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2013年2月 3日

「江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆×絵」展(96号掲載)定村来人

定村来人
執筆時:東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報:『比較文學研究』96号、2011年6月、151-156頁

 「江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆×絵」展は、絵画67点、漆工品54点、合わせて111点で構成され、戦後国内で開かれた柴田是真の作品展としては最大規模のものとなった。(1) 東京日本橋にある三井記念美術館で開催された後、京都と富山を巡回し、各地でおよそ二カ月にわたって公開されている。この展覧会は、アメリカ・テキサス州在住のキャサリン&トーマス・エドソン夫妻のコレクションから71点を日本で初公開する里帰り展であり、合わせて国内に所蔵される是真の作品から優品40点が展示された。
 本展覧会のひとつの目的は、充実した海外コレクションの紹介を通して、是真という作家の再評価を促すことである。是真は長らく日本国内よりも欧米で高く評価され、その作品の多くが海外の美術館に所蔵されている。まとまった数の是真作品を国内で目にする機会は、これまで決して多くなかった。(2) 日本で是真が積極的に評価されてこなかった背景として、本展の監修者安村敏信氏は美術史研究における是真の扱いにくさを指摘する。(3) 蒔絵師であると同時に画師でもあり、幕末から明治にかけて時代をまたいで作品を作り続けた是真[1807~1891]は、ジャンル分けや時代区分を重視してきた美術史において長く見過ごされてきたというのである。
 欧米では、18世紀の異国趣味に端を発する「ジャパン」(漆器)への関心が、19世紀後半の万国博覧会の時代を経て、現代にまで受け継がれている。是真の作品は、1873年のウィーン万博、1876年のフィラデルフィア万博、1889年のパリ万博に出品され、賞牌を受けた。また、19世紀後半の欧米では、伝統的な美術観に対抗する新しい価値観の拠り所の一つとして日本美術が人気を集めた。欧米で是真のような作家が積極的に評価される下地には、このような歴史的流れもあるだろう。
 このような関心の違いは、エドソン・コレクションのあり方にも反映されている。エドソン夫妻はまず画師としての是真を知り、それから漆工作品も集めるようになった。是真が描く滝の絵に惹かれてコレクションを始めた夫妻は、「遊び心」や「自然を愛する心」といった、絵画、漆工作品に通底する作家のテーマ性を是真の中に見出したのである。「一人の作家に焦点を当てて収集するには時間を要しますが、是真という人物の中に、私たちが時間をかけてこたえていきたくなる人間性を発見したのです」(4) というエドソン夫妻によって集められたコレクションは、絵画、工芸といった区分にとらわれずに柴田是真という作家を再発見する、またとない機会を提供してくれた。
 安村氏は、是真作品の愛好者が日本に育たなかったもうひとつの理由として、蒔絵の技法に馴染みがない一般の観客には是真の巧みさ、その作品の面白さが解りにくいという点を挙げている。(5) 本稿では、是真芸術の魅力を伝え、再評価のきっかけとするために、この展覧会およびカタログが是真作品をどのように見せようとしているかを、「是真を展示する」ということが抱える問題とともに検討する。

 まず気が付くのは、本展覧会が意識的に是真の造形的越境性を展示内容の中で示そうとしていることである。立体と平面にまたがり、どちらが主でどちらが副ということもなく制作を行った是真の創作的広がりを、漆工品と絵画を同じ比重で扱うことで視覚的に印象付けようとようとする。このことは、過去の展覧会に出品された漆工品と絵画の比率と比べてみても明らかである。(6) 展覧会タイトルに使われた「漆×絵」という言葉は、工芸か絵画かというジャンルにこだわるのではなく、蒔絵の技術と画術の両方を駆使して漆と絵の世界を×=クロスさせた是真独自の制作方法にこだわりながら、その作品世界全体を捉えようとする意図の表れであろう。
 展覧会は大きく分けて二部構成になっている。前半ではエドソン・コレクションを、立体である漆工作品を展示した「漆」の部屋(展示室1と2)と平面作品つまり絵画を展示した「絵・漆絵」の部屋(展示室4と5)とに分けて紹介する。是真芸術の基礎として蒔絵の技術があり、それが絵画の世界に直接に結びついたとき、漆絵としてどのように展開したかという流れをエドソン・コレクションで見せ、後半の国内コレクションを集めた「漆×絵」の部屋(展示室7)で、漆工作品と絵画作品を並列展示している。比較的小さなスペースの展示室3と6は、それぞれ、エドソン・コレクションの漆工品の部から絵画の部に入る前と、エドソン・コレクションから国内コレクションに入る前の、小休符のような役割を果たしている。展示室3に設置された、如庵の室内を再現した空間には是真の漆器と掛軸が飾られ、展示室6には印籠と根付の他に、現代の蒔絵師によって再現された三種の変塗手板の製作工程を紹介するパネルが設置されている。
 この展覧会の最も大きな特徴であり、成果とも言えるのが、蒔絵の技法についての専門知識をもたない一般の観客に向かっても是真芸術への入り口を開くというねらいの下に、展覧会やそのカタログを構成した点である。多様な技法を駆使して作られた是真作品の解説には、「金薄肉高蒔絵」「黒石目塗」「青銅塗」「茶道塗」といった、見慣れない用語が並ぶ。しかし、あえて長い解説文を付け、細かく区別される技法や材料の違いを記したのは、蒔絵の技法を知ることなくしては是真芸術の心髄を理解することはできないという、監修者の信念があるからに違いない。(7) 会場入り口では、出品目録の他に「漆工用語解説」として、五十音順に並んだ45の専門用語の解説(A3判二折両面印刷、四頁)が配布された。この用語リストは、作品一つ一つに付された丁寧な解説を読む際にどうしても避けられない蒔絵技術の専門用語を理解する簡便な手助けとなる。そこには、ある技法を施すための具体的な作業プロセスなどが簡単に説明されているが、同時にその説明を通して、ひとつの技法の中にとてつもない労力と時間が注がれている事実が鑑賞者にも明らかになる。
 また、作品に付された解説とは別に、会場の24作品を取り上げた約30分の音声ガイドも鑑賞の手引きとして丁寧につくられている。それぞれの作品に使われた技法や意匠の解説に加えて、是真の経歴や明治という新しい時代の要請など、作品成立の背景的要素にも触れた立体的な説明を聞くことができる。文字から作品へと目をせわしなく動かす解説文とは違って、耳で聞きながら作品を見ることができる音声ガイドの利点を活かし、「表面の色にご注目ください」と、まず深い色合いに注目させながらその色を生みだす変塗技法の説明をするなど、鑑賞者の目を導くように解説がされていた。

 以上のような工夫によって知識的側面から作品鑑賞を豊かなものにしているにも関わらず、本展覧会もまた、美術館において日本美術を展示、鑑賞することの根本的な問題にぶつからざるを得なかった。この展覧会の意図が、質の高いコレクションから選ばれた優品を実際に目にし、その魅力に触れることで是真芸術への関心を高めようとするものであったからこそ、より痛切に感じられる問題でもある。
 近代的美術館や博物館では、美術品や工芸品が「展示される」ものとなり、鑑賞者は「観客」として、その鑑賞方法は見る行為に特化される。展示された作品は、傷みやすい日本美術の場合は特に、展示ケースの奥の暗い照明の中に置かれ、触れられないどころか近づくこともままならない、遠い存在となった。自分の息でガラスが曇ったり、額や鼻をガラスにぶつけたりしながら、何度も瞬きをしては目を細めて、必死でガラスの向こうの作品を見ようとした経験がある人は少なくないだろう。今回の会場でも、見ている自分の姿が展示ケースに反射し、作品が見えにくいものがあった。黒を基調とし、光の反射によって表情を変える青海波塗が施された《柳に水車文重箱》(E-13)は、ガラスケースに映るリフレクションの問題が最も強く感じられ、この作品がエドソン・コレクションのハイライトとしてポスターやチラシにも使われていたこともあって、なおさら残念だった。
 また、立体作品において問題となるのが、ケースの中で固定された作品は限られた視点から決められた部分しか見ることができないという点である。ルーペや鏡を設置したり、見せることのできない部分の写真を参考に置いたりするなどの配慮はあったが、やはりもどかしさが残る。展示ケースの問題は、作品が公共の場に展示され、不特定多数の観客に鑑賞されるようになった瞬間からある程度仕方のないことと言えよう。現在ではできるだけ鑑賞を妨げないような低反射ガラスを使った展示ケースも開発され、美術館によっては、照度を落としても細部までよく見えるLED(発光ダイオード)の照明を取り入れるなど、ライティングの工夫もされている。しかし、いずれにしてもこのように「見る」ことに限定された鑑賞方法によって、鑑賞者が是真の作品が提供する喜び、楽しみ、そして驚きから遠ざけられていることは明らかな事実である。
 是真作品のほとんどは、このようなケースの中に入れられるために作られたものではない。すべてが日常的な生活の道具とは言えないまでも、個人の生活空間の中で楽しまれるものであったことは確かである。持ち主の手の中でその感触、材質が楽しまれ、あらゆる角度から眺められ、器なら蓋を外し、中を覗いた時の驚きや楽しみがあったはずだ。驚きという点では、是真の「だまし漆器」(8) がよい例だろう。金属や陶器、あるいは木などの重い素材でできているように見せかけて、実際は紙の張り子に変塗を施したという作品がいくつかある。これらは、お茶の席などで客人が金属あるいは陶器と思って持ち上げてみて、その軽さに吃驚することを狙ったと思われる、いたずら心にあふれた作品である。直接その物に触れることのできない現代の観客は、是真によって仕組まれたこのような楽しみから遠ざけられている。解説を行う研究者や学芸員によって種明かしをされ、想像力を働かせてその楽しみを追体験しようとしてみるほかないのである。
 近代的な展示という鑑賞方法の中で、是真のような作家による作品は、鑑賞者との親密な関係を失ってしまった。是真の作品が現代の一般観衆に親しまれてこなかった最も大きな理由は、安村氏が指摘するように蒔絵技法が複雑で難解なものであるということ以上に、是真の作品がガラスケース入りの美術館展示には向かず、個人観賞に最も適しているということ、つまり「蒐集家のための作家」であるということなのではないだろうか。「是真を展示する」ということは、近代的な展示・鑑賞の方法が日本の伝統的な美術品との関係において抱えるチャレンジに向き合うことだといってもいい。

 本展覧会は、課題は抱えつつも、この日本美術を展示するという問題に意識的であることは間違いない。三井記念美術館内の如庵を再現した空間に是真作品を並べた展示室3は新鮮であり、モノが息を吹き返したようであった。解説を充実させ、「だまし漆器」などを取り上げながら、是真の作品がどのように楽しまれたのかということを伝えようとしたのも、鑑賞者の想像の中で作品が展示ケースから飛び出してくるように働きかけるためであろう。
 本展覧会のカタログは、展示会場での限界を補うものであり、学術資料としても充実している。しっかりとディテールを見せるように撮影された写真図版は、一頁に一点または二点と、大きくはっきり印刷され、時には部分を拡大した詳細な写真も付されている。《宝尽文料紙箱》(E-4)などは、作品の全体を映したものに始まり、蓋表、蓋裏、四側面それぞれの方向から撮影された写真が載せられている。手の中で自由に動かすことはできないが、展示会場では得られなかった視点の自由と明快さがある。過去の是真展のカタログと比べても、質の高い写真図版と見やすいレイアウトが印象的である。
 会場で読むことができた用語解説はカタログにも収録されており、作品解説は会場のそれよりも詳細にわたる。(9) カタログの冒頭には図版ページに先立って、是真の生涯に沿って作品の変遷を解説した安村敏信氏の論考が載る。作品図版を一通り見終えると、是真の絵画作品、漆工作品に共通して見られる「だまし」の要素に着目した小林裕子氏の論考によって、「トリックアート」として是真芸術を楽しむ視点が提供されている。これらの二本の論文と作品解説、展覧会出品目録が英訳されていることは高く評価したいが、用語解説と是真略年譜が訳出されていないのは残念である。(10)
 しかし、このカタログの学術資料としての堅実さは、参考文献表に最もよく表れている。明治時代から現在までの是真関係文献102種をリストアップし、戦後初めて開かれた1980年の是真展のカタログに載せられた文献リストをより充実させたものになっている。(11)その他に、エドソン・コレクションの漆工銘の一覧が収録される。

 今回最も印象に残った作品の一つに、エドソン・コレクションの《波に千鳥角盆》(E-17)がある。縦24.1cm、横16.8cm、高さ1.59cmの長方形の盆は、ぱっと見には黒一色の平面的な作品である。しかし、近づいて見てみると、その小さな空間に広がる大きな世界に思わず息を飲む。
 黒一色だと思った表面は、ざらっとした感触に鈍い光を含んだ地(石目をつけた青銅塗地)に、しっとりと艶のある波文(青海波塗)が施されたもので、小さな銀の光となった千鳥(金貝)が波間を横切っている。細い線で幾重にも重ねられた波模様は、うねり、盛り上がり、吸い込まれ、大きな水の流れとなって迫ってくる。水しぶきは高く舞い上がり、大気中へ分散していく瞬間に、一瞬動きを止めたかのようである。押し寄せる波に飲み込まれそうになりながら、小鳥たちは列になって羽ばたき、空へと上昇を試みる。様々な技法が異なる事象を描き出し、技術が表現となって、モノとしての物理的制限を超えた想像空間を作り出す。かつてこの盆を手にした人は、自分の手の中で一気に展開する世界の大きさに目眩を覚えたのではなかろうか。
 是真芸術の再評価は、美術館という展示スペースでの日本美術の鑑賞方法に批判的な目を向け、カタログの写真図版や文字資料をいかに活用してモノそのものの展示と有機的に結び付けることができるかを考える良いきっかけとなるだろう。


[展覧会およびカタログ情報]
「江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆×絵」展
三井記念美術館(2009年12月5日~2010年2月7日)、相国寺承天閣美術館(4月3日~6月6日)、富山県水墨美術館(6月25日~8月22日)。カタログは、日本経済新聞社編集・発行、2009~2010年、総頁数264。


【註】
(1) 戦後国内で開かれた柴田是真展を以下に挙げる。1980年3月9日~4月6日「幕末・明治の精華―絵画と漆工の世界―」板橋区立美術館(絵画44点、漆工品11点)、1998年5月20日~6月28日「明治の宝 柴田是真」(ナセル・ハリリ・コレクション)三島大社宝物館(絵画12点、漆工品48点)、1999年10月2日~11月1日、同展が富山佐藤美術館に巡回、2001年11月10日~22日「江戸の生活文化 絵師・蒔絵師柴田是真の視座」(絵画15点、下絵14点、漆工品5点)、2005年6月11日~8月7日「柴田是真 明治宮殿の天井画と写生図」東京藝術大学美術館(天井画下絵112点、写生帖・粉本類95冊)、2007年7月13日~19日「柴田是真生誕二百年展」ギャラリー竹柳堂(絵画11点、漆工品32点、その他7点)。
(2) 註1参照。
(3) 本展覧会カタログ、8頁。
(4) 同右、5頁。
(5) 安村敏信監修『柴田是真 幕末・明治に咲いた漆芸の超絶技巧』別冊太陽163、平凡社、2009年、五頁。
(6) 註1参照。
(7) 安村、5頁。
(8) 本展覧会カタログ、178頁。
(9) 柴田是真生誕二百年展」のカタログに載せられた高尾曜氏による作品解説は、特に漆器作品の解説が充実している。
(10) 柴田是真 明治宮殿の天井画と写生図」展のカタログは、作品一覧表、論文のみならず、見出しから凡例、奥付に至るまで徹底して日英バイリンガルになっている。
(11)「幕末・明治の精華―絵画と漆工の世界―」展のカタログには、安村敏信氏によって柴田是真研究の現状が示されると同時に66種の参考文献が挙げられている。

「異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛」展(97号掲載)水野太朗

水野太朗
執筆時:東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報:『比較文學研究』97号、2012年10月、157-164頁


 「異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛」展は、木彫を中心に優れた作品を残し、日本近代彫刻の歴史にその名を刻んだ橋本平八(一八九七~一九三五年)と、モダニズムの詩風を展開し、日本近代詩の歴史にその名を記した北園克衛(一九〇二~一九七八年)の二人の芸術家兄弟を主題として、それぞれの生涯とその作品を網羅的に紹介し、かつ二人の交流の意味を積極的に見出そうとした意欲的な展覧会であった。兄弟の関係性に焦点を合わせることで両者の作品を改めて捉え直そうとした本展の試みは、複数の対象について比較と考察を行い、その関係を明らかにしてゆく比較文学の営みにも通ずるものがある。とりわけ、橋本と北園のそれぞれが有する独自性と共通性を、数多くの展示品とともにつぶさに示しつつ、同時に企画展としての総合的な均衡にも入念な配慮を施していた本展覧会の構成は、その図録も含めて示唆に富んだものであった。以下、今回の展覧会および図録についての私見を、順を追って述べてゆくことにしたい。


 本展覧会は、三重県立美術館および世田谷美術館の共催によって行われた。まず、三重県立美術館における展示が二〇一〇年の八月初旬から十月中旬にかけて開催され、次いで、世田谷美術館での展示が十月下旬から十二月中旬までの期間において実施された。その内容は高い評価を受け、美術館連絡協議会より同年の美連協大賞を授与されている。
 展覧会の一方の主催者であった三重県立美術館は、橋本平八が三重県朝熊の出身という縁もあり、今回の展示に先立って、一九八五年「橋本平八と円空」展を開いている。橋本平八の没後五十周年と開館三周年を記念して執り行われたこの展覧会は、橋本の作品を企画の中心に据えるとともに、その木彫に大きな影響を与えた円空仏を多数紹介し、併せて平安期の鉈彫像や、高村光雲、平櫛田中ら近現代の彫刻家による木彫作品を展示することによって、日本の木彫芸術の系譜を示すという明確な目標を掲げていた。図録『橋本平八と円空――木彫・鉈彫の系譜』を繙いてみても、そうした企画の意図は十分に受け取ることができよう。同書には所収論文として、(一)生家での境遇から、上京後佐藤朝山に師事した修練期、朝熊に帰郷して死没するまでの成熟期を編年的に紹介した森本孝の「橋本平八の生涯」、(二)鑿痕の精緻な分析を試みるなど、鉈彫と円空仏についての歴史的経緯や造形的・図像的研究を示した毛利伊知郎の「鉈彫像と円空」、(三)菅江真澄の紀行文『真澄遊覧記』に見られる円空仏の描写を紹介した山口泰弘の「菅江真澄のみた円空」の計三編が収録されており、それらに付随する形で「橋本平八年譜」、「円空年譜」および「近・現代彫刻史年譜」が資料として編まれている。こうした図録の構成は、一九八五年の展覧会が、同館の所蔵する多数の橋本平八コレクションを企画の主軸とする一方で、円空と日本木彫史に対しても相当の比重を置いていたことを示していよう。同展での橋本に対する視点はこのような主題のもとに絞り込まれていたことから、そのぶん実弟・北園克衛についての言及は、比較的限定されたものであったようだ。実際、図録の内容を確認しても、北園克衛の名は、橋本平八の幼少時代の証言者としてわずかに登場する程度に留まっている。
 今回の「橋本平八と北園克衛」展は、三重県立美術館にとっておよそ四半世紀ぶりの、橋本平八に関する展覧会となったが、北園との関係に主眼が置かれた本展の展示および図録の内容は、前回のものと比べると様々な点が刷新されている。たとえば、今回の図録に収録された「橋本平八・略年譜」などは、前回のそれとは編集の方針を異にしており、単に橋本の一般的な事績を示すに留まらず、北園との繋がりを示す事項が、日記や書簡等の記録をもとに、いくつも紹介されている。本展覧会の橋本平八の部は、先の展示にも参加した三重県立美術館学芸員の毛利伊知郎氏を中心として企画が進められたが、同氏は論文「橋本平八――作品と思想」、橋本・北園両者の関係について整理した論考「兄と弟」の執筆を担ったほか、さらに、橋本関連年譜・文献目録の編集まで担当するなど、図録の成功においても重要な役割を果たしている。
 一方、北園克衛の部の企画については、世田谷美術館学芸員・野田尚稔氏の寄与するところが大きい。野田氏はハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所研究員のジョン・ソルト John Solt 氏と交渉を重ね、ソルト氏が一九八〇年代半ばに来日した際収集した書籍・パンフレット・書簡・バッジ類など、千八百点にも及ぶコレクションをもとにして、今回の展示を実現させるところにまでこぎつけている。ソルト氏は同大学で長年にわたって北園の研究をしており、Shredding the Tapestry of Meaning: The Poetry and Poetics of Kitasono Katue(田口哲也編訳『北園克衛の詩と詩学――意味のタペストリーを細断する』(思潮社、二〇一〇年))を著したことでも知られるが、その同氏が持つ多数の所蔵品が整理された形で、このたび日本において日の目を見るに至ったことは、それ自体大きな意義があったと言えよう。


 筆者は二〇一〇年十二月五日、世田谷美術館を訪ね、その展示を鑑賞した。三重県立美術館の展示を鑑賞できなかったことは惜しまれるが、ここでは筆者が直接目にした世田谷美術館での展示の様子について、その記録を留めておくことにしたい。
 世田谷美術館は緑豊かな砧公園の一角にある。当日は冬の日差しが穏やかに降り注ぎ、子どもたちの歓声が多く聞かれた。館内は混み合っておらず、落ち着いた雰囲気の中で、一つ一つの作品を入念に鑑賞することができた。
 展示の構成は、明確な部立てこそされていなかったものの、実質的には橋本平八の部と北園克衛の部に分けられていた。両者の作品はそれぞれ別個にまとめられており、まず橋本の作品を全て鑑賞したのち、次に北園の作品へと移ってゆく形になっていた。二つの部は基本的には独立していたが、橋本の部から北園の部に移行する、いわば区切りにあたる部屋には、北園克衛がその成立と出版に大きく関与した橋本の遺稿集『純粋彫刻論』(昭森社、一九四二年)を展示するなど、兄弟の関係を窺い知ることができる展示品が多く配置され、「兄から弟へ」という鑑賞の流れを自然に繋ぐ工夫が見られた。全体としてキャプションによる解説は少なく、橋本平八や北園克衛の人物紹介や作品解釈などもほとんど見られなかった。兄弟展という企画の基本方針そのものは確固として存在していたが、それを前面に出すことで、来場者の鑑賞の方向性を限定ないし誘導することは、意識的に控えられていたようである。
 橋本の部については、出品点数の多い彫刻がやはり展示の中核をなし、掛軸や書簡がその周囲に配置されていた。配置の上でとりわけ印象的であったのは、入場してすぐ目に飛び込んでくる《裸形少年像》、《少女立像》および《成女身》の三像が立ち並ぶ姿であった。これらの像は台座も含めて、すべて一三五~一八〇センチのほぼ等身大の立像であり、部屋の中央にあって十分な存在感を示していた。その周囲には《少女立像下図》や《裸形少年像下図》といった彫刻作品に対応する下絵が展示され、これもまた強く興味をひくものであった。下絵と彫像とを見比べることによって、相違点を探したり、制作の過程を想像したりすることが可能となり、鑑賞の楽しみが増した。こうした彫像と下絵の並置は《兎》、《双鶴》など二十組以上の作品でなされており、展示の大きな魅力となっていたように思われる。ひとつ欲を言うならば、下絵の書入れや掛軸の讃、書簡などの中には、しばしば判読の難しいものがあったことから、鑑賞の手助けとして、適宜翻字を施す配慮があっても良かったのではないか。
 北園の部については、詩集や雑誌などの書籍類が見開きの形で多く展示されていたほか、書簡も相当数が展示され、スライドや映像資料も用意されていた。書籍を中心とした展示はともすれば単調になりがちであるが、世田谷美術館では、鑑賞者の眼を楽しませることが常に意識されており、たとえば詩作品の紹介に際しては、北園のモダニズム詩のなかでも特に図像的な作品や、極端な改行を行っている作品など、視覚的効果の大きい作品を選んだり、北園のデザインした表紙やカットを適宜織り交ぜたりするなど、企画者側の工夫を凝らした跡が見受けられた。独特の意匠が目を引く後期北園の「プラスティック・ポエム」に相当の空間を割いていたことも特徴的である。書簡等の翻字の問題については橋本の場合と同様だが、それでも一部の英文の手紙には内容を要約した解説を付けるなど、一定の配慮があった。先にも述べたように、本展覧会はキャプションによる解説を最小限にとどめており、キャプションの多くは北園の詩句やメッセージのみを引用した簡素なものであった。来場者の自由な鑑賞を妨げないという意味では、こうした措置も納得のゆくものではあるが、北園の詩風が決して平易なものではないことを考慮に入れれば、もう一歩踏み込んだ説明や解釈を加え、鑑賞の一助となるような解説を添えてもあるいは良かったのかもしれない。


 展覧会の様子を紹介したところで、図録についてもその特筆すべき点をいくつか述べてみたい。まず、装丁・デザインの面では、一貫して橋本と北園の一方に偏らないことを強く意識した造りになっている。たとえば、本書は橋本平八の部を右開き、北園克衛の部を左開きとする両開きの形式を採ることによって、一方が先に回り、他方が後に続く形を避けている。また、分冊にしなかったことも「兄弟展」であることの意義を反映させた結果と見なすことができよう。図録の中央に据えられた論文「兄と弟」は、橋本と北園の交わりについて述べたその内容のみならず、一冊の本としての構成を考えたときにも、ちょうど右開きの橋本の部の末尾と、左開きの北園の部の末尾を繋ぐような形となっており、企画の趣旨とうまく合致している。
 分量についても、橋本の部と北園の部のそれぞれのページ数は、やはり構成上の均衡からほぼ等量になるよう配分されている。橋本平八の収録点数は彫刻八十七点、絵画・構想図五十七点、関連資料二十五点の計百六十二点であるが、対する北園克衛の方は総数七百二十八点を数える。資料の内容を考慮せず、収録点数のみを単純に比較することはできないとはいえ、二者間の数量の差にこれだけの開きがあると、これらをほぼ同じページ分量に収めるのは難しかったのではないか。両者のレイアウトに注目すると、橋本の部は北園の部に比べて図版が大きく余白も広い。無論レイアウトは収録点数の多寡のみによって決定されるものではないが、本展の図録の場合、ページ数を橋本の部と北園の部で等分する形にしたことが、紙面の構成にも影響を及ぼしたと見ておそらく間違いあるまい。北園七百二十八点の内訳は、ソルト・コレクション、多摩美術大学図書館蔵、その他の美術館・個人蔵がおよそ四対二対一となっているが、約千八百点からなるソルト・コレクションが四百点程度に絞り込まれていることも、ページ分量の制約と全く無縁ではないように思われる。図録の構成にせよ、資料の取捨選択にせよ、これらは基本的に編集者の裁量に委ねられるべきであろうが、学術上の見地からは、今回選から漏れた北園関連資料についても、他日しかるべき形で公開されることを期待したい。
 このような両者における分量の均衡の調節は、文献目録においても行われている。もともと彫刻を活計の道とし齢三十八歳でこの世を去った橋本平八の著作と、文筆を本業とし長寿を全うした北園克衛の著作の間には大きな量の隔たりがある。そのうえ、研究書・論文等に関しても、未だにあまり蓄積のない橋本と、相当数が存在する北園とではその数量に差異が見られるが、図録の文献目録では橋本に合わせる形でどちらも一ページに収められている。北園の関連文献については、私家版ではあるが、金澤一志氏による『北園克衛書誌』(第四版、二〇〇九年)が既にまとめられており、実際上の問題として、図録に北園関係の書誌情報を全て載せるのは現実的ではないかもしれない。しかしながら、北園の文献目録を、橋本のそれと全く同じ紙幅に収めたことは、かえってその実情をわかりにくくしてしまったようにも思われ、構成上の問題との兼ね合いの難しさを感じさせた。
 レイアウトの問題に話を戻せば、本書が橋本の部に縦書きを、北園の部に横書きを選択している点も特徴的であった。北園自身が発表したいくつかの詩集や寄稿した雑誌を含め、近代日本の文芸誌・詩誌の多くが縦書きであったことを踏まえると、詩作品を主とする北園の部に縦書きを用い、彫刻作品を主とする橋本の部に横書きを用いる選択肢もあり得たように思う。その一方で、橋本の資料のうち、画讃・書簡・下絵の構想案などに記された橋本自身の文章はすべて縦書きであり、また、北園のモダニズム詩の一部や海外の詩人と交わした英文書簡などは横書きであることを考えれば、本書の編集方針にも妥当性はある。この点は好みの問題ということになるだろうか。
 内容の点では、章立ての構成について特に言及しておきたい。橋本平八の部は、第一章「彫刻」、第二章「絵画、構想図」および第三章「関連資料――円空関係資料/日記と写生帖/遺著」の三章構成をとっている。分野ごとに区分けした比較的簡素な章立てといえよう。章と章の区切りでページを改めず、前章の末尾と次章の先頭が連続しているため、章立てそのものが読み手にとってそれほど意識されない。第一章「彫刻」の章の図版は概ね時系列順に配置されており、橋本の作風の変遷をページを繰りながら順に追ってゆくことができる。これは、第一章のすぐ前に掲げられた毛利伊知郎氏の論文「橋本平八――作品と思想」が、橋本の代表作の見方を編年的に解説していることとあいまって、読者が橋本平八の作品世界に円滑に入ってゆける大きな要因となっている。この毛利氏の論文は内容の点でも、歴史的な解釈と技術的な分析の両面において、簡にして要を得たものであった。全体的に素朴ではあるが見やすく洗練されているというのが橋本平八の部の印象である。ただ、分野別の章構成をとったことによって、世田谷美術館の展示で見られたような彫刻作品と下絵との対比は楽しみづらくなっており、その点は少々残念であった。
 一方、北園克衛の部は、第一章「橋本健吉から北園克衛へ」、第二章「『VOU』:一九三五―一九四二」、第三章「海外の詩人との交流」、第四章「戦後の活動」、第五章「『VOU』:一九四六―一九七八」、第六章「プラスティック・ポエム」および第七章「デザイン・ワーク」の全七章から成っている。こちらは主として時系列に沿いつつ、分野の区分にも目配りした構成といえよう。会場での展示では実現されなかった図録のみの特典として、一九三五年から北園が編集・レイアウトを担当した同人誌『VOU』全百六十号の表紙をすべて掲載してみせたことなど、見どころは多い。今回、北園の多岐にわたる資料を体系的に展示することは大変困難な仕事であったと推察され、実際のところ世田谷美術館の展示においては、その方針が明確に見えにくい部分もあったが、図録にはこうした難しい部分を克服しようとした企画者の努力の痕跡が随所に現れており、その労苦が偲ばれる。従来北園克衛については、詩作品、写真、デザインなど個々の分野ごとに特集が組まれることはあったが、本書のように、北園の多方面における活動を包括的に、かつ視覚的観点からわかりやすく取り上げた著作物はこれまで存在しなかった。その点において、本展覧会図録の北園克衛研究に資する部分は大きい。
 しいて注文をつけるとするならば、北園の詩の取り上げ方に関する部分であろうか。会場展示と同様、本書は全体として視覚的な美観を優先してレイアウトを組んでいる傾向にある。そのせいか、詩集の図版などは文字の可読性こそ担保されているものの、フォントが若干小さすぎる感は否めず、表紙やカット、字配りなどをさっと眺めただけで読み飛ばしてしまう読者もいるのではなかろうか。北園の詩の雰囲気や大まかな時代的変遷をつかむ入り口としてはそれで十分とも言えるが、仮にそうであるとしても、北園の代名詞たる実験的な詩群とともに、彼のもう一つの特色とも言うべき瀟洒で甘美な抒情詩についても、もう少し焦点を当てた方が、北園詩の鳥瞰景をより適切な形で示すことができたように思われる。
 もし図録の読者が、北園克衛の詩的世界をより十分に堪能したいと望むのであれば、北園の詩集を傍らに用意し、本書と照らし合わせながら読んでゆくという楽しみ方が良いのかもしれない。現在、比較的手に入りやすいのは現代詩文庫の『北園克衛詩集』(思潮社、一九八一年)、網羅的なのは『北園克衛全詩集』(沖積舎、一九八三年)であろうか。北園に限らず一般にモダニズム詩の多くは、その特異な表記法ゆえ、作品集に収録する際、元の詩集のレイアウトが変更されてしまうことがしばしば発生するが、本展の図録を見れば、単行本刊行時のレイアウトの様子を手軽につかむことができる。詩集でも詩の研究書でもない、図録としての本書ならではの活用法と言えよう。
 いま改めて一つの図録として捉えてみると、本書の完成度は高い水準にあることがわかる。とりわけ視覚的な美しさには細部にまで配慮が行き届いており、たとえば、見開きの形で載録した書籍の図版などは、撮影時のライティングを調節しコンピュータ処理を行うことによって、立体感を出すための陰影をつけてある。こうしたデザイン上の工夫は本書の中に数多く施されている。北園克衛の部は『VOU』をはじめとする色鮮やかな雑誌の表紙やモダニズム・アートの図像が所狭しと並んでおり、それぞれの章ごとには色彩豊かな扉も設けられている。そこには、伝統美の落ち着きを感じさせる橋本平八の部とは趣を大きく異にした、文字通り多彩な北園克衛の作品世界が広がっており、図録全体の構成そのものが、兄と弟の対照的な姿を自ずと浮き彫りにするような一つの仕掛けとして、うまく機能しているように感じられた。


 最後に、日本近代詩を専門とする筆者自身の立場から、強く関心を抱いた北園克衛の詩作に関して、いま少し思うところを述べたい。本展図録の北園の部冒頭に掲げられた野田尚稔氏の論文「北園克衛――詩的純粋の追求」は、北園詩の展開について丁寧にまとめており、その変遷の様子をよく伝えている。なかでも若き日の北園に対して兄・橋本平八が果たした役割や、兄弟における「純粋」の概念の捉え方の相違などを、二人の書簡等を引用しながら、詳らかに説明している部分は大変興味深い内容であった。同論文は、北園が用いた「応化観念」などの難解な用語についても、用例をよく咀嚼しつつ、その意味するところを解説しており、北園の部の劈頭を飾るにふさわしい内容を有している。
 この論文で取り上げられている詩編は、俳句雑誌『鹿火屋』や前衛文芸誌『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』などに発表された最初期のものから、第一詩集『白のアルバム』(厚生閣、一九二九年)に収録された「記号説」の初出形「白色詩集」、戦後の代表作の一つ「夜の要素」、さらには後期のプラスティック・ポエムにつながってゆく作品「単調な空間」まで、作風の変容ぶりをよく表し、かつ今日の研究において重要と位置づけられている作品が主に選び出されている。これらの詩に共通して表れている特徴は、いわゆる「実験的」な詩風であるということで、たとえば「夜の要素」に見られるような、改行の極端な多用や、それに伴って浮かび上がる助詞「の」の印象的な用法などは、北園克衛の詩語や詩形に対する追究の様相を如実に示している。北園の残した詩作品のうち、こうした実験的な作風の詩編が、作品の数からいっても、近現代詩史における影響からいっても、最も特徴的かつ代表的なものであると評価するのは自然なことであろう。その意味で、本展覧会がこうした作品の紹介を中心に据えていたのは、至極妥当なことであったといえる。
 しかしながら、先に少し触れたように、北園の詩はその全てが実験的な作風の、いわゆるモダニズム詩であったわけではない。衒いがなく洗練された、ある種の素朴さを感じさせる文体で、甘さや優しさのようなものを豊かに描き出した抒情的な詩風の作品もまた相当数残っていることが、北園研究においてはよく知られている。その点について、本展覧会が全く配慮を欠いていたというわけではないが、やはり取捨選択の部分において、実験詩の占める割合が多く、そのぶん抒情詩に関する内容が割愛されている傾向は感じられた。時間的にも空間的にも制約の生ずる会場展示において、動線の確保の観点などから視覚的な作品が優先されるのは致し方ないことであろうが、一方で、そういった制約から解き放たれ、個人でゆっくりと鑑賞を楽しめる図録においては、抒情詩を味読できるような趣向があっても面白かったのではないかというのが個人的な感想であった。
 たとえば、二十余冊を数える北園の詩集のうち、一九三七年、北園三十五歳の年に刊行された第六詩集『夏の手紙』(アオイ書房、一九三七年)に「鷄」という詩がある。「少年達が麦畑のなかを風のやうに散歩する/その麦畑からは村も遠く水車場も遠い/かれらはトマトのやうに頬をふくらませ/白いシャツに汗をかく/頭をあげるといきなり雲のなかで雄鷄が鳴く」というわずか五行の掌編であるが、この短い詩には、北園の抒情詩が有する様々な特質が含まれている。
 一読してわかるのは、この詩が平明な語彙を用いた散文調の作品であり、イメージの想起も比較的容易な「読みやすい」詩だということであろう。無論一つ一つの詩語は、詩人による彫琢を経た結果であろうし、詩の内容そのものが平易であると不用意に断ずるつもりはないが、語彙や文法、語法について特に型破りな表現は見られないし、比喩もそれほど奇抜なものではない。不自然な統語なども見当たらず、改行の仕方なども含め、あらゆる意味において、実験的な詩風からは距離のある作品といえる。
 その一方で、この詩にはその純朴さ、平明さゆえの、明るく爽やかな夏の情調が立ち現れている。「風のやうに」「トマトのやうに」という二つの直喩は、それ自体素朴な喩えではあるものの、それゆえに、ある種の明快さとみずみずしさをこの作品に付与しているし、末行の「雲のなかで雄鷄が鳴く」という表現は、さまざまな解釈の可能性を孕んだ、象徴性に富む締め方でありながら、しかし、そのどこか朴訥な物言いが、詩全体に通底する若やいだ雰囲気と響き合って、作品の奥行きを大いに広げている。青空と白雲の鮮烈な対照、広い麦畑にふいに響きわたる「雄鷄」の鳴き声、そういった真夏の一風景が、この詩編「鷄」においては、詩情豊かに描き出されていると評し得るだろう。本展覧会の図録も、北園の詩に少なからず見受けられるこのような抒情性にあえて積極的に言及することによって、北園の詩的世界をより重層的に提示することが可能であったのではなかろうか。


 本展覧会については、橋本平八と北園克衛というそれぞれ個性的な芸術家兄弟を取り上げ、その特色を的確に捉えて両者の関係性を探求しながら、調和のとれた企画展としてまとめ上げたことを高く評価できよう。もとより二つの対象、二人の人物について、その関わり合いの程度を見定め、明晰に論ずるということは困難を伴う営為であるが、本展覧会は橋本・北園兄弟の関係について、その内実をある程度まで明らかにして示すことに成功している。何より橋本平八と北園克衛のそれぞれのあり方、互いの結びつき方について、改めて問題を提起し、それに対する答えを見出そうとした本展の姿勢そのものが、既に有意義なものであり、また今後の発展にも繋がってゆく取り組みとして、十分に評価されてしかるべきものではないかと思われてやまない。

(注記)本稿の執筆に際しては、展覧会開催の経緯および図録の制作過程について、世田谷美術館学芸員・野田尚稔氏より、多くの重要なご教示を頂きました。ここに厚く謝意を表します。

[展覧会およびカタログ・データ]
「異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛」展
三重県立美術館(二〇一〇年八月七日~十月十一日)、世田谷美術館(二〇一〇年十月二十三日~十二月十二日)。図録は毛利伊知郎・原舞子(以上三重県立美術館)・野田尚稔・嶋田紗千(以上世田谷美術館)編集、三重県立美術館協力会・世田谷美術館発行、二〇一〇年、総頁数三百八(うち橋本平八の部=頁数百六十二・右開き、北園克衛の部=頁数百四十六・左開き)、B5判。

2013年2月 6日

「映像と展覧会――第三回恵比寿映像祭の試み」(97号掲載)堀江秀史

堀江秀史
執筆時:東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報:『比較文學研究』97号、2012年10月、165-171頁

 映像と展覧会は、相性が悪い。
 「メディア」という語を、例えば映画メディアであれば不特定多数の観客が暗闇の中で同じ方向を向いて、白い巨大なスクリーンからの反射光を座りながら観賞するものであり、あるいは展覧会メディアであれば、多くのオリジナル作品・資料を鑑賞者が自由に時間配分して眺め歩くものである、というように、ある表現がオーディエンスに渡るための機構全体を指すものであると仮に定義すれば、それらの相性の悪さは、両メディアの性質に起因していると云えるだろう。
 映画館では、千八百円という対価を払うと、およそ二時間、(混んでさえいなければ)心地よい一人用のソファの独占権が与えられ、そこでは周りに迷惑のかからない範囲であれば何をしても許される。ポップコーンとコーラで小腹を満たすもよし、暗闇とその中で揺れる反射光のもたらすわざか、蠱惑的な眠気に身を任せるもよい。もちろん、映画の物語に没入することも可能だ。スクリーンの俳優は文句を云わない。隣の客も、映画館主も同様だ。フィルムの回転が持続するあいだ、観客は外の現実から隔離されて、安全な夢を見る。 (1)
 展覧会場のゲートは、映画のおよそ半額を支払うとくぐることが許される。費やすべき時間は予め決められてはいない。早歩きで横眼に作品を見ながら、五分で切り上げることもできるし、閉館まで一日中お気に入りの作品の前で陣取ることも可能である。だが、「きちんとした」見方で会場を廻るとすれば、おそらくおおよそ一~二時間が限度というところではないだろうか。様々なパネル説明を読みつつ、オリジナル作品に対峙し、さらに展示の仕方や配列からキュレーターによって巧まれた言外の批評をも読みとろうとするならば、歩き回る体力のみならず思考力も大いに使うこととなり、疲労感は予想以上に強い。あるいは、気になる作品を間近で見ようとするときに感じる監視員の視線も、この疲労の一因かもしれない。ともかくも、展覧会において、読書にも似た能動性から生ずる頭に感じる疲労感は、長時間の滞在を許さない。そして、そうであるからこそ、展覧会における鑑賞時間を配分する自由は、鑑賞体験を左右する重大なメディア的要素として数えなければならない。
 かくも「疲れる」展覧会に映像が展示されるとどうなるか(映像を使った新しい体感を目指すインスタレーションは除く)。
 映像作品は、通常始まりと終わりがあり、その全体が一作品である。自然、通常の作品・資料のようにただ「置く」わけにはいかなくなってくる。展覧会場で映像作品を「展示」する方法として最も一般的なのは、エンドレスでループ再生するという方法である。この場合、映像作品が始まるときにちょうどそこを通りかかることは稀で、鑑賞者は映像作品を途中から観て結末を確認し、再度始まった作品の途中で、ああ、ここからはすでに観た、と思いながら、結局再度通して観たり、そこで席を立ったりする。また、映画のようにスクリーンに光を投射するというスタイルを採ることは稀である。小型の受像機や通常テレビの受信に使う画面に像を映すというスタイルがほとんどだ。それらは発光体なので、映画館のように周りを暗くする必要はない。周りから隔絶されることもなく、現実と地続きの空間で、我々は映像を観ることを強いられる。知的な疲労と相談しながら歩かなければならない鑑賞者にとって、時間配分の自由を阻害し、映像の世界に没入することを許さない、「展示された」映像作品は、やっかいな存在として心に引っかかる。(観賞すると決めたならば)一つの作品に対して自動的に一律数分消費することを要請する映像作品は、展覧会メディアの特性に真っ向から抗う性質を持っているのである。
 映画や映像を、映画メディアを介して享受する体験に「慣れている」私は、映像をそのような観賞形態で「展示」されるにつけ、次のような疑問を抱かずにはいられない。
即ち、展示する側は、この映像を本当に観てほしいのだろうか? と。

 ところで、映画と展覧会が取り結ぶ関係を分類すると、大きく三つの種類を想定できる。一つには、展示の一部に映画作品を持ってくるという方法があり、すでに述べたようにメディア的な矛盾を孕んでいて悩ましい。二つ目には、映画に関連する資料(生原稿やポスターなど)を展示する、という方法があり、これは展覧会によく馴染む。国立フィルムセンター(京橋)の現在の常設展などはその好例だといえよう。 (2)
 三つ目は、広義の展覧会としての映画祭である。そもそも、映画は約二時間かけてひとつの作品を観るものだが、展覧会は、およそ1~2時間かけて百点あるいはそれ以上の作品を見る。先に述べた映画と展覧会の比較は、展覧会を、独自の収集方針や展示の仕方によってパッケージング(包括)された二次的著作物として、即ち一つの企画展をひとつのメタ作品として見做した場合(映画一本と展覧会一つという一対一対応)にもたらされるものであるが、両メディアの呈示する作品数に着目すれば、映画祭と展覧会のほうが形態的な類似性を持っていることが分かる。ともに一定の規準のもと複数の作品を一堂に介して、作品と観客との出会いを組織する場であるからである。映画祭は、映画作品に特化した(それゆえ時間的、空間的規模の大きな)展覧会であると云って良いだろう。映画祭という特殊な「展覧会」と映画は、調和して存在する。
 問題はやはり、展覧会に映画、映像が単体作品として展示される場合の関係性という一点に絞られてくる。

 展覧会はいかに映像を展示すべきか、あるいは映像はいかに展覧会という発表の場を利用すべきか、こうした問いへの回答を、具体的な作品に沿って様々なかたちで示すのが、恵比寿映像祭である。
 東京都写真美術館にて、2008年のプレ・イヴェントを経て、09年から毎年2月に約10日間に渡って、入場無料で開催されているこの映像祭の面白さは、「映像とは何か?」という問いを継続して持ち続ける中で、同時に映像はいかに展示され得るか、あらゆる可能性を試し続けている点にある。当然それは、展示する側(美術館)だけの問題ではない。そこで紹介される一部の映像の作り手もまた、展覧会メディアを介して人に伝わることに対して意識的である。映像の展示と、展覧会での発表を目指した映像、双方の企みが交錯する場が、恵比寿映像祭という展覧会なのである。「デイドリーム・ビリーバー」と題された第三回恵比寿映像祭(2011年2月18日~27日)の展示に沿って、その実際を以下確認したい。
 「映像祭」という名前からも分かる通り、もっとも大枠において、この展覧会は映画祭のスタイルを踏襲している。主会場である写真美術館は一階に映写室が備えてあり、そこでは連日、テーマに沿った、現在日本で観ることの難しい映画が上映される。その他、講演、公開討論、音楽と映像のライブイベントが館内で行われる。外へ出ると、恵比寿ガーデンプレイスセンター広場でインスタレーションも催されている。「地域連携」として、渋谷区恵比寿に籍を持つ、日仏会館、チェコセンターなど十二の施設で映像に関する様々な催しも展開されている。総力態勢で期間中の恵比寿を盛り上げていく姿勢が窺えるだろう。堪能しようとすれば何度も足を運ばなければならないこと、また一つの建物だけでは収まらない空間的な展開があることは、この映像祭が映画祭の特色を色濃く持っていることを示している。
 しかし、ここで注目したいのはやはり、狭義の展覧会としての恵比寿映像祭である。会期中、無料で開放された写真美術館三階から、映写室のある一階を除く地下一階までの計三フロアに跨る展示スペースには、多くの映像作品が様々な工夫の上で展示されており、それらは一度行けば充分に堪能できる。こちらだけを問題とするならば、通常の企画展同様、パッケージング(包括)されたひとつのメタ作品としてこの映像祭を捉えることができるだろう。
 三階から観始めるよう案内が出ているので、エレベーターで三階へと上がって、展覧会鑑賞を始める。入ってすぐ、暗い通路の中央に、比較的小さなスクリーンを天井から吊り下げて映し出されるのは、アピチャッポン・ウィーラセクタンの《窓》(1999)である。

「窓からテレビの画面に映り込んだ陽射しをカメラ越しに見ると、不思議なエフェクトとなって映し出されることに気付いた。その光の作用は、肉眼では直接感知することができないが、一方で、カメラを持つ撮影者の動きに応じて微細に変化した。 (3)」

 とキャプションにはあるが、映像だけを見る限り、どこかの建物と風景が映っている、という印象だけが伝わる。通路に展示されているので、正面と背面から、反射光と透過光によって映し出される像が鑑賞できる。光が揺れるさまが美しいが、特に立ち止まって観るわけではない。オープニング作品として「飾って」あるという印象である。
 この展覧会は、フロア毎に作品の傾向を分けている。皮切りの三階は、機械の眼を介さない限り得られない、映像表現の可能性を探求した諸作品の展示であった。肉眼では捉えられない、ミルクの雫が王冠を描くさまを捉えた有名な、ハロルド・ユージーン・エジャートン《ミルク・クラウン》(1957)の写真をほのかに照らす以外、照明はかなり抑えられていて、映像を堪能するための空間作りは万端だ。映像のテクノロジーに主眼を置いたこのフロアの代表といえるのは、ダニエル・クルックスによる《スタティック№12(動きの中に静寂を求む)》(2010)だろう。太極拳を舞う白髪の男性が、5分強の作品再生時間をかけて、次第に横に引き伸ばされていく。言葉による説明を拒否する、デジタル技術を駆使したこの作品はかなり大きく映し出されていたので、投射による反射光で展示されていたはずである
 二階の作品は、意識下を映像化することをコンセプトとしたものが多かった。ヤン・シュバンクマイエルによる、コマ撮りが特徴的なシュルレアリスティックなアニメーションがその代表例だろう(105分の作品自体は映写室での上映プログラムに組み込まれている)。マニュアルな作業で作られるアニメーションの、制作に使われた(あるいはその過程で生まれた)資料(美術品)の展示が二階フロアでは目立っている。三階とは異なり比較的明るく照らされていた二階は、映像に関する原資料の展示という、従来見られる展示スタイルが主であった。
二階から地下一階へ降りる途中、しりあがり寿の《白昼夢夫人》(2006-07)が小型受像機で階段の両脇に並べてある(全15種)。白黒で三分程度の各作品は、モダンな洋館で昼寝をする夫人がナンセンスな夢をみる、というもので、全て「夢オチ」であることがすぐに分かるため、一つ一つきちんと見なければ、という(展覧会で抱くことの多い)強迫観念は生まれてこない。ほのかなエロティシズムとナンセンスが混淆して、地下一階のコンセプトである現実と夢(映像)が混淆するという事態への橋渡し的な役割を果たす。
 それらを見ながら辿りつく地下一階の展示室では、最初に、同じくしりあがり寿の《ゆるめ~しょん : sleep》シリーズ作品(2010)が小型受像機で再生するかたちで幾つも並べられている。暗い部屋に天井から十数本の白いベールを垂らして、その中に各スクリーンを閉じ込めており、映像の白い光が間接照明として各所でぼうっと浮かび上がるっており、総合テーマの通り、白昼夢の空間へと迷い込んだ感がある。近づけば、その中でちょこちょこと動き回る、大雑把に描かれた鉛筆画のような「おじさん」のアニメーションが流れている点も、幻想的な部屋との落差があって面白い。その他ここでは、社会と映像との接点を捉える作品が展示されている。インターネットへの匿名投稿における複数の主婦の言葉を同一の女優が語る森弘治の《Re:》(2009)、ネット内空間「セカンド・ライフ」を使ったツァオ・フェイの《RMB シティの誕生》(2009)。私は最後に、ハルン・ファロッキの、米軍の、映像を使った軍事訓練を取材したドキュメンタリー、《シリアス・ゲーム》を観た。
 「デイドリーム・ビリーバー」、即ち映像を、起きながらにしてみる夢として捉えるというコンセプトに沿って、テクノロジー的な側面から始まり(三階)、意識の底をえぐるような映像の力にも焦点をあて(二階)、展示が進むごとに映像によって夢と現実の境界があいまいになっていく(二階~階段~地下一階)。かといって、それは芸術の問題だけに止まってはいない。社会的、政治的な利用もされる(地下一階)。それを批評的な眼差しで捉えるのもまた、映像である(《シリアス・ゲーム》のように)。各階内でどのような順序で作品を見るかはもちろん自由なので、訪れた人によって結論は分かれるところだろうが、この展覧会から私はそのようなメッセージを読みとった。
 ここで紹介したほか、刺戟的な作品は多く存在した (4)。本論の展開上、その全てを紹介できないのが残念だが、以上が狭義の展覧会として捉えた場合の恵比寿映像祭の全体像の概略である。

 映像の展示、展覧会メディアに適した映像、という問題への回答の一つは、先に紹介したしりあがり氏の作品説明が示唆している。「生真面目に鑑賞するというよりも、絵画のように空間のなかにあって、時折眺め見ることができるようなありかたが理想」(5) だという氏の、展覧会メディアの特性を踏まえたコンセプチュアルかつ詩的な幾つもの作品は、映像内容のナンセンスさと反復性、複数性、また、小型の受像機で再生し、決してその前に椅子など置かないという展示姿勢(階段に展示したことなどはそのコンセプトを活かしきった技である)によって、輝きを放っていた。
 いま、「映像内容のナンセンスさ」と記したが、これは、冒頭の命題、即ち映像と展覧会、両者のメディア的性質が引き起こす摩擦を解消する鍵となるのではないか。「ナンセンスさ」とは、言語への置き換えの不毛性、あるいは不可能性という意味でもある。「あらすじ」への転換がほとんど意味をなさない、と云う方が正確かもしれない。言語へ置き換えるならば、あくまで「描写」の域に留まるのがそうした作品の特徴だ。考えてみれば、ウィーラセクタンの《窓》も、クルックスの《スタティック》も同様の作品であり、それらは通路に置かれたり、椅子を用意しなかったりと、展示上の工夫が施されていた。これらの作品にあっては、映像には始まりと終わりがある、という認識はほとんど意味を持たず、展覧会に訪れる者の心理的負担になることはない。もっとも、意味を持たないかどうかは最後まで観ないと分からないのではないか、という意見も当然あるだろう。しかし、これらの作品は作品自体の持つ力によって、そうであることが一目で了解できるように作られている(その理由は個別の作品を詳細に分析することで見出していくしかないだろう)。とはいえもちろん、立ち止まって飽くまで眺めることも自由である。

 こうした事情は、カタログの図版と実作品を比べてみたとき、一層明らかになる。
 そもそも、映像、映画は、時間の流れの中でしか生起しない存在である。もとより図版として紙の上に固定できるものではない。そのため、絵画や写真のようには、カタログの図版によって視覚情報に関するおおよその全体を掴むことはできない。こうしたことは、比較芸術研究の中でも、映画と漫画 (6)、あるいは映画と写真 (7)の関係を考察する中で、より根源的なジャンル間の問題としてすでに指摘されている。映像から静止画への転換という問題はあるにせよ、これまで、映画のカタログ、パンフレットは、当該映画作品を取りまく補足的な文字情報を主軸に、彩り程度にどこか印象的な映画のシーンを抜き出して、あるいは別途撮られたスチル写真を添えるというスタイルで出版されてきた。恵比寿映像祭のカタログも、こうした従来の(映画)カタログのスタイルを踏襲した作品紹介が大半だが、先に挙げた幾つかの作品に限っては、絵画や写真の図版と同様、紹介のために付された一枚~数枚の図版を眺めるだけで、作品の大よそが理解できる。こうした傾向が最も顕著なのは、運動する人物が緩慢に左右両端へと引き伸ばされるクルックスの《スタティック》シリーズだろう (8)。ウィーラセクタンの作品も、図版から伝わるニュアンスと実作品の映像そのものから受ける印象とに大きな乖離はない。上映時間という概念を無効にするという反映像的な特性を持った映像作品が確固として存在していることの証左と云えよう。
 ちなみにその一方で、インスタレーション作品の図版は、残念ながらほとんど役に立たない。これには、会期前(即ち展示が未だできていない段階)にカタログを刊行しなければならないという事情も多分に影響していることだろう。作品個々に「役に立たない」と述べざるを得ない理由はあるが、例えばタニア・ルイス・グティエレスの実際の出品作品は《フィルム・ファウンテンズ》なる模型を主とした作品であったが、カタログにはこれ以前にカナダで行われた《時の壺》なるインスタレーション作品の図版が掲載されている。図版、解説ともに、出品作品の難解さを克服する手立てとはならなかったように思う。
 映像祭の中味を一冊にまとめたカタログは、以上のように様々な作品を並列に並べており、それぞれが個別にジャンル間の考察をもたらし得るが、それでは、このカタログが、全体として持つ意味とは何だろうか。カタログは、年毎に設定されるテーマの狙いを記した岡村恵子氏の巻頭論文のほか、二本の小論文と一本の対談、そして、展示作品、映画館上映作品、関連イベント、作家情報等、映像祭の全容がコンパクトにまとめられ、英語併記で掲載するというものだ。各国の最先端の映像作品・作家の紹介という事情もあり、会期の終わった現在から見るならば、このカタログは研究成果というよりは、恵比寿映像祭の試みの記録として捉えるべきものだろう。しかし、リアルタイムの展覧会を考慮に入れるならば、このカタログは、国内ではその作家の名前すら聞いたことのないような未知なる作品に触れる来場者たちが、会場で適宜参照するための「地図」としての役割を最も重視して作られているように思う。
 写真美術館を中心に、恵比寿全体で行われる、展示、上映、イベントを、会期中存分に堪能できるように、論文部分は極力抑えられ、カタログは作品解説、あるいはガイド情報を中心にして可能な限りコンパクトに構成されている(それでも第三回のものは前二回に比べて倍くらいの厚みがあるが)。一つの作品に与えられた見開き二頁という紙幅の上下左右に取られた充分な余白からは、実際に作品を前にしたときの感覚を、会場を回りながら書き込めるようにという配慮が読みとれる。簡素な製本(ソフトカバー、ジャケット無)は、本棚に収められるのでなく、行く先々であちこちをめくり開かれ、使い倒されることを望んでいるように映る。先に述べた刊行までの時間的制約によって不十分な記述となっている情報は、自分で上書きしていかなければならない。本展評の主旨に沿えば、作品展示に関して、どのように展示したのか、音の出力はどうか(ヘッドホンなのかスピーカーなのか)、どのような椅子を用意したあるいはしなかったのか等、美術館側が用意した鑑賞形態の情報も、自ら足していったほうが良いだろう。それらは、美術館(博物館)が新しい展示を見出し発展していくためにも、映像がどのように発表の場を開拓していくかを見守る上でも、重要な手掛かりとなる筈である。映像の可能性を「作り手」、「結び手」(美術館)そして「受け手」が皆で考える場として開催される映像祭 (9)にふさわしいカタログだと云えよう。「受け手」が携行して自らの手で情報を補完していく「白地図」が、第三回恵比寿映像祭のカタログなのである。

 以上、実際の展示とカタログから、映像と展覧会の関係について論じてきた。
ある絵画を見るために、特別に椅子を用意する展覧会はない(休憩用に置かれることはあっても)。絵画や写真を動かしたい、という熱意から生まれた映像が、展覧会メディアに発表の場を移すことで、今度は絵画や写真のように見られたい、という欲求を持ち始めている。そうした感覚を鋭敏に受け止めて展示する受け皿となり得ているのが、恵比寿映像祭なのである。もっともこれは、映像と展示をめぐる問題への答えの一例に過ぎない。この映像祭が引き続き歴史を重ねることで、さらなる回答が提示されていくことを願いたい。

※本論は、東大比較文学会ホームページの「寸評」欄に掲載された「第三回恵比寿映像祭」の報告に加筆、修正を加えたものである。アドレスは以下。/bb/2011/02/post_21.html



(1) もちろんこうしたステレオタイプなメディア観の反証となる作品はいくらでもある。個人の作る実験映画の多くはそのようなメディア観を逸脱するものであるし、例えば寺山修司(1935‐83)はこのような映画メディアに対する観客の受動的な態度を、実作において厳しく問い直した。だが、そうした映画が「実験」と呼称されていることが相対的に示すように、本流はあくまで本文中に記したような映画メディア観であると云えるだろう。
(2) 現在の常設展の母体となった企画展「映画遺産」展(東京国立美術館フィルムセンター、会期2002~03年)のカタログを参照。
(3) 『第三回恵比寿映像祭』カタログ、42頁。
(4) 本論で扱いたいのは「映像と展覧会」であるため、特別な設備を必要とする(従って映像以外の要素にも作家の意思が介入する)インスタレーション作品は敢えて取りあげなかった。もちろんインスタレーションと展覧会は、展覧会が本来、そこでしか見られないオリジナル作品を展示することが魅力のひとつであることを考えても、相性が良い。筆者が第三回恵比寿映像祭において最も面白く感じたのは、そうしたインスタレーション作品のひとつ、ダヴィッド・クレルボの《幸福なモーメントの諸断面》(2007)であった(東大比較文学会ホームページに詳細あり)。
(5) 岡村恵子氏による作家紹介文。『第三回恵比寿映像祭』カタログ、68頁。
(6) 四方田犬彦「映画の隣人」『漫画原論』(筑摩書房、1994、ちくま学芸文庫、1999)
(7) 佐々木悠介「エルヴェ・ギベールとアンリ・カルティエ=ブレッソン――もう一つの写真論のために」『超域文化科学紀要』第一一号、東京大学総合文化研究科、2006年、5‐22頁。
(8) 『第三回恵比寿映像祭』カタログ、45‐47頁の図版参照。
(9) 同カタログ、9頁。

[展覧会及び図録情報]
「第三回恵比寿映像祭 デイドリーム・ビリーバー‼」
 東京都写真美術館その他(2011年2月18日~27日)。図録は宮沢章夫他執筆、岡村恵子他編集、東京都写真美術館発行、2011年、総ページ数215。
※展覧会名に関しまして、『比較文学研究』97号で、誤植がありました。正しくは、「恵比寿映画祭」でなく「恵比寿映像祭」となります。この場をお借りして訂正させて頂きます。

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