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2013年12月 アーカイブ

2013年12月 4日

[おすすめ]明治のこころ―モースが見た庶民のくらし―



・会期:2013年9月14日(土)~12月8日(日)
・会場:江戸東京博物館
・評者:伊藤 由紀

大森貝塚の発見者エドワード・モースが日本滞在中に収集した日用品および陶器のコレクションを、著書『日本その日その日』(Japan Day by Day. 1917)の関連記述とともに紹介する展覧会。現在、日用品などの民族学資料はピーボディー・エセックス博物館に、陶器のコレクションはボストン美術館に収蔵されています。

取り上げられる資料の大部分は、万博出品の精緻な工芸品などとは一線を画する、ありふれた日用品です。かといって実用一辺倒というわけでもなく、動物モチーフなどのゆるーい装飾を施されたものがたくさん。明治10年頃の日本が、すでにこれほどの「ムダ」を許容する豊かな社会であったという事実に驚愕しました。

会場で強く感じたのは、モースが日本に向けた温かなまなざしでした。写真に捉えられた市井の人々がみなカメラに向かって屈託なく笑っていることも、彼が人々の中に溶け込んでいたことを窺わせます。

また、モースの本来の専門分野である貝にまつわるグッズが多数保存されている(貝をそのまま利用したお玉に、貝の形のおはじきや砂糖菓子まで!)のは、「研究者あるある」だなあ……と微笑ましく見ました。

カタログは青幻舎よりISBN付きの一般書籍として販売されています。

なお、江戸東京博物館では20周年記念として平成26年3月31日まで、常設展および過去の展覧会の図録、調査報告等出版物の一部を半額で販売中(在庫限り)だそうです。

2013年12月11日

[寸評]モローとルオー -聖なるものの継承と変容-

・会期:2013年9月7日~2013年12月10日
・会場:パナソニック汐留ミュージアム
・評者:山川 剛人

 去る12月1日(日)、カタログ委員会メンバーは第一回見学会として、パナソニック汐留ミュージアムへ足を運びました。「モローとルオー展」は、それぞれフランスの19世紀、20世紀を代表する画家であり、深い絆に結ばれた師弟でもあったモローとルオー二人の絵画を、ギュスターヴ・モロー美術館館長の監修により、パリに先駆け汐留で展示するという大変意欲的な展覧会です。
 展示は、国立美術学校時代の作品を配した「ギュスターヴ・モローのアトリエ」、デッサンの重要課題である裸体画を配した「裸体表現」、宗教画・神話画を配した「聖なる表現」、色彩と材質についてのモローの教えに関わる作品を配した「マティエールと色彩」、特別セクションとしてモロー美術館を紹介した「幻想と夢」という五つのセクションによって構成されています。全体を通じて、セクションごとにあるテーマを設定することで、観覧者が二人の画家における問題意識や表現の共通性や差異を感じ取ることのできるようにという配慮がなされているように思われました。
 また、公式サイトのトップで写真を見ることができますが、壁や柱のカラーリングが非常に鮮やかで、それも部屋ごとに違った色を用いているなど非常に凝った内装により、二人の作品の世界に相通ずる雰囲気を鑑賞の場として演出しています。更に展示の工夫として、途中、モローとルオーの往復書簡における睦まじい師弟のやりとりが紹介されていたのも面白く、近しい関係性の中でそれぞれに絵画表現の高みを目指していた彼らの「同時代性」のようなものを感じることができました。
 個人的に、二人の対比が大変面白く感じられたのは、中盤の「聖なる表現」、「マティエールと色彩」の2セクションでした。二人とも、聖書やギリシャ神話、古代ローマの故事などを題材に色彩豊かで幻想的な絵を遺していますが、その思想や感受性はそれぞれ独特のもので、かなり違いがあるように思われます。たとえばモローの「油彩下絵または聖女カエキリア」とルオーの「クマエの巫女」、モローの「ゴルゴタの丘のマグダラのマリア」とルオーの「三本の十字架」、モローの「パルクと死の天使」とルオーの「我らがジャンヌ」(この二作品は公式サイトで画像を見ることができます)など、共通性のみられるモチーフを描いた絵を同時に鑑賞することで、その相違が浮き彫りになるような展示になっていたのではないかと感じます。モローが「聖なるもの」を崇高なものと捉えて重厚な色彩で表現したのに対して、ルオーはより素朴な見え方をするものの中に「聖なるもの」を見出し(例えば「聖顔」など)、奔放な色遣いで表現したという印象を持ちました。
 展覧会は、このあと長野県の松本市美術館へ巡回し、12月20日(金)から3月23日(日)まで観ることができます。
 なお余談ですが、汐留はすっかりクリスマス・モードで、パナソニック汐留ミュージアムのお隣のショッピング街(カレッタ汐留)ではダンスミュージックに合わせた盛大なイルミネーションを観ることができ、たまたま居合わせた参加者一同は驚きつつ足を留めてしまいました。



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2013年12月25日

[寸評]「うさぎスマッシュ展 世界に触れる方法(デザイン)」



・会期:2013年10月3日~2014年1月19日
・会場:東京都現代美術館
・評者:岡野 宏

 現在、東京都現代美術館で開催されている「うさぎスマッシュ 世界に触れる方法(デザイン)」展(会期:2013年10月3日~2014年1月19日)について簡単にレポートを行う。
 展示冒頭に示された序文から適宜引用するならば、本展は「私たちの周りで起きている問題に気づかせたり、考え方を示唆するものとしての」デザインに注目し、「私たちが生きる世界の状況を独自の仕方で読み込み、構築し、時には直観や想像力による思いがけない発想で、既存の知識体系や情報伝達のあり方を問い直」そうとする現代の作家の実践を取りあげる企画である。
 ここでいう「デザイン」とは、単になんらかの作品ないし製品の二次元的、三次元的イメージを生み出すことを指しているのではない。それも含むのだが、ここではよりクリティカルな視点が導入されている。私たちはなにげなくこの世界のなかに生きているわけだが、そこにひろがる無意識の「日常」はまた、世界のさまざまなありように対しての感受性を鈍らせるものでもあるだろう。「デザイン」は、これに抗おうとする作家が見出した、ときには想像した世界の別な側面に形を与えることに他ならない。見出された「世界」は「デザイン」によって形態のなかに封じ込められ、私たちのもとに送り届けられる。
 さらに、キュレーションを担当する長谷川祐子氏は「デザイン」と「コンセプチュアル・アート」の相違を、出品作家のひとりであるスプツニ子!氏の言葉を参照しながら、前者のもつ「使うことができる」性格に求めている。デザインされたプロダクトを使用するとき、必然的にわれわれはそれに「触れる」ことになる。それは同時にそれによって媒介された「世界」に「触れる」ことでもあるだろう。プロダクトを「使うか使わないか」という決定がいわば「世界」に対しての態度表明であり、ここにいわゆる美術鑑賞とは異なる、より能動的な世界への参与が切り開かれると長谷川氏は述べている(注1) 。
 会場では、このような構想の下に、21組の作家の作品が比較的にゆるやかなつながりのもと配置されている。ロンドン在住のアレキサンドラ・デイジー・ギンズバーグ氏とサシャ・ポーフレップ氏による水彩画《栽培-組立》(2009年)は、さながら工業製品のようにして生産され、組み立てられる植物の実-その用途は皮肉なことに除草剤である-を18世紀の博物学者のような即物的なタッチで描いている。ドラえもんの道具にも通じる便利な「世界」は同時に、すべてが道具化される悪夢的状況でもあるだろう。植物によって植物を除去する。筆者はそこにある種の倫理的な問題を感じざるを得なかった。
 しかし、会場を進むにつれ、このような「倫理的問題意識」はひょっとすると胡散臭いものかもしれないと感じるようにもなったのだ。ミカエル・マッセイ氏による《ポックス・テディ》(2007年)は意図的にウイルスを染み込ませたちいさな熊の人形である。それこそそのまま食べてしまえそうな、かわいらしいこのおもちゃは、作家によれば、子供に与えることで、子供が遊びながらウイルスに感染し、免疫を獲得することに役立つ。作家はこの作品を通じて、子供を意図的にウイルスに感染させることの是非やウイルスを道具として用いる未来のあり方について問うている。
 《栽培-組立》と《ポックス・テディ》があつかう問題はある部分で重なり合っている。つまり前者は植物によって植物を除去し、後者はウイルスによってウイルスを除去する。しかし、ごく直感的なレベルにおいてであるが、筆者は前者に対しては「倫理的問題」を感じ、後者には感じることが出来なかった(もちろんこれは筆者の主観である)。おそらく、筆者は《栽培-組立》の除草剤を「使う」ことほどには、《ポックス・テディ》を「使う」ことにはためらいを覚えないはずである。だが、両者を隔てる根拠はどこにあるのだろうか。おそらくここでも筆者自身の「世界」が問われているのだろう。
 もちろんこうした問題提起型の作品ばかりが展示されているわけではない。スプツニ子!氏の《ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩》(2013年制作、Youtubeでも閲覧可能→http://www.youtube.com/watch?v=6P1uFNdKdQA、会場では大画面で見られる)は作家独自の想像力に溢れた映像作品である。主人公の「理系女子」セレナはこれまで一度も女性が月面に降り立ったことがないことに奮起し、自作のロボットを用いて月面にヒールの足跡を付けようと試みる。普通には国家や大企業が関わるものとされている宇宙探索を個人で成し遂げようとする想像力が、映像を通して鑑賞者に伝播してゆく。
 総じて出展作品の完成度は高く、コンセプトと提示されたモノのギャップに幻滅するような作品はなかったと思う。展示作品点数はそれほど多いとはいえないが、作品同士を比較して見る分にはちょうどよかったかもしれない。作品間のスペースも過不足なくとられていた。なお、フラッシュ禁止などの条件があるものの、基本的に会場内は撮影可である。営利目的でなければ公開も可能なので、多くの方がスマホ片手に鑑賞していた。
カタログは税抜きで2800円。A5サイズのどちらかといえばしゃれた感じの装丁で、内容としては、展示作品と一部それに関連する作品のイメージ(ただしいくつかの作品はイメージが掲載されていない。そのこともカタログには明示されている)、各作家による自作解説と自分流の「デザイン」の定義、長谷川氏らによる論考、そして作品データを含んでいる。掲載された全ての文章を和文と英文双方で読むことが出来る。注意したいのは、作家の自作解説は「なぜこの作品を作ったか」「作品のコンセプト」「作品を通じてどう社会に働きかけようとしたか」に関してのものであって、一般的な意味での作品の説明ではないということである。そのため、会場で作品を実見せずにカタログだけ見ても、ほとんど作品理解は得られない。ぜひ会場に足を運んでからカタログをご覧になることをおすすめしたい。音声ガイドあり(なお筆者は未聴)。ヘッドフォンの柄の部分にうさみみ(!)が付いているので、装着の際にはそれなりの心構えが必要だが、思いきって「使ってみる」ことで、展覧会の「世界」に参与してみるのもよいだろう。


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マーニー・ウェーバー《丸太婦人と汚れたうさぎ》(2009年、筆者撮影)。丸太に女性の顔が見える。

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シセル・トラース《においの風景 東京》(2013年)の展示台(筆者撮影)。小瓶のなかににおいのサンプルが詰められており、手に取ってかぐことができる。なかなか強烈なにおいである。


注1)長谷川祐子「うさぎスマッシュ――世界に触れる方法(デザイン)」(本展覧会カタログ『うさぎスマッシュ 世界に触れるアートとデザイン』所収)より。

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