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十二の旅:感性と経験のイギリス美術(94号掲載) 川島 健

川島健
執筆時 :広島大学大学院文学研究科准教授
雑誌情報 : 『比較文學研究』94号、2010年01月、172-175頁

イギリスの十二のアーチストの作品が「旅」というテーマのもとに集められた。栃木県立美術館、静岡県立美術館、富山県立美術館と世田谷美術館が所蔵する作品を持ち寄って企画されたこの展覧会は、二〇〇八年四月から二〇〇九年三月まで、それぞれの美術館を巡回し、世田谷美術館はその終着点であった。ジョン・コンスタブルやウィリアム・ターナーの伝統的な風景画からアンディ・コールズワージーやデヴィッド・ナッシュの自然を生かした造形作品まで、作品は制作年代順に展示されており、この展覧会に足を踏み入れたものは、様々なジャンルに刻まれた、様々な旅の軌跡と付き合うことになる。
本展覧会において、そのキーワードである「旅」はとてもゆるやかに定義されている。物理的な距離をゆく旅だけでなく、自らの幼年期の記憶を辿るような時間を逆行する旅もその定義に含まれている。展示の解説とカタログには各作家における「旅」の模様が述べられているが、千差万別な旅のあり方をまとめ、細分化するような提示はされていない。あえてこの場でその旅を作家ごとに細分化してみると以下の六つに分類されるだろう。

一) イギリス国内の旅(ジョン・コンスタブル)
二) ヨーロッパの旅(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーとベン・ニコルソン)
三) 幼年期への旅(アンソニー・グリーン)
四) 政治的理由によって強制された旅(モナ・ハトゥーム)
五) 偶然の旅(ボイル・ファミリー)
六) 日本への旅(チャールズ・ワーグマン、バーナード・リーチ、ヘンリー・ムーア、デヴィッド・ホックニー、デヴィッド・ナッシュ、アンディ・ゴールズワージー)

もちろんそれぞれの作家たちの多岐にわたる活動は、上記のような恣意的な分類に収められるものではない。例えばヘンリー・ムーアは日本に足を踏み入れたことはないのだが、その作品の日本での受容が「旅」と解釈され、本展覧会にその作品が展示されたのだ。
個々の作品は非常に興味深い。日本の山間部や沿岸部の自然に親しみながら、そこにある自然素材を最大限生かして作られるナッシュの奇妙な造形作品は、道具と工芸品、機能性と美的価値をそれぞれ連結しながらも、そのどちらにも属さない危うい魅力を持っている。また、自然の中にある規則性を浮かび上がらせることで成立するゴールズワージーの造形作品はアニミズムに接近しつつも、自然から強引に幾何学的美を引き出そうとする作為と暴力がそこには見え隠れする。単なる自然讃美に終わらない不気味さがそこにはある。
レバノン内戦が勃発したため、ロンドンとベイルートに引き裂かれた娘と母のやりとりを綴る、モナ・ハトゥームの映像作品では、母娘を引き離す暴力的な距離と、それと反比例するかのように密度を増す二人の親愛の情がコントラストを形成する。互いの近況を気遣う二人の会話は、否応なしに政治的問題を掠めていく。ボイル・ファミリーの作品も異色だ。ダーツを世界地図に投げ、任意に選定された場所に赴き、その地表を精密に再現する「ワールド・シリーズ」はボイル家の父母と二人の子供によるファミリー・ビジネスでもある。このような「旅」をハトゥームの「旅」と比較してみると興味深い。偶然に従う「旅」と政治によって強制される「旅」。また「家族」という共通項も二者を結びつける。一つの目的のために世界中を飛び回る家族の作り出す作品と、否応なく離れ離れに暮らす母と子の対話を記録する作品。このような二つの家族が出合い、二つの旅が交錯する場として本展覧会は創造されたのだろう。
各作家の「旅」との関わりは多種多様であり、全体を包括するにはやや強引な括りといえなくもない。この展覧会は「旅」というテーマのもとに作品が集められたというよりは、国内にある諸作品を一挙に展示するためにその主題がつけられたという印象を受けてしまう。このような戸惑いにおいて、この展覧会の立案から具体化までのプロセスに関心が向かうのは当然だろう。そもそもなぜ今「イギリス」なのか。なぜ「旅」なのか(1)。 そこで評者は、「十二の旅」展の企画と運営において中心的役割を担われた杉村浩哉氏(栃木県立美術館 特別研究員)にお会いし、詳細をうかがう機会を得た(二〇〇九年四月二十日 国立新美術館 地下一階カフェテリア・カレ)。以下、そのインタビューの内容をふくめて、日本におけるイギリス美術という文脈のなかに今回の展覧会を位置づけてみたい。

八十年代以降、日本におけるイギリスの現代美術は定期的、かつ組織的に紹介されてきた。一九八二年の「今日のイギリス美術」展(東京都美術館、栃木県立美術館、国立国際美術館、福岡市美術館、北海道立近代美術館)、一九九〇年の「イギリス美術は、いま」展(世田谷美術館、福岡市美術館、名古屋市美術館、栃木県立美術館、兵庫県立近代美術館、広島市現代美術館)、そして一九九七年の「リアル/ライフ イギリスの新しい美術」展(栃木県立美術館、福岡市美術館、広島市現代美術館、東京都現代美術館、芦屋市立美術博物館)というように、七、八年毎に組織的な巡回展が企画され、大きな反響を呼んできた。一方、イギリス現代美術は一九九〇年代に大きな変革期を迎える。ダミアン・ハーストに代表されるようなYBA(Young British Artists)が規制の枠組みを全く無視した作品を作り始め、その影響は美術界にとどまるものではなくなる。しかし日本においては、「リアル・ライフ」展を最後に、組織的なイギリス現代美術の紹介は途絶えてしまった。もちろんギャラリー単位での作品、作家紹介はされてきたが、断片的なものといわざるをえない。
「十二の旅」はこのような文化的な要請を満たすためになされてきた。しかしその実現にはふたつの問題があった。起案から実現まで約二年しかないという時間的な問題。そして限られた予算という経済的な問題。そこで「十二の旅」は「財団法人地域創造」に助成金の申請をする。この応募は採択されるのだが、展示する作品の七割から八割を所蔵作品が占めなければならないという制約を受けることになる。所蔵作だけで、イギリス美術の一断面を体系的に見せることは不可能である。そこで杉村氏は発想の転換をしたという。日本に現存するイギリス美術作品という制約をそのまま提示することである。そのような「歪んだ」美術史の提示は自虐的で自嘲的なものに見えるかもしれないが、両国の影響・受容関係の一端を垣間見せる契機にもなりうる。

杉村氏の話を参考にし、意図されたその「歪み」を通してこの展覧会を振り返ったとき、イギリスのモダニズムの彫刻家がほとんど紹介されない日本における、ヘンリー・ムーアへの例外的な偏愛や、ワーグマンやホックニーなどの「オリエンタリスト」の視線、あるいは自然を媒介にした文化交流などが透けて見える。ロンドンの大英美術館の所蔵作品の多くは植民地主義の産物だといわれているが、「十二の旅」はそのような簒奪の歴史に支えられているわけではない。むしろターナーやコンスタブルを購入し、ナッシュやゴールドワージーを長期招聘できる経済力に驚くべきであろう。作品そのものを見るとともに、日本のイギリスへ視線の歪んだあり方を見ることが「十二の旅」の正しい鑑賞方法となろう。
このような展覧会だからこそ、そのカタログの重要性は増す。それは教条的に一国の美術史を語る必要はないし、一人の美術家のキャリアをなぞる必要はない。日本がイギリス美術を眺めるときに生じる歪んだパースペクティブに根拠を与えるのがその役割となろう。「十二の旅」のカタログには、十二人の作家の展示作品と紹介、関連地図とともに、二編の論文が収められている。カタログの巻頭を飾る杉村氏の論文「十二の旅のもたらすもの」は、まずトニー・クラッグの九〇度回転させたブリテン島をかたどった彫刻「北から見たイギリス」に言及し、また作品を時系列的展示と狭義のテーマ系から解放したテート・モダンの試みに共鳴することで、「十二の旅」の理論的正当性を裏付ける点で抜かりはない。「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」と正式には呼ばれるべき国の形の歪みを、物理的また観念的に表象してきた芸術に追随するものとして「十二の旅」は位置づけられる。
もう一方の論文、杉野秀樹氏の「イギリス美術の一側面――メゾチントの流行と衰退」は「メゾチント」と呼ばれる版画技法が、ターナーとコンスタブルの作風に与えた影響を述べている。特殊な技法とその実作への影響を詳述する論文は、興味深い知識を授けてはくれるが、「旅」に関連づけて作品を解説する努力がなされていない。
また各作家の略歴と紹介の頁も、必ずしも旅に光をあてたものではない。例えばその作家生活において旅の占める割合が多かったことが予想されるターナーの作家紹介においても、日本での受容にそのほとんどが割かれており、ターナー自身の「旅」の性質と風景画の特質に触れていないのは残念である。幼年期の家族との記憶をさかのぼるアンソニー・グリーンの「旅」は、イギリスと日本をめぐる旅の言説の中では所在なさげである。巻末の作家資料は作家ごとにまとめられており、特に主要外国語文献は、専門家ではない美術鑑賞者にとっては十分であろう。それだけに十二組のアーチストの「旅」の軌跡を克明に記すこともなく、全体を包括するような旅の定義も提出されず、それぞれの旅をつなげる工夫もなされていないことが実に惜しい。
テート・モダンの革新性は既存の物語を拒否することであった。しかしそれは物語の不在ではなく、新たな物語へと開いていくことに他ならない。そして新たな物語のゲートとしてカタログがあることが理想的なのだ。「十二の旅」展が「歪み」を意図的に提示しているのは、現況において最上の戦略であろう。しかしその「歪み」の特殊性をより深く突き詰める試みがなされていないことが何よりも残念である。作品の解釈は別にしても、展覧会全体の意図が生のまま鑑賞者の手に委ねられている。
人員的問題とともに財政的問題などがかさみ、国内の美術館を巡る状況はますます厳しくなるといわれている。このような文化的苦境において、財団法人からの資金調達、国内美術館の緊密な連携など、「十二の旅」は美術館のあるべき方向を示した展覧会として評価できる。何よりも稀な「イギリス」の美術展の開催に関しては純粋に感謝を捧げたい。「イングランド」、「ブリテン」、「UK」など様々な名称とその混乱する指示対象の問題への配慮が見られなかったことなど望むべきことは多くあるが、それはないものねだりだろう。しかしその「イギリス」なるものの地理的境界、それを構成する人種の複雑さ、それが形成される歴史的経緯など問題などと絡めて作品を見せることは可能だったのではないか(2)。  「旅」というテーマであればこそ、様々な文脈を整理し、作品を配置する必要であろうが、それが足りないために、個性的な作品が相互に有機的な化学反応を起こすことなく、ただ自らのフレームにとどまったままである。作品が「旅」をしていない。
トニー・クラッグの「北から見たイギリス」には、左端(つまり北アイルランドの方向)からブリテン島を眺める直立した人の姿が見える。それはブリテン島の「転倒」と対照をなしながらも、その地図の、また「イギリス」という国の一つの見方を提示している(あくまでも「北」から見ることが重要なのだ)。「十二の旅」が私たちに残してくれたのは数編の切れ切れの地図であるが、それが「旅」へといざなう力はやや弱い。それは断片性を補う工夫がされていないからに他ならない。補助線としてのカタログの重要性を認識させる展覧会であった。
最後に、一九九七年以降、組織的な展覧会が行われなかったイギリス美術を紹介するためのパースペクティブを、素人の立場からいくつか提案したい。ダミアン・ハースト、トレイシー・エイミンらの「美術家のセレブ化」に貢献をしたYBAたちの作品を、その言動とともに紹介することは、芸術家のステータスの変遷を回顧することに貢献するであろう。また「クール・ブリタニア」と総称される、ブレア政権下の労働党の文化政策とそれに利用された様々なアーチストの関係を紹介するならば、政治とメディアの関係を考えるための大きなきっかけになるに違いない。作品そのものというよりは、作家をめぐる環境が問題になることが多い現代イギリス美術を知るための視点として、この二つの提案をして本稿を締めくくりたい(3)。

(1) 近年、イギリス・モダニズムを「移動」、「越境」などの視座から語る分析し、その境界の曖昧さを問いかける研究が盛んになりつつある。代表的なものとして以下のものを参照文献として挙げておく。Jed Esty, Shrinking Island: Modernism and National Culture in England, Princeton: Princeton University Press, 2003; Laura Doyle and Laura A. Winkiel (eds.), Geomodernisms: Race, Modernism, Modernity, Bloomington: Indiana University Press, 2005.

(2) この問題に関しては、イギリスにおけるカルチュラル・スタディーズの取り組みを無視することはできない。代表的なものとしてはPaul Gilroy, There Ain't No Black in the Union Jack: The Cultural Politics of Race and Nation, London: Routledge, 1992 をあげておきたい。

(3) このカタログ評の執筆にあたって、栃木県立美術館の杉村浩哉氏のお話が大変参考になった。お忙しいなかインタビューを快諾してくださった杉村氏にこの場を借りて改めて御礼申し上げたい。


[展覧会およびカタログ・データ]
「十二の旅:感性と経験のイギリス美術」展
栃木県立美術館(二〇〇八年四月二十七日~六月二十二日)、静岡県立美術館(二〇〇八年九月十二日~十月二十六日)、富山県立近代美術館(二〇〇八年十一月二日~十二月二十三日)、世田谷美術館(二〇〇九年一月十日~三月一日)。カタログ『十二の旅:感性と経験のイギリス美術』は、杉村浩哉、南美幸、新田建史、麻生惠子、杉野秀樹、遠藤望編集、十二の旅:感性と経験のイギリス美術展実行委員会発行、二〇〇八年、総頁数一八九。


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