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「二つの川村清雄展:「維新の洋画家 川村清雄展」と「もうひとつの川村清雄展」」(98号掲載)申 旼正

申 旼正
執筆時:東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報:『比較文學研究』98号、2013年10月、165-172頁

Ⅰ.はじめに:川村清雄とは誰なのか?

 私が川村清雄について初めて知ったのは二年前のことである。ある歴史研究者から「個人的には近代洋画家の中で川村清雄が一番好きなんだ。」と言われたのがきっかけであった。東京都江戸東京博物館の学芸員が、所蔵作の《勝海舟肖像》を見ていながらも、作者である川村清雄の名前は知らなかったと話していた通り、清雄の知名度は高くない。(同館の所蔵作《勝海舟肖像》の制作者が川村清雄)
 川村清雄(1852--1934)は、明治洋画の先駆者のひとりであり、もっとも早い時期にヨーロッパ留学を行い、西洋を体験した画家である。特に、彼がアメリカ(1871--1873滞在)、フランス(1873--1876)、イタリア(1876--1881)といった様々な国を回り、その地の絵画様式を身に付け、さらにそこから日本人のスピリットを表現しようとした点は注目に値する。当時は日本洋画を牽引する画家として高く評価され「気ままな天才」(1)と呼ばれながらも、黒田清輝による外光派の登場によって大衆から遠ざかり、人々の記憶の中から薄れていった画家、それが今回の展覧会評の主人公、川村清雄である。
 埋もれ木であった川村清雄に再び照明が当てられたのは2012年のことであった。彼に関する展覧会が二つも開かれ、関連研究もが続々発表された。東京都江戸東京博物館開催の「維新の画家 川村清雄展」と目黒区美術館の「もうひとつの川村清雄展」は、なかなか鑑賞する場所がない清雄の作品を、豊かな資料とともにまとめて見られる貴重な機会を提供してくれた。よって、ここでは注目すべき二つの清雄展、「維新の洋画家 川村清雄展」と「もうひとつの川村清雄展」に関して述べたい。

Ⅱ.初対面:東京都江戸東京博物館の「維新の画家 川村清雄展」

 会場の中へ進むと、一枚の白黒写真が掛かっていた。謹厳な表情、聡慧に輝く眼差しは年齢を重ねても衰えることがない。堂々とした風貌、端正な着物姿でこちら側を見つめている一人の男性。これが川村清雄との初対面であった。
 「維新の洋画家 川村清雄展」には、総計221点に及ぶ資料と作品が、序章「旗本の家に生れて」、第一章「徳川派遣留学生」、第二章「氷川の画室」、第三章「江戸の心を描く油絵師」、そして終章の「《建国》そして《振天府》」という五つの章立てで構成されていた。これらのタイトルからも分かるように、展覧会は清雄の一生涯を踏まえる規模で、川村清雄という画家を歴史の枠組みの中で見ようとする工夫が見られるものであった。221点のうち、清雄の関連資料の出品が117点で、104点の作品数を上回る点は特記すべきことだろう。各章は綿密に構成されており、見所もはっきり打ち出されていた。
 第一章「徳川家派遣留学生」では、「川村清雄米国留学免許」(カタログ図版33)や「川村清雄と徳川家派遣留学生たち」の写真(図版36)、「家族宛川村清雄書簡」(図版39)のような資料と清雄が留学先で描いた習作群を展示し、清雄の留学時代の全貌を明らかにしていた。六年間パリとヴェネツィアでアカデミズムの油彩画を徹底的に学んだ彼の経歴が示すように、清雄のデッサンは緻密で正確であり、筆捌きや色彩は落ち着いている。清雄芸術の基となる堅実な表現からは、習得のために耐え忍んだ苦労が窺われる。
 第一章で特に印象的だったのは、清雄の留学期の友人であるマルティン・リーコからの一通の手紙である。清雄が帰国する際に渡した別れの手紙でリーコは、日本の趣味を失わないようにと忠告している。

 汝は日本人である、日本人は実に意匠に富んで筆に器用な物を持ッて居ます、其れを捨てて無暗に西洋を取りたがるのは間違いだ、日本人は日本のを建てて往かなくちや往けない。 (2)

 友情にあふれたこの手紙は、清雄のその後の芸術活動に大きな影響を及ぼした。西洋で身につけた絵画技術と日本人のスピリットを融合し、独自の作品世界を拓いていく決定的なきっかけとなったのである。清雄のことに気を配り、力を込めて手紙を書いたリーコの友情が胸に響く。
 第二章のタイトルである「氷川の画室」とは、清雄のパトロンであった勝海舟が彼のために赤坂氷川の自邸内に設けた画室のことである。清雄はここで《歴代将軍像》(図版95-99)や《江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)》(図版93)をはじめ、海軍省に関わる多数の作品を制作したが、その中でも《形見の直垂》(図版107)は第二章の花形とも言い得る作品で、注目に値する。
 《形見の直垂》は、1899年に世を去った勝海舟に対する感謝と鎮魂の思いが込められた作品である。画面の左側には白直垂を着た少女が、その右側には「外へ地獄内へ極楽」(3) を描いた古代の棺とその上に載せられた海舟の胸像が描かれている。周りには海舟の愛用の遺品なども並んでいる。この作品を前にした人は誰でも、これが追悼の意で描かれたことがすぐに分かるだろう。白直垂をまとった少女が海舟像の方へと手を伸ばす、そのゆったりとした仕草は、画面の全体に何とも言えないような侘しさを漂わせている。本作品は、いったん完成した後も加筆が続けられ、終生清雄の手許を離れることがなかったという。最大の恩人の死に際する清雄の深い謝意や悲嘆の情がよく表れており、清雄の最高傑作の一つと評価するに相応しいものである。
 第三章には、「江戸の心を描く油絵師」というタイトルの通り、江戸の香り高い清雄独自の芸術世界がうかがわれる作品が多数展示されていた。清雄の得意なジャンルである肖像画をはじめ、留学先ヴェネツィアを追憶し描いた一連の作品群、風景画や静物画に至るまで、彼の様々な作品を網羅したセクションであった。

 清雄は、あくまでも油彩画としての構図やモチーフを徹底的に研究した上で、背景に金銀箔を使用したり日本に古来から伝わる文様や伝統的な色彩を用いるなどの試みをおこなった。さらに絵を描く支持体の素材もカンバスにこだわらず、絹本や紙本、漆塗板や木地をあらわした古代杉の板など、日本の伝統的な素材を利用した。それは、十年におよぶ海外留学で油彩の基本と精神を奥深くまで体得し、さらに上質な江戸の武家文化の中で育った清雄だからこそ可能となった技とセンスであり、洋画の技法に日本画の感覚を融合させた、独特で気品のあふれるものであった。 (4)

 清雄の作品は、その支持体や文様、色彩の表現が印象的である。例えば金地の絹本に油彩で描かれた屏風(《素戔嗚尊図屏風》、図版156)や板に描いた贈答の絵(《お供え》、図版175)に見られる支持体の特異性は非常に興味深い。
 《桜花に鈴》(図版180)、《草図》(図版189)等は、清雄独自の魅力が特に際立つ作品である。《桜花に鈴》は黒漆板の地の上に純白の山桜を描いた作品であるが、黒と白の色彩が対比され、花と枝が闇に浮かび上がるような錯覚を与える。傍に描かれた小鈴からは、静かに響く涼やかな音が聞こえてくるようである。一方《草図》は、二つの古板を欄間にみたて、その木目や隙間を使って巧に蔓を張る植物を描いた独特な作品である。画材の木目には自然の粘り強い生命力と時間の永続性が感じられ、繊細な筆致で描かれた青葉は古板に新しい生命の息吹を与えている。《草図》に表された古板と青葉は、見る者に自然の雄大さと清涼感を感じさせる美しい組合せと言えるだろう。
 「維新の洋画家 川村清雄展」は、豊富な資料と作品を通して、清雄芸術のオリジナリティーを明らかにする展示であった。また、揺れ動く歴史の中を生き抜いてきた明治絵画の紆余曲折を垣間見ることもでき、「歴史美術展覧会」とも呼ぶことができるかもしれない。
 展示の規模の大きさに比べるとカタログのサイズは小さめに思われるが、内容は展覧会に劣らず充実していて、見せ方にも工夫が見られるものである。
 まずはカタログのデザインから見ていきたい。真っ白の地に黒字の縦書きで「維新の洋画家 川村清雄」という展覧会のタイトルが書かれている。カタログのジャケットには、真中に深紅色の円形が半透明に描かれており、ジャケットをカタログに被せると深紅色の円形の下に黒字のタイトルが透けて見える作りになっている。一方、カタログの右側には、深紅色の円形に一部が掛かるように緑の半円が描かれており、象徴的なものを感じさせるデザインである。担当学芸員の説明によると、地色の白色は生の色を好んで使った清雄の表象だという。当時、絵画に「生の白」を使うのは稀で、白は他の色と混ぜて使う方が一般的であった。作品の中で「生の白」をそのまま使った清雄の大胆な表現は、藤田嗣治の乳白色よりも時代的に前にあたる。カタログの地色は、このような清雄芸術の斬新さを象徴するものである。また、深紅色で描かれた円形は日本を、緑色の半円形は西洋を表しているという。この二つが、清雄芸術の根源を成す日本人のスピリットと、清雄の西洋体験を意味していることは言うまでもない。
 カタログの中身はどうだろうか。展覧会に出品された221点の資料や図版を全て載せ、一つ一つの資料に関してきちんと説明を行っていることは感嘆に値する。図版が小さくはなっているものの、川村清雄資料集と呼んでも差し支えないほど充実した資料と関連説明は、このカタログの大きな特徴と言えるだろう。掲載された論考は、落合則子「慶応戊辰の川村家―川村清雄 画家の魂の原点―」、ダニエレ・ラウロ「ヴェネツィア美術学校学籍簿―川村清雄のイタリア留学時代(1876-1881)の考察―」、田中裕二「日比翁助と川村清雄―士魂商才の経営者と和魂洋才の油絵師―」、堀切正人「川村清雄作品における「時」の表現について」、村上敬「聴く歴史画―《建国》《振天府》の聴覚的モチーフについて―」の五編で、これらの論考は様々な資料を提示しながら川村清雄をめぐる諸問題を歴史的な観点から幅広く取り扱っている。
 カタログの「資料編」には、殊に力が注がれている。「関連年表」や「出品リスト」の他、展示された資料の全ての釈文を載せた「文献釈文」や「川村家関係系図」は特記すべきものである。また、「川村清雄をより知りたい方のための読書案内」では、川村関連の文献が「ⅰ.主要展覧会図録」、「ⅱ.まず第一に読むべき諸文献」、「ⅲ.川村清雄の談話や原稿」、「ⅳ.同時代人の川村清雄評」、「ⅴ.より専門的な研究のために」、「ⅵ.平成十四年(2002)以降の川村清雄関連文献」と、項目に分けて詳細にわかりやすく紹介されているのもありがたい。
 東京都江戸東京博物館は、本展覧会の企画段階から清雄に関する綿密な資料調査や研究を行ってきた。(研究論考の詳細な題目は、本カタログの資料編、「川村清雄をより知りたい方のための読書案内」の「ⅵ.平成十四年以降の川村清関連文献」で確認することができる。)膨大な資料の提示とそれに関する複眼的な解釈、学術的な考察は、清雄研究の入門編として役立つものを作りたいという主催側の意図と符号するものになっている。特に、前述した「文献釈文」は、歴史的な観点から清雄へ接近する可能性を示しており、さらに「川村清雄をより知りたい方のための読書案内」は清雄研究への興味をそそるに十分である。
 「維新の洋画家 川村清雄展」は、川村清雄及びその芸術を理解する絶好の機会を提供してくれた。単に清雄の作品を鑑賞できるだけではなく、彼の人生と芸術を明治史の文脈に即して理解できるという点で、特に意味深いものであった。画家個人のことに加えて、明治期における洋画家の役割や位置付け、西洋の文物と日本人としてのアイデンティティの融合の問題などについても考えさせられ、東京都江戸東京博物館の企画力に改めて感心した。

Ⅲ.川村清雄をもっと知るために:目黒区美術館の「もうひとつの川村清雄展」

 江戸東京博物館の展覧会とほぼ同じ時期に目黒区美術館で開かれた「もうひとつの川村清雄展」は、前者の展示より小さい規模で、歴史的な資料よりは作品の紹介に力を入れたものであった。「加島虎吉と青木藤作・二つのコレクション」という副題からも分かるように、この展覧会は清雄に関する二つのコレクションが中心となっており、清雄が制作した装幀意匠の作品を再照明する工夫が見られた。
 加島虎吉(1871‐1936)は取次業、出版業を営み、明治時代後半から清雄晩年の昭和初期に至るまで、様々な面から彼を支援し続けた人物である 。(5)コレクションは清雄の人生後半の作品が多くを占めているが、展覧会の第一章「加島虎吉と川村清雄」には、そのうち33点が出品された。特異な支持体に挑んだ油彩画が数多く含まれているのが、加島コレクションの特徴である。
 コレクションの中では、加島のお気に入りの作品であったと言われる《鸚鵡》(図版Ⅰ・2)が特に目を引いた。《鸚鵡》は、縦84.5cm・横36.3cmの朱漆塗の板に、赤色や黄色の薔薇と、蝶に驚き片翼をひろげた白のオウムを大胆な構図で描いた作品である。マチエールを生かしたオウムの姿は滑らかな支持体の上で一層目立ち、赤の地に真っ白のオウムと黄色のバラの色合いがとても魅力的な作品である 。(6)
 栃木県出身の実業家である青木藤作(1870‐1946)は、歌川広重の肉筆浮世絵と小林清親を中心とした明治版画、久保田米遷の絵画などを含む膨大な蒐集を行った大コレクターとして知られている。清雄とは1930年から深い親交を結び、彼から直接に60点を超える作品を譲り受けた。コレクションは小品が多くを占めるとはいえ、清雄の面目躍如たる秀作が少なくなく、「本来ならよそ様にあるはずがない珍品」 (7)、つまり清雄に直接所望しない限り手に入らない作品が含まれている。第二章「青木藤作と川村清雄」には青木コレクションのほぼ全ての作品が出品されており、清雄と青木の深い信頼関係を垣間見ることができた。その中で特に目を引いた《たた豆の雀》(図版Ⅱ・9)は(8) 、青木コレクションを代表する秀作の一つである。真っ黒の漆板に、羽ばたく雀の様子が緻密に描写されている。漆板の黒の世界は、雀を閉じ込める空間の息苦しさを感じさせると同時に、雀の存在感を一層浮き彫りにする効果も有している。一方、清雄が画室に揚げて在不在を示したと言われる《こい・なこそ》(図版Ⅱ・10)も興味深い。州浜形の板で作られた表札の表面には「こい 牛の津乃もじ 婦多つ文字」と、その裏面には「なこ曽」と書かれている。表面の「二つの文字(婦多つ文字)」は平仮名の「こ」を、「牛の角文字(牛の津乃もじ)」は「い」を判じさせ (9)、裏面の「なこそ(なこ曽)」は「来てはいけない」の意を表すと言われるが、清雄の発才が滲み出るもので、これも清雄と藤作の特別な間柄を表す、「本来ならよそ様にあるはずがない珍品」と言えるだろう。
 青木コレクションは、「清雄の作画活動全体をサポートし、その人物も含めて蒐集していった」 (10)青木の姿勢と、清雄と青木の強い絆が窺われるものであり、バラエティーに富む作品群が見せる質の高さは、観る者を十分に満足させるものであった。
 展覧会の第三章、「川村清雄の装幀意匠」も決して見逃すわけにはいかない。清雄に関する研究の中では度々言及されているものの、まとまって紹介されることのなかった装幀意匠の仕事がここで展示された。清雄による装幀意匠の制作は、特に加島虎吉と結び付けて論じられる場合が多い。清雄が装幀意匠家として認められるまでには、清雄のデザインに対する才能を見極め、彼を全幅的に信頼した加島の役割が大きかったのである。また、加島が運営した至誠堂は、清雄の装幀作業の主な舞台でもあった。今回の展覧会にも、『洗心廣禄』(幸田露伴著、1926年)(図版Ⅲ・1、2)、『瓶 處世訓話』(和田垣謙三、1909年)(図版Ⅲ・7)、『白河楽翁 後編』(碧瑠璃園著、1910年)(図版Ⅲ・10)、『兎糞錄』(和田垣謙三、至誠堂、1913年)(図版Ⅲ・3)など、至誠堂から刊行された書籍が多数出品されており、清雄が施した装幀の美しさを鑑賞することができた。また、清雄の装幀意匠の真骨頂と言われる『新小説』(春陽堂)や『新婦人』(聚精堂/至誠堂)のような文芸誌も並べられており、彼の独創的な感覚の展開を見ることができた。
 清雄の友人である徳富蘇峰(1863-1957)は清雄に対して、「独自一己の特色を発揮したる」(11) 者と褒めそやし、装幀意匠に至っては清雄を柴田是真に次ぐ明治時代の画家と評価した。目黒区美術館の展覧会は、清雄がその抜群のデザイン感覚を発揮した作品の数々を一挙に展示し、蘇峰のこのような賛辞も当然のことと理解できるような、見応えのあるものであった。
 「維新の洋画家 川村清雄展」のカタログが政治、経済等も含めた全体的な歴史に基づくものであったのに対し、「もうひとつの川村清雄展」のカタログは美術史からのアプローチに特化した構成になっている。157点の出品作の図版は、その一点一点が大きく鮮明に印刷されており、特に第三章の装幀意匠の制作については、表紙・ジャケット・口絵・見返しなどが色々な角度から撮影されており、図版を通して装幀の全容が把握できるようになっている。本文には作品に関する基本的な情報だけを掲載し、詳細な説明は資料編の「作品解説・作品リスト」に集めている。
掲載された論考も、展覧会の構成に合ったものである。山田敦雄「目黒区美術館と川村清雄の作品」、長井裕子「青木藤作と川村清雄」、降旗千賀子「「加島コレクション」から見えてくるもの」の三編の論考は、展覧会の趣旨や、目黒区美術館と各々のコレクションとの関係を知る上で興味深い。また、岩切信一郎「装幀意匠家・川村清雄-『新小説』の表紙絵を中心に-」では、明治後期の印刷文化や印刷美術の発達、清雄の装幀意匠の仕事とその独自性について詳細に論じられており、展示に対する理解を深める一助となる。
 資料編には「作品解説・作品リスト」(116-126頁)と「川村清雄略年譜」(127-135頁)の他に、「川村清雄が関わった装幀の仕事-書籍装幀・雑誌表紙絵」(108-109頁)、「加島虎吉が経営する〔至誠堂〕の出版物」(114-115頁)が掲載されている。特に「川村清雄が関わった装幀の仕事-書籍装幀・雑誌表紙絵」と「加島虎吉が経営する〔至誠堂〕の出版物」の二つの資料は、清雄の装幀仕事の紹介にあたって美術館側がどれほどの工夫を行なったかが窺われるものである。

 川村の絵画が示す方角には「もうひとつの」「そうであっても良かった」近代の日本人による絵画の姿が確かにある。しかし、現実の川村はそのテンペラメントにも支配され、江戸の美意識を色濃く継承し、その作品は大きな時代の中で捉えるべき問題を孕みながら、なお、極めて個人的なものでもある。 (12)

 清雄は、幕臣の家柄で形成された江戸の美意識と、1870年代の西洋で体験した新文明を調和し、和と洋を折衷する方式を習得していった。また、西洋で経験した印刷文化の展開は、帰国後の装幀意匠の活動に少なからず影響を及ぼした。目黒区美術館の展覧会は、清雄によるこのような和と洋の折衷を心ゆくまで楽しめる機会を与えてくれた。殊に、清雄の装幀意匠の仕事を再照明したのは、彼の芸術人生を考える上で意義あることであったと思われる。川村清雄をより深く見詰めるようになったに違いない。

Ⅳ.おわりに

 東京都江戸東京博物館と目黒区美術館にて開かれた二つの川村清雄展は、その構成も趣旨も異なるものの、これまで一般に知られていなかった清雄の作品理解のきっかけとなる貴重な機会を提供してくれた。清雄の人生と芸術の全貌を明治史の中で明らかにした東京都江戸東京博物館の展示と、彼の作品とコレクターの関係により集中し、装幀の仕事にまで触れた目黒区美術館の展示は、互いに補完的機能を果たしていたようにも思われる。
 筆者は清雄の作品が気に入った。冒頭で紹介した「近代洋画家の中で川村清雄が一番好きなんだ。」と言う歴史研究家の話が分かるような気もした。日本伝統の香り漂う支持体に西洋の絵の具で描かれた異色の絵、その組合せは斬新で、明治の絵画とは思われないほど現代的にも感じられる。清雄の絵画には、日本の美意識と西洋の新しい感覚が美しく調和しており、西洋留学から《建国》、《振天府》の制作に至る、洋画家清雄の波乱万丈の人生の全てが込められていた。それ故、清雄の芸術は非常に個人的であると同時に、大きな時代の中で捉えるべき問題を孕んでいる。今回の清雄に関する二つの展覧会が、清雄の作品をもって日本の洋画の歴史とそのアイデンティティの問題を慎重に取扱い、それについてもう一度疑問を投げ掛けた点は称賛に値する。

 川村氏は明治期洋画界の先覚で、油絵の是真と云はれ、油彩で抱一から是真、省亭と伝はつた江戸好みの工芸趣味を特色とした人で、鮮麗な色彩と渋い味はひとを巧に調和させた特異な存在だった。 (13)

 このように清雄を評価したのは画家鏑木清方、1950年の言である。清雄生前の評価やその名声に比べ、彼の研究はまだ十分に行われているとは言えない状況である。「この展覧会を機にして、これから清雄に対する、様々な角度からの再評価・再照明が行われてほしい」と、東京都江戸東京博物館の担当学芸員が言っているように、日本人による洋画とは一体どのようなものであったのか、より多くの人が関心を持ち、理解を深めていくことが望ましい。それは、未だ論争の中核となっている日本の洋画が、アイデンティティを確保する第一段階となるだろう。



(1) 『維新の画家 川村清雄』(東京都江戸東京博物館・静岡県立美術館、2012--2013)東京都江戸東京博物館・静岡県立美術館・読売新聞社、2012年。
(2) 川村清雄「唾玉集」(本文では、カタログ『維新の画家 川村清雄』、54頁から再引用。)
(3) 前掲書、76頁。
(4) 前掲書、79頁。
(5) 前掲書、17頁。
(6) (朱漆塗の板は)絵の具を定着させることが難しいと思われる組み合わせだが、川村がどのように下地の準備をし、そのうえで油彩を扱ったのかは定かではない。モデルのオウムは川村の飼っていたもの、またはその剥製と思われる。(前掲書、116頁。)
(7) 『もうひとつの川村清雄展―加島虎吉と青木藤作・二つのコレクション―』(目黒区美術館、2012年)目黒区美術館、2012年、13頁。
(8) 川村は、板に直接、あるいは下地作りをした上に油彩で描くことが多かったが、塗は職人に塗らせていた。本作の黒塗を塗った板は、茶道で風炉・水指などを載せる長板だったもの。(前掲書、120頁。)
(9) 『徒然草』にある悦子内親王の歌「ふたつもじ うしのつのもじ すぐなもじ ゆがみもじとぞ きみはおぼゆる」が出典。(前掲書、120頁。)
(10) 前掲書、15頁。
(11) 徳富猪一郎「川村清雄翁の画」『書斎感興』民友社、1928年7月。(本文では、カタログ『もうひとつの川村清雄展』、12頁から再引用。)
(12) 前掲書、9頁。
(13) 鏑木清方「雑誌の絵について」『新小説』(六十一周年記念)第5巻第4号、昭和25年4月1日発行。(本文では、降旗千賀子「「加島コレクション」から見えてくるもの」[『もうひとつの川村清雄展』、(目黒区美術館、2012年)]102頁から再引用。)


【展覧会および展覧会カタログ情報】
Ⅰ.「特別展 維新の洋画家―川村清雄」展
東京都江戸東京博物館(2012年10月8日-12月2日)、静岡県立美術館(2013年2月9日-3月27日)。カタログは、東京都江戸東京博物館・静岡県立美術館・読売新聞社編集・発行、2012年、総頁数218。

Ⅱ.「もうひとつの川村清雄展―加島虎吉と青木藤作・二つのコレクション」
目黒区美術館(2012年10月20日-12月16日)。カタログは目黒区美術館(降旗千賀子、山田淳雄、和田佐知子)編集・発行、2012年、総頁数135。�


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