押しであり、観客は次にどの作品を鑑賞するか迷うほどの充実ぶりである。ただ音声や映像による作品やインスタレーションには、本展のために制作されたものが少なからず存在していた。プリゴフ自身の作品とプリゴフの手によらない作品が全く区別されることなく混在していた点は、芸術家の死後における現代芸術の企画展に対する課題を示しているようにも思われる。
 前述の通り、本展ではプリゴフをヨーロッパ芸術の歴史的コンテクストの中に位置づけることが目指されたこともあり、各セクションのパネルには、レオナルド・ダ・ヴィンチやパオロ・ウッチェロ、ヒエロニムス・ボッシュなど15世紀のヨーロッパで活躍した画家や、ルネ・マグリットやサルバドール・ダリなどシュルレアリスムの芸術家、アメリカのアド・ラインハートやアンディ・ウォーホルらミニマル・アートやポップアートの芸術家たちの作品図版が掲げられた。彼らがしばしば幾何学模様や円・球・缶・卵・眼などを作品の題材やモチーフとした点で、プリゴフの作品も彼らの表現の系譜に連なっていることを示そうと試みたものと推測される。
 だがそれは単純にプリゴフの作品と他の時代の芸術家の作品図版を並べたことにとどまっており、その作業のみによって観客に対して両者の類似性や関係性を感じ取るように促そうとしているようにも受け止められた。一方で皮肉なことに、このような形式の比較が、かえってプリゴフという芸術家の持つ表現の特異性を浮かび上がらせているのである。
 例えば、プリゴフの缶による作品群を展示するセクションでは、ウォーホルによる大きくラベルの剥がれたキャンベル・スープの缶のイラストの図版が掲げられているが、両者の間には明らかな差違があることが分かる。ウォーホルの場合、「キャンベル・スープ」という世界中で知られるアメリカ資本主義の象徴を題材としていることは即座に理解できる。一方、プリゴフによる缶の作品には、その中に立てられた小さな立て札にロシア語で「新聞の缶」、「ごみの缶」、「詩の缶」、さらには「対立物の統一と闘争の缶」というエンゲルスやレーニンによる弁証法の法則を冠した名前が表記されている。その上、缶本体にまでロシア語がタイプ打ちされた紙やロシア語新聞の切り抜きが貼られているのである。プリゴフにとって缶とは、真実を打ち明けることを表すアレゴリーであったが、これらのロシア語をじっくり読み、内容やその背景を注意深く解釈しなければ、そのアレゴリーの内容を味わいにくい仕掛けになっている。
 あるインスタレーション作品において、このような傾向はさらに顕著となる。白く四角い部屋の中に五つの細長い扉のような形の穴が開けられ、それぞれの穴の上に小さな赤い点が打たれている。その赤い点の下に横長く大きな黒のしみが描かれ、その中に白いインクで、「レーピン」や「スリコフ」など19世紀ロシアの偉大な5人の画家たちの名がロシア語で書かれている。そしてそれぞれの穴は四本のポールと鎖でふさがれ、中に立ち入ることはできない。この作品は現代において芸術の権威とされているものの姿を批判的に表現していると考えられるが、この場合もロシア語を読み、かつ19世紀ロシア美術についてある程度知識がなければ、一体プリゴフが何を示そうとしたのかを察することは難しいといえる。
 以上のような点は必ずしも全ての作品に当てはまるものではないが、シュルレアリスムや他のコンセプチュアル・アートの芸術家たちの作品と比較すると、プリゴフは文字テクストやその背後にある文化や歴史に依拠する傾向があるといえる。プリゴフの芸術的な創作の多くには、展示された作品そのもののみを鑑賞しただけでは理解しえないものが存在するのである。ここで生前のプリゴフによるモスクワ・コンセプチュアリズムに関する発言を引用しておきたい。1999年にプリゴフが来日した際に語った内容であるが、彼の芸術活動への理解を深めるために重要であると考えられる。

  70年代にモスクワで生まれたモスクワ・コンセ
 プチュアリズムは、文化=批評的なプロジェクトに
 携わっていました。モスクワ・コンセプチュアリズ
 ムは、当時もっとも強大だったディスコース、ソ連
 の言語の研究をしていたのです。モスクワ・コンセ
 プチュアリズムの立場は、皮肉や嘲笑的であると誤
 って受けとめられがちです。しかし実際はそうでは
 ありません。基本的に、モスクワ・コンセプチュア
 リストたちは、ソ連の言語を研究することによっ
 て、完全な天上の真実としてではなく、約束事に基
 づいた便宜的な言葉としてのソ連の言語を、人々に
 示そうとしたのです。ロシア・ソ連の「深刻」な
 文化では、深刻な言葉こそ、正しい高尚な言語活動
 の唯一の見本だとされてきました。というわけで、
 私たちのやったような言語に対する操作は、皮肉
 であり嘲笑的だとみなされたのです。しかし、実際
 はこれは言語の批評にすぎないのです (7)。

 プリゴフにとって、モスクワ・コンセプチュアリズムとは、言語の批評・研究に基づく「文化=批評」のプロジェクトであった。それは究極の真実とされているソ連の「深刻」で「高尚」な言語とそれによって生み出される「深刻」な文化を、「約束事に基づいた便宜的な言葉」として、いわば地上に引きずりおろすための言語批評的な芸術活動である。これは、詩人でもあったプリゴフにとってごく自然な思考だったのであろう。
 そのロシア・ソ連の「深刻」な文化を生む「高尚」な言語とは、まさしくロシア語だった。そしてプリゴフもそれを批評するための言語としてロシア語を用いた。ここでプリゴフの活動が、ソ連やロシアの言語や言葉、つまりロシア語に深く根ざしていることがうかがえる。彼の芸術は、ロシア語とそれが背負うロシア・ソ連文化のコンテクストと切っても切れない関係にあるのである。ロシア語という言語とそこから派生するロシア・ソ連文化を批評し創作することを出発点として、世界のあらゆるイデオロギーの解体へ突き抜けようと試みるプリゴフの姿勢。これが初めて多数のプリゴフの作品を鑑賞した後、本展に対して抱いた印象であった。

 去る2014年11月8日、モスクワのトレチャコフ美術館新館にて、本展の閉幕を記念した国際ラウンドテーブル「眼に見えないものの可視化--他館における展示法、美術館の内と外のプリゴフ--(Визуальность незримого: Другие правила, Пригов в музее и вне музея)」(使用言語:ロシア語・英語)が開催された。本ラウンドテーブルの模様は無料動画サイトYoutubeにアップロードされている(全編ロシア語、http://www.youtube.com/watch?v=Na8sPJaBNeE、2014年12月3日最終閲覧)。モスクワ、サンクトペテルブルクなどロシア国内の諸都市をはじめ、オランダ、イタリア、アメリカ、イギリス、そして日本から現代芸術や現代文学を専門とする研究者や現代芸術の企画展に携わってきた美術館学芸員、大学院生などが一同に会した。
 壇上では生前のプリゴフと交流のあった関係者やロシア国内外の美術館学芸員・研究者の計7名が、各美術館におけるプリゴフをはじめ現代芸術の展示法やプリゴフの芸術そのものについて報告した。その後、ラウンドテーブルの司会を務め、雑誌『新文学評論』編集長のイリーナ・プロホロワ氏や国立トレチャコフ美術館館長イリーナ・レベデワ氏、そして会場の専門家や聴衆も含めた全体で活発なディスカッションが行われた。ロシア語とそれが背負うロシア・ソ連文化のコンテクストを大きな基盤とするプリゴフの作品を、世界的な現代芸術の一つとして、いかに海外の美術館や芸術祭で展示するのかという問いに答えうる、あるいは聴衆にこの問いについて検討を促すラウンドテーブルであった。以下、五か国の美術館学芸員六名による主な発言の概要を中心にまとめたい。
 本展の担当学芸員であるスヴェトリャコフ氏は、芸術家の死後にインスタレーションのスケッチをインスタレーション作品として具現化することに肯定的である。「プリゴフのインスタレーションの設計図を大きなインスタレーションとして「翻訳」する、つまり絵画や素描を実体として実現すること、いわば詩情を映像化することは、容易ではなかったが、実に興味深い作業であった。」
 一方、アメリカのニュージャージー州立(ラトガース)大学附属ジマーリ美術館でソヴィエトの非公式芸術を研究し、プリゴフやソヴィエト非公式芸術関連展覧会の企画・構成にも携わってきたジェーン・シャープ氏は、以下のように発言した。1970〜80年代以降のソヴィエトの非公式芸術家たちをもっと取り上げて紹介する必要はあるが、ロシアの文化的・歴史的コンテクストを保ったまま、プリゴフの視覚芸術を「翻訳」することは困難であるという。2008年9月から2009年1月まで同館で開催されたプリゴフの回顧展では、あえて彼のインスタレーションは展示せず、ドローイングを中心に展覧会を構成したという。その他のソヴィエトの非公式芸術家の諸作品を集めた展覧会でも同様の方法を採ったという。その際、レプリカを置いて、観客が作品を手に取って「読み」、「見られる」ようにすることで、芸術家の視覚テクスト、ならびに芸術家と観客の対話を再構成するのがよいのではないかという提案がなされた。
 他方、日本の神奈川県立近代美術館 葉山の主任学芸員、籾山昌夫氏は、今年同館で開催された「宮崎進」展を例に、日本における現代芸術の紹介・展示のあり方について発言した。まず展覧会のシンボルとなる作品を軸に、生涯や経歴、活動の内容など画家について丁寧に紹介することが重要であるという。その上で展覧会のハイライトとなる作品を展示し、さらに画家の作品に新たな深い意味を見出し、再び展覧会のシンボルとなる作品の鑑賞を促すというような明確な展示構成が必要であると主張した。将来、日本においてプリゴフの展覧会が行われる際にいかなる企画・構成がなされるのかが大いに期待される。
 オランダのアムステルダム市立美術館でパフォーマンスや映画、ディスカーシヴ・プログラム部門を担当する学芸員、ヘンドリック・フォルカーツ氏は、先にアメリカのシャープ氏がソ連の非公式芸術家の展覧会であえてインスタレーションを展示しなかったことに言及しつつ、自身が現代の芸術家たちのパフォーマンス・アートの展示に携わっている経験から、やはりインスタレーションの展示やパフォーマンスの実演は現代芸術やコンセプチュアル・アートの展示にとって必要なものであると語った。現代の芸術家たちはパフォーマンスを前世代の芸術家たちの捉え方とは異なるものとして考えており、彼らの作品を展示する美術館側もこの点を改めて認識した方がよいだろうと主張する。また美術館は出版やメディアをさらに活用すること、さらに美術館の事業は出版物を基礎とすることが重要であるという。そして美術館は単に幅広い観客を楽しませるだけでなく、批評や教育の側面も担うことが求められていると語り、発言を締めくくった。
 イギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで現代芸術の展覧会の企画・構成を手がける美術史家、ティム・マーロウ氏は、単純に展覧会を企画・構成するだけでなく、観客にプリゴフの芸術や現代芸術一般を広く世界に正確に認知してもらうことこそが我々の責務であると力説する。さらに芸術の国際化こそが全てであり、すでにビエンナーレなどを通じて芸術家への財政的支援や国際的な芸術家同士の連帯や協力は進みつつあるという。最も重要なことは、物故した芸術家、存命の芸術家の区別に関わらず、彼らの個展を積極的に開催することで、それぞれの芸術家の研究を進展させることであり、このような「知的なゲーム」をたゆみなく行うことが我々に求められていると主張した。
 2011年のヴェネツィア・ビエンナーレでプリゴフの回顧展を企画・構成した、サンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館現代芸術部門学芸員であるドミートリー・オゼルコフ氏は、第一に、美術館の責務はプリゴフの芸術やあらゆる現代ロシア芸術を国際的な芸術のコンテクストにのせて「ロシア芸術は西ヨーロッパのものに比べて劣っているのではなく、それ独自の特徴や魅力を持つものである」と紹介することであると語る。さらに本展についても以下のように持論を展開した。本展はプリゴフの芸術を国際的な芸術のコンテクストにのせた優れた展覧会の一例であったが、それはいわば上品なものであり、「ルネサンスからコンセプチュアリズムまで」というテーマを乗り越えることができなかった。それは他の時代、他の国の偉大な芸術家たちの作品の「引用」に起因するものである。本展では壁に小さなパネルで彼らの作品が「引用」されていたが、個展ではこの「引用」には注意を払うべきであり、極力用いるべきではない。プリゴフの作品には彼らの作品の影響はあまり認められないと考えられる。第二に、プリゴフの芸術にオリジナルはなく、たび重なる複製によって作り上げられていると論じ、それはタイプライターを用い、ドローイングでも永遠性を示す同様のモチーフを際限なく使用している点にも表れているという。この際限の無い繰り返し、際限のない複製こそ、プリゴフ独自の特徴であると主張した。第三に、プリゴフは常に「コンテクストの芸術家」であり、彼の芸術はコンテクストを作り上げたり、混合させたり、破壊したりすることで成立しており、コンテクストなしでは彼の芸術はあり得ないという。そして「プリゴフは他者との対話こそが芸術となり、そしてそれが文化となると考えていたといえる」と論じ、発言を終えた。
 その後、議論はフロアーに開かれた。主な質問は、「一、ロシアにおける現代芸術やプリゴフの評価や批評の現状」、「二、美術館における現代芸術やプリゴフに関する展覧会の展望」、「三、世界各国におけるプリゴフの文学作品の出版状況について」などであった。
 一に関しては、本展担当学芸員のスヴェトリャコフ氏が、ロシアでは美術批評が少ない上に、現代芸術の展覧会は相対的に人気がなく、プリゴフにいたっては関連書籍や作品のカタログがほとんど出版されていないという状況を説明し、今後、ロシア国内で現代芸術やプリゴフに対する評価が高まり、批評が盛んになることを期待すると答えた。一方で、プリゴフは文化の価値そのものを問いかけ、美術館や学芸員、研究者がある芸術家を称揚すること自体を疑った芸術家でもあったことを付言した。
 二について、アメリカのシャープ氏は「「アメリカでなぜプリゴフの展覧会を開催するのか」とたびたび尋ねられることがあるが、我々展覧会の企画・構成者は、自国でプリゴフの作品を展示し紹介する十分な意義があると信じているからだ」と断言した。またイギリスのマーロウ氏も同様の意見を提示した。また美術館展示の将来像として、エンターテインメントであるべきか、あるいは教育的配慮がなされるべきかという問いに対しては、シャープ氏、マーロウ氏とも「我々の目的は、そのどちらでもなく、国際的なコンテクストにおいて研究者や専門家のための基盤を作ることだ」と答えた。
 三については、フロアーから「イタリア語で散文の翻訳が、ドイツ語で二本の長編の翻訳がすでに出版されており、日本語でもすでに翻訳が出版された」という回答があったが、鴻野わか菜准教授(千葉大学文学部)が「日本では未だ出版されておらず、半年後に初めて翻訳が出版される予定である」と訂正しつつ返答した。

 最後に本「ドミートリー・プリゴフ展」で評者が受けた印象と、以上の国際ラウンドテーブルの内容とを併せて考察することで、本寸評を締めくくりたい。一点目は、芸術家の死後におけるインスタレーション作品の取り扱い方である。スヴェトリャコフ氏は芸術家のスケッチや設計図に従い、それらを忠実に「翻訳」したインスタレーションであれば、その芸術家の死後であっても制作・展示は可能であるという立場から、本展でいくつものインスタレーション作品を展示し、場合によっては展覧会のためのオリジナル作品を制作した。現代芸術において芸術家はスケッチや設計図のみを制作し、インスタレーションの制作そのものは他の職人や専門家に委託することもあるが、管見の限りでは、特に「哀れな掃除婦」や「眼」のインスタレーションについて、今回展示された作品とプリゴフ自身によるスケッチや設計図を比較すると、明らかにデザインや寸法などが大きく異なる部分が少なからず見受けられた。それらは時として芸術家の意志やセンスを失った大きな抜け殻のようにさえ見えた。フォルカーツ氏の指摘通り、インスタレーションやパフォーマンスが重視される現代芸術において、それらを展示することは重要であるが、芸術家の死後、本人の参加や承諾を経ずして制作、展示されるインスタレーションを、果たしてその芸術家自身の作品と称することができるのであろうか。もっともプリゴフの場合、「オリジナル」と「複製」の概念と境界を疑いつづけた芸術家らしく、逆説的にそれすらも自らの「作品」と認めてしまうようにも思われるのではあるが。もし物故の芸術家のインスタレーションを再現するのであれば、芸術家のスケッチや設計図に一分も違わないことが不可欠であり、場合によっては、過去にインスタレーションを展示した際の記録映像・写真も併せて展示するなど、観客が作品を通じて芸術家とよりよく「対話」できるように再構成することも必要であろう。またシャープ氏が語ったように、あえてインスタレーションを取り扱わず、芸術家が自ら完成させた作品のみを取り上げることも有力な選択肢となるだろう。
 もう一点は、プリゴフと世界(西ヨーロッパ)における「芸術のコンテクスト」の問題である。ラウンドテーブルにおけるオゼルコフ氏の本展とプリゴフに対する評価は出色であり、評者にとって最もうなずけるものであった。一方、会場では無条件にプリゴフを、作曲家のジョン・ケージなど、いわゆる現代芸術や現代文化の「巨匠」や「アーティスト」と評価される芸術家たちと並列して比較する傾向や、手放しに「プリゴフの芸術は素晴らしい」という評価が下される傾向が見られた。プリゴフを世界(西ヨーロッパ)芸術のコンテクストにのせるためには、単純にプリゴフ自身やその作品に「世界的アーティスト」のようなラベルを貼って輸入したり、他の時代や国の芸術家の作品を「引用」して作品に並置したりするのではなく、まずプリゴフという芸術家を生み出したロシア(ソヴィエト)の言語や歴史、文学、文化のコンテクストの上で彼の芸術の特徴や独自性を冷静に判断し、彼の作品の「翻訳」や紹介の方法を検討することが求められているように思われる。その点から見て、オゼルコフ氏の「コンテクストの芸術家」というプリゴフ評価は、新たなプリゴフ展の開催に対する大きなヒントであり、また先に引用したプリゴフによるモスクワ・コンセプチュアリズムに対する言及など芸術家自身の発した言葉のほか、彼のあらゆる作品一つ一つに一層肉薄することは(8) 、今後プリゴフ研究を進展させ、彼の芸術に対する認識や理解を深めるための大きな原動力となるに違いない。


*本展国際ラウンドテーブルへの参加にあたり、千葉大学文学部 鴻野わか菜准教授、ならびに神奈川県立近代美術館 葉山 館長 水沢勉氏、同館主任学芸員 籾山昌夫氏よりご厚意を賜りました。ここに改めて感謝の意を表します。


(1) Новости из Эрмитажа. «Представление выставочного проекта «Дмитрий Пригов: Дмитрий Пригов»» http://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/what-s-on/news/news-item/news/1999_2013/hm11_2_501/?lng=ru(2014年11月10日閲覧)
(2) 鴻野わか菜「〈研究室だより〉ユートピアの後に芸術は可能か?--国際シンポジウムの記録--(1999年10月16日、於東京大学)」、『SLAVISTIKA:東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第15号、240-252ページ所収、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、1999年、240ページ。
(3) 鴻野前掲論文、240, 24ページ。
(4) 鈴木正美「現代ロシア美術 障害としての芸術」(鈴木正美のホームページ、現代ロシア詩・美術・音楽 Avant-ganko)、http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~masami/Art/trouble.htm
(2014年11月10日閲覧)
(5) Svetlyakov, Kirill. Dmitri Prigov: From Renaissance to Conceptualism. Dmitri Prigov: from Renaissance to Conceptualism and Beyond. Moscow: The State Tretyakov Gallery, 2014.
(6) Svetlyakov, Kirill. Politics of Representation and Artistic Theology of Dmitry Prigov. Ibid. 9-19.
(7) 鴻野前掲論文、247ページ。
(8) 後日、評者はトレチャコフ美術館新館に近い場所に位置する、現代美術館「ガレージ」の企画展「ロシアにおけるパフォーマンス 1910-2010--歴史の地図をつくる(Перформанс в России 1910-2010 Картография Истории)」(http://garageccc.com/ru/event/600)を鑑賞した。ロシアとソ連における100年のパフォーマンス・アートの歴史を、作品展示や写真、映像によって総括した同展では、パフォーマンスを撮影したビデオ映像三点を含む四点のプリゴフの作品が展示されていた。三点のビデオ映像は、いずれもトレチャコフ美術館で開催された「ドミートリー・プリゴフ展」に出品されなかったものである。一点目は警察官を演じるプリゴフが自作の警察官の詩をカメラに向かって披露する作品、二点目はプリゴフが音楽家である友人の演奏(並べた鍋や皿、瓶などをマレットで打っている)に合わせてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番を歌いながら、チャイコフスキーやプーシキン、ハイネなど彼が英雄だと考える人々の名前をひたすら連呼する作品、そして三点目は狂信的な愛国主義者のロシア人を演じるプリゴフが友人の飼い猫に何とか「ロシア」と言わせるために教えこもうとする作品であった。いずれも芸術家の深い洞察とエネルギー、機知、そしてユーモアがみなぎる作品であり、圧巻であった。これによって評者はトレチャコフ美術館新館が切り取って見せたプリゴフ像とは異なるプリゴフの姿を初めて知ったということを付記しておきたい。

2014年12月22日

[寸評]赤瀬川原平の芸術原論展



・会期:2014年10月28日(火)~12月23日(火・祝)
・会場:千葉市美術館
・評者:高原 智史

いよいよ寒さもいや増してきた12月6日の土曜日に、2014年度第1回の見学会が千葉で行われました。

お目当ての展覧会は赤瀬川原平の芸術原論展。千葉市美術館にて。

昔から「芸術」方面はてんでダメな筆者でございまして、赤瀬川という人もろくに知りませんで。しかし以前、『目玉の学校』(ちくまプリマ―新書)という本を読んだことがあり、「あれたしか赤瀬川って人だったな」と書棚から持ち出し、行きの電車で前に線を引いたところを読み返しておりました。今回、会場が千葉ということで、参加者の皆々様におかれましては「遠路はるばる」という感じだったようですが、筆者は千葉の一歩手前の江戸川区に住んでおりますので、千葉駅まではわずか27分。『目玉の学校』の読み返しも終わらないうちに千葉に着いてしまいました。

筆者も含め、千葉駅には初めて来たという人がほとんどの中、まずは駅内の落ち着いた喫茶店でカタログ委員会のミーティングをし、あわただしい昼食の後、ご同行いただいた寺田寅彦先生のご招待でモノレールに3分だけ乗って、美術館の最寄駅へ。もう少し歩いて、美術館は区役所といっしょの建物の7階と8階。

13時半に8階の展示室入口のところでいったん解散となり、16時に1階に集合と。2時間半もどう時間をつぶそうかと最初は思っていました。(筆者だけでなく、みなさんそうお考えになったそうです。)

いざ展示室に入ってみると、はじめは絵の展示から。てんで分からない。
くり返しになりますが、「芸術」方面はてんでダメな筆者、2時間半もどう時間をつぶそうか・・・という思いを強くしました。

続いてネオ・ダダと読売アンデパンダンのコーナーへ。
ゴムチューブでつくられた《ヴァギナのシーツ》というのが有名だそう。しかしやっぱりサッパリ分からない。思ってたよりデカイなー、くらい。異常な存在感。

ハイレッド・センターのコーナーへ行って、椅子や扇風機がクラフト紙で梱包され、これまたクラフト紙の敷物の上に置かれた《不在の部屋》。この作品の年代は(1964/1994年)となっていて、椅子などに付けられた荷札に上書きされた跡があり、作品の「更新」というようなものが感じられました。この辺から「芸術」はてんでダメな筆者でも「分かる」ような気がしてきました。

続いて「千円札裁判」のコーナー。
筆者は法学部出でございまして、刑法の授業で「百円札模造事件」というのは教わっていたのですが(違法性の意識(の可能性)というところで出てきます)、寡聞にして「千円札裁判」というのはここで初めて知りました。
すでに読売アンデパンダンのコーナーに《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》というタイトルの、やたらデカイ(90cm×180cm)聖徳太子の千円札の模写が展示されていましたが、ここでは押収された「作品」の他に起訴状や判決書などなど、一連の裁判に関する物件がズラーっと展示されていました。
もはや「芸術」そっちのけで、「法的」な興味から判決書を眺めて、「これは展示の仕方が悪いな。一頁目を上にして置いてあるけど、被告人の住所とかしか書いてない。みんなが見たいのはやっぱり「主文 被告人を○○に処す」みたいなところでしょ。そこを開いて見せなきゃー。」などと考えていると、隣で見ていた人が「へー、これ本物なのかな?」と言っておられて、裁判すらパロディでやっていたと思わせる赤瀬川原平さすが、と思わされました。
裁判では、「前衛芸術」について説明するためハイレッド・センターの作品等が法廷で陳列されたそうで、「一瞬ながら前衛芸術が法廷を占拠した」というような記述が大変興味深かったです。

階を下りるとすぐのところで、以前NHKで放送されたらしい赤瀬川氏のインタビューが放映されていました。休憩がてら椅子に腰かけて観ていると、「僕らは芸術のためにスレスレのことをよくやった。犯罪、いや犯罪とまではいかないけれど...」という風に言葉を濁されていて、千円札裁判の展示のすぐ後で見たので、そこに興味を引かれました。

続いてパロディを主としたイラスト、漫画のコーナー。
相変わらず絵はてんでダメな筆者、絵柄については水木しげるとの区別もつきませんでしたが《企業はこうして人を破壊する:水俣病》《わたしは問い続ける―大学批判の原点を求めて》といった内容は「政治的」に大変興味深く、展示されている漫画は全部読んで回ったので、ずいぶん時間を取られました。
我らが東京大学の安田講堂(とそれに拠るヘルメットの人々)もパロディの対象にされており、見ている横でおじさま方が「あの時、何年生だったっけ?」「いやまだ俺は高校生」などとお話しされていました。

尾辻克彦として受賞した直木賞受賞作の展示等を挟んで、「トマソン」や「路上観察」のコーナー。
この辺までくると、「まだあんの!?時間大丈夫かな...」という気分に。
「トマソン」といえば、「不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物」(ということをそこで初めて知りました)、上がった先に何もない「純粋階段」が有名なようですが、筆者もそういうムダなものは大好き。「こういうのって『VOW』(宝島社)によく載ってたよねー」と、後の懇親会で『VOW』を広げられていた方も。

その後も「ライカ同盟」とか「縄文建築団」とか、まだまだいろいろあったのですが、最初もてあますように思っていた2時間半の時間があっという間に過ぎていて、最後の方はじっくり見られず、駆け抜ける羽目に・・・。(みなさんそうだったそうです。)集合を16時半にしておくべきだったかと見学会幹事として反省。

16時ちょいには1階に集合が完了し、懇親会の予約は17時からだったので、違った形で時間をもてあますことに。お店に電話してみると、早くからでも大丈夫とのことだったので、駅前のおしゃれなビストロで16時半から懇親会。異常に早いピッチで飲み進めた筆者は終盤眠りこけておりました。
そうして18時半には早くも散会。19時過ぎには家についてしまった筆者はいよいよ本格的に眠りこけましたとさ。


見学会レポを書くのが遅れに遅れ、会期は明日までとなってしまいましたが、千葉まで遠出する価値の十分ある、見応え十分な展覧会でした。


次回の見学会は来年3月開催の予定です。
みなさまどうぞ奮ってご参加ください。


※赤瀬川原平については、昨年度第2回の見学会でも「「ハイレッド・センター」直接行動の軌跡展」の見学が行われています。
その模様はこちら

2015年1月23日

[おすすめ] 生誕100年 小山田二郎



・会期:2014年11月8日~2015年2月22日
・会場:府中市美術館
・評者:西田 桐子

のっけから私事で恐縮だが、小山田二郎(1914-91)は私にとって特別な画家である。
小山田の絵を初めて目にしたのは、2005年の東京ステーションギャラリーで開催された「異形の幻視力 小山田二郎展」であった。私としては珍しいことに、三度見に行った。それからほぼ十年ぶりであることに書いていて気づき、たいへん驚いているのだが、小山田との出会いは、精神の深いところからゆらりと現れたかのような異形の存在たちを、人混みにまぎれながら必死に見つめたという思い出として鮮明に残っている。

このたびは、11月下旬と1月の上旬の二度、府中市美術館で開催された「生誕100年 小山田二郎」を見に行った。草っぱらで子供がはしゃぎまわる公園の中にある美術館は人影もまばらで、心ゆくまでのんびりと絵を見て回ることができた。この展覧会は年末入れ替えの二部制となっていて、一月の来訪の折には三分の二以上が入れ替えられていたため、二部とも行くと170点近くの小山田作品が堪能できる。

今回は生誕100年展ということもあってだろう、戦前の作品や1950年代初頭の作品も見ることができた。2005年の際に見て、たいへん心に残った小山田の絶筆とされている作品がある。この「舞踏」(1991年)のモチーフが、1950年に既に、ほとんど形は同じままに描かれていて驚いたりもした。このたび、府中市で大規模な回顧展が開かれた理由としては、小山田が1960年から1971年に失踪するまでの一時期、府中市にアトリエを構えたということが挙げられる。展覧会でも、その時期の作品は「多磨霊園で生まれた幻想」と題してまとめて展示されていた。また、2005年の展覧会では「鳥女」や「時計」など威圧感すら漂う迫力ある油彩画の印象が強かったが、今回は色調も明るく、異形のものとはいえどことなく可愛げのある生物たちが描かれた水彩画が心に残った。中でも、「蛙の国」や「夏の虫」、「流星」(星のかわりに骸骨が降ってくる)など、テクスタイルにしてワンピースなどにしたら素敵だなと思うほどに、複雑で美しい色彩に心奪われた。こうした楽しくなるようなモチーフの水彩画によって、私の中の小山田イメージも少々変化したようである。

もう一つ、文学に関心のあるものにとっては、「太陽をくれ!イプセンの幽霊より」や「とりで――ポオ『黄金蟲』に於けるアナロジイ」など、戦前には西条八十主幹の文芸雑誌『蝋人形』に参加していた小山田の文学への造詣の深さを垣間見るのもまた一興である。さらに、特に、戦後日本文学に関心がある人にとっては、色川武大『生家へ』や倉橋由美子『倉橋由美子の怪奇掌篇』などの装丁原画も展示してあり、瀧口修造との深い関わりも含め、小山田と文学との関わり、もしくは戦後日本の文壇と画壇、さらに大きくみれば美術と文学との関わりについても思いを馳せることができよう。

最後に、展覧会カタログについてだが、最も嬉しかったのは、前回のカタログと比べても絵がかなり大きく載せられていたことである。ものによって見開きで一枚の絵を載せたり、一部をほぼ原寸大ではないかと思うほど拡大してくれたりと、小山田ファンにとっては何かと嬉しい工夫が施されていた。


私も次回はぜひ!と思っているのだが、鑑賞後には多磨霊園にお散歩に行きたくなることうけあいである。美術館自体、駅から少し距離があるので、是非とも時間に余裕をもって訪れていただきたい。

2015年4月28日

幻想絶佳:アール・デコと古典主義展



・会期:2015年1月17日(土)~4月7日(火)
・会場:東京都庭園美術館
・評者:山口 詩織

花曇りの午後、4月4日(土)に2014年度第2回見学会が実施されました。今回は東京都庭園美術館の「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展を訪れました。
参加者は全部で9名、そのうち1名がOB、4名が新入生でした。当初参加者が少なく開催すら危ぶまれましたが、数日前に行われた新入生オリエンテーションでの声掛けが功を奏して、幹事としては安堵いたしました。
手違いによりせっかくいただいていた招待券が手元になく、集合場所にて悲痛な面持ちでアナウンスをしていたところ、心優しいご婦人にチケットを2枚譲っていただく幸運に遇しました。さらに別の方からももう1枚。お陰様で新入生の皆さまにはとてもお得に観ていただくことが出来ました。

東京都庭園美術館は2014年11月26日に約3年にわたる大規模な改修工事を終了しました。筆者にとって、今回はリニューアルオープン以降初めての来館でした。本館の外観は、定規で引いたような直線的なアール・デコらしいフォルムで、改めて無駄のない美しさを感じさせました。そんな中で唯一玄関のアーチが曲線を成しており、柔らかい雰囲気を醸し出していました。入口の内側から外を見ると、アーチ形に切り取られた空にちょうど桜が入り込み、何とも風流な光景でした。

玄関ホールに足を踏み入れると、まずポール・ポワレがデザインした古代風のシュミーズ・ドレスがお出迎え。私事ですが筆者はポワレドレスのファンであり、コルセットを用いない女性の身体に優しいシンプルなシルエット、ふわりと軽そうな黒いネット地に施された繊細なビーズ刺繍に思わず見惚れてしまいました。
いよいよ朝香宮邸の館内へ。期間中の最後の週末ということで会場は多くの人で賑わっていました。一応順路は提示されているものの、1階から2階まで自由に行き来することが可能で、各々が邸宅を自由に鑑賞できるような構成となっていました。
ここでアール・デコと古典主義が台頭していた20世紀初頭の時代背景を概観しておきます。1910年前後、人々がアール・ヌーヴォーに食傷気味になっていた一方で、ドイツやオーストリアから新しいデザインの潮流が押し寄せ、フランスの装飾美術界では自らの伝統に立ち返った「新様式」を模索する動きが生まれました。その下敷きとなったのは、彫刻家ブールデルや画家のモーリス・ドニ、アンドレ・ドラン、そしてピカソらも新しい可能性を見いだした古典主義でした。
第一次世界大戦によって約10 年も実施が遅れたアール・デコ博覧会は、1925 年にようやく開かれ、アンリ・ラパンら装飾美術家協会による《フランス大使館》では、モダンに洗練された古典主義のアール・デコ様式として成熟した姿を現します。1933 年に建てられた朝香宮邸でも、内装デザインを担当したラパンは静謐さと祝祭性、優雅さと安らぎの両面を表現するためにこのスタイルを選択しました。
そこに身を置くと、まるで20世紀初頭のフランスまでタイムスリップしたかのような雰囲気が漂っており、展示されている家具、磁器、銀器、ガラス、ドレス、絵画、彫刻など全てがどこか浮世離れした美しさを放っていました。80点余りの展示作品の中でも、筆者としてはルネ・ラリックのガラス製の置時計《昼と夜》が印象的でした。文字盤に沿って、昼と夜を擬人化した男女が彫られているのですが、それぞれ浮き彫りと沈み彫りになっており、互いに伸ばした手が繋がることは決してありません。何とも甘美な仕掛けです。
また、数ある部屋の中で個人的に最も惹かれた空間は書庫でした。左右が書棚となっている狭い空間ながら、窓から柔らかな自然光が入り込むこと開放的な空間が演出されていました。さらに、四季折々で表情を変える庭園も臨むこともできます。資料が溢れかえる自室と比較して、憧れの念を禁じ得ませんでした。
そこまで大きな建物というわけではないので、さらっと観ればおそらく30~40分で終わってしまいます。筆者は一周だけでは飽き足らず、照明に注目するというテーマを自分なりに設定し、もう一度館内を観て回りました。光沢のある布で贅沢にドレープを作り四角く照明が囲われていたり、カラフルな六芒星が象られていたり...。照明のデザインまでラパンが手掛けたのかどうかは定かではありませんでしたが、朝香宮邸の雰囲気にマッチしていました。目を凝らせば至る所に美を見出すことが可能で、「神は細部に宿る」という言葉を思い出しながら、人それぞれの楽しみ方が無限大に見つけられる空間だと実感しました。

心ゆくまで本館を楽しんだ後に、改修を経て増築された新館ギャラリーへ移動。本館の甘美でロマンティックな雰囲気とは打って変わり、こちらはなんだか皮肉っぽくクールな印象。紹介されているのは両大戦間期に活躍したアカデミー出身者を中心とした画家・彫刻家たちでした。あまり見知った名前がないと感じたのは不勉強ゆえですが、この時期の美術家を紹介するのは日本で初めての試みのようでした。
彼らの冷たい色彩はマニエリスムを彷彿とさせましたが、マニエリスムが様式として成立した17世紀初頭において、ポントルモやロッソ・フィオレンティーノの表現が宗教改革や「ローマの略奪」の時代の精神的不安と解釈されたことを考えると、絵画が時代を映し出す鏡の一つであることを改めて思い知らされます。今回メインビジュアルとして用いられていたのは、ウジェーヌ・ロベール・プゲオンの《蛇》でしたが、彼の作品は他にも《アマゾン(幻想...)》や《イタリアの幻想》等数点出品されていました。タイトルからも推測できるように、プゲオンは現実離れした題材をよく扱っており、大戦間の不穏な空気からの逃避を連想させました。

16時半に再び美術館前で集合。懇親会の開始予定時間までまだ余裕があったので、目黒駅近くのカフェに少しの間滞在しました。その後、予約していたお店へ移動しました。海鮮料理が美味しいと評判のカジュアルなバルで、新入生とも懇親を深めることが出来ました。入店時間が早かったため、ハッピーアワーを利用できたこともラッキーでした。
最後に目黒川沿いを散策しながら、散り際の夜桜を楽しみ、春らしく会を締めくくることが出来ました。

今回で2014年度の見学会は無事終了となりました。お力添えくださった全ての皆さまに、この場を借りて深く御礼申し上げます。至らない点の多い幹事ではありましたが、ありがとうございました。

「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展はもう閉幕してしまいましたが、4月25日(土)よりいよいよ庭園の一部公開が始まっています。また「フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵 マスク展」も開幕しました。ぜひ趣ある東京都庭園美術館へ足をお運びください。

<参考文献>
『増補新装 カラー版 西洋美術史』高階秀爾監修、美術出版社、2002年
東京都庭園美術館編・発行「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展各室解説・参考地図(日本語版)、2015年1月16日

2015年6月13日

[おすすめ]「幻燈展――プロジェクション・メディアの考古学」



・会期:2015年4月1日(水)~8月2日(日)
・会場:早稲田大学演劇博物館
・評者:伊藤 由紀

幻燈。明治・大正の文学作品でたびたび目にはするものの、どういうものだかいまいちピンと来ていなかったので、良い機会だと思って見に行きました。投影のための各種装置と、演博の膨大なスライド・コレクションのほか、幻燈にまつわるさまざまな錦絵が(寄席や学校での投影風景を描いたものはもちろん、たとえば、人物の内心を頭の近くの円の中に描くという手法をとった一連の作品についても、幻燈が発想源であるとして)展示されています。

幻燈機のピント位置合わせとスライドの入れ替えを来場者が体験できる箇所があり、投影される図像のはかなさ(ありていに言えば「見づらさ」)がよくわかりました。

その一方でスライドの展示は、ただでさえ1つ1つが小さい上に、全体的に高い位置に置かれていて、わたしの身長だと正直、まじまじ見るのは厳しかったです。スライドに取り上げられたテーマは多岐にわたり、名所旧跡、日清・日露戦争、世界の風俗、人物肖像、滑稽画、歌舞伎、シェークスピア劇などさまざま。非常に興味深いだけに、展示の見づらさがもどかしかったです。描かれた事物についても、もう少し解説があるとありがたいと思いました。

幸い、本展覧会の図録は青弓社からISBNつきの一般書籍として販売されていて(『幻燈スライドの博物誌 プロジェクション・メディアの考古学』)、こちらには個々のスライドが、解説つきで見やすく収録されています。幻燈機のハード面や、幻燈の視聴体験について知るには会場の展示、その幻燈によって当時流布された図像を見るには図録、という使い分けが必要かもしれません。出版元の青弓社をはじめ、各オンライン書店でも取り扱いはありますが、会場では消費税ぶんお得に購入できるようです。

2016年2月14日

[寸評]旅と芸術――発見・驚異・夢想 Travels and Art: Discovery, Wonder and Dreams

会場:埼玉県立近代美術館
会期:2015年11月14日(土)~2016年1月31日(日)
評者:佐藤 嘉惟

京浜東北線・北浦和駅の西口からしばらく歩くと、木々の多い一角が見えてくる。北浦和公園である。公園の中に埼玉県立近代美術館(The Museum of Modern Art, Saitama、略称MOMAS)はある。

去る2015年12月12日(土)、カタログ評委員会の2015年度第1回見学会ということで、埼玉県立近代美術館にて開催中の「旅と芸術――発見・驚異・夢想」展(監修:巖谷國士氏)を訪ねた。評者は何の備えもないままに赴いたものの、見学会幹事が事前予約していたことで、公園・美術館および展覧会の見どころを教育・広報ご担当の菖蒲沢さんにご案内いただく機会に恵まれた。

まずは美術館の館舎についてご案内いただいた。そもそも埼玉県立近代美術館は黒川紀章(1934 - 2007年)の設計という。正面はうねるようなガラス張で、同じく彼の設計にかかる国立新美術館を彷彿とさせる。外観の描写は評者の筆力の及ぶところではないので下記リンク先の画像をご参照いただきたい。菖蒲沢さん曰く、館舎と外との境界を曖昧にする設計方針によって、正面がガラス張になり、さらに格子状の柱が正面を覆う形になったとのことである。
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=27

次に公園内をご案内いただいた。園内各所に配された彫刻も美術館が管理しており、なんと美術館の館舎に組み込まれた作品もあるという(その名も「ドッキング」)。なお黒川の設計した中銀カプセルタワービルの一室も公園内に置かれている。
週末のうららかな午後ということもあって園内には子供たち・親子連れも多い。毎週土曜日の午後に美術館が「MOMASの扉」という体験プログラムを実施しており、この日は「アート★ビンゴ」なるクイズ企画が実施されているのだと菖蒲沢さんは説明された。クイズの内容を一問だけ教えていただいたのだが、アームチェアを決め込むわけにはいかぬ難問であった。

続いて館内に入り、階段で三階の講座室へ向かった。二階から三階に向かうときは件の「ドッキング」が目を引くのだが、反対側の壁にも面白いものたちがいたようである。壁の汚れを消した際に模様ができるよう部分的に消し残したのだと、後で菖蒲沢さんが教えて下さった。

講座室では「旅と芸術」展について、旅と芸術を結ぶ「と」の意味に思いを馳せるようなワークショップを体験させていただいた。
「旅と芸術」展は個々に旅が表象された芸術作品の結集だったが、ワークショップは複数の作品から旅の物語を導くところから始まった。委員一人ひとりに与えられた課題は、埼玉県立近代美術館の所蔵品(MOMASコレクション)四点のランダムな組合せから一つの旅の物語を抽出すること。ジャンルや洋の東西を異にする作品が混ざって苦戦を強いられたが、導かれた物語はどれも個性が垣間見える興味深いものとなった。
こうして作品に「旅」を見出す視座が共有されたところで、「旅と芸術」展の作品数点について、誰が・いつ・どこへ・なぜ・どのような「旅」をしているのか自由に考える機会が設けられた。委員たちの作品解釈はタイトルが示唆する内容としばしば食い違ったが、美術のイロハも分からぬ評者には作品解釈の手ほどきとなり、展示品を鑑賞するための大きな助けとなった。個々の作品のワークショップを通じて、西洋絵画における「旅」表象の史的展開を、旅の過程――伝聞にもとづく夢想、実地での発見・驚き、記憶の整理と新たな伝聞の発信――になぞらえて俯瞰するのが「旅と芸術」展の枠組みであると感得できたのであった。

以上のような多岐にわたる導入をしていただいたところで、菖蒲沢さんによるご案内は終わることとなり、一行はいよいよ二階の展示室へ向かった。
展示は前述の枠組の下で六つの展示室に分けられ、ほぼ通時的に組み立てられていた(第6室は第4室と同時代)。カタログに従ってその概要を以下に挙げる。

第1室:「旅への誘い」
― 「驚異」の前史
― 古代への憧憬
― ロマン派の旅情
第2室:「オリエントの魅惑」
― ナポレオンと「エジプト熱」
― 北アフリカの情景
― オスマン・トルコ帝国
― 大植民地インド
第3室:「自然・観光・鉄道」
― 風景との再会
― フランス観光
― 西欧各地への旅
第4室:「世紀末のエグゾティスム」
― アール・ヌーヴォーの「異郷」
― 野生の地を求めて
第5室:「空想の旅・超現実の旅」
― もうひとつの世界へ
― シュルレアリスムの旅
第6室:「旅行者の見た日本の自然」
― 富士山さまざま
― 噴火・地震・大津波

「旅と芸術」展が、美術史の長いスパンを「旅」という概念で俯瞰しようとする、極めて意欲的な展示だったことが上の概要からも読み取れるだろう。しかし評者の注意を引いたのは、この展示のいわば第二のテーマとみえた、旅にまつわるテクノロジーと芸術作品との関係である。問題になるテクノロジーとは、交通機関(とくに蒸気機関車)と、旅先の風景をおさめる写真である。

交通機関は旅を変容させたものとして位置づけられ、結果として芸術作品における旅の表象をも変容させたものと位置づけられている。しかし同時に、第3室に展示されたモネClaude Monet(1840 - 1926年)の《貨物列車》(1872年)のように、交通機関そのものが表象された作品も展示されており、テクノロジーと芸術作品との関係の多様さ――あるいは捉え難さともいえよう――を体現する展示だったといえる。

また写真については、たとえば第1室ではピラネージGiovanni Battista Piranesi(1720 - 1778年)の版画と、そこに描かれたローマの名所を撮影した古写真が並列される。第2室の展示の多数を占めるのはオリエントの地を撮影した古写真であり、さらに第3室ではバルビゾン派の風景画とフォンテーヌブローの森で撮影された古写真が並列される。当時の写真撮影は最低でも数秒以上の露光を要したため、たとえば白昼の街路でも無人(実際はうっすらと人の影がみえる)の通りとして写ることになる。このような写真が作家の新たな表現欲を掻きたてただろうことは想像に難くない。たとえばコローJean-Baptiste Camille Corot(1796 - 1875年)の《サン=ニコラ=レ=ザラスの川辺》(1872年)は、強い風が吹いている様子を見て取れる作品だが、動きを絵画にすることへの関心が写真との対比で感じられた。

旅にまつわる技術としての蒸気機関車と写真、という組合せを意識すると、第5室に配されたデ・キリコGiorgio de Chirico(1888 - 1978年)の晩年の作《イタリア広場・アリアドネーの目覚め》は、描かれたもの――光と影のコントラスト・立ち止る二人の影・無人の広場・蒸気機関車から吐き出された煙など――が旅という文脈を引きこんでいるのだと見て取れるのだった。

本展覧会は、旅という概念を「多様性」の発見と再定義しようとしており、それは成功をおさめていたと感じた。実際、旅にまつわる芸術作品には多様な事物の多様な在り方が表象されていた。しかし展示の通時的な枠組は、旅の多面性を、そして旅と芸術との関係の多面性を強調することになったと思われる。それゆえ、「旅」と「芸術」を結びあわせることで、「旅と芸術」展が総体でいかなる視座を提供しようとしたのか、評者は核心を理解することができなかった。個々の細部で示される魅力的な視座によって、芸術作品が旅を取り上げているという以上の全体像を見ることができなかったと評者は感じている。

なお最後の第6室で取り上げられた日本の災害は、欧米からみたエグゾティスムという視点が強調されていたが、日本人写真師の撮影した写真との対照の上でなければ回答を出すのは難しいように感じた。磐梯山噴火など、日本国内においても災害写真の販売・幻燈による上映会が行われていたことは、すでに遠藤正治、北原糸子等によって指摘されている。被災地以外(たとえば東京)では、日本人であっても、欧米人と似たような「驚異」を災害写真に見出していたかもしれない。

過度に長い"寸評"の締めくくりとして、展覧会カタログについて言及したい。
本展覧会のカタログは一般書籍として出版されている。書誌は以下に掲げるとおりである。章全体の概説が入門的な知識を提供し、多くのコラムも掲載されていることから、普段は前近代日本の文字テクストを扱っている評者には西洋美術を学ぶ良い素材ともなった。展覧会前半部の核となっていた個人蔵の古写真の図版が掲載されている点、注目に値しよう。

巖谷國士(監修・著)『旅と芸術――発見・驚異・夢想』(平凡社、2015年、224頁)

*埼玉県立近代美術館の菖蒲沢さんに賜りましたご厚意に、改めて感謝申し上げます。

2016年3月23日

[寸評]教育者・蒐書家・鑑定人 狩野亨吉 生誕150周年記念展

会場:東京大学 駒場博物館
会期:2015年10月17日(土)~ 12月6日(日)
評者:吉岡 悠平

諸般の事情から掲載が遅くなってしまいましたが、昨年の終わりに開催された「教育者・蒐書家・鑑定人 狩野亨吉 生誕150周年記念展」の寸評を書きたいと思います。

狩野亨吉という人物を知っている人は、いまではほとんどいないでしょう。生前、狩野は論文や論説をたくさん書いているのですが、まとまった著書は残していません。また、社会運動に参加したり、政界や経済界に深くかかわったりすることもなかったようです。さらに、四十代前半で京都帝大の教授職を辞したあと、七十八歳で死去するまでのあいだ、東京の小石川にて長い隠遁生活を送っています。このように、狩野は歴史の表舞台に立つような人物ではありませんでした。「狩野亨吉」の名がほとんど忘れ去られてしまっているのは、ある意味では仕方のないことなのかもしれません。

ですが、歴史に名を残すような活躍はしなかったものの、狩野はきわめて魅力的な人でした。教養の高さと懐の深さを兼ねそなえた高潔な人物だったというだけではなく、事業に失敗して自身の蔵書を売り払わなければならなくなったり、女性に対して異常なまでの興味を示したりと、人間味にあふれた人物でもありました。そんな狩野亨吉という人物の魅力に焦点を当てたのが、この展覧会です。ここでは、狩野の人物像に触れつつ、本展覧会の内容や意義を紹介していきたいと思います。

展覧会は、狩野が自身の前半生をふりかえったメモからはじまります。このメモには出生から東京帝大を卒業するまでのことが書かれていますので、彼の人格形成の過程を窺い知ることができます。また、このメモには、狩野が生涯をつうじて追求した二つのことがらについても言及されています。

一つは学問です。狩野は天才型の人間だったようで、特別な努力をしなくても勉強ができたそうです。ただ、数学だけは苦手にしていました。しかし、狩野はメモのなかで「中学を出るまてハ何事に付て人より劣ると云ふ事非さりしか此一科[数学]のみハ甚た不出来なりき」と回想しています。ところが、驚くべきことに、狩野は東京帝国大学理学部の数学科に進学しました。その理由について、青井は「数学が万有科学の基礎であることを覚知したからであった」と述べています。つまり、数学は学問の基礎なのだから、「学徒」である以上、何年かかってもそれを習得しなければならないと狩野は考えたのです。ここに、知の追求者としての狩野の姿を見ることができるでしょう。

もう一つは女性です。本展覧会では性の追求者としての狩野の姿はあまりクローズアップされていませんでしたが、狩野は女性に対しても並々ならぬ関心を抱いていました。狩野はメモのなかで、数学のことについて言及したすぐあとに、「十才の頃にも美女をハ気に止めて記憶せり」と、女性に対して興味を持ち始めたころのことを回想しています。このことからも、狩野の人生において、知と性は並びたつ重要なファクターだったということが窺えます。ちなみに、その後も女性への関心は強まるばかりで、一生涯独身であったものの、膨大な量の春画を蒐集し、自分でもそれに類した絵を描くなどしていたようです。

さて、展覧会は狩野の青春期にすすみます。先述のように狩野は東京帝国大学理学部数学科に進んだのですが、四年後に無事卒業して理学士の学位を取りました。しかし、狩野はそれだけでは飽き足りません。その後すぐに哲学科に再入学し、こちらでも学士号を取ってしまいます。資料によると、当時でも文学士と理学士の両方の学士号を持つことはまれだったようです。しかも、「学問の王」たる哲学と、「学問の女王」たる数学を専攻していたわけですから、まさに知の追求者としての面目躍如といったところでしょうか。

また、狩野が哲学を学んでいたころ、東京帝国大学の文科には夏目漱石、正岡子規、芳賀矢一などが在籍していました。そのなかでも、とくに漱石とは交流が深かったようで、その関係は大学卒業後もつづきました。たとえば、狩野が一高の校長であったとき、ロンドン帰りの漱石を英語講師に周旋したという資料が残っています。さらに、後年の狩野の日記には、漱石が危篤に陥ったさいに見舞いに訪れたこと、葬儀で友人総代として弔辞を読んだことなどが書かれています

大学を卒業したあと、狩野は教育の道に入ります。最初に赴任したのは金沢の第四高等中学校で、その次に熊本の第五高等学校にうつりました。資料によると、狩野は哲学、数学、天文学などを教えていたようです。しかし、熊本にうつってから一年もたたないうちに、東京大学教養学部の前身である第一高等学校の校長に任ぜられます。このとき、狩野はまだ三十三才でした。

一高の校長に着任してからは、のちにさまざまな分野で活躍することとなる、多くの有能な若者たちを指導しました。鳩山一郎、岩波茂雄、吉田茂、谷崎潤一郎などがその例です。校長としての狩野は、精錬実直な人柄と面倒見のよさで生徒たちから慕われていたようです。たとえば、生徒だった補永茂助からは、「先日は御多忙中をも弁へす甚た勝手失礼なる御訪問を申上げしに御怒りも無く懇々と愉快に御はなし下されしのみならす......」とお礼の手紙が届いています。また、生徒の授業料減免のために力を尽くしていたことがわかる資料も展示されています。これらの資料からは、学識の高さや自分の地位を鼻にかけず、生徒一人一人に真摯に向き合いながら教育に携わっていた狩野の姿をうかがい知ることができます。

一高の校長を八年間つとめたあと、狩野は京都帝大の文科学長に任ぜられます。京都帝大では、倫理学の講義を担当しました。また、東大との差別化を図るために実学志向の教育方針を打ち出すなど、文科の教育改革にも取り組んでいたことがわかる資料も存在します。しかし、着任から二年後に、狩野は職を辞しています。表向きは病気が理由となっていますが、実際のところは官僚機構としての大学にほとほと嫌気がさしたからのようです。

先述のとおり、京都帝大を辞職後、狩野は東京にもどって長い隠遁生活を送ります。隠遁生活のなかで、狩野は蒐書と鑑定に力を注ぎました。蒐書に関しては、学生のころから膨大な数の書籍を集めていたようです。京都帝大を去った年の蔵書目録からは、狩野が当時としては信じられないほど多くの本を蒐集していたことがわかります。また、狩野は蒐集した本を秘蔵することなく、頻繁に友人に貸していました。漱石も狩野から本を借りていたようです。

蒐書家としての狩野の最大の功績は、江戸時代の思想家である安藤昌益を発見したことです。明治三十二年、狩野は昌益の『自然真営道』という著作(全百一巻におよぶ大著です)を入手します。この展覧会では、狩野が東京帝国大学図書館に売却した『自然真営道』の一部が展示されていました。昌益の自然観や徹底した平等主義は、日本思想史上類を見ないものです。これに気づいた狩野は、「大思想家あり」として世に喧伝しました。現代では、昌益は高校の倫理の教科書でとりあげられるほどの思想家として認知されていますが、もし狩野が『自然真営道』を発見しなければ、あるいはその真価を解さなければ、昌益は忘れ去られたままだったでしょう。

隠遁生活において、狩野は蒐鑑定を稼業としていました。それ以前にも鑑定の仕事はしていたようですが、大正八年に明鑑社を設立して以降、狩野はプロの鑑定士として活動します。学識のある人物らしく、鑑定士としての狩野は「科学的方法に拠る鑑定」を看板にかかげていました。その腕前のほうも確かだったようで、当時話題になっていた、神代のものとされる古文書の鑑定を依頼され、古文書の内容に関する詳細な論文をつけて贋作と断定しました。(ちなみに、この論文は「天津教古文書の批判」というタイトルで、現在はインターネットでも読むことができます。)この古文書に関しては、本依頼人に宛てられた鑑定書も展示されていました。

こうして、狩野は蒐書と鑑定にいそしみながら悠々自適の隠遁生活を送っていましたが、生活はかなり苦しかったようです。蒐書にお金がかかるため、狩野はもともと貧乏な生活を送っていたようです。それに加えて、大正のはじめごろ、狩野は後輩のすすめで「やすり」の会社の経営に携わったのですが、見事に失敗して多額の負債を抱えてしまいます。そのため、大量の蔵書を東北大学などに売り払わなければならなくなりました。狩野は貧しさのなかでも精力な晩年を送っていたようですが、昭和十七年、胃の病気のため七十八才で亡くなります。誰にもみとられることのない、孤独な死でした。

この寸評では狩野の足どりをたどってきましたが、その生涯はけっして目立たないものの、きわめて奥行きの深いものだったといえるのではないでしょうか。狩野自身の人柄や功績、取り巻く人々、明治から昭和にかけての激動の時代。本展覧会は、豊富な資料にそうしたことがらを語らせつつ狩野亨吉という人物の魅力を現代に伝える、すばらしい展覧会でした。

最後に、この展覧会がもつ意義に触れておきましょう。本展覧会は狩野亨吉の生誕150周年を記念して開催されました。メモリアルイヤーということで、2015年には、東北大学附属図書館において「狩野文庫の世界~狩野亨吉と愛蔵書~」展が、九州大学医学図書館において「九州大学附属図書館と狩野文庫―眼科学教室旧蔵本を中心に―」展が開催されました。東北大学と九州大学の展覧会は蔵書展という性格が強かったようですが、それらに比して、本展覧会は狩野の生涯に焦点を当てた内容となっています。

このような内容の展覧会が可能になった背景には、駒場博物館に所蔵されている膨大な数の文書類、通称「駒場資料」の存在があります。駒場資料は研究者垂涎の貴重な資料だそうで、それがこの展覧会を大変意義あるものにしています。また、これらの資料は狩野研究者だけではなく、明治時代の教育制度や日本思想史に関する研究においても重要になると思われますので、今後これらの分野においても活用されることが望まれます。なお、展示資料は駒場博物館のホームページ上にPDF形式で公開されていますので、そちらもどうぞご覧ください。

<参考文献>
青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』明治書院、1974年
鈴木正『増補 狩野亨吉の思想』平凡社、増補版、2002年

2016年7月22日

[おすすめ]ジュリア・マーガレット・キャメロン

会場:三菱一号館美術館
会期:2016年7月2日(土)~ 9月19日(月・祝)
評者:佐々木悠介
寸評:三菱一号館美術館にお勤めの岩瀬慧さん(比較文学比較文化コースOB)のご案内で、開催中の「ジュリア・マーガレット・キャメロン ----写真に生命を吹き込んだ女性」展に行ってきました。

マーガレット・キャメロンは19世紀を代表する写真家の一人で、ポートレイト写真が中心です。彼女の模索の中で、伝統的な西洋絵画の影響も受けつつ、現在に通じるポートレイト写真の構図が徐々に確立されていくのですが、今回の展覧会はそれをじっくりと観ることのできる貴重な機会でした。

ロンドンのVictoria and Albert Museumの全面的な協力で構成されていますが、私自身は、最後の展示室(=キャメロン後の世代の写真家たち:日本で独自に追加した展示)でスティーグリッツの4枚の作品を観て、キャメロンからの連続性の中でしかわからないスティーグリッツの革新性を、あらためて実感しました。

また、これは岩瀬さんの受け売りですが、今回の展覧会では、複数枚を組み合わせたパネルでも、一枚一枚の写真に当たる光量が厳密に調整されていて、三菱一号館ならではの繊細な環境で写真を観ることができます。

絵画を専門とされる方、写真に興味のある方、いずれにもおすすめの展覧会です。

2016年12月29日

[おすすめ]畠山直哉写真展 まっぷたつの風景

会場:2016年11月3日(木)〜2017年1月8日(日)
会期:せんだいメディアテーク
評者:佐々木悠介
寸評: この展覧会は、旧作の風景写真(前半)と、震災以後撮り続けてきた故郷陸前高田の写真(後半)を組み合わせた大規模な企画展です。

 ここでは後半の感想だけに留めたいと思うのですが、畠山直哉の震災写真は、決して「震災の記憶」とか「復興の記録」といった陳腐なクリシェに回収できないものでした。
 壁に展示された作品の他にコンタクトシートが時系列に展示され、写真家が震災ですべてが失われた故郷の風景といかに向き合ってきたのかということが、緊張感をもって伝わってくる仕掛けになっています。
 震災直後から故郷を撮り続けていく過程で、写真家は次第にその瓦礫の中に、散乱した市役所の資料の中に、あるいは津波で土台だけになった建物の残骸にすら、画面を構成するリズムを見出していきます。それはちょうど、畠山が90年代後半に撮った「光のマケット」というシリーズ(今回の展覧会では前半の最後に置かれていました)の、白黒写真で捉えた都市の灯りが画面の中で構成していた、あの調性とリズム感に通じるものがあります。そして、何もなくなった故郷の写真を五年半にわたって撮り続けながらそうした画面のリズムを取り戻していく営みこそが、写真家にとって震災で負った傷を癒すことに他ならなかったのではないか、という気がします。
 震災で住む場所も食べる場所もなくなった時に、文化や芸術なんて何の役に立つんだ、そんなものは二の次だろう、という見方もあるのかもしれません。しかし絶望的な状況の中で、それでもフレームの中にリズムをもたらしていく写真家畠山の眼こそはまさしく文化の営みであり、そしてやはり文化がなければ人間は生きていけないのだということが、この展覧会を観て私が強く感じたことでした。

 なお、今回の展覧会に際して図録は刊行されていませんが、何らかに展覧会を記録した書籍を出す予定であるとのことです。また畠山直哉の陸前高田の写真はすでに写真集に入っているものもありますが、私見ではLight Motiv刊の洋書(『RIKUZEN TAKATA』)が、「のど」を跨いで掲載されている図版が少なくて良いかもしれません。 

2017年3月12日

[おすすめ]花森安治の仕事:デザインする手、編集長の眼

会場:世田谷美術館
会期:2017年2月11日(土)〜2017年4月9日(日)
評者:佐々木悠介
寸評: 『暮らしの手帖』を立ち上げ、長年編集長を務めた花森安治の展覧会に行ってきました。

 私なりにこの展覧会のポイントを列挙すると、まず、雑誌の編集という謂わば「メディア=媒体」を展覧会のテーマとして立てるということじたいが、極めて現代的で面白い試みであるということがあります。
 さらに、アーティスト=花森のデザイン・レイアウトを概観するという、テクスト&イマージュを研究対象とする者にとって興味をかき立てられる要素があります。
 そして、単に『暮らしの手帖』の花森にとどまることなく、戦時中の大政翼賛会での活動にまで踏み込んで取り上げているということが挙げられます。カタログでも「論稿」というよりは「記事」と呼ぶべき短いものではあるとしても、このテーマについてキュレイター寺本美奈子氏の文章が掲載されています。

 世田谷美術館らしい、新鮮で充実した展示であると思いますので、まだの方は是非御覧になることをおすすめします。
 カタログは2400円(ISBNのないもの)、紙質にも拘っていて、良質なものでした。


 展覧会を観た後に、書店で現在の『暮らしの手帖』を立ち読みしましたが、表紙のデザインを含めて、花森の時代と比べるとまったく次元が違う、かなりスケールダウンしたという印象でした。

2017年3月31日

[寸評]ロマノフ王朝展(上)

会場:東洋文庫ミュージアム
会期:2017年1月7日(土)〜4月9日(日)
評者:松枝佳奈
寸評: ロシア革命から百年後の2017年、日本でこのような企画展が開催されたことは大変歓迎すべきことである。本展が東洋学の専門図書館・研究所である東洋文庫で行われ、展示品全70点のほぼ全てが同館の蔵書および所蔵品で構成されたことは、きわめて画期的なことであり、日露交渉史や日露文化交流史、欧米と日本におけるロシア研究史や欧米における日本学などの研究に対する東洋文庫の重要性を改めて提示したといえよう。

 1階のオリエントホールでは、企画展の趣旨に沿った東洋文庫の蔵書21点が一挙に展示されている。イェルマークのシベリア戦役について記述された英語文献に始まり、シベリアや極東の地理的・生物学的調査の結果がまとめられたロシア語文献や、桂川甫周『北槎聞略』の校訂本(1932年版)、19世紀末のシベリア・満洲・アムール州などの統計や情報を網羅したロシア語の地方便覧、榎本武揚『西伯利亜日記』などがあり、一口にロシア関係文献と言っても、言語や分野は実に多様である。
 本展の副題には「日本人の見たロシア、ロシア人の見た日本」とあるが、上述のオリエントホールの展示に象徴されるように、その内実はかなり複雑である。「ロシアから見た日本」のまなざす方角には、おのずからシベリアや極東が含まれており、「日本から見たロシア」というまなざしの起点は蝦夷地や極東、シベリアにあり、そこからサンクトペテルブルクなどのヨーロッパ側のロシアへと陸続きに伸びていく。そこに「西洋から見たロシア(とシベリア・極東)」という第三のまなざしが加わって、より錯綜したものとなっている。これが「日本人の見たロシア、ロシア人の見た日本」に大きく影響している点に、江戸後期以来の日本のロシア研究およびその理解の実態の捉えどころのなさや、日露両国の相互理解の困難さの一因があることを改めて痛感させられた。
 
 階段で2階に上がると、床から天井までを埋め尽くすかのような巨大なモリソン書庫が来館者を待ち受けている。その中に、帝政期のロシアで刊行された当時の最先端のファッションやロシア各地の諸民族について記述された絵入りの豪華装丁本が展示されている様は、圧巻の一言である。それらの展示の上や横に垣間見えるG.E.モリソンの極東・シベリア関係の蔵書も、背表紙のタイトルのみしか目にできないが、同時代の知識人のロシア認識の一端を示すものとして一見の価値があるだろう。((下)につづく)

[寸評]ロマノフ王朝展(下)

会場:東洋文庫ミュージアム
会期:2017年1月7日(土)〜4月9日(日)
評者:松枝佳奈
寸評:((上)からのつづき) 
 2階の企画展示で視覚的に印象深かったのは、デジタルブックとなった「プチャーチン来航図」と「蝦夷島奇観」、そしてガラスケース展示の大槻玄沢『環海異聞』である。普段なかなか実見することのできない作品をデジタルパネル上で自在に拡大して観察し、実物によく近づいてじっくりと眺められることはこの上ない体験である。丁寧に色鮮やかに描かれたロシア人やアイヌの人々の図からは、当時の日本人のロシアや蝦夷地、そしてそこに生きる人々への好奇心と畏怖がうかがえる。
 研究資料としての価値を認識させられたのは、桂川甫周訳『魯西亜誌』(1793年)とキュネル著『ロマノフ朝ロシアと極東の関係』(1914年、ウラジオストク刊)であった。前者のパネル解説には、「日本のロシア研究のパイオニア」とあり、日本の蘭学者と彼らによる世界地理書の研究が近世以降のロシア研究や対露観に与えた影響の大きさを再認識すべきことを促す、一考に値する見解である。後者は帝政末期の極東ロシアでロシア人東洋学者が北東アジアを一体としてとらえる地域研究の先駆けとして紹介されており、当時のロシアの東洋学者が北東アジア史研究や地域研究にも着手していた点は大きな発見であった。

 展示パネルやキャプションにはユーモアあふれるイラストやキャッチコピーが用いられ、比較的平易な説明が心がけられている。また声優の上坂すみれさんが会場の音声ガイドを担当するなど、若年者や漫画やアニメなどのポップカルチャーのファンを意識した構成となっており、ロシアの歴史に初めて触れる来館者にも分かりやすく、予備知識なしでも展示を十分に楽しめる。
 その一方で、通常、専門家や研究者の利用が多い東洋文庫であるからこそ、展示や展示品リスト、販売されている企画展のブックレットには、研究資料や書誌としても利用できるように、より細やかな配慮があるとなお良いかと思われる。たとえば、展示品の文献のキャプションには、ロシア語や英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語などでの原語表記が求められるだろう。これにより、ただちに蔵書の検索や閲覧ができ、東洋文庫のより積極的な活用にもつながるのではないか。また東洋文庫所蔵のロシア関係文献は他にいかなるものが存在するのか、その規模はどの程度のものであるかなど、詳細なデータや統計資料などがあるとさらに書誌としての価値は高まるに違いない。

 本展はおそらく企画展開催の予算等が限られているなか、貴重かつ充実した蔵書を存分に活用して、下記の点を提示したきわめて良質なものである。第一に、ヨーロッパや日本においてロシアを研究することは、きわめて地理学的・民族学的な営為であり、その方法論はおおむね18世紀以降の東洋学と軌を一にしていたといえるだろう。この点において本展が今回東洋文庫で開催されたことは必然的であると思われる。第二に、日露関係を考察する際、日露戦争やロシア革命、第二次世界大戦期など20世紀以降のみに焦点を当てるのではなく、ロマノフ王朝の歴史を縦糸として、16世紀から20世紀初頭までを通覧することの重要性が浮き彫りとなった。特に18世紀から19世紀、そして20世紀初頭まで一つのまとまった時系列として見ることで、日露関係における過去と現在の連続性を改めて強く意識させられるのである。
 本展をきっかけとして帝政ロシア時代の日露関係、18世紀以来の日本のロシア研究などへの関心が日本国内でさらに高まっていくことを期待したい。

2017年12月20日

[おすすめ]生誕100年 ユージン・スミス写真展

会場:東京都写真美術館
会期:2017年11月25日-2018年1月28日
評者:堀江秀史
寸評:ユージン・スミス展に行ってきました。
 アメリカの田舎で医師として地域社会に貢献する「カントリー・ドクター」(1948)、あるいは日本の高度経済成長の負の側面を追った「水俣」(1971-73)のイメージが私の中では強く、彼には「人道主義の写真家」という認識ばかりがあったのですが、ちょうどそれらの間の時期、ニューヨークのロフトで不安定な精神状態で生活を送っていた時に撮られた写真たちに、強く心惹かれました。降りしきる雪の向こうに建つ高層アパートと剥き出しの非常階段、恍惚の表情でドラムを激しく演奏するロニー・フリー、おそらくは小さなライブハウスの闇に浮かぶアルバート・アイラーの横顔。《アルバート・アイラー》からは、デザイナーの方達がよく唱える「余白の大切さ」(ポスターなどで文字や絵が入らない場所が効果を生むという考え方)が一目瞭然で感得できるとても洗練された作品です。
 展示は、写真そのものがやはりとても良いことに加えて、「カントリー・ドクター」のプリントと並べて、ライフ誌面も見ることができて行き届いていました。カタログの図版としては、会場で見たプリントの印象から落ちるものがあるのが残念です。例えば《アルバート・アイラー》は黒の余白がとても大事だと思いますが、細かな白い斑点が入ってしまっています。また、上述の《降雪の中のアパート》ですが、オリジナルプリントは「16.2×10.4cm」と小ぶりなところが、寒く縮こまった精神と重なって切なくさせられましたが、図版は他と比して大きく印刷され、そのあたりの感覚は感じられませんでした(欲張りですが、、、)。Rebecca A. Senf氏の論文や文献一覧の情報は充実していると思います。
 なお、カタログはISBN付で、『ユージン・スミス写真集』と銘打たれて販売されています。本展覧会の情報が一切載っていないのは、カタログであるよりも書籍として残す意図でしょうか。スミスの日本での受容史としてこの展覧会が記憶されるべきだとしたら、そうした情報がないのは記録としての価値を損なうものではないかなと思いました。せめてここに書かせて頂く理由の一つです。

2018年1月23日

生誕100年 ユージン・スミス写真展

会場:東京都写真美術館
会期:2017年11月25日〜2018年1月28日
評者:佐々木悠介
寸評:恵比寿の東京都写真美術館で、会期終了間際の「ユージン・スミス」写真展に行ってきました。

一番気になったのは「第1部 初期作品」の冒頭に展示されていたアメフトの写真で、今となってはごくありふれた構図のスポーツ写真で、いつどこで撮ったものかわかっていないらしく、「撮影地不明、1934-43年」となっていました。
しかし今日の目で見てありふれた構図のスポーツ写真だからこそ、正像の一眼レフはなかった時期にどんな機材で撮影したのかということと、スポーツ写真のクリシェが確立していない段階でこの構図はどこから来たのだろうかということを考えました。
選手にポーズをとらせて(つまりあまり動きのない状態で)撮ったのだとすれば技術的な疑問は解消しますが、構図の問題は残ります。絵画との関連も含めて、もう少しスポーツ写真を調べてみなければならないと思わされました。

堀江さんも言及されている「カントリー・ドクター」については、フォト・エッセイで最後の一枚として使われていた、コーヒーカップを手にした医師の写真に、フォト・エッセイのキャプションとは全く違うタイトルが付けられていたのを面白いと思いました。

展覧会カタログ(クレヴィス刊)も見ましたが、管見では学術論文として新しい研究成果を含んだものは掲載されておらず、レベッカ・A.・センフによる通り一遍のスミス紹介「論文」が載っているのみでした。また文献表はありましたが、一次資料のみで研究文献は掲載されておらず、この程度のカタログでは、ヨーロッパやアメリカの主要な写真美術館が刊行する展覧会カタログとは比ぶべくもありません。残念です。

2018年4月25日

[おすすめ]『光画』と新興写真:モダニズムの日本

会場:東京都写真美術館
会期:2018年3月6日〜2018年5月6日
評者:佐々木悠介
寸評: 所謂日本の「モダニズム写真」の作品展示という意味ではそう珍しいものはありませんが、一番の見所は、これまで詳細がわかっていない「独逸国際移動写真展」の日本巡回展(東京朝日新聞社および大阪朝日会館、1931年)の作品リストが展示されていることです。この展覧会は日本の写真界が「モダニズム写真」へと舵を切って行くにあたって大きな影響を及ぼしたとされているものですが、これまで詳しい資料がなく、十分に検証できていません。(私も所属している)「朝日会館・会館芸術研究会」でもこのリストは入手していませんでした。
 残念ながら今回の展覧会カタログにはこのリストは収録されていませんので、大事なところを筆写せざるをえませんでした。幸い、平日のせいもあってか会場は空いていましたので、心置きなく作業できました。
 なお、展覧会カタログ(国書刊行会刊)には雑誌『新興写真研究』の全巻(1930-31)が収録されています。

2018年8月 6日

[おすすめ]ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界

会場:三菱一号館美術館
会期:2018年6月28日--9月17日
評者:松枝佳奈
寸評:およそ240年前、1780年に創業したフランス・パリのジュエリーメゾン、ショーメの伝統と歴史、魅力を、約300点の宝飾品と未発表のデザイン画、写真等で紹介する日本初の展覧会。
日本では、ナポレオンの皇妃の名を冠した「ジョゼフィーヌ」をはじめ、華やかな婚約指輪や結婚指輪、ネックレスなどを製作していることで知られています。そのような経緯もあり、来館者の大半は20代から60代の女性でした。
展覧会の構成は、そのような来館者の層を十分に意識したものとなっています。美術館入口では、展示品のティアラやブローチなどの写真が印刷された限定ポストカードが配布されていました。おそらくミュージアムショップで販売されているものとは異なっており、来館者の好奇心をくすぐります。
また多数の美しいティアラが展示されている第3章の会場では、来館者が自由に展示品や会場の写真を撮影することができました。SNSに掲載したり、家族や友人、知人に見せたりするなど、展覧会後に撮った写真を眺め、振り返る楽しみも増えることでしょう。
展覧会には、カタログでは知り得ず、美術館や博物館に実際に足を運ばなければ分からない美しさや面白さが多々あります。その一つは展覧会の内装でしょう。展示室は、皇族や貴族の邸宅を想起させる壁紙のほかは、黒を基調とし、展示品に小さなスポットライトを当てています。それによって細部まで趣向が凝らされた宝飾品の持つ輝きのみならず、それが生み出す繊細な陰影をも楽しむことができます。
さらに驚くべきことに、本展の宝飾品を展示するためのガラスケースの多くが、この企画展のために製作されたものだそうです。遠近法を応用した奥行きのあるケースや、波型、ジグザグ、円形の背景、そしてアール・デコを意識した四角形の枠を用いたケースなどは、会場でしか見ることができません。特に見どころと思われるのは、第2章のガラスケースです。同章の展示品《麦の穂のティアラ》にインスピレーションを受けた、穂の垂れた麦の繊細なカットが施されています。それが黒の背景に映え、また展示品も引き立てています。
歴史的なショーメの作品と近年(2000--2018年)のショーメの作品が同じように並んでいるのは、とても興味深く思われます。ただし「自然の美を宝飾品に取り入れる」という点においては、19世紀や20世紀初頭の作品のデザインが圧巻であると感じられたのは、筆者だけでしょうか。
本展は、比較文学比較文化研究室の修了生で、同館学芸員の岩瀬慧さんがキュレーションを担当され、多方面で開催に尽力されました。夏の昼下がりに、本展の舞台裏など貴重なお話をお聞かせくださった岩瀬さんに改めて御礼申し上げます。

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2019年3月14日

[おすすめ]福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ

会場:東京国立近代美術館
会期:2019年3月12日--5月26日
評者:松枝佳奈
寸評: 日頃、19世紀から20世紀初頭までのロシア美術、とりわけリアリズム絵画や印象派の画家たちの作品に親しんでいる筆者にとって、日本近現代の前衛芸術はどうしても縁遠く、あまり馴染みのないものでした。高度な抽象性を備えた前衛芸術の作品のどこに注目して鑑賞すればそのおもしろさや魅力を感じとることができるのか、なかなか理解できずにいました。恥ずかしながら、1930年代の日本にシュルレアリスムを紹介して前衛美術運動のリーダーとして活躍し、2018年に生誕120年を迎えた画家・福沢一郎(1898-1992)についても、何も知らなかったのです。
 しかし本展で紹介された福沢の作品群は、筆者のように日本の前衛芸術をほとんど知らず、基本的な情報や予備知識のない鑑賞者に対しても何らかの感興をもたらし、思索をうながす迫力を持っているといえるでしょう。その源は、本展で提示されているとおり、まず社会や時局、人間一般に対する鋭い批評性や、知的な機知と風刺に富んだ主題の選択です。福沢自身は、特定の思想や党派には与していないと公言していたようですが、それは思想・言論弾圧や戦争という日本の芸術家たちが置かれた過酷な状況を切り抜け、芸術表現の自由を守るための方便だったのではないかと思わざるを得ません。彼の作品を見れば、労働者や被差別者、弱者、女性、子どもなどの一般の市民とともにあろうとする姿勢や、支配者や権力に対する反抗精神、人間と社会が抱える根源的な問題に対する関心や批判がかなりストレートに表現されているのは明らかです。
 油彩87点、素描9点、写真7点の計103点から成る本展は、多彩な福沢の活動と、以上のような彼の作品の特徴を全面的に押し出すことに成功していると思われました。また本展の出品リストを兼ねて制作されたユニークな「謎解きシート」も、来館者が福沢の作品への関心や理解を深める大きな手助けとなっています。
 さらに本展に足を運び、福沢の作品に一挙に触れて実感したのは、〈人間嫌い〉(1928)や〈メトロ工事〉(1929)などの福沢の初期作品ですでに見られる斬新かつ優れた構図や、中期以降により洗練されてくる色彩の表現が、同時代の他の前衛芸術家と一線を画していたことです。たとえば主題が右斜め上に向かって上昇するように描かれる構図や、人物や風景の描写でしばしば大胆に用いられる淡いトーンの緑色、中期から後期の作品で頻繁に使用された独特な色調の桃色、鮮やかで刺激的な朱色などが挙げられるでしょう。これらは、鑑賞者の視覚のみならず、聴覚や感情、知的感覚までも揺さぶるエネルギーに満ちています。そして晩年に至るまで、シュルレアリスムやプリミテヴィズムなど自在に変化する画風と表現手法や、ダンテの『神曲』や日本の古典をはじめとする古今東西の文学や文化、社会を貪欲に自らの芸術作品の主題へと昇華させていく福沢の飽くなき意欲に驚かされました。ただしこのような福沢の芸術に対する旺盛で挑戦的な姿勢や、さまざまな表現手法や主題を自らの手中に収める器用さのために、かえってその画業の全体像や特徴をとらえることが困難になり、日本近現代美術史のなかで正当に評価されにくい状況が生まれているのかもしれません。
 それでも本展を鑑賞したあとに、同館2階から4階の常設展示を改めて観ると、福沢の作品や表現と比較することで、他の同時代の芸術家たちの作品を能動的に愉しんで鑑賞することができ、日本の前衛美術への関心や理解が深まったように感じました。
 本展は、比較文学比較文化研究室の修了生で、同館美術課研究員の古舘遼さんが初めてキュレーションに携わられ、開催にご尽力されました。展覧会開催直後のお忙しいなか、本展の内容や福沢の作品の魅力を丁寧にご紹介いただき、舞台裏など多くの貴重なお話をお聞かせくださいました古舘さんに改めて御礼申し上げます。

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2019年4月10日

[おすすめ]ウィリアム・モリス--理想の書物を求めて--

会場:明星ギャラリー(明星大学日野校 資料図書館2階)
会期:2019年3月22日~12月21日(3期に分けて展示替えあり)
評者:大西由紀
寸評:

非常勤先の大学で開催中の貴重書コレクション展をご紹介します。

明星大学では、ウィリアム・モリスによる私家印刷工房、ケルムスコット・プレスの出版物の大部分を所蔵しているそうで、それを年代順に約20点ずつ、3期に分けて展示するコレクション展が始まりました。

第I期の現在展示されているのは、『輝く平原の物語』(1891年)に始まる初期の刊本18点に、全会期を通して展示予定の『チョーサー著作集』(1896年)。展示ケースの背景にもモリス・デザインのファブリックが使われていて(これは賛否分かれそうですが)、どっぷりとモリスの世界に浸れます。しかもフラッシュなしなら展示室内でも写真を撮り放題。

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これは訪問時間帯にもよるでしょうが、平日の授業時間中に見に行ったわたしの場合は、展示室をほぼ貸切状態で、ガラスケースを舐めるようにじっくりねっとり見て回れました(注:舐めてません)。活字部分の紙面の凹み具合とか、オーナメントのつながりとか、気になるところを気の済むまで眺めさせてもらえたのがありがたかったです。

それだけに残念だったことのひとつが、特別展示のアルビオン印刷機(ミズノプリテック株式会社所蔵)にかかっていたのが、ケルムスコット・プレスっぽい書体ではなかったことです。同じものは用意できないにしても、もう少し雰囲気の近いものか、ごく定番の活字にしておけば、と思いました。もうひとつ、展示の英文キャプションで、アポストロフィーを使うべきところがいわゆる「マヌケ引用符」になっていたのだけど、美しい書物にまつわる展示でコレはありえない。とはいえ、キャプションの印象なんて一瞬で上書きされるくらいに、出品物の物量感が圧倒的ではありました。

一部出品物の図版を含んだ無料の小冊子と、全会期分の出品リストに加えて、無料のオリジナルグッズもいろいろ用意されています。『黄金伝説』(1892年)の紙面を使ったブックカバー、装飾頭文字を使った栞(全10種類)、特製ラベルデザインのミネラルウォーターなどなど。SNS投稿や、3つの会期すべてに来場してスタンプを集めた場合にも、グッズのプレゼントが予告されています。

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ブックカバーをA5サイズ、厚さ約1cmの本にかけてみました。右開きの本の表紙側にタイトルが来るようにレイアウトされています。

入場無料、要身分証提示。

なお、学期はじめの現在、多摩モノレールは一部時間帯でたいへん混雑します。ご来館の際は、近隣大学の1・2限開始時刻(9:00、10:45~50)の前後を避けていらっしゃることを、強く強くお勧めします。

大学プレスリリース

資料図書館からのお知らせ

2019年5月 8日

「ある編集者のユートピア」展 (上)

会場:世田谷美術館
会期:2019年4月27日(土)~6月23日(日)
評者:佐々木悠介
寸評: 3月に「田沼武能写真展」を観に行って本展のことを知ったときは、少なからず驚いた。
 小野二郎(1929ー1982)と言えば、ウィリアム・モリスの研究者であり、われわれにとっては比較文学比較文化コースの大先輩であり、とくに狭義の「文学」の枠におさまらない分野をやっている者にとっては、大切な先達である(げんに私の研究室にも、書架の目立つところにその著書を何冊か並べてある)。明治大学で教鞭を執られ、同時に晶文社を興して出版界にも足跡を残した、という程度のことは知っていたが、展覧会の対象になる(それも文学館ではなく美術館の)とは思えなかった。しかし、面白い企画を次々と繰り出す世田谷美術館のことだから、きっとなにかあるのだろうという漠とした期待を抱いて、会期の三日目に足を運んだ。

 展示は三部構成で、さらに各部が数章に分けられている。
 第Ⅰ部は研究者としての小野と、ウィリアム・モリスを取り上げている。そのうち第2章には印刷博物館の所蔵するケルムスコット・プレス(ウィリアム・モリスの印刷工房)刊行の書物が、何冊も並んでいた。これだけまとめて実物を見ると、そのデザインの傾向を肌で感じることができる。なお、ケルムスコット・プレスについては明星大学がかなりのコレクションを持っているそうで、同大学で今年いっぱい、展示替えをしながら公開されているということを、このブログに大西さんが書かれた記事で知った。

 第Ⅱ部は、修士課程修了後の2年間の弘文堂勤務と、その後の晶文社での活動をとおして編集者としての小野二郎に光を当てている。敢えて言えば、この中の第2章は少々「晶文社」展の色が強すぎたかも知れない。たしかに小野が親友の中村勝哉社長と二人で興したのが晶文社だが、すべての本に同じように関与したわけではあるまい。そもそも没後に刊行された本も並んでいる。われわれとしてはもう少し、小野がどの本にどのように関与したのかというのを知りたかった。
 同社の面白いのは、人それぞれ抱くイメージが違うくらいに様々な分野の記念碑的な書籍を刊行してきたことで、たとえば私なら、中平卓馬の評論集『なぜ、植物図鑑か』、スーザン・ソンタグの『写真論』、それにリチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』(この藤本和子訳は、ブローティガンを原書で読んだ後でもやっぱり手に取りたくなるような、不思議な魅力に満ちた翻訳だが、管見では『鱒釣り』は藤本の訳業の最初のもので、いったいどうしてこのようなキャスティングが可能だったのかと、感嘆の念すら覚えずにはいられない)とか、そういったものがまず真っ先に思い浮かぶ。
 そう言えば、『ボブ・ディラン全詩集』も晶文社刊であったことを、今回の展覧会で認識させられた(僕はボブ・ディランをよくわかっていないので)。少々脱線すると、本郷の文学部のウェブサイトに卒業生インタビューのコーナーがあって、今をときめく新政酒造の佐藤祐輔社長が登場している。曰く、卒論でボブ・ディランを取り上げたら、「あのころはボブ・ディランを文学と認めてくれなくて、ぼろくそに言われました。ところが今年、ボブ・ディランがノーベル賞をもらいましたね。時代が私に追いついたんでしょうか(笑)」(このインタビューはなかなか傑作なのでぜひご覧いただきたい)。しかし考えてみれば、同氏だって卒論を書かれる頃にはボブ・ディランを英語で読んだかも知れないけれども、きっとその精読プロセスの最初のほうに晶文社の『全詩集』があったはずだ。とすれば、時代が晶文社に追いついたとも言えるではないか。
 しかしだからこそ、晶文社のあの一連の70年代から80年代初頭の刊行物に、小野がどのように関わったのか、企画の段階で関与したのはどの書籍なのか、是非とも知りたかった。前述のもので言えば、ソンタグの訳者、近藤耕人は小野に謝辞を書いているが、『アメリカ鱒釣り』訳者あとがきに小野二郎の名前は見当たらない。

(下に続く)

「ある編集者のユートピア」展 (下)

会場:世田谷美術館
会期:2019年4月27日(土)~6月23日(日)
評者:佐々木悠介
寸評: 第Ⅲ部は、小野が晩年に講師として通った高山建築学校と、さらにそこでの講師仲間であった石山修武の「世田谷村」(2001年)の展示だった。私自身は、小野二郎が建築分野にもこれほど深い関心と関わりを持っていたことを知らなかったので、この第Ⅲ部はまったく新しい発見になった。と同時に、ここまでくればこの展覧会の意図するところがはっきりしてくる。つまりこれは小野二郎の業績を回顧するための展示という以上に、小野が生きていたら見届けたであろう広大な文化的、芸術的風景を描き出そうとする展覧会なのである。だからこそ、ある時期小野と密接に関わった人たちがその後に成し遂げた仕事、つまり晶文社のさまざまな刊行物とか、世田谷村とか、そういったものが大事になってくるのである。

 第Ⅲ部の最後に、1980年の高山建築学校で小野が行った、15分程度のミニ講義の映像があった。『ガリバー旅行記』から始めてベラミーへ、モリスへと拡げながら、ユートピア思想とは、労働とは、芸術とは、とめまぐるしく話題を転じていく。冒頭でスウィフトに言及されるのを聞いて、すぐに堀大司の影響を思った。本展第Ⅱ部の年譜に、一高の「英語の担当教官に島田謹二と堀大司がいた」とあったのが、ここで繋がったのである。
 なお、この講義映像に見る小野二郎はすでにだいぶメートルが上がっていたのかも知れなくて(本展で小野が一升瓶を抱きかかえるようにして座っている高山建築学校の写真を観た後では、そう無理な想像というわけでもない)、話があちこち飛んだり、勢いで締めくくったりしたところはあるようにも見受けられたが、この映像を二回通して観て、やはり生前の小野二郎に会ってみたかったと強く思った。

 われわれが本展によって考えを改めなければならないのは、このようなことであろう。つまり小野二郎はモリス研究者として大学で教える傍ら、晶文社「も」やっていた、などというのではなくて、かくも多才でエネルギッシュな人物にとって、大学教員としての仕事は、日々の労働(ただしそれはモリス主義者のもっとも崇高な意味での「労働」だが)の一つに過ぎなかったのだ、ということである。

 このような、お客さんの入らなそうな展覧会を企画した世田谷美術館に、拍手を送りたい。これまでにも『フェリックス・ティオリエ』展のように、誰も知らない写真家の展覧会を敢行されるような(無茶な)ところはあったにせよ、本展の「閑古鳥」ぶりはきっとそれを凌駕するだろう。それでも本展は、ある種の人文系学術研究が20世紀後半の日本における出版界や芸術・文化活動と密接に関わり、しかも潜在的な社会運動ですらありえたことを、見事に示したと思う。

(文中敬称略)

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