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2019年5月 アーカイブ

2019年5月 8日

「ある編集者のユートピア」展 (上)

会場:世田谷美術館
会期:2019年4月27日(土)~6月23日(日)
評者:佐々木悠介
寸評: 3月に「田沼武能写真展」を観に行って本展のことを知ったときは、少なからず驚いた。
 小野二郎(1929ー1982)と言えば、ウィリアム・モリスの研究者であり、われわれにとっては比較文学比較文化コースの大先輩であり、とくに狭義の「文学」の枠におさまらない分野をやっている者にとっては、大切な先達である(げんに私の研究室にも、書架の目立つところにその著書を何冊か並べてある)。明治大学で教鞭を執られ、同時に晶文社を興して出版界にも足跡を残した、という程度のことは知っていたが、展覧会の対象になる(それも文学館ではなく美術館の)とは思えなかった。しかし、面白い企画を次々と繰り出す世田谷美術館のことだから、きっとなにかあるのだろうという漠とした期待を抱いて、会期の三日目に足を運んだ。

 展示は三部構成で、さらに各部が数章に分けられている。
 第Ⅰ部は研究者としての小野と、ウィリアム・モリスを取り上げている。そのうち第2章には印刷博物館の所蔵するケルムスコット・プレス(ウィリアム・モリスの印刷工房)刊行の書物が、何冊も並んでいた。これだけまとめて実物を見ると、そのデザインの傾向を肌で感じることができる。なお、ケルムスコット・プレスについては明星大学がかなりのコレクションを持っているそうで、同大学で今年いっぱい、展示替えをしながら公開されているということを、このブログに大西さんが書かれた記事で知った。

 第Ⅱ部は、修士課程修了後の2年間の弘文堂勤務と、その後の晶文社での活動をとおして編集者としての小野二郎に光を当てている。敢えて言えば、この中の第2章は少々「晶文社」展の色が強すぎたかも知れない。たしかに小野が親友の中村勝哉社長と二人で興したのが晶文社だが、すべての本に同じように関与したわけではあるまい。そもそも没後に刊行された本も並んでいる。われわれとしてはもう少し、小野がどの本にどのように関与したのかというのを知りたかった。
 同社の面白いのは、人それぞれ抱くイメージが違うくらいに様々な分野の記念碑的な書籍を刊行してきたことで、たとえば私なら、中平卓馬の評論集『なぜ、植物図鑑か』、スーザン・ソンタグの『写真論』、それにリチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』(この藤本和子訳は、ブローティガンを原書で読んだ後でもやっぱり手に取りたくなるような、不思議な魅力に満ちた翻訳だが、管見では『鱒釣り』は藤本の訳業の最初のもので、いったいどうしてこのようなキャスティングが可能だったのかと、感嘆の念すら覚えずにはいられない)とか、そういったものがまず真っ先に思い浮かぶ。
 そう言えば、『ボブ・ディラン全詩集』も晶文社刊であったことを、今回の展覧会で認識させられた(僕はボブ・ディランをよくわかっていないので)。少々脱線すると、本郷の文学部のウェブサイトに卒業生インタビューのコーナーがあって、今をときめく新政酒造の佐藤祐輔社長が登場している。曰く、卒論でボブ・ディランを取り上げたら、「あのころはボブ・ディランを文学と認めてくれなくて、ぼろくそに言われました。ところが今年、ボブ・ディランがノーベル賞をもらいましたね。時代が私に追いついたんでしょうか(笑)」(このインタビューはなかなか傑作なのでぜひご覧いただきたい)。しかし考えてみれば、同氏だって卒論を書かれる頃にはボブ・ディランを英語で読んだかも知れないけれども、きっとその精読プロセスの最初のほうに晶文社の『全詩集』があったはずだ。とすれば、時代が晶文社に追いついたとも言えるではないか。
 しかしだからこそ、晶文社のあの一連の70年代から80年代初頭の刊行物に、小野がどのように関わったのか、企画の段階で関与したのはどの書籍なのか、是非とも知りたかった。前述のもので言えば、ソンタグの訳者、近藤耕人は小野に謝辞を書いているが、『アメリカ鱒釣り』訳者あとがきに小野二郎の名前は見当たらない。

(下に続く)

「ある編集者のユートピア」展 (下)

会場:世田谷美術館
会期:2019年4月27日(土)~6月23日(日)
評者:佐々木悠介
寸評: 第Ⅲ部は、小野が晩年に講師として通った高山建築学校と、さらにそこでの講師仲間であった石山修武の「世田谷村」(2001年)の展示だった。私自身は、小野二郎が建築分野にもこれほど深い関心と関わりを持っていたことを知らなかったので、この第Ⅲ部はまったく新しい発見になった。と同時に、ここまでくればこの展覧会の意図するところがはっきりしてくる。つまりこれは小野二郎の業績を回顧するための展示という以上に、小野が生きていたら見届けたであろう広大な文化的、芸術的風景を描き出そうとする展覧会なのである。だからこそ、ある時期小野と密接に関わった人たちがその後に成し遂げた仕事、つまり晶文社のさまざまな刊行物とか、世田谷村とか、そういったものが大事になってくるのである。

 第Ⅲ部の最後に、1980年の高山建築学校で小野が行った、15分程度のミニ講義の映像があった。『ガリバー旅行記』から始めてベラミーへ、モリスへと拡げながら、ユートピア思想とは、労働とは、芸術とは、とめまぐるしく話題を転じていく。冒頭でスウィフトに言及されるのを聞いて、すぐに堀大司の影響を思った。本展第Ⅱ部の年譜に、一高の「英語の担当教官に島田謹二と堀大司がいた」とあったのが、ここで繋がったのである。
 なお、この講義映像に見る小野二郎はすでにだいぶメートルが上がっていたのかも知れなくて(本展で小野が一升瓶を抱きかかえるようにして座っている高山建築学校の写真を観た後では、そう無理な想像というわけでもない)、話があちこち飛んだり、勢いで締めくくったりしたところはあるようにも見受けられたが、この映像を二回通して観て、やはり生前の小野二郎に会ってみたかったと強く思った。

 われわれが本展によって考えを改めなければならないのは、このようなことであろう。つまり小野二郎はモリス研究者として大学で教える傍ら、晶文社「も」やっていた、などというのではなくて、かくも多才でエネルギッシュな人物にとって、大学教員としての仕事は、日々の労働(ただしそれはモリス主義者のもっとも崇高な意味での「労働」だが)の一つに過ぎなかったのだ、ということである。

 このような、お客さんの入らなそうな展覧会を企画した世田谷美術館に、拍手を送りたい。これまでにも『フェリックス・ティオリエ』展のように、誰も知らない写真家の展覧会を敢行されるような(無茶な)ところはあったにせよ、本展の「閑古鳥」ぶりはきっとそれを凌駕するだろう。それでも本展は、ある種の人文系学術研究が20世紀後半の日本における出版界や芸術・文化活動と密接に関わり、しかも潜在的な社会運動ですらありえたことを、見事に示したと思う。

(文中敬称略)

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