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「異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛」展(97号掲載)水野太朗

水野太朗
執筆時:東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報:『比較文學研究』97号、2012年10月、157-164頁


 「異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛」展は、木彫を中心に優れた作品を残し、日本近代彫刻の歴史にその名を刻んだ橋本平八(一八九七~一九三五年)と、モダニズムの詩風を展開し、日本近代詩の歴史にその名を記した北園克衛(一九〇二~一九七八年)の二人の芸術家兄弟を主題として、それぞれの生涯とその作品を網羅的に紹介し、かつ二人の交流の意味を積極的に見出そうとした意欲的な展覧会であった。兄弟の関係性に焦点を合わせることで両者の作品を改めて捉え直そうとした本展の試みは、複数の対象について比較と考察を行い、その関係を明らかにしてゆく比較文学の営みにも通ずるものがある。とりわけ、橋本と北園のそれぞれが有する独自性と共通性を、数多くの展示品とともにつぶさに示しつつ、同時に企画展としての総合的な均衡にも入念な配慮を施していた本展覧会の構成は、その図録も含めて示唆に富んだものであった。以下、今回の展覧会および図録についての私見を、順を追って述べてゆくことにしたい。


 本展覧会は、三重県立美術館および世田谷美術館の共催によって行われた。まず、三重県立美術館における展示が二〇一〇年の八月初旬から十月中旬にかけて開催され、次いで、世田谷美術館での展示が十月下旬から十二月中旬までの期間において実施された。その内容は高い評価を受け、美術館連絡協議会より同年の美連協大賞を授与されている。
 展覧会の一方の主催者であった三重県立美術館は、橋本平八が三重県朝熊の出身という縁もあり、今回の展示に先立って、一九八五年「橋本平八と円空」展を開いている。橋本平八の没後五十周年と開館三周年を記念して執り行われたこの展覧会は、橋本の作品を企画の中心に据えるとともに、その木彫に大きな影響を与えた円空仏を多数紹介し、併せて平安期の鉈彫像や、高村光雲、平櫛田中ら近現代の彫刻家による木彫作品を展示することによって、日本の木彫芸術の系譜を示すという明確な目標を掲げていた。図録『橋本平八と円空――木彫・鉈彫の系譜』を繙いてみても、そうした企画の意図は十分に受け取ることができよう。同書には所収論文として、(一)生家での境遇から、上京後佐藤朝山に師事した修練期、朝熊に帰郷して死没するまでの成熟期を編年的に紹介した森本孝の「橋本平八の生涯」、(二)鑿痕の精緻な分析を試みるなど、鉈彫と円空仏についての歴史的経緯や造形的・図像的研究を示した毛利伊知郎の「鉈彫像と円空」、(三)菅江真澄の紀行文『真澄遊覧記』に見られる円空仏の描写を紹介した山口泰弘の「菅江真澄のみた円空」の計三編が収録されており、それらに付随する形で「橋本平八年譜」、「円空年譜」および「近・現代彫刻史年譜」が資料として編まれている。こうした図録の構成は、一九八五年の展覧会が、同館の所蔵する多数の橋本平八コレクションを企画の主軸とする一方で、円空と日本木彫史に対しても相当の比重を置いていたことを示していよう。同展での橋本に対する視点はこのような主題のもとに絞り込まれていたことから、そのぶん実弟・北園克衛についての言及は、比較的限定されたものであったようだ。実際、図録の内容を確認しても、北園克衛の名は、橋本平八の幼少時代の証言者としてわずかに登場する程度に留まっている。
 今回の「橋本平八と北園克衛」展は、三重県立美術館にとっておよそ四半世紀ぶりの、橋本平八に関する展覧会となったが、北園との関係に主眼が置かれた本展の展示および図録の内容は、前回のものと比べると様々な点が刷新されている。たとえば、今回の図録に収録された「橋本平八・略年譜」などは、前回のそれとは編集の方針を異にしており、単に橋本の一般的な事績を示すに留まらず、北園との繋がりを示す事項が、日記や書簡等の記録をもとに、いくつも紹介されている。本展覧会の橋本平八の部は、先の展示にも参加した三重県立美術館学芸員の毛利伊知郎氏を中心として企画が進められたが、同氏は論文「橋本平八――作品と思想」、橋本・北園両者の関係について整理した論考「兄と弟」の執筆を担ったほか、さらに、橋本関連年譜・文献目録の編集まで担当するなど、図録の成功においても重要な役割を果たしている。
 一方、北園克衛の部の企画については、世田谷美術館学芸員・野田尚稔氏の寄与するところが大きい。野田氏はハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所研究員のジョン・ソルト John Solt 氏と交渉を重ね、ソルト氏が一九八〇年代半ばに来日した際収集した書籍・パンフレット・書簡・バッジ類など、千八百点にも及ぶコレクションをもとにして、今回の展示を実現させるところにまでこぎつけている。ソルト氏は同大学で長年にわたって北園の研究をしており、Shredding the Tapestry of Meaning: The Poetry and Poetics of Kitasono Katue(田口哲也編訳『北園克衛の詩と詩学――意味のタペストリーを細断する』(思潮社、二〇一〇年))を著したことでも知られるが、その同氏が持つ多数の所蔵品が整理された形で、このたび日本において日の目を見るに至ったことは、それ自体大きな意義があったと言えよう。


 筆者は二〇一〇年十二月五日、世田谷美術館を訪ね、その展示を鑑賞した。三重県立美術館の展示を鑑賞できなかったことは惜しまれるが、ここでは筆者が直接目にした世田谷美術館での展示の様子について、その記録を留めておくことにしたい。
 世田谷美術館は緑豊かな砧公園の一角にある。当日は冬の日差しが穏やかに降り注ぎ、子どもたちの歓声が多く聞かれた。館内は混み合っておらず、落ち着いた雰囲気の中で、一つ一つの作品を入念に鑑賞することができた。
 展示の構成は、明確な部立てこそされていなかったものの、実質的には橋本平八の部と北園克衛の部に分けられていた。両者の作品はそれぞれ別個にまとめられており、まず橋本の作品を全て鑑賞したのち、次に北園の作品へと移ってゆく形になっていた。二つの部は基本的には独立していたが、橋本の部から北園の部に移行する、いわば区切りにあたる部屋には、北園克衛がその成立と出版に大きく関与した橋本の遺稿集『純粋彫刻論』(昭森社、一九四二年)を展示するなど、兄弟の関係を窺い知ることができる展示品が多く配置され、「兄から弟へ」という鑑賞の流れを自然に繋ぐ工夫が見られた。全体としてキャプションによる解説は少なく、橋本平八や北園克衛の人物紹介や作品解釈などもほとんど見られなかった。兄弟展という企画の基本方針そのものは確固として存在していたが、それを前面に出すことで、来場者の鑑賞の方向性を限定ないし誘導することは、意識的に控えられていたようである。
 橋本の部については、出品点数の多い彫刻がやはり展示の中核をなし、掛軸や書簡がその周囲に配置されていた。配置の上でとりわけ印象的であったのは、入場してすぐ目に飛び込んでくる《裸形少年像》、《少女立像》および《成女身》の三像が立ち並ぶ姿であった。これらの像は台座も含めて、すべて一三五~一八〇センチのほぼ等身大の立像であり、部屋の中央にあって十分な存在感を示していた。その周囲には《少女立像下図》や《裸形少年像下図》といった彫刻作品に対応する下絵が展示され、これもまた強く興味をひくものであった。下絵と彫像とを見比べることによって、相違点を探したり、制作の過程を想像したりすることが可能となり、鑑賞の楽しみが増した。こうした彫像と下絵の並置は《兎》、《双鶴》など二十組以上の作品でなされており、展示の大きな魅力となっていたように思われる。ひとつ欲を言うならば、下絵の書入れや掛軸の讃、書簡などの中には、しばしば判読の難しいものがあったことから、鑑賞の手助けとして、適宜翻字を施す配慮があっても良かったのではないか。
 北園の部については、詩集や雑誌などの書籍類が見開きの形で多く展示されていたほか、書簡も相当数が展示され、スライドや映像資料も用意されていた。書籍を中心とした展示はともすれば単調になりがちであるが、世田谷美術館では、鑑賞者の眼を楽しませることが常に意識されており、たとえば詩作品の紹介に際しては、北園のモダニズム詩のなかでも特に図像的な作品や、極端な改行を行っている作品など、視覚的効果の大きい作品を選んだり、北園のデザインした表紙やカットを適宜織り交ぜたりするなど、企画者側の工夫を凝らした跡が見受けられた。独特の意匠が目を引く後期北園の「プラスティック・ポエム」に相当の空間を割いていたことも特徴的である。書簡等の翻字の問題については橋本の場合と同様だが、それでも一部の英文の手紙には内容を要約した解説を付けるなど、一定の配慮があった。先にも述べたように、本展覧会はキャプションによる解説を最小限にとどめており、キャプションの多くは北園の詩句やメッセージのみを引用した簡素なものであった。来場者の自由な鑑賞を妨げないという意味では、こうした措置も納得のゆくものではあるが、北園の詩風が決して平易なものではないことを考慮に入れれば、もう一歩踏み込んだ説明や解釈を加え、鑑賞の一助となるような解説を添えてもあるいは良かったのかもしれない。


 展覧会の様子を紹介したところで、図録についてもその特筆すべき点をいくつか述べてみたい。まず、装丁・デザインの面では、一貫して橋本と北園の一方に偏らないことを強く意識した造りになっている。たとえば、本書は橋本平八の部を右開き、北園克衛の部を左開きとする両開きの形式を採ることによって、一方が先に回り、他方が後に続く形を避けている。また、分冊にしなかったことも「兄弟展」であることの意義を反映させた結果と見なすことができよう。図録の中央に据えられた論文「兄と弟」は、橋本と北園の交わりについて述べたその内容のみならず、一冊の本としての構成を考えたときにも、ちょうど右開きの橋本の部の末尾と、左開きの北園の部の末尾を繋ぐような形となっており、企画の趣旨とうまく合致している。
 分量についても、橋本の部と北園の部のそれぞれのページ数は、やはり構成上の均衡からほぼ等量になるよう配分されている。橋本平八の収録点数は彫刻八十七点、絵画・構想図五十七点、関連資料二十五点の計百六十二点であるが、対する北園克衛の方は総数七百二十八点を数える。資料の内容を考慮せず、収録点数のみを単純に比較することはできないとはいえ、二者間の数量の差にこれだけの開きがあると、これらをほぼ同じページ分量に収めるのは難しかったのではないか。両者のレイアウトに注目すると、橋本の部は北園の部に比べて図版が大きく余白も広い。無論レイアウトは収録点数の多寡のみによって決定されるものではないが、本展の図録の場合、ページ数を橋本の部と北園の部で等分する形にしたことが、紙面の構成にも影響を及ぼしたと見ておそらく間違いあるまい。北園七百二十八点の内訳は、ソルト・コレクション、多摩美術大学図書館蔵、その他の美術館・個人蔵がおよそ四対二対一となっているが、約千八百点からなるソルト・コレクションが四百点程度に絞り込まれていることも、ページ分量の制約と全く無縁ではないように思われる。図録の構成にせよ、資料の取捨選択にせよ、これらは基本的に編集者の裁量に委ねられるべきであろうが、学術上の見地からは、今回選から漏れた北園関連資料についても、他日しかるべき形で公開されることを期待したい。
 このような両者における分量の均衡の調節は、文献目録においても行われている。もともと彫刻を活計の道とし齢三十八歳でこの世を去った橋本平八の著作と、文筆を本業とし長寿を全うした北園克衛の著作の間には大きな量の隔たりがある。そのうえ、研究書・論文等に関しても、未だにあまり蓄積のない橋本と、相当数が存在する北園とではその数量に差異が見られるが、図録の文献目録では橋本に合わせる形でどちらも一ページに収められている。北園の関連文献については、私家版ではあるが、金澤一志氏による『北園克衛書誌』(第四版、二〇〇九年)が既にまとめられており、実際上の問題として、図録に北園関係の書誌情報を全て載せるのは現実的ではないかもしれない。しかしながら、北園の文献目録を、橋本のそれと全く同じ紙幅に収めたことは、かえってその実情をわかりにくくしてしまったようにも思われ、構成上の問題との兼ね合いの難しさを感じさせた。
 レイアウトの問題に話を戻せば、本書が橋本の部に縦書きを、北園の部に横書きを選択している点も特徴的であった。北園自身が発表したいくつかの詩集や寄稿した雑誌を含め、近代日本の文芸誌・詩誌の多くが縦書きであったことを踏まえると、詩作品を主とする北園の部に縦書きを用い、彫刻作品を主とする橋本の部に横書きを用いる選択肢もあり得たように思う。その一方で、橋本の資料のうち、画讃・書簡・下絵の構想案などに記された橋本自身の文章はすべて縦書きであり、また、北園のモダニズム詩の一部や海外の詩人と交わした英文書簡などは横書きであることを考えれば、本書の編集方針にも妥当性はある。この点は好みの問題ということになるだろうか。
 内容の点では、章立ての構成について特に言及しておきたい。橋本平八の部は、第一章「彫刻」、第二章「絵画、構想図」および第三章「関連資料――円空関係資料/日記と写生帖/遺著」の三章構成をとっている。分野ごとに区分けした比較的簡素な章立てといえよう。章と章の区切りでページを改めず、前章の末尾と次章の先頭が連続しているため、章立てそのものが読み手にとってそれほど意識されない。第一章「彫刻」の章の図版は概ね時系列順に配置されており、橋本の作風の変遷をページを繰りながら順に追ってゆくことができる。これは、第一章のすぐ前に掲げられた毛利伊知郎氏の論文「橋本平八――作品と思想」が、橋本の代表作の見方を編年的に解説していることとあいまって、読者が橋本平八の作品世界に円滑に入ってゆける大きな要因となっている。この毛利氏の論文は内容の点でも、歴史的な解釈と技術的な分析の両面において、簡にして要を得たものであった。全体的に素朴ではあるが見やすく洗練されているというのが橋本平八の部の印象である。ただ、分野別の章構成をとったことによって、世田谷美術館の展示で見られたような彫刻作品と下絵との対比は楽しみづらくなっており、その点は少々残念であった。
 一方、北園克衛の部は、第一章「橋本健吉から北園克衛へ」、第二章「『VOU』:一九三五―一九四二」、第三章「海外の詩人との交流」、第四章「戦後の活動」、第五章「『VOU』:一九四六―一九七八」、第六章「プラスティック・ポエム」および第七章「デザイン・ワーク」の全七章から成っている。こちらは主として時系列に沿いつつ、分野の区分にも目配りした構成といえよう。会場での展示では実現されなかった図録のみの特典として、一九三五年から北園が編集・レイアウトを担当した同人誌『VOU』全百六十号の表紙をすべて掲載してみせたことなど、見どころは多い。今回、北園の多岐にわたる資料を体系的に展示することは大変困難な仕事であったと推察され、実際のところ世田谷美術館の展示においては、その方針が明確に見えにくい部分もあったが、図録にはこうした難しい部分を克服しようとした企画者の努力の痕跡が随所に現れており、その労苦が偲ばれる。従来北園克衛については、詩作品、写真、デザインなど個々の分野ごとに特集が組まれることはあったが、本書のように、北園の多方面における活動を包括的に、かつ視覚的観点からわかりやすく取り上げた著作物はこれまで存在しなかった。その点において、本展覧会図録の北園克衛研究に資する部分は大きい。
 しいて注文をつけるとするならば、北園の詩の取り上げ方に関する部分であろうか。会場展示と同様、本書は全体として視覚的な美観を優先してレイアウトを組んでいる傾向にある。そのせいか、詩集の図版などは文字の可読性こそ担保されているものの、フォントが若干小さすぎる感は否めず、表紙やカット、字配りなどをさっと眺めただけで読み飛ばしてしまう読者もいるのではなかろうか。北園の詩の雰囲気や大まかな時代的変遷をつかむ入り口としてはそれで十分とも言えるが、仮にそうであるとしても、北園の代名詞たる実験的な詩群とともに、彼のもう一つの特色とも言うべき瀟洒で甘美な抒情詩についても、もう少し焦点を当てた方が、北園詩の鳥瞰景をより適切な形で示すことができたように思われる。
 もし図録の読者が、北園克衛の詩的世界をより十分に堪能したいと望むのであれば、北園の詩集を傍らに用意し、本書と照らし合わせながら読んでゆくという楽しみ方が良いのかもしれない。現在、比較的手に入りやすいのは現代詩文庫の『北園克衛詩集』(思潮社、一九八一年)、網羅的なのは『北園克衛全詩集』(沖積舎、一九八三年)であろうか。北園に限らず一般にモダニズム詩の多くは、その特異な表記法ゆえ、作品集に収録する際、元の詩集のレイアウトが変更されてしまうことがしばしば発生するが、本展の図録を見れば、単行本刊行時のレイアウトの様子を手軽につかむことができる。詩集でも詩の研究書でもない、図録としての本書ならではの活用法と言えよう。
 いま改めて一つの図録として捉えてみると、本書の完成度は高い水準にあることがわかる。とりわけ視覚的な美しさには細部にまで配慮が行き届いており、たとえば、見開きの形で載録した書籍の図版などは、撮影時のライティングを調節しコンピュータ処理を行うことによって、立体感を出すための陰影をつけてある。こうしたデザイン上の工夫は本書の中に数多く施されている。北園克衛の部は『VOU』をはじめとする色鮮やかな雑誌の表紙やモダニズム・アートの図像が所狭しと並んでおり、それぞれの章ごとには色彩豊かな扉も設けられている。そこには、伝統美の落ち着きを感じさせる橋本平八の部とは趣を大きく異にした、文字通り多彩な北園克衛の作品世界が広がっており、図録全体の構成そのものが、兄と弟の対照的な姿を自ずと浮き彫りにするような一つの仕掛けとして、うまく機能しているように感じられた。


 最後に、日本近代詩を専門とする筆者自身の立場から、強く関心を抱いた北園克衛の詩作に関して、いま少し思うところを述べたい。本展図録の北園の部冒頭に掲げられた野田尚稔氏の論文「北園克衛――詩的純粋の追求」は、北園詩の展開について丁寧にまとめており、その変遷の様子をよく伝えている。なかでも若き日の北園に対して兄・橋本平八が果たした役割や、兄弟における「純粋」の概念の捉え方の相違などを、二人の書簡等を引用しながら、詳らかに説明している部分は大変興味深い内容であった。同論文は、北園が用いた「応化観念」などの難解な用語についても、用例をよく咀嚼しつつ、その意味するところを解説しており、北園の部の劈頭を飾るにふさわしい内容を有している。
 この論文で取り上げられている詩編は、俳句雑誌『鹿火屋』や前衛文芸誌『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』などに発表された最初期のものから、第一詩集『白のアルバム』(厚生閣、一九二九年)に収録された「記号説」の初出形「白色詩集」、戦後の代表作の一つ「夜の要素」、さらには後期のプラスティック・ポエムにつながってゆく作品「単調な空間」まで、作風の変容ぶりをよく表し、かつ今日の研究において重要と位置づけられている作品が主に選び出されている。これらの詩に共通して表れている特徴は、いわゆる「実験的」な詩風であるということで、たとえば「夜の要素」に見られるような、改行の極端な多用や、それに伴って浮かび上がる助詞「の」の印象的な用法などは、北園克衛の詩語や詩形に対する追究の様相を如実に示している。北園の残した詩作品のうち、こうした実験的な作風の詩編が、作品の数からいっても、近現代詩史における影響からいっても、最も特徴的かつ代表的なものであると評価するのは自然なことであろう。その意味で、本展覧会がこうした作品の紹介を中心に据えていたのは、至極妥当なことであったといえる。
 しかしながら、先に少し触れたように、北園の詩はその全てが実験的な作風の、いわゆるモダニズム詩であったわけではない。衒いがなく洗練された、ある種の素朴さを感じさせる文体で、甘さや優しさのようなものを豊かに描き出した抒情的な詩風の作品もまた相当数残っていることが、北園研究においてはよく知られている。その点について、本展覧会が全く配慮を欠いていたというわけではないが、やはり取捨選択の部分において、実験詩の占める割合が多く、そのぶん抒情詩に関する内容が割愛されている傾向は感じられた。時間的にも空間的にも制約の生ずる会場展示において、動線の確保の観点などから視覚的な作品が優先されるのは致し方ないことであろうが、一方で、そういった制約から解き放たれ、個人でゆっくりと鑑賞を楽しめる図録においては、抒情詩を味読できるような趣向があっても面白かったのではないかというのが個人的な感想であった。
 たとえば、二十余冊を数える北園の詩集のうち、一九三七年、北園三十五歳の年に刊行された第六詩集『夏の手紙』(アオイ書房、一九三七年)に「鷄」という詩がある。「少年達が麦畑のなかを風のやうに散歩する/その麦畑からは村も遠く水車場も遠い/かれらはトマトのやうに頬をふくらませ/白いシャツに汗をかく/頭をあげるといきなり雲のなかで雄鷄が鳴く」というわずか五行の掌編であるが、この短い詩には、北園の抒情詩が有する様々な特質が含まれている。
 一読してわかるのは、この詩が平明な語彙を用いた散文調の作品であり、イメージの想起も比較的容易な「読みやすい」詩だということであろう。無論一つ一つの詩語は、詩人による彫琢を経た結果であろうし、詩の内容そのものが平易であると不用意に断ずるつもりはないが、語彙や文法、語法について特に型破りな表現は見られないし、比喩もそれほど奇抜なものではない。不自然な統語なども見当たらず、改行の仕方なども含め、あらゆる意味において、実験的な詩風からは距離のある作品といえる。
 その一方で、この詩にはその純朴さ、平明さゆえの、明るく爽やかな夏の情調が立ち現れている。「風のやうに」「トマトのやうに」という二つの直喩は、それ自体素朴な喩えではあるものの、それゆえに、ある種の明快さとみずみずしさをこの作品に付与しているし、末行の「雲のなかで雄鷄が鳴く」という表現は、さまざまな解釈の可能性を孕んだ、象徴性に富む締め方でありながら、しかし、そのどこか朴訥な物言いが、詩全体に通底する若やいだ雰囲気と響き合って、作品の奥行きを大いに広げている。青空と白雲の鮮烈な対照、広い麦畑にふいに響きわたる「雄鷄」の鳴き声、そういった真夏の一風景が、この詩編「鷄」においては、詩情豊かに描き出されていると評し得るだろう。本展覧会の図録も、北園の詩に少なからず見受けられるこのような抒情性にあえて積極的に言及することによって、北園の詩的世界をより重層的に提示することが可能であったのではなかろうか。


 本展覧会については、橋本平八と北園克衛というそれぞれ個性的な芸術家兄弟を取り上げ、その特色を的確に捉えて両者の関係性を探求しながら、調和のとれた企画展としてまとめ上げたことを高く評価できよう。もとより二つの対象、二人の人物について、その関わり合いの程度を見定め、明晰に論ずるということは困難を伴う営為であるが、本展覧会は橋本・北園兄弟の関係について、その内実をある程度まで明らかにして示すことに成功している。何より橋本平八と北園克衛のそれぞれのあり方、互いの結びつき方について、改めて問題を提起し、それに対する答えを見出そうとした本展の姿勢そのものが、既に有意義なものであり、また今後の発展にも繋がってゆく取り組みとして、十分に評価されてしかるべきものではないかと思われてやまない。

(注記)本稿の執筆に際しては、展覧会開催の経緯および図録の制作過程について、世田谷美術館学芸員・野田尚稔氏より、多くの重要なご教示を頂きました。ここに厚く謝意を表します。

[展覧会およびカタログ・データ]
「異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛」展
三重県立美術館(二〇一〇年八月七日~十月十一日)、世田谷美術館(二〇一〇年十月二十三日~十二月十二日)。図録は毛利伊知郎・原舞子(以上三重県立美術館)・野田尚稔・嶋田紗千(以上世田谷美術館)編集、三重県立美術館協力会・世田谷美術館発行、二〇一〇年、総頁数三百八(うち橋本平八の部=頁数百六十二・右開き、北園克衛の部=頁数百四十六・左開き)、B5判。


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