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2014年12月 アーカイブ

2014年12月 5日

[寸評]「ドミートリー・プリゴフ展--ルネッサンスからコンセプチュアリズムまで、そしてそれを越えて-- Dmitri Prigov: from Renaissance to Conceptualism and Beyond」



・会期:2014年5月16日〜11月9日
・会場:国立トレチャコフ美術館新館(ロシア、モスクワ)
・評者:松枝 佳奈

 ドミートリー・アレクサンドロヴィチ・プリゴフ(Дмитрий Александрович Пригов, 1940-2007)は、1970年代から2000年代まで主にモスクワで活動したソ連およびロシアの詩人・芸術家であり、俳優や映画監督としても活動した。1970年代以降のソ連のアンダーグラウンド芸術を牽引したモスクワ・コンセプチュアリズムの重要人物の一人である。ソ連崩壊後、彼のドローイングやインスタレーションなどがオランダ、アメリカなど世界各国の美術館で展示されてきた。そして2010年、ベルリンでドミートリー・プリゴフ財団が創設され、その本部がモスクワのロシア国立人文大学内に設置されたことを機に、近年、ロシア国内でもプリゴフの芸術活動全般への関心が高まり、研究が進展しつつある。2011年、約380点以上のプリゴフの作品を所蔵し、常設展示も行っているサンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館がヴェネツィア・ビエンナーレにてプリゴフの回顧展を行い(1) 、さらに今回、20世紀以降の現代ロシア芸術を扱うトレチャコフ美術館新館において本展が開催されるに至った。
 本寸評ではこの「ドミートリー・プリゴフ展」、ならびにその閉幕に際して2014年11月8日に開催された国際ラウンドテーブル「眼に見えないものの可視化--他館における展示法、美術館の内と外のプリゴフ--(Визуальность незримого: Другие правила, Пригов в музее и вне музея)」を取り上げたい。

 本展そのものの評に入る前に、まずプリゴフと1970年代以降のソ連芸術におけるモスクワ・コンセプチュアリズムについて言及しておく。1932年にスターリンによって定義され、以後のソ連で唯一公式とされた芸術様式、社会主義リアリズムは、現実の生活と革命的発展を歴史に即して忠実に描写することで、労働者大衆を社会主義精神のうちに教育することを目指した。そしてこの様式では決して表現されることのない、独自の自由な表現を追求した前衛芸術家たちは、当時「非公式芸術家」と称されていた。実際、プリゴフも1975年にソ連芸術家同盟に加入するまで「非公式芸術家」であり、それ以降もソ連当局から監視を受けつづけるほどであった。
 前述のモスクワ・コンセプチュアリズムは1970年代にモスクワで生まれたこのような非公式芸術家グループの一つであり(2) 、1960年代から70年代に世界的に広まったコンセプチュアル・アートの流れを汲んでいる。2007年に神奈川県立近代美術館 葉山にて世界で初めて絵本作家としての活動が紹介され、現在は大規模な「トータル・インスタレーション」の制作を中心に国際的な活躍を続ける現代芸術家イリヤ・カバコフも、モスクワ・コンセプチュアリズムの代表的存在の一人である。
 西ヨーロッパではしばしば、モスクワ・コンセプチュアリストのソ連体制との関係性やそれに対する批判的な態度だけが評価されがちであるが、実は彼らが解体しようとしたのは、ソ連の体制やそれが生み出す神話--社会主義リアリズムの上に目指される「明るい未来」や「ユートピア」--だけなく、あらゆる権力やイデオロギーであった(3) 。モスクワ・コンセプチュアリズムの芸術家たちの多くは、ソ連芸術家同盟や美術アカデミーに属さないイラストレーターやポスター画家、教科書や絵本の挿絵画家であり、制度の外にいたためにかえって美術そのものの問題や、美術と美術でないものの境界は何かという問題に取り組むことができるようになった。こうして美術作品と一般の物の区別をとりはらい、社会にあふれる諸記号、諸イメージを作品にとりこむことが、モスクワ・コンセプチュアリズムの課題となったのである(4) 。

 今回、国立トレチャコフ美術館で開催されたプリゴフの回顧展では、プリゴフの芸術家としての活動をヨーロッパ芸術とロシア芸術の歴史的コンテクストの中に位置づけることが目指された(5) 。展覧会の記録として100ページ程度のブックレットがロシア語版と英語版の二種類で制作されており、この点からもプリゴフをロシアのみにとどまらない世界的な芸術家として積極的に評価しようする美術館側、そして展示作品を提供するプリゴフ財団側の姿勢が見てとれる。同ブックレットには、展示のセクションごとに短い解説と作品の図版、会場内を撮影した写真が豊富に収録されているが、残念ながら展示作品全ての図版は掲載されていない。そのほか、担当学芸員のキリル・スヴェトリャコフ氏による本展の目的ならびに論文「ドミートリー・プリゴフの表現と芸術的宗教学における政治性 (6)」、プリゴフの略年譜も収録されている。
なお、無料動画サイトYouTube内のトレチャコフ美術館の公式チャンネルに、本展の映像がアップロードされている。スヴェトリャコフ氏による解説(ロシア語のみ)付きで会場内や展示の様子を把握できるので、ぜひご覧いただきたい(http://www.youtube.com/watch?v=LwLTjb5Aae8#t=227、2014年12月3日最終閲覧)。

 本展の会場は細長く、白い壁やアーチ、黒いカーテンなどによって迷路のように区切られ、トレチャコフ美術館の三階と四階、二つのフロアーにまたがっていた。最初に本展イントロダクションのパネル、プリゴフの略年譜、そしてプリゴフが架空の彫刻家を演じたユニークなパフォーマンス作品の映像が掲げられ、そのすぐ隣から作品の展示が始まる。
 展示の構成は、プリゴフの作品における表現のテーマ、モチーフ、制作に使用した素材などによって以下のように細分されている。すべてを列挙すると、三階は「初期のドローイング」、「形而上学--裂け目と歯車」、「窓」、「無--黒い円のインスタレーションのためのスケッチ」、「球のコンポジション」、「恐竜」、「獣」、「卵」、「缶」、「グラス」、「眼」、「哀れな掃除婦」、「幻のインスタレーション」、「アート・リプロダクション--「受難の絵画」」、「新聞紙の上に」、「カレンダー」、「年譜」、「ヴィジュアル・ポエム」、「クロスハッチによる詩」、「ブーケ」。三階踊り場は「人民同志へのアピール」と「黒い円」と「眼」のスケッチ。そして四階は「マレーヴィチのためのインスタレーションとスケッチ」である。様々なテーマやモチーフから成る作品が次々と展示される構成は非常に斬新ではあったが、プリゴフの伝記的な解説がイントロダクションと略年譜のパネルの記述のみにとどめられ、プリゴフの作品に初めて触れる観客にとってはやや説明不足であるようにも思われた。一方、各セクションともドローイングやインスタレーションのためのスケッチ、立体作品、音声や映像による作品、大規模なインスタレーションなどが目白押しであり、観客は次にどの作品を鑑賞するか迷うほどの充実ぶりである。ただ音声や映像による作品やインスタレーションには、本展のために制作されたものが少なからず存在していた。プリゴフ自身の作品とプリゴフの手によらない作品が全く区別されることなく混在していた点は、芸術家の死後における現代芸術の企画展に対する課題を示しているようにも思われる。
 前述の通り、本展ではプリゴフをヨーロッパ芸術の歴史的コンテクストの中に位置づけることが目指されたこともあり、各セクションのパネルには、レオナルド・ダ・ヴィンチやパオロ・ウッチェロ、ヒエロニムス・ボッシュなど15世紀のヨーロッパで活躍した画家や、ルネ・マグリットやサルバドール・ダリなどシュルレアリスムの芸術家、アメリカのアド・ラインハートやアンディ・ウォーホルらミニマル・アートやポップアートの芸術家たちの作品図版が掲げられた。彼らがしばしば幾何学模様や円・球・缶・卵・眼などを作品の題材やモチーフとした点で、プリゴフの作品も彼らの表現の系譜に連なっていることを示そうと試みたものと推測される。
 だがそれは単純にプリゴフの作品と他の時代の芸術家の作品図版を並べたことにとどまっており、その作業のみによって観客に対して両者の類似性や関係性を感じ取るように促そうとしているようにも受け止められた。一方で皮肉なことに、このような形式の比較が、かえってプリゴフという芸術家の持つ表現の特異性を浮かび上がらせているのである。
 例えば、プリゴフの缶による作品群を展示するセクションでは、ウォーホルによる大きくラベルの剥がれたキャンベル・スープの缶のイラストの図版が掲げられているが、両者の間には明らかな差違があることが分かる。ウォーホルの場合、「キャンベル・スープ」という世界中で知られるアメリカ資本主義の象徴を題材としていることは即座に理解できる。一方、プリゴフによる缶の作品には、その中に立てられた小さな立て札にロシア語で「新聞の缶」、「ごみの缶」、「詩の缶」、さらには「対立物の統一と闘争の缶」というエンゲルスやレーニンによる弁証法の法則を冠した名前が表記されている。その上、缶本体にまでロシア語がタイプ打ちされた紙やロシア語新聞の切り抜きが貼られているのである。プリゴフにとって缶とは、真実を打ち明けることを表すアレゴリーであったが、これらのロシア語をじっくり読み、内容やその背景を注意深く解釈しなければ、そのアレゴリーの内容を味わいにくい仕掛けになっている。
 あるインスタレーション作品において、このような傾向はさらに顕著となる。白く四角い部屋の中に五つの細長い扉のような形の穴が開けられ、それぞれの穴の上に小さな赤い点が打たれている。その赤い点の下に横長く大きな黒のしみが描かれ、その中に白いインクで、「レーピン」や「スリコフ」など19世紀ロシアの偉大な5人の画家たちの名がロシア語で書かれている。そしてそれぞれの穴は四本のポールと鎖でふさがれ、中に立ち入ることはできない。この作品は現代において芸術の権威とされているものの姿を批判的に表現していると考えられるが、この場合もロシア語を読み、かつ19世紀ロシア美術についてある程度知識がなければ、一体プリゴフが何を示そうとしたのかを察することは難しいといえる。
 以上のような点は必ずしも全ての作品に当てはまるものではないが、シュルレアリスムや他のコンセプチュアル・アートの芸術家たちの作品と比較すると、プリゴフは文字テクストやその背後にある文化や歴史に依拠する傾向があるといえる。プリゴフの芸術的な創作の多くには、展示された作品そのもののみを鑑賞しただけでは理解しえないものが存在するのである。ここで生前のプリゴフによるモスクワ・コンセプチュアリズムに関する発言を引用しておきたい。1999年にプリゴフが来日した際に語った内容であるが、彼の芸術活動への理解を深めるために重要であると考えられる。

  70年代にモスクワで生まれたモスクワ・コンセ
 プチュアリズムは、文化=批評的なプロジェクトに
 携わっていました。モスクワ・コンセプチュアリズ
 ムは、当時もっとも強大だったディスコース、ソ連
 の言語の研究をしていたのです。モスクワ・コンセ
 プチュアリズムの立場は、皮肉や嘲笑的であると誤
 って受けとめられがちです。しかし実際はそうでは
 ありません。基本的に、モスクワ・コンセプチュア
 リストたちは、ソ連の言語を研究することによっ
 て、完全な天上の真実としてではなく、約束事に基
 づいた便宜的な言葉としてのソ連の言語を、人々に
 示そうとしたのです。ロシア・ソ連の「深刻」な
 文化では、深刻な言葉こそ、正しい高尚な言語活動
 の唯一の見本だとされてきました。というわけで、
 私たちのやったような言語に対する操作は、皮肉
 であり嘲笑的だとみなされたのです。しかし、実際
 はこれは言語の批評にすぎないのです (7)。

 プリゴフにとって、モスクワ・コンセプチュアリズムとは、言語の批評・研究に基づく「文化=批評」のプロジェクトであった。それは究極の真実とされているソ連の「深刻」で「高尚」な言語とそれによって生み出される「深刻」な文化を、「約束事に基づいた便宜的な言葉」として、いわば地上に引きずりおろすための言語批評的な芸術活動である。これは、詩人でもあったプリゴフにとってごく自然な思考だったのであろう。
 そのロシア・ソ連の「深刻」な文化を生む「高尚」な言語とは、まさしくロシア語だった。そしてプリゴフもそれを批評するための言語としてロシア語を用いた。ここでプリゴフの活動が、ソ連やロシアの言語や言葉、つまりロシア語に深く根ざしていることがうかがえる。彼の芸術は、ロシア語とそれが背負うロシア・ソ連文化のコンテクストと切っても切れない関係にあるのである。ロシア語という言語とそこから派生するロシア・ソ連文化を批評し創作することを出発点として、世界のあらゆるイデオロギーの解体へ突き抜けようと試みるプリゴフの姿勢。これが初めて多数のプリゴフの作品を鑑賞した後、本展に対して抱いた印象であった。

 去る2014年11月8日、モスクワのトレチャコフ美術館新館にて、本展の閉幕を記念した国際ラウンドテーブル「眼に見えないものの可視化--他館における展示法、美術館の内と外のプリゴフ--(Визуальность незримого: Другие правила, Пригов в музее и вне музея)」(使用言語:ロシア語・英語)が開催された。本ラウンドテーブルの模様は無料動画サイトYoutubeにアップロードされている(全編ロシア語、http://www.youtube.com/watch?v=Na8sPJaBNeE、2014年12月3日最終閲覧)。モスクワ、サンクトペテルブルクなどロシア国内の諸都市をはじめ、オランダ、イタリア、アメリカ、イギリス、そして日本から現代芸術や現代文学を専門とする研究者や現代芸術の企画展に携わってきた美術館学芸員、大学院生などが一同に会した。
 壇上では生前のプリゴフと交流のあった関係者やロシア国内外の美術館学芸員・研究者の計7名が、各美術館におけるプリゴフをはじめ現代芸術の展示法やプリゴフの芸術そのものについて報告した。その後、ラウンドテーブルの司会を務め、雑誌『新文学評論』編集長のイリーナ・プロホロワ氏や国立トレチャコフ美術館館長イリーナ・レベデワ氏、そして会場の専門家や聴衆も含めた全体で活発なディスカッションが行われた。ロシア語とそれが背負うロシア・ソ連文化のコンテクストを大きな基盤とするプリゴフの作品を、世界的な現代芸術の一つとして、いかに海外の美術館や芸術祭で展示するのかという問いに答えうる、あるいは聴衆にこの問いについて検討を促すラウンドテーブルであった。以下、五か国の美術館学芸員六名による主な発言の概要を中心にまとめたい。
 本展の担当学芸員であるスヴェトリャコフ氏は、芸術家の死後にインスタレーションのスケッチをインスタレーション作品として具現化することに肯定的である。「プリゴフのインスタレーションの設計図を大きなインスタレーションとして「翻訳」する、つまり絵画や素描を実体として実現すること、いわば詩情を映像化することは、容易ではなかったが、実に興味深い作業であった。」
 一方、アメリカのニュージャージー州立(ラトガース)大学附属ジマーリ美術館でソヴィエトの非公式芸術を研究し、プリゴフやソヴィエト非公式芸術関連展覧会の企画・構成にも携わってきたジェーン・シャープ氏は、以下のように発言した。1970〜80年代以降のソヴィエトの非公式芸術家たちをもっと取り上げて紹介する必要はあるが、ロシアの文化的・歴史的コンテクストを保ったまま、プリゴフの視覚芸術を「翻訳」することは困難であるという。2008年9月から2009年1月まで同館で開催されたプリゴフの回顧展では、あえて彼のインスタレーションは展示せず、ドローイングを中心に展覧会を構成したという。その他のソヴィエトの非公式芸術家の諸作品を集めた展覧会でも同様の方法を採ったという。その際、レプリカを置いて、観客が作品を手に取って「読み」、「見られる」ようにすることで、芸術家の視覚テクスト、ならびに芸術家と観客の対話を再構成するのがよいのではないかという提案がなされた。
 他方、日本の神奈川県立近代美術館 葉山の主任学芸員、籾山昌夫氏は、今年同館で開催された「宮崎進」展を例に、日本における現代芸術の紹介・展示のあり方について発言した。まず展覧会のシンボルとなる作品を軸に、生涯や経歴、活動の内容など画家について丁寧に紹介することが重要であるという。その上で展覧会のハイライトとなる作品を展示し、さらに画家の作品に新たな深い意味を見出し、再び展覧会のシンボルとなる作品の鑑賞を促すというような明確な展示構成が必要であると主張した。将来、日本においてプリゴフの展覧会が行われる際にいかなる企画・構成がなされるのかが大いに期待される。
 オランダのアムステルダム市立美術館でパフォーマンスや映画、ディスカーシヴ・プログラム部門を担当する学芸員、ヘンドリック・フォルカーツ氏は、先にアメリカのシャープ氏がソ連の非公式芸術家の展覧会であえてインスタレーションを展示しなかったことに言及しつつ、自身が現代の芸術家たちのパフォーマンス・アートの展示に携わっている経験から、やはりインスタレーションの展示やパフォーマンスの実演は現代芸術やコンセプチュアル・アートの展示にとって必要なものであると語った。現代の芸術家たちはパフォーマンスを前世代の芸術家たちの捉え方とは異なるものとして考えており、彼らの作品を展示する美術館側もこの点を改めて認識した方がよいだろうと主張する。また美術館は出版やメディアをさらに活用すること、さらに美術館の事業は出版物を基礎とすることが重要であるという。そして美術館は単に幅広い観客を楽しませるだけでなく、批評や教育の側面も担うことが求められていると語り、発言を締めくくった。
 イギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで現代芸術の展覧会の企画・構成を手がける美術史家、ティム・マーロウ氏は、単純に展覧会を企画・構成するだけでなく、観客にプリゴフの芸術や現代芸術一般を広く世界に正確に認知してもらうことこそが我々の責務であると力説する。さらに芸術の国際化こそが全てであり、すでにビエンナーレなどを通じて芸術家への財政的支援や国際的な芸術家同士の連帯や協力は進みつつあるという。最も重要なことは、物故した芸術家、存命の芸術家の区別に関わらず、彼らの個展を積極的に開催することで、それぞれの芸術家の研究を進展させることであり、このような「知的なゲーム」をたゆみなく行うことが我々に求められていると主張した。
 2011年のヴェネツィア・ビエンナーレでプリゴフの回顧展を企画・構成した、サンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館現代芸術部門学芸員であるドミートリー・オゼルコフ氏は、第一に、美術館の責務はプリゴフの芸術やあらゆる現代ロシア芸術を国際的な芸術のコンテクストにのせて「ロシア芸術は西ヨーロッパのものに比べて劣っているのではなく、それ独自の特徴や魅力を持つものである」と紹介することであると語る。さらに本展についても以下のように持論を展開した。本展はプリゴフの芸術を国際的な芸術のコンテクストにのせた優れた展覧会の一例であったが、それはいわば上品なものであり、「ルネサンスからコンセプチュアリズムまで」というテーマを乗り越えることができなかった。それは他の時代、他の国の偉大な芸術家たちの作品の「引用」に起因するものである。本展では壁に小さなパネルで彼らの作品が「引用」されていたが、個展ではこの「引用」には注意を払うべきであり、極力用いるべきではない。プリゴフの作品には彼らの作品の影響はあまり認められないと考えられる。第二に、プリゴフの芸術にオリジナルはなく、たび重なる複製によって作り上げられていると論じ、それはタイプライターを用い、ドローイングでも永遠性を示す同様のモチーフを際限なく使用している点にも表れているという。この際限の無い繰り返し、際限のない複製こそ、プリゴフ独自の特徴であると主張した。第三に、プリゴフは常に「コンテクストの芸術家」であり、彼の芸術はコンテクストを作り上げたり、混合させたり、破壊したりすることで成立しており、コンテクストなしでは彼の芸術はあり得ないという。そして「プリゴフは他者との対話こそが芸術となり、そしてそれが文化となると考えていたといえる」と論じ、発言を終えた。
 その後、議論はフロアーに開かれた。主な質問は、「一、ロシアにおける現代芸術やプリゴフの評価や批評の現状」、「二、美術館における現代芸術やプリゴフに関する展覧会の展望」、「三、世界各国におけるプリゴフの文学作品の出版状況について」などであった。
 一に関しては、本展担当学芸員のスヴェトリャコフ氏が、ロシアでは美術批評が少ない上に、現代芸術の展覧会は相対的に人気がなく、プリゴフにいたっては関連書籍や作品のカタログがほとんど出版されていないという状況を説明し、今後、ロシア国内で現代芸術やプリゴフに対する評価が高まり、批評が盛んになることを期待すると答えた。一方で、プリゴフは文化の価値そのものを問いかけ、美術館や学芸員、研究者がある芸術家を称揚すること自体を疑った芸術家でもあったことを付言した。
 二について、アメリカのシャープ氏は「「アメリカでなぜプリゴフの展覧会を開催するのか」とたびたび尋ねられることがあるが、我々展覧会の企画・構成者は、自国でプリゴフの作品を展示し紹介する十分な意義があると信じているからだ」と断言した。またイギリスのマーロウ氏も同様の意見を提示した。また美術館展示の将来像として、エンターテインメントであるべきか、あるいは教育的配慮がなされるべきかという問いに対しては、シャープ氏、マーロウ氏とも「我々の目的は、そのどちらでもなく、国際的なコンテクストにおいて研究者や専門家のための基盤を作ることだ」と答えた。
 三については、フロアーから「イタリア語で散文の翻訳が、ドイツ語で二本の長編の翻訳がすでに出版されており、日本語でもすでに翻訳が出版された」という回答があったが、鴻野わか菜准教授(千葉大学文学部)が「日本では未だ出版されておらず、半年後に初めて翻訳が出版される予定である」と訂正しつつ返答した。

 最後に本「ドミートリー・プリゴフ展」で評者が受けた印象と、以上の国際ラウンドテーブルの内容とを併せて考察することで、本寸評を締めくくりたい。一点目は、芸術家の死後におけるインスタレーション作品の取り扱い方である。スヴェトリャコフ氏は芸術家のスケッチや設計図に従い、それらを忠実に「翻訳」したインスタレーションであれば、その芸術家の死後であっても制作・展示は可能であるという立場から、本展でいくつものインスタレーション作品を展示し、場合によっては展覧会のためのオリジナル作品を制作した。現代芸術において芸術家はスケッチや設計図のみを制作し、インスタレーションの制作そのものは他の職人や専門家に委託することもあるが、管見の限りでは、特に「哀れな掃除婦」や「眼」のインスタレーションについて、今回展示された作品とプリゴフ自身によるスケッチや設計図を比較すると、明らかにデザインや寸法などが大きく異なる部分が少なからず見受けられた。それらは時として芸術家の意志やセンスを失った大きな抜け殻のようにさえ見えた。フォルカーツ氏の指摘通り、インスタレーションやパフォーマンスが重視される現代芸術において、それらを展示することは重要であるが、芸術家の死後、本人の参加や承諾を経ずして制作、展示されるインスタレーションを、果たしてその芸術家自身の作品と称することができるのであろうか。もっともプリゴフの場合、「オリジナル」と「複製」の概念と境界を疑いつづけた芸術家らしく、逆説的にそれすらも自らの「作品」と認めてしまうようにも思われるのではあるが。もし物故の芸術家のインスタレーションを再現するのであれば、芸術家のスケッチや設計図に一分も違わないことが不可欠であり、場合によっては、過去にインスタレーションを展示した際の記録映像・写真も併せて展示するなど、観客が作品を通じて芸術家とよりよく「対話」できるように再構成することも必要であろう。またシャープ氏が語ったように、あえてインスタレーションを取り扱わず、芸術家が自ら完成させた作品のみを取り上げることも有力な選択肢となるだろう。
 もう一点は、プリゴフと世界(西ヨーロッパ)における「芸術のコンテクスト」の問題である。ラウンドテーブルにおけるオゼルコフ氏の本展とプリゴフに対する評価は出色であり、評者にとって最もうなずけるものであった。一方、会場では無条件にプリゴフを、作曲家のジョン・ケージなど、いわゆる現代芸術や現代文化の「巨匠」や「アーティスト」と評価される芸術家たちと並列して比較する傾向や、手放しに「プリゴフの芸術は素晴らしい」という評価が下される傾向が見られた。プリゴフを世界(西ヨーロッパ)芸術のコンテクストにのせるためには、単純にプリゴフ自身やその作品に「世界的アーティスト」のようなラベルを貼って輸入したり、他の時代や国の芸術家の作品を「引用」して作品に並置したりするのではなく、まずプリゴフという芸術家を生み出したロシア(ソヴィエト)の言語や歴史、文学、文化のコンテクストの上で彼の芸術の特徴や独自性を冷静に判断し、彼の作品の「翻訳」や紹介の方法を検討することが求められているように思われる。その点から見て、オゼルコフ氏の「コンテクストの芸術家」というプリゴフ評価は、新たなプリゴフ展の開催に対する大きなヒントであり、また先に引用したプリゴフによるモスクワ・コンセプチュアリズムに対する言及など芸術家自身の発した言葉のほか、彼のあらゆる作品一つ一つに一層肉薄することは(8) 、今後プリゴフ研究を進展させ、彼の芸術に対する認識や理解を深めるための大きな原動力となるに違いない。


*本展国際ラウンドテーブルへの参加にあたり、千葉大学文学部 鴻野わか菜准教授、ならびに神奈川県立近代美術館 葉山 館長 水沢勉氏、同館主任学芸員 籾山昌夫氏よりご厚意を賜りました。ここに改めて感謝の意を表します。


(1) Новости из Эрмитажа. «Представление выставочного проекта «Дмитрий Пригов: Дмитрий Пригов»» http://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/what-s-on/news/news-item/news/1999_2013/hm11_2_501/?lng=ru(2014年11月10日閲覧)
(2) 鴻野わか菜「〈研究室だより〉ユートピアの後に芸術は可能か?--国際シンポジウムの記録--(1999年10月16日、於東京大学)」、『SLAVISTIKA:東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第15号、240-252ページ所収、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、1999年、240ページ。
(3) 鴻野前掲論文、240, 24ページ。
(4) 鈴木正美「現代ロシア美術 障害としての芸術」(鈴木正美のホームページ、現代ロシア詩・美術・音楽 Avant-ganko)、http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~masami/Art/trouble.htm
(2014年11月10日閲覧)
(5) Svetlyakov, Kirill. Dmitri Prigov: From Renaissance to Conceptualism. Dmitri Prigov: from Renaissance to Conceptualism and Beyond. Moscow: The State Tretyakov Gallery, 2014.
(6) Svetlyakov, Kirill. Politics of Representation and Artistic Theology of Dmitry Prigov. Ibid. 9-19.
(7) 鴻野前掲論文、247ページ。
(8) 後日、評者はトレチャコフ美術館新館に近い場所に位置する、現代美術館「ガレージ」の企画展「ロシアにおけるパフォーマンス 1910-2010--歴史の地図をつくる(Перформанс в России 1910-2010 Картография Истории)」(http://garageccc.com/ru/event/600)を鑑賞した。ロシアとソ連における100年のパフォーマンス・アートの歴史を、作品展示や写真、映像によって総括した同展では、パフォーマンスを撮影したビデオ映像三点を含む四点のプリゴフの作品が展示されていた。三点のビデオ映像は、いずれもトレチャコフ美術館で開催された「ドミートリー・プリゴフ展」に出品されなかったものである。一点目は警察官を演じるプリゴフが自作の警察官の詩をカメラに向かって披露する作品、二点目はプリゴフが音楽家である友人の演奏(並べた鍋や皿、瓶などをマレットで打っている)に合わせてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番を歌いながら、チャイコフスキーやプーシキン、ハイネなど彼が英雄だと考える人々の名前をひたすら連呼する作品、そして三点目は狂信的な愛国主義者のロシア人を演じるプリゴフが友人の飼い猫に何とか「ロシア」と言わせるために教えこもうとする作品であった。いずれも芸術家の深い洞察とエネルギー、機知、そしてユーモアがみなぎる作品であり、圧巻であった。これによって評者はトレチャコフ美術館新館が切り取って見せたプリゴフ像とは異なるプリゴフの姿を初めて知ったということを付記しておきたい。

2014年12月22日

[寸評]赤瀬川原平の芸術原論展



・会期:2014年10月28日(火)~12月23日(火・祝)
・会場:千葉市美術館
・評者:高原 智史

いよいよ寒さもいや増してきた12月6日の土曜日に、2014年度第1回の見学会が千葉で行われました。

お目当ての展覧会は赤瀬川原平の芸術原論展。千葉市美術館にて。

昔から「芸術」方面はてんでダメな筆者でございまして、赤瀬川という人もろくに知りませんで。しかし以前、『目玉の学校』(ちくまプリマ―新書)という本を読んだことがあり、「あれたしか赤瀬川って人だったな」と書棚から持ち出し、行きの電車で前に線を引いたところを読み返しておりました。今回、会場が千葉ということで、参加者の皆々様におかれましては「遠路はるばる」という感じだったようですが、筆者は千葉の一歩手前の江戸川区に住んでおりますので、千葉駅まではわずか27分。『目玉の学校』の読み返しも終わらないうちに千葉に着いてしまいました。

筆者も含め、千葉駅には初めて来たという人がほとんどの中、まずは駅内の落ち着いた喫茶店でカタログ委員会のミーティングをし、あわただしい昼食の後、ご同行いただいた寺田寅彦先生のご招待でモノレールに3分だけ乗って、美術館の最寄駅へ。もう少し歩いて、美術館は区役所といっしょの建物の7階と8階。

13時半に8階の展示室入口のところでいったん解散となり、16時に1階に集合と。2時間半もどう時間をつぶそうかと最初は思っていました。(筆者だけでなく、みなさんそうお考えになったそうです。)

いざ展示室に入ってみると、はじめは絵の展示から。てんで分からない。
くり返しになりますが、「芸術」方面はてんでダメな筆者、2時間半もどう時間をつぶそうか・・・という思いを強くしました。

続いてネオ・ダダと読売アンデパンダンのコーナーへ。
ゴムチューブでつくられた《ヴァギナのシーツ》というのが有名だそう。しかしやっぱりサッパリ分からない。思ってたよりデカイなー、くらい。異常な存在感。

ハイレッド・センターのコーナーへ行って、椅子や扇風機がクラフト紙で梱包され、これまたクラフト紙の敷物の上に置かれた《不在の部屋》。この作品の年代は(1964/1994年)となっていて、椅子などに付けられた荷札に上書きされた跡があり、作品の「更新」というようなものが感じられました。この辺から「芸術」はてんでダメな筆者でも「分かる」ような気がしてきました。

続いて「千円札裁判」のコーナー。
筆者は法学部出でございまして、刑法の授業で「百円札模造事件」というのは教わっていたのですが(違法性の意識(の可能性)というところで出てきます)、寡聞にして「千円札裁判」というのはここで初めて知りました。
すでに読売アンデパンダンのコーナーに《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》というタイトルの、やたらデカイ(90cm×180cm)聖徳太子の千円札の模写が展示されていましたが、ここでは押収された「作品」の他に起訴状や判決書などなど、一連の裁判に関する物件がズラーっと展示されていました。
もはや「芸術」そっちのけで、「法的」な興味から判決書を眺めて、「これは展示の仕方が悪いな。一頁目を上にして置いてあるけど、被告人の住所とかしか書いてない。みんなが見たいのはやっぱり「主文 被告人を○○に処す」みたいなところでしょ。そこを開いて見せなきゃー。」などと考えていると、隣で見ていた人が「へー、これ本物なのかな?」と言っておられて、裁判すらパロディでやっていたと思わせる赤瀬川原平さすが、と思わされました。
裁判では、「前衛芸術」について説明するためハイレッド・センターの作品等が法廷で陳列されたそうで、「一瞬ながら前衛芸術が法廷を占拠した」というような記述が大変興味深かったです。

階を下りるとすぐのところで、以前NHKで放送されたらしい赤瀬川氏のインタビューが放映されていました。休憩がてら椅子に腰かけて観ていると、「僕らは芸術のためにスレスレのことをよくやった。犯罪、いや犯罪とまではいかないけれど...」という風に言葉を濁されていて、千円札裁判の展示のすぐ後で見たので、そこに興味を引かれました。

続いてパロディを主としたイラスト、漫画のコーナー。
相変わらず絵はてんでダメな筆者、絵柄については水木しげるとの区別もつきませんでしたが《企業はこうして人を破壊する:水俣病》《わたしは問い続ける―大学批判の原点を求めて》といった内容は「政治的」に大変興味深く、展示されている漫画は全部読んで回ったので、ずいぶん時間を取られました。
我らが東京大学の安田講堂(とそれに拠るヘルメットの人々)もパロディの対象にされており、見ている横でおじさま方が「あの時、何年生だったっけ?」「いやまだ俺は高校生」などとお話しされていました。

尾辻克彦として受賞した直木賞受賞作の展示等を挟んで、「トマソン」や「路上観察」のコーナー。
この辺までくると、「まだあんの!?時間大丈夫かな...」という気分に。
「トマソン」といえば、「不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物」(ということをそこで初めて知りました)、上がった先に何もない「純粋階段」が有名なようですが、筆者もそういうムダなものは大好き。「こういうのって『VOW』(宝島社)によく載ってたよねー」と、後の懇親会で『VOW』を広げられていた方も。

その後も「ライカ同盟」とか「縄文建築団」とか、まだまだいろいろあったのですが、最初もてあますように思っていた2時間半の時間があっという間に過ぎていて、最後の方はじっくり見られず、駆け抜ける羽目に・・・。(みなさんそうだったそうです。)集合を16時半にしておくべきだったかと見学会幹事として反省。

16時ちょいには1階に集合が完了し、懇親会の予約は17時からだったので、違った形で時間をもてあますことに。お店に電話してみると、早くからでも大丈夫とのことだったので、駅前のおしゃれなビストロで16時半から懇親会。異常に早いピッチで飲み進めた筆者は終盤眠りこけておりました。
そうして18時半には早くも散会。19時過ぎには家についてしまった筆者はいよいよ本格的に眠りこけましたとさ。


見学会レポを書くのが遅れに遅れ、会期は明日までとなってしまいましたが、千葉まで遠出する価値の十分ある、見応え十分な展覧会でした。


次回の見学会は来年3月開催の予定です。
みなさまどうぞ奮ってご参加ください。


※赤瀬川原平については、昨年度第2回の見学会でも「「ハイレッド・センター」直接行動の軌跡展」の見学が行われています。
その模様はこちら

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