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「パリへ――洋画家たち百年の夢」展と「黒田から藤田へ――パリの日本人画家」展 (93号掲載) 林 久美子

林久美子
執筆時 :東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報 : 『比較文學研究』93号、2009年06月、144-149頁

ここに2冊の展覧会カタログがある。1冊はA4版より少し横長で、黒田清輝の《婦人像(厨房)》と《雲》が組み合わされた表紙、タイトルは『パリへ―洋画家たち百年の夢(Les peintres japonais occidentalisants et Paris : un rêve séculaire)』と付されている。もう1冊は一見、画集を思わせるようなハードカバーの大型本で、藤田嗣治の《五人の裸婦》を表表紙、黒田清輝の《読書》を小さめの裏表紙とし、タイトルは《de Kuroda à Foujita : Peintres Japonais à Paris(黒田から藤田へ―パリの日本人画家)》となっている。このように、外観が大きく異なり、全くの別物に思われるこの2冊のカタログであるが、実は同様の企画のもと、日本とパリで行われた展覧会のものである。幸いにも私は日仏双方の展示を観覧する機会を得たので、この二つの展覧会とカタログを同時に紹介してみたいと思う。

二つのカタログの冒頭に付されている総論は、まず「洋画」という語の定義(1) から始められている。「洋画」とは「明治時代以降の日本人が、西洋的素材と様式で描いた絵画」で、「「日本画」という語と表裏一体で成立し、自国の文化を国際社会に紹介するために、開国後に使われ始めた」 もの(2)であるとここで確認することは、本展の主題を読み取る上でも重要といえる。というのも、本展は単に、明治から平成にかけてパリに留学した、洋画家たちの代表作を振り返るというだけの意味を持つものではないからだ。パリ体験を通してこそより鮮明化した、「洋画」とは何か、特に日本固有の「洋画」とは何かという命題に対し、それぞれの立場で苦闘した洋画家たちの軌跡を辿ることこそ、本展の主題といえる。とはいえ、こうしたテーマはもはやそれほど目新しいものでもないだろう。
本展も大まかには、〈パリと日本人画家〉という主題を持つ展覧会の系譜 (3)に位置づけられる。しかし、過去に開かれた一連の展覧会と比較しても、渡仏日本人画家の作品を通時的に追うという本展の試みは、ある意味凡庸で、際立った特徴があるとはいえない。ただ、最初期から現代までのおよそ百年という長いスパンでの通史であるということと、日本での展示は、東京藝術大学創立一二〇周年記念展ということもあり、作家が東京美術学校・東京藝術大学の関係者に限定されていたことが特徴といえるかもしれない。章解説などでも美校・藝大と洋画壇との関係に焦点が当てられて、美校・藝大の歴史を振り返るものともなっていた。日本洋画の歴史と美校・藝大の歴史を無理なくリンクさせ、名品で辿るという構成は、藝大美術館ならではの企画と言えよう。また、日仏双方で展覧したことにも意味があったと考える。そこで以下、日仏での展示構成を振り返ってみたい。


はじめに、東京藝術大学大学美術館を訪れた。導入部分として十点ほどしか作品数のなかった「Ⅰ 黒田清輝のパリ留学時代―ラファエル・コランとの出会い」のうち、特に惹きつけられたのは、会場入口に展示された本展の顔ともいうべき作品、黒田の《婦人像(厨房)》(cat. 8)(4) である。全体にブルーグレーの澄んだ空気の中、黒田のグレー村でのモデル・マリアがこちら向きに腰掛けている。図版などで見慣れてはいたものの、その堂々とした大きさ、落ち着いた青と黒の色調、深みのある女性のまなざし、繊細な手の表現など、直接目にした作品の魅力に引き込まれた。そして、この作品が洋画を学び始めて5年ほどの、黒田初期の作品であることに改めて驚かされる。Ⅰ章ではもう一つ、山本芳翠の《浦島図》(cat. 5)が目に留まった。芳翠のパリ留学時に描かれ、ジュディット・ゴーチエの美麗な横顔として有名な《西洋婦人像》(cat. 4)とのギャップは衝撃的でさえある。ある種異様にも感じられる和洋混淆の《浦島図》は、日本的な画題を油彩画で如何に描くかという、帰国した後に多くの洋画家が直面した問題を如実に示しているといえるだろう。
「Ⅱ 美術学校西洋画科と白馬会の設立、一九〇〇年パリ万博参加とその影響」では、東京美術学校に西洋画科が開設された一八九六年から第一次大戦開戦までに渡仏した画家たちの作品が紹介されている。ここでは日本に帰国した後の黒田の作品も展示されており、日本風洋画の試みを見ることができる。この傾向が最も顕著なのは、今や日本絵画の代表とも語られ、誰もが一度は目にしたことがあるであろう《湖畔》(cat. 12)である。水彩画を思わせるような、薄塗りで平板な画面は、油彩画としては物足りない気もするが、画題である日本風俗と相まって、日本人にとって親しみやすい作品となっている。先述した《婦人像(厨房)》のような滞仏中の作品と比べてみると、その変化は明らかである。パリ滞在前後の変化が最もと言ってよいほど著しいのは浅井忠であろう。一九〇〇年のパリ万博で日本洋画の見劣りに衝撃を受けた浅井は、大きく方向転換を強いられ、帰国後は京都に活躍の場を移し、後身の指導に力を注ぐ一方、日本画や工芸デザインを試みた。紙本や絹本の日本画、図案や絵付けされた陶器などは洋画ばかりの会場の中で異彩を放っていた。この浅井の画塾(聖護院絵画研究所、後に関西美術院)から安井曾太郎と梅原龍三郎が輩出され、パリ留学の後、それぞれの方法で「日本的油絵」に到達したということもまた興味深い事実であろう。
「Ⅲ 両大戦間のパリ―藤田嗣治と佐伯祐三の周辺」では、第一次大戦前からパリに滞在し、戦中もパリに留まった藤田嗣治をはじめとして、第二次大戦直前までパリに滞在した岡本太郎までの両大戦間期にパリに滞在した洋画家たちの作品が展示されていた。紹介された大半の画家の自画像(東京美術学校の卒業制作)が展示されており、渡仏前とその後で画風にどのような変容があったのか比較できるようになっている。「日本の風景は絵にならない」と病をおして再渡仏し、パリの広告や壁など優れた作品を残しながら夭折した佐伯祐三。逆に「パリの絵はつまらない」と述べながらも確実に画風を変化させ、日本的裸婦の美を確立した小出楢重。浮世絵からヒントを得、独特の線描と乳白色の絵肌でパリ画壇の寵児にまで登り詰めた藤田嗣治。こうした画家たちの多彩な展示作品からは、時代と共にパリ体験の意味も多様化し、また個々の画家にとっての比重も異なっていたことが伺える。
次の「Ⅳ 戦後の留学生と現在パリで活躍する人びと」では、オブジェやインスタレーションなどの現代美術が展示されており、新たにそれまでとは全く別の展覧会にでも訪れたような気分になった。この展示室にも油彩画はもちろん展示されていたのだが、本展の副題にもある「洋画」とはかけ離れた感があり、Ⅲ章までとⅣ章の間には大きな断層があるように感じられた。こうした懸隔は、もはや「洋画」というジャンルさえ成立せず、またパリというトポスの特権性も低下しているのだということを示しているのかもしれない。ただ、展示の最後を締めくくるものとしては、Ⅲ章までの展示内容の記憶も薄れてしまうようで、少し残念な気もした。またカタログにおいて、Ⅲ章まではほぼ1ページに1作品を配し、その余白に作品解説が付いていたのに対し、Ⅳ章では作品解説がほとんどなかった。(Ⅳ章の作品三五点のうち、作品解説があるのは四点のみ)現代美術を言葉で解説するのは無意味なことなのかもしれないが、私のように不慣れな鑑賞者にとってはもう少し説明があるとありがたかった。とはいえ、日本版カタログには、総論や各章解説のほかに3つのエッセイが収められており、そのうち戦後フランスの文化行政に関する平川滋子氏のエッセイは、現代フランスにおける政府と芸術家との関係を詳細に伝えて興味深い。現代美術に疎い私には現代美術の置かれている背景を知ることは新鮮で、普段はあまり馴染みのない作品に近づく一歩となるように感じられた。


続いて二〇〇七年十月末、パリ日本文化会館にて《de Kuroda à Foujita》を観覧した。パリでの展示を見るまでは、日本とほぼ同一の展示内容だと勝手に思い込んでいたので、現地の人びとがどのような反応を示すのか、大変興味と期待を持って会場に向かった。ところが、それはある意味で裏切られたといえるだろう。展示内容は半ば異なっていたのである。
 日本での展示構成のうち、Ⅳ章を全くなくし、Ⅲ章までを4章(5) に(Ⅱ章の後半を一つの章として、新たに《Chapitre 3 Yasui Sôtarô et Umehara Ryûzaburô : En quête d’ une peinture occidentalisante purement japonaise(第3章 安井曾太郎と梅原龍三郎―日本的洋画を求めて)》を設け、その前後の章題・区分などには変化なし)構成し直して展示された。日本ではⅢ章までで二十人の画家が紹介されたが、パリでの展示ではそのうちの十一人に絞られ、坂本繁二郎、児島善三郎の二名が新たに付け加えられて、計十三名の画家が紹介されている。
日本とパリで共通する十一名の画家についても、その出展作品にはいくつかの相違があった。日本で出品された七四点中三三点は共通して出展されているが、四一点は削除されて別の作品十五点が新たに付け加えられている。観覧していた際は、展示構成や規模は変化していても、共通して展示されている画家の作品にはそれほど違いがないように見受けられたので、改めてカタログで確認してみて少し意外な感じを受けた。どのような作品が変更されているのか詳しくみてみると、黒田清輝と浅井忠、そして岡本太郎に作品の入れ替えが多いことに気づいた。もちろんこのような展示作品の変更には、作品を所蔵している美術館の都合などさまざまな事情が存在するのだろうと思われる。しかし、黒田の帰国後の日本風洋画がなくなった替わりに《La lecture(読書)》(cat. 7)などの滞仏時の作品が加わっていること、浅井の日本画や山本芳翠の《浦島図》などの日本的画題の作品が展示されなかったことなどから、フランスで受け入れられ易い作品が集められたような印象を受けたが、これはいささか穿った見方だろうか。
また、美校・藝大の関係者ではないためか、日本での展覧会では取り上げられなかった坂本繁二郎と児島善三郎の作品が展示されたことも興味深い。淡くけぶるような色彩で馬を多く描いた坂本、確かな形態把握に琳派などから学んだデフォルメを加えた児島、どちらも個性のはっきりとした画風で会場でも存在感を放っていた。この二名の追加は、パリでの展示では美校・藝大との関連付けは薄れて、日本人洋画家とパリとの関わりのみに焦点が移ったということの象徴なのだろうか。
 会場は、日本での展示と比べるとやや小規模ではあったが、作品数が少なくなっていたこともあり、ゆったりと配置されて鑑賞しやすく、すっきりとした分かりやすい展示であった。また、展示室は通り抜け式ではなく、最後の展示室まで行くとまた同じ順路を戻ってくるような作りになっていた。その最後の部屋の一番奥に、本展のハイライトとして展示されていたのが藤田嗣治の《Cinq nus(5人の裸婦)》(cat. 46)である。こうした配置には作品の大きさなども関係しているのだろうが、藤田の作品がパリでの展示の一番の目玉であることを如実に物語っていた。カタログの表紙も藤田の作品であるし、タイトルも「黒田から藤田へ」と変化し、本展での日本洋画の終着点が藤田であることを示している。フランスでの藤田の知名度を考えれば(藤田以外の日本人洋画家たちなどまず知られてもいないであろうし、実際に現地の人びとが大きな関心を払っていたのも藤田であることを会場で実感した)、展覧会の力点が日本での展示とは、全くと言ってよいほどずれてしまったことは致し方ないといえるのかもしれない。双方のカタログに互いの展覧会についての言及がないことを疑問に思っていたが、このように、主題や展示作品が半ば異なっていることがその理由かと思われる。ここで見られるのは、今後ますます増えていくことが予想される国際巡回展に起こりがちな問題点だといえるだろう。よく知られた藤田を中心とし、そこから他の画家たちへと観覧者の興味を広げていくという構成は、フランスの人々を動員するために、ある意味必要な変更であったのかもしれない。ただ、日仏で美術史的な条件が異なるとはいえ、日仏双方で展示するこのような機会にこそ、同一の主題・構成から彼我の隔たりを実感する試みがあってもよいのではないかと感じた。
カタログの図版としては、余白を全くなくし、ページ一面にプリントされたものや、2ページにまたがるものなど、全体的にフランス版の方が大版になっており、迫力や雰囲気が日本版カタログとはかなり異なる印象を受ける。しかし、同一の作品で比べて見ると、図版の質そのものは日本版の方が良いように感じる。比較しなければ分からない程度だが、フランス版では全体的に白っぽく、色が粗くなってしまっているのが残念な点である。日本版のカタログは、作家・作品解説や年表にはフランス語訳はないものの、作品名・総論・各章解説にはフランス語訳が付されている。一方、フランス版カタログは完全なるバイリンガルで、巻末にテキスト部分の日本語訳がまとめられている。作品図版と並列して解説が付けられていた日本版とは異なり、フランス版では作品解説は後方のページにまとめられ、作品図版に論文や章解説が入り混じって並置されるという形態をとっている。またフランス版では、日本版でのエッセイに代わり、次の4本の論文が収められている。荒屋鋪透氏《Grez-sur-Loing et le Japon : Kuroda Seiki et Asai Chû(グレー=シュル=ロワンと日本―黒田清輝と浅井忠)》、クリストフ・マルケ氏《La confrontation des artistes japonais avec l’ Occident : le cas d’ Asai Chû à l’ Exposition universelle de 1900(西洋と対峙した日本人美術家たち―一九〇〇年パリ万国博覧会における浅井忠の場合)》、林洋子氏《Sur les traces de Léonard Foujita Pour la realization des peintres murales de la Maison du Japon à Paris(藤田嗣治 パリ日本館の壁画への道のり)》、中島理壽氏《Les galeries de peintre du style occidental(yôga) au Japon Sur les traces de leurs origines(日本の洋画商―その草創期の歩み)》。小さな資料図版も折り込まれたこれらの論文はどれも充実した内容で、日本版カタログにも付されていればよかったと感じた。
全体として、日本とパリ、二つの展覧会の印象はかなり異なるものとなっていた。ただ、人もまばらなパリ会場の落ち着いた雰囲気は心地よく、いつまでもその場で作品を眺めていたい気持ちに駆られた。油彩画にはやはりヨーロッパの乾いた空気が合うのか、作品が日本で見るよりもクリアに、生き生きと透明感をもって見えた気がしたのは私の思い込みだろうか。多くの日本人画家たちが目指したパリの地で、ゆかりの作品を見ることができたという感慨がそのような気分をもたらしたのかもしれない。



(1) 「洋画」という語の成立過程、定義については、佐藤道信『「日本美術」誕生―近代日本の「ことば」と戦略』(講談社選書メチエ92、1996年)に詳しい。

(2) 新関公子「パリ留学と日本洋画のあゆみ」本展カタログ

(3) 〈パリと日本人画家〉という主題を持つ展覧会の推移については、今橋映子「日本人のパリをいかに語るか―近年の美術展覧会の動向から―」(『異邦人たちのパリ』展カタログ)に詳しい。

(4) 作品番号は、日本での展示に言及している場合は日本版カタログのもの、パリでの展示に言及している場合はフランス版カタログに依った。

(5) 区別のため、日本での展示はローマ数字、パリでの展示はアラビア数字で章番号を記す。


《展覧会データ》
「パリへ―洋画家たち百年の夢」展
東京藝術大学大学美術館(二〇〇七年四月十九日―六月十日)、新潟県立近代美術館(二〇〇七年六月二十三日―八月五日)、MOA美術館(二〇〇七年八月十七日―九月三十日)
カタログは新関公子、島津京、日本経済新聞社文化事業部編集、日本経済新聞社発行、二〇〇七年、総頁数二二九。
《de Kuroda à Foujita : Peintres Japonais à Paris(黒田から藤田へ―パリの日本人画家)》
パリ日本文化会館(二〇〇七年十月二十四日―二〇〇八年一月二十六日)
カタログはFragments International発行、二〇〇七年、総頁数一七一、ISBN : 978-2-917160-04-6



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