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2010年10月 アーカイブ

2010年10月 3日

[寸評]「きらめく装いの美 香水瓶の世界」展

・会期:2010年9月18日〜2010年11月28日
・会場:東京都庭園美術館
・評者:伊藤 由紀

会期に先立って17日に行なわれた特別鑑賞会に、美博に届いた招待券をいただいて行ってきました。

鑑賞会ではまず30分ほどのレセプションがあり、庭園美術館館長の井関正昭氏と、本展監修者のマルティーヌ・シャザル氏の開会挨拶のほか、後援のフランス大使館や、出品に協力した各美術館からの出席者が紹介されました。

開会挨拶を聞いているうちに、柑橘系にムスクの混じった良い香りがしてきました。庭園美術館の建物は旧朝香宮邸を利用したもので、レセプションの行なわれた第1展示室の次室には、アンリ・ラパンのデザインによる「香水塔」と呼ばれるオブジェがあります。宮邸で来客時にこのオブジェの照明部分に香水を垂らして芳香を漂わせたというエピソードに因んで、本展覧会では資生堂の協力のもと、「香水塔」周辺で「香りの演出」を行なっているとの説明でした。控えめで嫌味のない良い香りでしたが、「アール・デコの館」朝香宮邸という場所柄や、出品物の大半が20世紀前半の香水瓶であることを考えると、もっと大時代な香りのほうが似つかわしいように思われました。

さて、本展覧会の出品は約350点、うち約280点が広島にある海の見える杜美術館の収蔵品だそうです。古代から現代に至るまでの、材質も大きさもさまざまな香水容器のほか、ラベルやポスター、販売店の写真などが、ほぼ時系列に沿って配置されています。19世紀までの香水が、簡素な規格容器で販売され、使用者それぞれが好みに応じた容器に詰め替えて使う、というスタイルだったのに対し、20世紀の香水は、香水商や服飾メゾンによって空想的な名前を与えられ、そのイメージに合った装飾的な香水瓶に詰めた状態で販売されるのが一般的になりました。このため出品物もこの時代のものが最も充実しています。ただし20世紀後半以降については、一部の限定モデルの香水瓶が紹介される程度です。

展示の一部に使われていた六角柱の展示ケースには、見る人の多くが一瞬驚いた表情を浮かべていました。六角形の対角線上に鏡を配して三角形6つに区切り、それぞれの区画に1つずつ出品物を置いたものです。出品物の背面の意匠を鏡で確認できることに加え、隣の区画へと一歩足を進めるだけで、目の前に見えるものが一変するという、万華鏡のような効果もあって素敵でした。

その一方で、カタログの表紙にも登場する1999年の「ジャドール」限定ボトル(cat. 351)では、肝心の「透明な栓の奥底から《ジャドール(大好き)》の文字が浮かび上がる」ギミックを確認できない展示の仕方だったのが残念でした。また、香水瓶とそれに関連するラベルやポスターがやや離れて展示されていることが多かったのも不便に感じました。

何より、美しい香水瓶とその名前とを目にすれば、やはりその香水の匂いを知りたくなります。それぞれの香水の香調について、会場にもカタログにも説明がないのをもどかしく思いました。もちろん今回は香水瓶の展覧会であって、香水そのものの歴史を示す機会ではないですし、古い銘柄だと資料が残っていない場合もあるのでしょうが。

もう1つ、個人的に物足りなく思ったのは、これらの香水瓶と日本との関わりが示されないことです。本展覧会の出品物の中には、明治期に「赤箱」の愛称で流行した「フルール・ダムール」(cat. 58)、日本人女性の名を冠した「ミツコ」(cat. 155ほか)、今上陛下即位記念の香水瓶(cat. 353)など、香りを通じた日仏交流の痕跡がいくつも含まれていますが、そうしたエピソードの紹介は特にありませんでした。しかし井関館長の開会挨拶には、日本には(香水瓶を作るほどの香りの文化は発達しなかったものの)香水瓶の優れたコレクションがあるなど香りへの関心は高い、との一節がありましたし、しかも会場は「香水塔」を擁する旧朝香宮邸です。日本における香水の受容について、解説があっても良かったと思います。

カタログは菊判ハードカバーで426ページ、図版とほぼ同等のページ数をシャザル氏の論文が占めているほか、庭園美術館の高波眞知子氏による、本展覧会の特徴的な出品物と、「香水塔」とに的を絞った短い論文も収録されています。図版の多くは原寸大より大きく撮影されていて、細部の意匠が確認できるのは良いのですが、香水瓶の小ささゆえの愛おしさのようなものは、損なわれてしまったように思います。実寸と材質は巻末の出品リストで確認できます。

2010年10月 7日

「アジアのキュビスム」ソウル展(91号掲載)前島 志保

前島志保
執筆時 :神奈川大学非常勤講師、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学大学院アジア学専攻博士課程
雑誌情報 : 『比較文學研究』91号、2008年06月、167-168頁

「アジアのキュビスム」展は、東京展の後、ソウル、シンガポールでも順次、開催された。筆者は、2005年12月半ば、徳壽宮美術館(韓国国立現代美術館分館)で開催されていた同展を見る機会に恵まれたので、その印象を東京展と対比しながら簡単に紹介したい。
韓洋折衷の徳壽宮は、いかにも「アジアのキュビスム」展に相応しい会場だった。ソウルの中心部、市庁に近く、古くからの繁華街、明洞からもほど近いこの王宮は、ガイド・ブックによれば、観光地であるとともに、市民の身近な公園的な場でもあるという。なるほど、芝生と樹木から成る都会のオアシスとも言うべき宮殿構内には、地方からの年輩の観光客とおぼしき団体や、おしゃべりに興じる高校生の姿が点在している。構内奥に半島初の洋館といわれる石造殿があり、ここが美術館になっていた。
展覧会は、一言で言って、同じ展示物を用いても展示方法が異なればこれほどまでにも別物になってしまうのかということを実感させられるものだった。ネオルネッサンス式の白亜の石造殿の中の四室が四つの基調テーマに充てられているのは、東京展と変わりなかった。しかし、解説パネルはそれぞれの部屋に一、二枚ほどしか掲げられておらず、来歴のよく分からない絵画の数々がただ並べられているという印象であった。各作品のかたわらに国名がひときわ大きく記されており、国家の枠組みを超えて絵を見る体験を提供しようとしていた東京展の方向性とは大分、異なる趣を展覧会全体に与えていた。東京展で印象的だった、各地の近代絵画史と主な政治的事件の年表だけを壁一面に掲げたスペースが無かったのは、おそらく、歴史的建造物を会場としていたために、そのような自由な空間使いが不可能だったのだろう。
何より、来訪者が異常に少なかったことには驚いた。私がいた二時間ほどの間中、ただの一人も他の鑑賞者が入ってこなかったのだ。平日の午後ということを考慮してみても、これは少し異様だった。入館者の少なさは、同展の宣伝がほとんどなされていなかったせいかもしれない。会場に向う途中、「アジアのキュビスム」展のポスターが全く見られなかったので、開催時期を間違えてしまったのではないか、もう「アジアのキュビスム」展は終了してしまったのではないか、と気をもんだほどであった。これに対して、近くのソウル市立美術館のマティスとフォービズムの画家たちを扱った展覧会のほうは、街中、地下鉄構内にまで幟やポスターを大々的に掲げて華々しく開催されており、会場には多くの観客が列をなしていた。では両展の人の入り具合の違いは入館料のせいかというと、そういうわけでもないようである。たしかに、「アジアのキュビスム展」に入場するには、展覧会の券(3000ウォン)の他に、まず、入り口で徳壽宮の入場券(1000ウォン)を購入しなければならない。しかし、一方、ソウル市立美術館「マティスと不滅の色彩画家たち」展の入場券はその倍以上の10000ウォンである。これは、韓国におけるアジアの近代絵画への関心の低さを示しているのか、それとも、単に宣伝費が足りなかったということなのだろうか。
ところが面白いことに、ソウル展のカタログのほうは、掲載作品や論文は同じものの、東京展のカタログよりも全般的に充実していた。これは、日本語版カタログが貧弱だったということでは決してない。筆者が本誌第87号で紹介したように、東京展のカタログは、盛りだくさんの内容が凝縮された、中身の濃いものであった。ただ、ソウル展のカタログは、それを上回るものだったのだ。一読してまず気付く違いは、掲載された絵画の画像の大きさである。総ページ数211の日本語版では全ての絵画が最大でも半ページ大の小さな画像で収録されていたのが、ソウル展のカタログでは、284ページという紙面数を十二分に活かして、一つ一つの作品が大きく取り上げられていた。一ページを使って堂々と掲載された作品は、線の勢いやキャンバスに重ねられた絵の具の質感までが伝わってくるようで、複製とは言え、迫力がある。さらに、日本語版には無かった、掲載論文と解説文および作者略歴の英訳までが巻末に収録されており、まさに至れり尽くせりの体裁である。もちろん、これを、韓国の学術世界における英語文化圏 - 特にアメリカ - の影響力の大きさと解釈することもできなくはないけれど、ここは、むしろ、国際的にこの展覧会の意義を発信しようという意気込みのあらわれと解したい。
あまり力の入っていないように見受けられる展示・宣伝と異様に豪華なカタログ ― このギャップをどう解釈したらいいのか、韓国の美術事情、展覧会事情に疎い私には、正直言って、よくわからない。単に会場スペースの使用上の制約や費用、カタログ準備期間を長くとれたことなどが要因なのか。それとも、韓国では、非欧米圏の近代文化への関心があまり高くない一方で、豪華なカタログが次第に増えてきているのか。少しうがった見方をするならば、この企画は実は日本側の強力な主導のもとに進められたもので、協力国・地域の間で取組みに温度差があるのではないかと考えられなくもない(なにしろ、カタログ冒頭に収められた八篇の序論と解説論文のうち、半分は日本人研究者の手によるものなのだ)。
いずれにせよ、東京、ソウルと、一見、ほぼ同じながらも、全く別様の展覧会とカタログを楽しむことができた。展示作品がヨーロッパ発の近代絵画のアジアにおける変奏だったとすれば、展示とカタログ自体もまた、ソウル、東京の各都市における変奏だったのである。
シンガポールでは、一体、どんな曲が奏でられたのだろうか。

〔展覧会およびカタログ・データ〕
‘아시아 큐비즘: 경계 없는 대화’전 (「アジアのキュビスム:境界無き対話」展) 
국립현대미술관 덕수궁미술관 (〔韓国〕国立現代美術館 徳壽宮美術館〕
2005년 11월11일~ 2006년 1월30일 (2005年11月11日~2006年1月30日)
カタログは김인혜(한국국립현대미술관)(キム・インヘ〔韓国国立現代美術館〕)編輯、국립현대미술관/일본국제교류기금(〔韓国〕国立現代美術館/日本国際交流基金)発行、二〇〇五年、総頁数二百八十四。

カタログ評『大正シック展』(91号掲載)深見 麻

深見 麻
執筆時 :東大比較文学会 学会員
雑誌情報 : 『比較文學研究』91号、2008年06月、169-173頁

 会場(1) を一巡しての感想は、とにかく優美で美しく、見た目に心地よい展覧会だということであった。「大正シック展――ホノルル美術館所蔵品より――」は二〇〇二年にホノルルで開催され、その後米国本土を回って、五年経った今年日本に巡回となったもので、大正から昭和戦前期にかけて――特に一九二〇年代から一九三〇年代のものを中心として――の絵画(日本画、版画)、工芸品、女性の着物、歌本(流行歌の歌詞を書いた小冊子)などを題材に、当時の日本社会が抱えていた「近代」と「伝統」の間の葛藤と妥協、調和を読み取ることを試みている。絵画だけでなく、工芸品や着物、歌本など通常の美術展では一同に会することの少ない展示品の構成もおもしろかったが、そうした品々がかもし出す女性らしい、華やかな雰囲気が会場を支配していたことも興味深かった。
しかしカタログを注意深く読むと、展覧会の焦点はこれら見た目に美しい作品そのものではなく、それを形作った政治力学であることが見えてくる。カタログに収録された唯一の論文「大正の花々 日本女性のイメージ その社会と芸術 1915~1935」において、この展覧会の実質的な企画者でカタログ主著者であるケンドール・ブラウンは、大正から昭和初期にかけて日本社会で交わされた、近代日本に望ましい女性像をめぐる正反対の二つのイメージの論争――ひとつは近代=西欧風の思想や生活に過度に染まったと見られたモガ、もう一つは封建的・伝統的な女性像――に当時の「近代」と「伝統」をめぐる葛藤の投影を見、視覚メディアとして美術品もその論争から無縁ではなかったことを論じている。(2) ブラウンの分析の主眼は、モガ像、伝統女性像そのものにあるのではない。この両極端のイメージが、如何に互いに影響しあってそれぞれの極端さを減じ、社会的に好ましい折衷型美人のイメージに修正されていったかを示すことにある。この論点を持ち出すことによって彼は、漫画や写真、洋画に比べてモガ像そのものが描かれることが少ない日本画の世界において、近代的な女性の表象を多面的に語ることを可能にするとともに、伝統的な女性の表象まで分析に取り込み、より広い地平で日本画の近代を描き出すことに成功している。この小評では、企画者である彼の論点と分析手法を中心としてこの展覧会を評価することとしたい。
そもそもアメリカにおける近代日本画研究は、長く不遇をかこってきた。アジアの伝統美術は一九世紀以降衰退したため、蒐集の価値がないという偏見があったからである (3)。そこには、近代(=西洋)化以前の“伝統的な”作品を最上のものとし、近代的なモチーフ、技法を取り入れたものを劣化と取る、非西洋の文化を永遠の過去に置いてみようとするような非歴史的なものの見方、サイードの言うオリエンタリズムの要素が濃く見える。しかし一九九〇年代以降、そうした偏見の見直しが進んでおり、(4) 今回の日本展は、アメリカの近代日本美術観を知る上でも我々日本人にとって興味深いものと言える。(5) カタログ主著者のブラウンは、過去の著作(展覧会カタログ)(6) において、新版画を従来の浮世絵の劣化版としてではなく、大正の文化を反映した独自の芸術として見直すという観点を打ち出した、新しい潮流の近代日本美術研究者の一人である。今回の展覧会も過去の著作のアイデアを踏まえつつ、更に発展させたもので、彼の個性がよく発揮されているように思える。
具体的な分析において特徴的な点を挙げれば、一つは分析の対象が、画面に描きこまれた小道具、背景、人物の服装といった表面的で分かりやすいものから、仕草、表情といった内面的なもの、また様式や画題、色彩、構図などと幅広く、解釈は日本人から見れば意外性に富んだものが多いことである。例えば、山川秀峰による《婦女四題 秋》(一九二七年)(cat.no.4)の解説では、流行の髪型と着物に身を包んだ和装のモガに、季節に仮託して様々な女性像を描く伝統的な画題が適用されたことに着目し、モガたちが社会に脅威を与えるような新しい存在ではなく、「これまでの世代と比較して本質的でなく、むしろ外観だけが違うもの」 (7)に変換されたことを指摘している。これは、新聞雑誌などのモガに関するルポルタージュを題材になされたミリアム・シルバーバーグの研究(8) における指摘――ファッションや生活態度の特異さに焦点を置くことで、現実社会において起こっていた女性の政治への目覚めや、労働争議への参加といった本当の意味で当時としては反社会的、「反逆的」な動きをモガ像から切り離し、性的放縦さや軽薄な享楽主義といった分かりやすく誇張された逸脱に置き換えられていたこと――を連想させるイメージの修正である。
しかし日本画という、より保守的なメディアで示されたモガは、更に表現がつつましくなっており、このカタログ所収の作品でもファッションという点でモガの性的放縦さや享楽主義をあからさまに感じさせるのは、小早川清による《近代時世粧の内― ほろ酔ひ》(一九三〇年)(cat.no.2)など数点である。むしろ日本画で描かれた当時の近代的な女性の表象においては、表情や視線といった、もっと微妙な表現に現われる知性や意思の存在のようなものが印象的だ。表紙絵の中村大三郎《婦女》(一九三〇年)(cat.no.22)の余裕のある冷たい視線や、和田菁華の《T夫人》(一九三二年)(cat.no.14)の自信に満ちた微笑みは、意識的に昔風の牧歌的でうぶな田舎娘を描いた中島菜刀の《きのこ狩り》(一九一九~二三年頃)(cat.no.28)の人形のようなおっとりとした顔と比較すれば、周囲から自立した近代的な自我を感じさせる。また柿内青葉による《美人》(一九二五年)(cat.no.25)の女性像が見せる憂いは絵画的というよりは、文学や哲学に近いような雰囲気だし、同じ画家による《夏の夕べ》(一九三〇年代初頭)(cat.no.26)では、歌舞伎のモチーフの着物や行灯(ただし中は電気らしい)、団扇という小道具や、しなを作るように床の上で膝を崩してひねった姿勢など、より伝統的な情緒を濃く描いているにも関わらず、女の表情には見る者に媚を売るような気配はなく、ただ自分の内面に没頭している。「そこでは女性は単なる視覚的な快楽の対象ではなく、私的な想いを持つ当世の女として描かれ」 (9)ているのである。よってもしもこの展覧会がファッションといった表面的な「近代」の記号にのみ着目して分析を行っていたら、日本画に描き出された近代女性像は極めて限定的な領域にとどまるもの、という結論が出たかもしれない。その意味で、ブラウンが分析対象を幅広く、緩やかに規定したことは評価できよう。
もう一つの特徴は、この幅広い近代性の発見が、一見伝統的図像そのものという作品の分析にも生かされていることである。例えば伊藤小坡による《元禄美人》(一九二〇年頃)(cat.no.39)は、見返り美人風の姿勢をとった江戸時代の遊女を描いた小品であるが、前結びにした帯、兵庫髷、様式的で小づくりな顔立ち、とどれをとっても近代とは縁がなさそうな作品である。しかしブラウンによる解説はこの作品の緩やかで即興的な軽い描線や、シンプルでやわらかな色調に、大正期らしいさわやかで気の張らない「感覚」(10) を見出している。これらはブラウンの過去の新版画に関する著作において伝統的な女性像が近代的な技法と融合していく過程を分析した経験が生かされた解釈でもある。
また同じ過去の著作で示されたもう一つのアイデア――江戸(懐古)趣味が近代化の病弊からの逃避となっていたという指摘 (11)――は今回の展覧会でもっと本質的な問題として、そうした画題やジャンルそのものが、近代的変化の結果として生み出されたことを強調する形で繰り返されていることも興味深い。例えば、歌舞伎の一場面を描いた北野恒富《冥途の飛脚 梅川》(一九二三年)(cat.no.38)や、日本舞踊を舞う女性を描く山川秀峰《鷺娘》(一九二五年頃)(cat.no.37)などでは、このような画題で描くこと自体が当時の流行であったことを指摘しているが(12) 、もっと大きな流れとして、近代化が進んだ大正期に、それに反発するように歴史的、文学的テーマを扱うことで日本の伝統への再挑戦を試みる動きがあったことに着目している。「大正文化は、しばしば過去の損失とその取り返しに重きを置く」 (13)と語る本カタログは、いわゆる「伝統の創造」(ホブズボウム)論を援用することで(14) 、大正社会の近代を描き出していく。ここでは「近代」と「伝統」は相反するものではなく、裏表の関係で連動するものとしてとらえられている。この現象を捉えることによって、伝統への回帰が大正モダニズムの裏側に、モダニズムへの対応の重要な側面としてあったことを見逃していない。 
前時代からの劣化や逸脱ではない、当時の社会の空気を反映した独自の領域として近代の日本美術を捉えなおそうという試み――やや安易に言い換えれば、オリエンタリズムからの脱却――において、ジャンルを越えて同時代の作品を同じ基準で測るという視点は斬新で貴重だ。加えてブラウン自身が述べている通り(15) 、西洋における大正芸術の研究の多くがモガを代表とするような進歩的なスタイルを重視し、一方美人画に関する研究が逆にモダンな文化を無視して懐古趣味に陥っていたことを考えれば、「近代」と「伝統」の両方を関連づけて視野に入れるという作業は、両方の研究領域をつなげ、かつどちらも相対化する試みとして評価できよう。
もちろん、画家の属する流派、活躍した地域、制作年代もばらばら、中には制作者や、年代不明のものも複数含まれているという作品選定のあり方は、画家や流派の関係、画壇史の側面が多く取り上げられる日本の美術展の感覚とは距離感のあるものである。一点一点の作品解説には分かる限り制作者の来歴が一応語られているとは言え、作品の解釈とはあまり絡んでこない。ここで作品に要求されているのは、制作にまつわる具体的な背景よりは、そこに何がどういう風に描かれているかだからである。また分析概念として用いられているのは「近代」、「伝統」という漠然としたキーワードで、その意味するところはブラウンの解釈によっている。こうした点に関して批判は当然予想されるところであるが、その漠然とした網で対象を掬い取った結果、日本語版の冒頭に述べられている通り(16) 、大正期の社会と文化について、日本人にも一般には認識されていない側面が見えてきていることは確かであろう。
一方で「近代」という大雑把な時代概念で、大正から昭和戦前期を全てひっくるめてしまうことによって、時代描写が一面的になったという印象は拭えない。そしてこのことは、非歴史的な過去に日本美術を押しとどめようとしてきた一昔前のアメリカの日本美術史観への批判として「近代」を取り上げているにも関わらず、その「近代」像もまたある時期のイメージに留まったままの静的なものにしてしまう危険を生みかねないという問題があるように思う。
それはこの展覧会が女性のイメージを切り口として取り上げたことにも言える。すでに見てきたように、ブラウンによるカタログの論点は、この近代日本画における女性の表象が当時の女性の実態をそのまま映すのではなく、それをめぐる様々な政治力学の影響を受けて新たに生み出されるものであるというところにある。しかし、会場やカタログにあふれる色鮮やかで優美な日本画の美人を見ていると、それら女性のイメージが持つ圧倒的な存在感の前に、そうした政治学に対する分析はかすんでしまっているように思えた。そのイメージが実態と乖離していることを示すために、作品の回りの情報や、比較対象となる資料(洋画とか写真、イラスト、漫画など)――これは所蔵品を中心とした展覧会なので、無いものねだりかもしれないが――があると、よりテーマが見えやすくなったのではなかったかとも思う。
 最後にカタログ日本語版に関していくつか感想を述べておこう。シャロン・ミニチェロによる歴史的な背景説明は、このカタログの時代観の基になるものであるため、やはり日本語訳して冒頭に置く方が良かったと思われる。またブラウン論文の翻訳において、一部表現に疑問が残るものがあったこと(17) も些細なことだが、一応指摘しておく。また、これも無いものねだりであるが、このようなアメリカの日本美術研究のあり方に対して、日本側のコメントが具体的な形で追加されていたら、更に興味深く、かつ今後の日本での研究に資するものとなったのではないだろうかと夢想している。  
ともあれ、見た目の心地よさとその心地よさの裏側に焦点を当てた刺激的なカタログで楽しめる展覧会であったことは間違いなく、これをきっかけに、今回不明とされた画家の解明も含め、日本側でも研究がすすむことを期待したい。

(展覧会およびカタログデータ)
「大正シック展――ホノルル美術館所蔵品より――」 東京 東京都庭園美術館(二〇〇七年四月一四日~七月一日) 巡回展は、尼崎市、尼崎市総合文化センター(二〇〇七年七月二八日~八月二六日)、静岡市 静岡県立美術館(二〇〇七年九月八日~一〇月一四日)、尾道市、尾道市立美術館(二〇〇七年一〇月二〇日~一二月一六日)。カタログは本展のアメリカ版カタログ、Brown, Kendall H. Taisho Chic: Japanese Modernity, Nostalgia, and Deco.(Honolulu: the Honolulu Academy of Arts), 2002.の翻訳を中心に国際アート編集・発行、二〇〇七年、総頁数百八十。

*アメリカでの巡回データ(もし必要であれば)
Honolulu Academy of Arts, January 31 to March 15, 2002; The David and Alfred Smart Museum of Art, The University of Chicago, April 20 to June 22, 2004; The Marion Koolger McNay Art Museum, San Antonio, March 15 to June 4, 2005; Berkeley Art Museum and Pacific Film Archive, University of California, September 13, 2005 to January 8, 2006.

評者が訪れたのは、静岡県立美術館である。
本展カタログp.12
George R. Ellis, “Preface”, in Brown, Kendall H. Taisho Chic: Japanese Modernity, Nostalgia, and Deco.(Honolulu: the Honolulu Academy of Arts), 2002. p.6
スティーブン・L・リトル「はじめに」、本展カタログp.8
日本展版のカタログは、基本的には二〇〇二年出版の英語版カタログをそのまま日本語訳したものとなっている。違いは、日本展には出品されなかった展示品の解説が削除されているのと、英語版で冒頭にあった歴史学者シャロン・ミニチェロによる大正の日本社会に関する説明が日本語訳されないまま最後に移動されていること、また序文が二〇〇二年当時の館長ジョージ・エリスから二〇〇七年現在の館長スティーブン・リトルのものに変わっていることなどである。
Brown, Kendall H., and Hollis Goodall-Christante. Shin-hanga: New Prints in Modern Japan. (Los Angeles: Los Angeles County Museum of Art), 1996. なおブラウンは同年にLight in the Darkness: Women and Japanese Prints of Early Shōwa.(Los Angeles: Fisher Gallefy)というやはり新版画の展覧会カタログを編集しているが、こちらの方は評者は未見である。
本展カタログp.32
Silverberg, Miriam, “The Modern Girl as Militant,” in Bernstein, Gail Lee, ed., Recreating Japanese Women, 1600-1945. (Berkeley, Los Angeles, London: University of California Press),1991.pp.239-266. この文献はカタログの参考文献として記載されている。
本展カタログp.74
本展カタログp.104
Brown, Kendall. “Modernity and Memory: Shin-hanga and Taishō Culture.”, in Brown, Kendall H., and Hollis Goodall-Christante. Shin-hanga: New Prints in Modern Japan, p.36.
本展カタログp.102
本展カタログp.18
Vlastos, Stephen, ed., Mirror of Modernity: Invented Traditions of Modern Japan.(Berkeley, Los Angeles, London: University of California Press), 1998.が参照されている。
本展カタログp.16


「パリへ――洋画家たち百年の夢」展と「黒田から藤田へ――パリの日本人画家」展 (93号掲載) 林 久美子

林久美子
執筆時 :東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報 : 『比較文學研究』93号、2009年06月、144-149頁

ここに2冊の展覧会カタログがある。1冊はA4版より少し横長で、黒田清輝の《婦人像(厨房)》と《雲》が組み合わされた表紙、タイトルは『パリへ―洋画家たち百年の夢(Les peintres japonais occidentalisants et Paris : un rêve séculaire)』と付されている。もう1冊は一見、画集を思わせるようなハードカバーの大型本で、藤田嗣治の《五人の裸婦》を表表紙、黒田清輝の《読書》を小さめの裏表紙とし、タイトルは《de Kuroda à Foujita : Peintres Japonais à Paris(黒田から藤田へ―パリの日本人画家)》となっている。このように、外観が大きく異なり、全くの別物に思われるこの2冊のカタログであるが、実は同様の企画のもと、日本とパリで行われた展覧会のものである。幸いにも私は日仏双方の展示を観覧する機会を得たので、この二つの展覧会とカタログを同時に紹介してみたいと思う。

二つのカタログの冒頭に付されている総論は、まず「洋画」という語の定義(1) から始められている。「洋画」とは「明治時代以降の日本人が、西洋的素材と様式で描いた絵画」で、「「日本画」という語と表裏一体で成立し、自国の文化を国際社会に紹介するために、開国後に使われ始めた」 もの(2)であるとここで確認することは、本展の主題を読み取る上でも重要といえる。というのも、本展は単に、明治から平成にかけてパリに留学した、洋画家たちの代表作を振り返るというだけの意味を持つものではないからだ。パリ体験を通してこそより鮮明化した、「洋画」とは何か、特に日本固有の「洋画」とは何かという命題に対し、それぞれの立場で苦闘した洋画家たちの軌跡を辿ることこそ、本展の主題といえる。とはいえ、こうしたテーマはもはやそれほど目新しいものでもないだろう。
本展も大まかには、〈パリと日本人画家〉という主題を持つ展覧会の系譜 (3)に位置づけられる。しかし、過去に開かれた一連の展覧会と比較しても、渡仏日本人画家の作品を通時的に追うという本展の試みは、ある意味凡庸で、際立った特徴があるとはいえない。ただ、最初期から現代までのおよそ百年という長いスパンでの通史であるということと、日本での展示は、東京藝術大学創立一二〇周年記念展ということもあり、作家が東京美術学校・東京藝術大学の関係者に限定されていたことが特徴といえるかもしれない。章解説などでも美校・藝大と洋画壇との関係に焦点が当てられて、美校・藝大の歴史を振り返るものともなっていた。日本洋画の歴史と美校・藝大の歴史を無理なくリンクさせ、名品で辿るという構成は、藝大美術館ならではの企画と言えよう。また、日仏双方で展覧したことにも意味があったと考える。そこで以下、日仏での展示構成を振り返ってみたい。


はじめに、東京藝術大学大学美術館を訪れた。導入部分として十点ほどしか作品数のなかった「Ⅰ 黒田清輝のパリ留学時代―ラファエル・コランとの出会い」のうち、特に惹きつけられたのは、会場入口に展示された本展の顔ともいうべき作品、黒田の《婦人像(厨房)》(cat. 8)(4) である。全体にブルーグレーの澄んだ空気の中、黒田のグレー村でのモデル・マリアがこちら向きに腰掛けている。図版などで見慣れてはいたものの、その堂々とした大きさ、落ち着いた青と黒の色調、深みのある女性のまなざし、繊細な手の表現など、直接目にした作品の魅力に引き込まれた。そして、この作品が洋画を学び始めて5年ほどの、黒田初期の作品であることに改めて驚かされる。Ⅰ章ではもう一つ、山本芳翠の《浦島図》(cat. 5)が目に留まった。芳翠のパリ留学時に描かれ、ジュディット・ゴーチエの美麗な横顔として有名な《西洋婦人像》(cat. 4)とのギャップは衝撃的でさえある。ある種異様にも感じられる和洋混淆の《浦島図》は、日本的な画題を油彩画で如何に描くかという、帰国した後に多くの洋画家が直面した問題を如実に示しているといえるだろう。
「Ⅱ 美術学校西洋画科と白馬会の設立、一九〇〇年パリ万博参加とその影響」では、東京美術学校に西洋画科が開設された一八九六年から第一次大戦開戦までに渡仏した画家たちの作品が紹介されている。ここでは日本に帰国した後の黒田の作品も展示されており、日本風洋画の試みを見ることができる。この傾向が最も顕著なのは、今や日本絵画の代表とも語られ、誰もが一度は目にしたことがあるであろう《湖畔》(cat. 12)である。水彩画を思わせるような、薄塗りで平板な画面は、油彩画としては物足りない気もするが、画題である日本風俗と相まって、日本人にとって親しみやすい作品となっている。先述した《婦人像(厨房)》のような滞仏中の作品と比べてみると、その変化は明らかである。パリ滞在前後の変化が最もと言ってよいほど著しいのは浅井忠であろう。一九〇〇年のパリ万博で日本洋画の見劣りに衝撃を受けた浅井は、大きく方向転換を強いられ、帰国後は京都に活躍の場を移し、後身の指導に力を注ぐ一方、日本画や工芸デザインを試みた。紙本や絹本の日本画、図案や絵付けされた陶器などは洋画ばかりの会場の中で異彩を放っていた。この浅井の画塾(聖護院絵画研究所、後に関西美術院)から安井曾太郎と梅原龍三郎が輩出され、パリ留学の後、それぞれの方法で「日本的油絵」に到達したということもまた興味深い事実であろう。
「Ⅲ 両大戦間のパリ―藤田嗣治と佐伯祐三の周辺」では、第一次大戦前からパリに滞在し、戦中もパリに留まった藤田嗣治をはじめとして、第二次大戦直前までパリに滞在した岡本太郎までの両大戦間期にパリに滞在した洋画家たちの作品が展示されていた。紹介された大半の画家の自画像(東京美術学校の卒業制作)が展示されており、渡仏前とその後で画風にどのような変容があったのか比較できるようになっている。「日本の風景は絵にならない」と病をおして再渡仏し、パリの広告や壁など優れた作品を残しながら夭折した佐伯祐三。逆に「パリの絵はつまらない」と述べながらも確実に画風を変化させ、日本的裸婦の美を確立した小出楢重。浮世絵からヒントを得、独特の線描と乳白色の絵肌でパリ画壇の寵児にまで登り詰めた藤田嗣治。こうした画家たちの多彩な展示作品からは、時代と共にパリ体験の意味も多様化し、また個々の画家にとっての比重も異なっていたことが伺える。
次の「Ⅳ 戦後の留学生と現在パリで活躍する人びと」では、オブジェやインスタレーションなどの現代美術が展示されており、新たにそれまでとは全く別の展覧会にでも訪れたような気分になった。この展示室にも油彩画はもちろん展示されていたのだが、本展の副題にもある「洋画」とはかけ離れた感があり、Ⅲ章までとⅣ章の間には大きな断層があるように感じられた。こうした懸隔は、もはや「洋画」というジャンルさえ成立せず、またパリというトポスの特権性も低下しているのだということを示しているのかもしれない。ただ、展示の最後を締めくくるものとしては、Ⅲ章までの展示内容の記憶も薄れてしまうようで、少し残念な気もした。またカタログにおいて、Ⅲ章まではほぼ1ページに1作品を配し、その余白に作品解説が付いていたのに対し、Ⅳ章では作品解説がほとんどなかった。(Ⅳ章の作品三五点のうち、作品解説があるのは四点のみ)現代美術を言葉で解説するのは無意味なことなのかもしれないが、私のように不慣れな鑑賞者にとってはもう少し説明があるとありがたかった。とはいえ、日本版カタログには、総論や各章解説のほかに3つのエッセイが収められており、そのうち戦後フランスの文化行政に関する平川滋子氏のエッセイは、現代フランスにおける政府と芸術家との関係を詳細に伝えて興味深い。現代美術に疎い私には現代美術の置かれている背景を知ることは新鮮で、普段はあまり馴染みのない作品に近づく一歩となるように感じられた。


続いて二〇〇七年十月末、パリ日本文化会館にて《de Kuroda à Foujita》を観覧した。パリでの展示を見るまでは、日本とほぼ同一の展示内容だと勝手に思い込んでいたので、現地の人びとがどのような反応を示すのか、大変興味と期待を持って会場に向かった。ところが、それはある意味で裏切られたといえるだろう。展示内容は半ば異なっていたのである。
 日本での展示構成のうち、Ⅳ章を全くなくし、Ⅲ章までを4章(5) に(Ⅱ章の後半を一つの章として、新たに《Chapitre 3 Yasui Sôtarô et Umehara Ryûzaburô : En quête d’ une peinture occidentalisante purement japonaise(第3章 安井曾太郎と梅原龍三郎―日本的洋画を求めて)》を設け、その前後の章題・区分などには変化なし)構成し直して展示された。日本ではⅢ章までで二十人の画家が紹介されたが、パリでの展示ではそのうちの十一人に絞られ、坂本繁二郎、児島善三郎の二名が新たに付け加えられて、計十三名の画家が紹介されている。
日本とパリで共通する十一名の画家についても、その出展作品にはいくつかの相違があった。日本で出品された七四点中三三点は共通して出展されているが、四一点は削除されて別の作品十五点が新たに付け加えられている。観覧していた際は、展示構成や規模は変化していても、共通して展示されている画家の作品にはそれほど違いがないように見受けられたので、改めてカタログで確認してみて少し意外な感じを受けた。どのような作品が変更されているのか詳しくみてみると、黒田清輝と浅井忠、そして岡本太郎に作品の入れ替えが多いことに気づいた。もちろんこのような展示作品の変更には、作品を所蔵している美術館の都合などさまざまな事情が存在するのだろうと思われる。しかし、黒田の帰国後の日本風洋画がなくなった替わりに《La lecture(読書)》(cat. 7)などの滞仏時の作品が加わっていること、浅井の日本画や山本芳翠の《浦島図》などの日本的画題の作品が展示されなかったことなどから、フランスで受け入れられ易い作品が集められたような印象を受けたが、これはいささか穿った見方だろうか。
また、美校・藝大の関係者ではないためか、日本での展覧会では取り上げられなかった坂本繁二郎と児島善三郎の作品が展示されたことも興味深い。淡くけぶるような色彩で馬を多く描いた坂本、確かな形態把握に琳派などから学んだデフォルメを加えた児島、どちらも個性のはっきりとした画風で会場でも存在感を放っていた。この二名の追加は、パリでの展示では美校・藝大との関連付けは薄れて、日本人洋画家とパリとの関わりのみに焦点が移ったということの象徴なのだろうか。
 会場は、日本での展示と比べるとやや小規模ではあったが、作品数が少なくなっていたこともあり、ゆったりと配置されて鑑賞しやすく、すっきりとした分かりやすい展示であった。また、展示室は通り抜け式ではなく、最後の展示室まで行くとまた同じ順路を戻ってくるような作りになっていた。その最後の部屋の一番奥に、本展のハイライトとして展示されていたのが藤田嗣治の《Cinq nus(5人の裸婦)》(cat. 46)である。こうした配置には作品の大きさなども関係しているのだろうが、藤田の作品がパリでの展示の一番の目玉であることを如実に物語っていた。カタログの表紙も藤田の作品であるし、タイトルも「黒田から藤田へ」と変化し、本展での日本洋画の終着点が藤田であることを示している。フランスでの藤田の知名度を考えれば(藤田以外の日本人洋画家たちなどまず知られてもいないであろうし、実際に現地の人びとが大きな関心を払っていたのも藤田であることを会場で実感した)、展覧会の力点が日本での展示とは、全くと言ってよいほどずれてしまったことは致し方ないといえるのかもしれない。双方のカタログに互いの展覧会についての言及がないことを疑問に思っていたが、このように、主題や展示作品が半ば異なっていることがその理由かと思われる。ここで見られるのは、今後ますます増えていくことが予想される国際巡回展に起こりがちな問題点だといえるだろう。よく知られた藤田を中心とし、そこから他の画家たちへと観覧者の興味を広げていくという構成は、フランスの人々を動員するために、ある意味必要な変更であったのかもしれない。ただ、日仏で美術史的な条件が異なるとはいえ、日仏双方で展示するこのような機会にこそ、同一の主題・構成から彼我の隔たりを実感する試みがあってもよいのではないかと感じた。
カタログの図版としては、余白を全くなくし、ページ一面にプリントされたものや、2ページにまたがるものなど、全体的にフランス版の方が大版になっており、迫力や雰囲気が日本版カタログとはかなり異なる印象を受ける。しかし、同一の作品で比べて見ると、図版の質そのものは日本版の方が良いように感じる。比較しなければ分からない程度だが、フランス版では全体的に白っぽく、色が粗くなってしまっているのが残念な点である。日本版のカタログは、作家・作品解説や年表にはフランス語訳はないものの、作品名・総論・各章解説にはフランス語訳が付されている。一方、フランス版カタログは完全なるバイリンガルで、巻末にテキスト部分の日本語訳がまとめられている。作品図版と並列して解説が付けられていた日本版とは異なり、フランス版では作品解説は後方のページにまとめられ、作品図版に論文や章解説が入り混じって並置されるという形態をとっている。またフランス版では、日本版でのエッセイに代わり、次の4本の論文が収められている。荒屋鋪透氏《Grez-sur-Loing et le Japon : Kuroda Seiki et Asai Chû(グレー=シュル=ロワンと日本―黒田清輝と浅井忠)》、クリストフ・マルケ氏《La confrontation des artistes japonais avec l’ Occident : le cas d’ Asai Chû à l’ Exposition universelle de 1900(西洋と対峙した日本人美術家たち―一九〇〇年パリ万国博覧会における浅井忠の場合)》、林洋子氏《Sur les traces de Léonard Foujita Pour la realization des peintres murales de la Maison du Japon à Paris(藤田嗣治 パリ日本館の壁画への道のり)》、中島理壽氏《Les galeries de peintre du style occidental(yôga) au Japon Sur les traces de leurs origines(日本の洋画商―その草創期の歩み)》。小さな資料図版も折り込まれたこれらの論文はどれも充実した内容で、日本版カタログにも付されていればよかったと感じた。
全体として、日本とパリ、二つの展覧会の印象はかなり異なるものとなっていた。ただ、人もまばらなパリ会場の落ち着いた雰囲気は心地よく、いつまでもその場で作品を眺めていたい気持ちに駆られた。油彩画にはやはりヨーロッパの乾いた空気が合うのか、作品が日本で見るよりもクリアに、生き生きと透明感をもって見えた気がしたのは私の思い込みだろうか。多くの日本人画家たちが目指したパリの地で、ゆかりの作品を見ることができたという感慨がそのような気分をもたらしたのかもしれない。



(1) 「洋画」という語の成立過程、定義については、佐藤道信『「日本美術」誕生―近代日本の「ことば」と戦略』(講談社選書メチエ92、1996年)に詳しい。

(2) 新関公子「パリ留学と日本洋画のあゆみ」本展カタログ

(3) 〈パリと日本人画家〉という主題を持つ展覧会の推移については、今橋映子「日本人のパリをいかに語るか―近年の美術展覧会の動向から―」(『異邦人たちのパリ』展カタログ)に詳しい。

(4) 作品番号は、日本での展示に言及している場合は日本版カタログのもの、パリでの展示に言及している場合はフランス版カタログに依った。

(5) 区別のため、日本での展示はローマ数字、パリでの展示はアラビア数字で章番号を記す。


《展覧会データ》
「パリへ―洋画家たち百年の夢」展
東京藝術大学大学美術館(二〇〇七年四月十九日―六月十日)、新潟県立近代美術館(二〇〇七年六月二十三日―八月五日)、MOA美術館(二〇〇七年八月十七日―九月三十日)
カタログは新関公子、島津京、日本経済新聞社文化事業部編集、日本経済新聞社発行、二〇〇七年、総頁数二二九。
《de Kuroda à Foujita : Peintres Japonais à Paris(黒田から藤田へ―パリの日本人画家)》
パリ日本文化会館(二〇〇七年十月二十四日―二〇〇八年一月二十六日)
カタログはFragments International発行、二〇〇七年、総頁数一七一、ISBN : 978-2-917160-04-6


十二の旅:感性と経験のイギリス美術(94号掲載) 川島 健

川島健
執筆時 :広島大学大学院文学研究科准教授
雑誌情報 : 『比較文學研究』94号、2010年01月、172-175頁

イギリスの十二のアーチストの作品が「旅」というテーマのもとに集められた。栃木県立美術館、静岡県立美術館、富山県立美術館と世田谷美術館が所蔵する作品を持ち寄って企画されたこの展覧会は、二〇〇八年四月から二〇〇九年三月まで、それぞれの美術館を巡回し、世田谷美術館はその終着点であった。ジョン・コンスタブルやウィリアム・ターナーの伝統的な風景画からアンディ・コールズワージーやデヴィッド・ナッシュの自然を生かした造形作品まで、作品は制作年代順に展示されており、この展覧会に足を踏み入れたものは、様々なジャンルに刻まれた、様々な旅の軌跡と付き合うことになる。
本展覧会において、そのキーワードである「旅」はとてもゆるやかに定義されている。物理的な距離をゆく旅だけでなく、自らの幼年期の記憶を辿るような時間を逆行する旅もその定義に含まれている。展示の解説とカタログには各作家における「旅」の模様が述べられているが、千差万別な旅のあり方をまとめ、細分化するような提示はされていない。あえてこの場でその旅を作家ごとに細分化してみると以下の六つに分類されるだろう。

一) イギリス国内の旅(ジョン・コンスタブル)
二) ヨーロッパの旅(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーとベン・ニコルソン)
三) 幼年期への旅(アンソニー・グリーン)
四) 政治的理由によって強制された旅(モナ・ハトゥーム)
五) 偶然の旅(ボイル・ファミリー)
六) 日本への旅(チャールズ・ワーグマン、バーナード・リーチ、ヘンリー・ムーア、デヴィッド・ホックニー、デヴィッド・ナッシュ、アンディ・ゴールズワージー)

もちろんそれぞれの作家たちの多岐にわたる活動は、上記のような恣意的な分類に収められるものではない。例えばヘンリー・ムーアは日本に足を踏み入れたことはないのだが、その作品の日本での受容が「旅」と解釈され、本展覧会にその作品が展示されたのだ。
個々の作品は非常に興味深い。日本の山間部や沿岸部の自然に親しみながら、そこにある自然素材を最大限生かして作られるナッシュの奇妙な造形作品は、道具と工芸品、機能性と美的価値をそれぞれ連結しながらも、そのどちらにも属さない危うい魅力を持っている。また、自然の中にある規則性を浮かび上がらせることで成立するゴールズワージーの造形作品はアニミズムに接近しつつも、自然から強引に幾何学的美を引き出そうとする作為と暴力がそこには見え隠れする。単なる自然讃美に終わらない不気味さがそこにはある。
レバノン内戦が勃発したため、ロンドンとベイルートに引き裂かれた娘と母のやりとりを綴る、モナ・ハトゥームの映像作品では、母娘を引き離す暴力的な距離と、それと反比例するかのように密度を増す二人の親愛の情がコントラストを形成する。互いの近況を気遣う二人の会話は、否応なしに政治的問題を掠めていく。ボイル・ファミリーの作品も異色だ。ダーツを世界地図に投げ、任意に選定された場所に赴き、その地表を精密に再現する「ワールド・シリーズ」はボイル家の父母と二人の子供によるファミリー・ビジネスでもある。このような「旅」をハトゥームの「旅」と比較してみると興味深い。偶然に従う「旅」と政治によって強制される「旅」。また「家族」という共通項も二者を結びつける。一つの目的のために世界中を飛び回る家族の作り出す作品と、否応なく離れ離れに暮らす母と子の対話を記録する作品。このような二つの家族が出合い、二つの旅が交錯する場として本展覧会は創造されたのだろう。
各作家の「旅」との関わりは多種多様であり、全体を包括するにはやや強引な括りといえなくもない。この展覧会は「旅」というテーマのもとに作品が集められたというよりは、国内にある諸作品を一挙に展示するためにその主題がつけられたという印象を受けてしまう。このような戸惑いにおいて、この展覧会の立案から具体化までのプロセスに関心が向かうのは当然だろう。そもそもなぜ今「イギリス」なのか。なぜ「旅」なのか(1)。 そこで評者は、「十二の旅」展の企画と運営において中心的役割を担われた杉村浩哉氏(栃木県立美術館 特別研究員)にお会いし、詳細をうかがう機会を得た(二〇〇九年四月二十日 国立新美術館 地下一階カフェテリア・カレ)。以下、そのインタビューの内容をふくめて、日本におけるイギリス美術という文脈のなかに今回の展覧会を位置づけてみたい。

八十年代以降、日本におけるイギリスの現代美術は定期的、かつ組織的に紹介されてきた。一九八二年の「今日のイギリス美術」展(東京都美術館、栃木県立美術館、国立国際美術館、福岡市美術館、北海道立近代美術館)、一九九〇年の「イギリス美術は、いま」展(世田谷美術館、福岡市美術館、名古屋市美術館、栃木県立美術館、兵庫県立近代美術館、広島市現代美術館)、そして一九九七年の「リアル/ライフ イギリスの新しい美術」展(栃木県立美術館、福岡市美術館、広島市現代美術館、東京都現代美術館、芦屋市立美術博物館)というように、七、八年毎に組織的な巡回展が企画され、大きな反響を呼んできた。一方、イギリス現代美術は一九九〇年代に大きな変革期を迎える。ダミアン・ハーストに代表されるようなYBA(Young British Artists)が規制の枠組みを全く無視した作品を作り始め、その影響は美術界にとどまるものではなくなる。しかし日本においては、「リアル・ライフ」展を最後に、組織的なイギリス現代美術の紹介は途絶えてしまった。もちろんギャラリー単位での作品、作家紹介はされてきたが、断片的なものといわざるをえない。
「十二の旅」はこのような文化的な要請を満たすためになされてきた。しかしその実現にはふたつの問題があった。起案から実現まで約二年しかないという時間的な問題。そして限られた予算という経済的な問題。そこで「十二の旅」は「財団法人地域創造」に助成金の申請をする。この応募は採択されるのだが、展示する作品の七割から八割を所蔵作品が占めなければならないという制約を受けることになる。所蔵作だけで、イギリス美術の一断面を体系的に見せることは不可能である。そこで杉村氏は発想の転換をしたという。日本に現存するイギリス美術作品という制約をそのまま提示することである。そのような「歪んだ」美術史の提示は自虐的で自嘲的なものに見えるかもしれないが、両国の影響・受容関係の一端を垣間見せる契機にもなりうる。

杉村氏の話を参考にし、意図されたその「歪み」を通してこの展覧会を振り返ったとき、イギリスのモダニズムの彫刻家がほとんど紹介されない日本における、ヘンリー・ムーアへの例外的な偏愛や、ワーグマンやホックニーなどの「オリエンタリスト」の視線、あるいは自然を媒介にした文化交流などが透けて見える。ロンドンの大英美術館の所蔵作品の多くは植民地主義の産物だといわれているが、「十二の旅」はそのような簒奪の歴史に支えられているわけではない。むしろターナーやコンスタブルを購入し、ナッシュやゴールドワージーを長期招聘できる経済力に驚くべきであろう。作品そのものを見るとともに、日本のイギリスへ視線の歪んだあり方を見ることが「十二の旅」の正しい鑑賞方法となろう。
このような展覧会だからこそ、そのカタログの重要性は増す。それは教条的に一国の美術史を語る必要はないし、一人の美術家のキャリアをなぞる必要はない。日本がイギリス美術を眺めるときに生じる歪んだパースペクティブに根拠を与えるのがその役割となろう。「十二の旅」のカタログには、十二人の作家の展示作品と紹介、関連地図とともに、二編の論文が収められている。カタログの巻頭を飾る杉村氏の論文「十二の旅のもたらすもの」は、まずトニー・クラッグの九〇度回転させたブリテン島をかたどった彫刻「北から見たイギリス」に言及し、また作品を時系列的展示と狭義のテーマ系から解放したテート・モダンの試みに共鳴することで、「十二の旅」の理論的正当性を裏付ける点で抜かりはない。「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」と正式には呼ばれるべき国の形の歪みを、物理的また観念的に表象してきた芸術に追随するものとして「十二の旅」は位置づけられる。
もう一方の論文、杉野秀樹氏の「イギリス美術の一側面――メゾチントの流行と衰退」は「メゾチント」と呼ばれる版画技法が、ターナーとコンスタブルの作風に与えた影響を述べている。特殊な技法とその実作への影響を詳述する論文は、興味深い知識を授けてはくれるが、「旅」に関連づけて作品を解説する努力がなされていない。
また各作家の略歴と紹介の頁も、必ずしも旅に光をあてたものではない。例えばその作家生活において旅の占める割合が多かったことが予想されるターナーの作家紹介においても、日本での受容にそのほとんどが割かれており、ターナー自身の「旅」の性質と風景画の特質に触れていないのは残念である。幼年期の家族との記憶をさかのぼるアンソニー・グリーンの「旅」は、イギリスと日本をめぐる旅の言説の中では所在なさげである。巻末の作家資料は作家ごとにまとめられており、特に主要外国語文献は、専門家ではない美術鑑賞者にとっては十分であろう。それだけに十二組のアーチストの「旅」の軌跡を克明に記すこともなく、全体を包括するような旅の定義も提出されず、それぞれの旅をつなげる工夫もなされていないことが実に惜しい。
テート・モダンの革新性は既存の物語を拒否することであった。しかしそれは物語の不在ではなく、新たな物語へと開いていくことに他ならない。そして新たな物語のゲートとしてカタログがあることが理想的なのだ。「十二の旅」展が「歪み」を意図的に提示しているのは、現況において最上の戦略であろう。しかしその「歪み」の特殊性をより深く突き詰める試みがなされていないことが何よりも残念である。作品の解釈は別にしても、展覧会全体の意図が生のまま鑑賞者の手に委ねられている。
人員的問題とともに財政的問題などがかさみ、国内の美術館を巡る状況はますます厳しくなるといわれている。このような文化的苦境において、財団法人からの資金調達、国内美術館の緊密な連携など、「十二の旅」は美術館のあるべき方向を示した展覧会として評価できる。何よりも稀な「イギリス」の美術展の開催に関しては純粋に感謝を捧げたい。「イングランド」、「ブリテン」、「UK」など様々な名称とその混乱する指示対象の問題への配慮が見られなかったことなど望むべきことは多くあるが、それはないものねだりだろう。しかしその「イギリス」なるものの地理的境界、それを構成する人種の複雑さ、それが形成される歴史的経緯など問題などと絡めて作品を見せることは可能だったのではないか(2)。  「旅」というテーマであればこそ、様々な文脈を整理し、作品を配置する必要であろうが、それが足りないために、個性的な作品が相互に有機的な化学反応を起こすことなく、ただ自らのフレームにとどまったままである。作品が「旅」をしていない。
トニー・クラッグの「北から見たイギリス」には、左端(つまり北アイルランドの方向)からブリテン島を眺める直立した人の姿が見える。それはブリテン島の「転倒」と対照をなしながらも、その地図の、また「イギリス」という国の一つの見方を提示している(あくまでも「北」から見ることが重要なのだ)。「十二の旅」が私たちに残してくれたのは数編の切れ切れの地図であるが、それが「旅」へといざなう力はやや弱い。それは断片性を補う工夫がされていないからに他ならない。補助線としてのカタログの重要性を認識させる展覧会であった。
最後に、一九九七年以降、組織的な展覧会が行われなかったイギリス美術を紹介するためのパースペクティブを、素人の立場からいくつか提案したい。ダミアン・ハースト、トレイシー・エイミンらの「美術家のセレブ化」に貢献をしたYBAたちの作品を、その言動とともに紹介することは、芸術家のステータスの変遷を回顧することに貢献するであろう。また「クール・ブリタニア」と総称される、ブレア政権下の労働党の文化政策とそれに利用された様々なアーチストの関係を紹介するならば、政治とメディアの関係を考えるための大きなきっかけになるに違いない。作品そのものというよりは、作家をめぐる環境が問題になることが多い現代イギリス美術を知るための視点として、この二つの提案をして本稿を締めくくりたい(3)。

(1) 近年、イギリス・モダニズムを「移動」、「越境」などの視座から語る分析し、その境界の曖昧さを問いかける研究が盛んになりつつある。代表的なものとして以下のものを参照文献として挙げておく。Jed Esty, Shrinking Island: Modernism and National Culture in England, Princeton: Princeton University Press, 2003; Laura Doyle and Laura A. Winkiel (eds.), Geomodernisms: Race, Modernism, Modernity, Bloomington: Indiana University Press, 2005.

(2) この問題に関しては、イギリスにおけるカルチュラル・スタディーズの取り組みを無視することはできない。代表的なものとしてはPaul Gilroy, There Ain't No Black in the Union Jack: The Cultural Politics of Race and Nation, London: Routledge, 1992 をあげておきたい。

(3) このカタログ評の執筆にあたって、栃木県立美術館の杉村浩哉氏のお話が大変参考になった。お忙しいなかインタビューを快諾してくださった杉村氏にこの場を借りて改めて御礼申し上げたい。


[展覧会およびカタログ・データ]
「十二の旅:感性と経験のイギリス美術」展
栃木県立美術館(二〇〇八年四月二十七日~六月二十二日)、静岡県立美術館(二〇〇八年九月十二日~十月二十六日)、富山県立近代美術館(二〇〇八年十一月二日~十二月二十三日)、世田谷美術館(二〇〇九年一月十日~三月一日)。カタログ『十二の旅:感性と経験のイギリス美術』は、杉村浩哉、南美幸、新田建史、麻生惠子、杉野秀樹、遠藤望編集、十二の旅:感性と経験のイギリス美術展実行委員会発行、二〇〇八年、総頁数一八九。

「沖縄・プリズム1872-2008」展(94号掲載) 西田 桐子

西田桐子
執筆時 :東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報 : 『比較文學研究』94号、2010年01月、176-180頁

沖縄へと旅行する人に、「なぜ沖縄などに行かれるのですか?」、と問う者はいないだろう。それほどに沖縄の魅力は喧伝され、多くの人々を惹きつけている。日々、本土から沢山の人が、あくせくとした日常から解き放たれようと沖縄を目指す。そして沖縄へと向かう欲望は一度その地を訪れれば満たされるというものではない。ひとたび行けば、二度三度とますます行きたくなる。正直にいえば、筆者もそのような人間の一人である。わたしたちにとって、沖縄体験は沖縄の魅力を損なうものではなく、さらなる沖縄への渇望をかきたてる。
では、その魅力とは何だろうか。その魅力をエキゾティシズムを求める本土からの眼差しによってつくりあげられた虚像であると断ずることは易しい。そして、そのような側面を完全に否定できるとも思わない。だがこの展覧会の大きな意義は、そのようなニヒリスティックなものではなくむしろこの意欲的な展覧会が、そのようなステレオタイプに満ちた沖縄像が存在することを前提とした地点から出発していることである。「沖縄・プリズム1872-2008」展は、各人のつくりあげた沖縄像への自己批判を促すことはもちろんであるが、その先の根源的ではあるものの、ポストコロニアルの議論などを齧った学生にとっては盲点となりがちな問題を投げかけてくるのである。それは、「ではそのような沖縄像を批判した先に何が存在するのか」、という問題である。これはまさに、旅人として沖縄を愛する著者にも実存的な問題として突きつけられている。
カタログの序論に「沖縄・プリズム―隔たりを生きる倫理」と題された本展覧会の企画者でもある鈴木勝雄による論考がある。この素晴らしく刺激的で展覧会の意図が明確に記された論考は、「外来者の可能性」という節で締め括られる。そこにおいては、旅人を含む外来者の「異なるものへの飽くなき希求を支える源泉としてのエキゾティシズム」、「自分の情熱のうちに潜む正のエキゾティシズム」の可能性が示唆される。これは、東京国立近代美術館で開かれた「沖縄・プリズム1872-2008」展が、先に沖縄県立博物館・美術館で開かれた「沖縄文化の軌跡1872-2007」展と連動しているが、内地の人間によって企画されたものであることを考えるとある意味当然の帰結といえよう。
この連動していると同時に、コントラストをなす二つの展覧会の違いは、カタログそれ自体にも如実に表れていた。「沖縄・プリズム」展のカタログは、プラスティックのようでプリズムのように光を反射する黒いカバーで覆われている。その表表紙の下三分の一ほどから、凝った字体の「沖縄・プリズム1872-2008 OKINWA PRISMED」が白く浮きあがっている。B5サイズ200ページ弱、と持ち運ぶにも便利なサイズということもあるのだろうか、心弾むような軽やかさがこのカタログにはある。誤解を恐れずにいえば、非常に都会的な装丁であった。それに比べ、沖縄の方のカタログは大きくずっしりと重い。真白い表表紙には赤字で「沖縄文化の軌跡 1872-2007」と刻まれていて、東京版に比べると洒落っ気や洗練からは遠いがむしろ武骨とさえいえる清新な気合が漲っている。その表紙をひっくり返すと、裏表紙にはAサインや写真や絵画を含む沖縄文化のさまざまな側面を象徴する図像がモザイク状にちりばめられ、わたしたちを圧倒する。そして、中を開くと、沖縄県教育長の仲村守和氏の「あいさつ」(英語タイトルは”Foreword”)という文章がこの重量感の理由を説明してくれる。その「あいさつ」で仲村氏は、「本展は、1872年から現在までの沖縄文化総体を展示するもの」であり、「沖縄文化を紹介する展覧会」である、と述べる。大きさだけではなく頁数も東京のカタログの優に二倍を超えるこの重厚なカタログには、資料として、非常に詳細な沖縄近現代文化史年表や沖縄近現代文化用語集までもが付されている。また、全部で十七あるコラムには唄者から建築家まで多様な人々が文章を寄せ、その内容も染織からアイドルまでと幅広い。残念ながら筆者はこの展覧会を見ていないのだが、このカタログからだけでも十分に、「沖縄文化総体」を展覧会という形で紹介しようとした意気込みが伝わってくる。それに対して、「沖縄・プリズム」展は、その展覧会名とカタログの特徴のとおりに、生活者の視点だけではなく、外来者からの視点、その「正のエキゾティシズム」のみではなく負のエキゾティシズムも含む視点をもひっくるめて、プリズムのように乱反射する沖縄をみせてくれた。

「沖縄・プリズム」展を訪れたのは二〇〇八年十二月十六日であり、この日には展覧会関連イベントとして戯曲「人類館」が演劇集団「創造」によって上演され、著者はそちらにも足を運んだ。この舞台に込められた企画者の熱意とそこに込められた問題意識のアクチュアリティーは、この展覧会のそれらと重なり、双方への印象をより深いものにしたということを付け加えておく。
展覧会には、ルーマニア出身の留学生で一度も沖縄を訪れたことがない友人と訪れた。琉球国が琉球藩として日本に編入された一八七二年から現在までの沖縄に関する二百点を超える作品や資料を見ていると自らの沖縄体験が鮮やかに蘇り、訪れたことのある場所の写真を見てはその地にまつわる伝説を披露したり、友人の知らない沖縄の事物について説明を試みたりしながらゆったりと鑑賞した。そして、そのような鑑賞体験は、二人の異なるバックグラウンドを持つ鑑賞者が受け取ったものの違いについて考えさせ、著者に「体験するということ」への考察を促した。「体験するということ」はどのようなことであろうか。また自らの体験とそこから立ち上がってくる記憶やイメージは、その土地のステレオタイプとどのような関係にある(べきな)のだろうか。また、自らの体験と一口にいっても、耳から聞いた体験や、読んだ体験といった言語を媒介とする体験、見たものという視覚による体験、その他にもその土地で食べたものや嗅いだ空気などの視覚以外の五感による体験など、一元的には語れないものであるということを再度確認させられた。
そのように「体験するということ」への考察に鑑賞者を誘うような意図は、作品の選出や展示方法の上でも見られた。菊池契月の琉球美人の絵画を見ていたのに少し進むと太平洋戦争のプロパガンダ映画が上映されていたり、写真の隣には焼き物が鎮座していたりというように、作品の表現形態は多岐に渡り、三つの時代によって区分されたセクションに入り混じって展示されていた。鑑賞者は、次は何に出くわすのだろうと好奇心に溢れている旅人のように作品を鑑賞することができた。また、視覚芸術を中心とした展覧会であり、その見るという体験を重視するためだろうか、個々の作品に添えられた解説は必要最小限のものであったと記憶する。そのような解説の否定的な側面として、作品の中には「琉球弧を記録する会」による「島クトゥバ」を記録した映像のように個人的な記憶を刺激することによって大きな印象を残したものもあるが、美術に疎い筆者にとっては見方がわからず、カタログを参照しなければ漫然と眺めただけで終わってしまったであろうものも多かったことが挙げられよう。
先に述べたような、「沖縄体験」ならぬ「体験としての沖縄展」という意味で、照屋勇賢の「儲キティクーヨー、手紙アトカラ、銭カラドサチドー」というビデオ・インスタレーションは象徴的だった。引越ししたばかりなのか乱雑にダンボールが積みあがり、ハンバーガーを食べながらテレビでも見ていたのか、ゴミが散らかっている誰かの部屋なのか、そうでなければ地元の若者が何をするでもなくたまっている廃墟か倉庫のような空間に、数個のモニターがひっそりと点在する。そのモニターには、コンクリートで固められた小川とも呼べないような浅い水辺(実は、川底と見えるのはブルックリンの路上で、水は消火栓からの放水)に、折り紙で折られたような可愛らしい小船が流れてゆく映像が映し出されている。よく見ると、色とりどりの船には幾つものまたカラフルな国の旗がぶらさがっている。
 鑑賞者はそのような作品空間を通り抜けることによってその作品を体験し、自らの体を動かしモニターを覗き込むことによってその作品を鑑賞しなければならない。つまり、その作品をより深く味わおうとするならば、そこでは、能動的な身体の移動に加えて、空間全体を見るかモニターを注視するかという焦点の問題や、その小船の映像に何を読み込むかという解釈の問題に直面せざるをえない。逆にいうと、ただ眺めて「ふーん、船の映像か。」と通り過ぎることも可能である。もちろん、大なり小なりこれは他の全ての作品を鑑賞する場合にもあてはまるだろう。とはいえ、この作品は二次元と三次元の組み合わせで比較的広い空間を占めた作品であったことに加え、絵画や写真のようにある程度鑑賞し慣れたものではないことによって、展覧会を鑑賞するという体験と旅行者がその土地を旅行するという体験とが似通っているということを思い知らせてくれた。
解釈の面に踏み込めば、一見この作品と沖縄との関連がわからないことも意義深い。沖縄に関する展覧会であるから、私達はどうにかして沖縄との関連を読み込もうとする。このプロセスは、旅行者が、沖縄で体験した個々のエピソードをそれまでの自らの沖縄体験に照らして沖縄の文脈に位置づけようとする作業をし、その作業を通じてその人固有の沖縄像ができていく過程とよく似ている。この作品に関しては、その前に波多野哲朗の「サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa」(ミュージアム編)という沖縄と移民をテーマにしたドキュメンタリーフィルムが展示されていたことによって、この体験の連鎖とも呼べるような沖縄像をつくりあげる思考の過程がより顕著に実感させられた。そのフィルムを見た後にはこの作品と沖縄の関連は自明の理のように浮かび上がる。流れに揺られ進んでゆく国旗を背負った小船は、戦前戦後と琉球と日本とアメリカと国の間を揺れ動いた沖縄の人々、また歴史的に多くの人々を海外に送り出してきた沖縄の人々を連想させるのである。
そのような解釈からは新たな視点が立ちあらわれてくる。ここにきて本土と沖縄という二者間の関係を問題とする二元論的な視点をはるかに超えて、世界の中の日本そして沖縄という、よりグローバルな視点が開けてくるのである。世界各国の国旗を掲げた船が流れに翻弄されたり互いに衝突したりしながらも、水の流れにのって進んでゆく。その姿は、どうしても船を人間に、流れを時の流れとする想像を掻き立てる。船はどこに流れてゆくのだろうか。沖縄について見に来たはずなのに、沖縄を見るためには世界を見なければならないという事態に気づかされる。と同時に、その見るべき世界は今や非常に複雑な様相を呈していることに目が眩むが、小船の流れるさまが軽やかでどことなく楽しげであることに救われる。しかし、グローバルな視点とグローバル化が同じではないこと、そしてそれらは必ずしも肯定できるものではない。そのようなことをも、ディスプレイのおかれている雑然と無個性な、個々の土地の持つ匂いのようなものを感じさせない空間は示していたのではないだろうか。
カタログに関して言えば、この作品の映像部分以外のインスタレーションがカタログに全く再現されていなかったことはどのように受け取るべきだろうか。カタログがおみやげものという性格を帯びている以上は展覧会が開催される前に刷り上っていなければならない。だからこの種のインスタレーションはカタログに反映されづらいという事情は納得できるが、この作品のインパクトを考えると残念であったという印象は否めない。映像作品やインスタレーションが(特に「沖縄の喚起力」と題された第三章には)かなりの数あったのだが、音や空間などの効果が大きいものや、その他にも作品の特性によっては実際の鑑賞体験と食い違う。しかし、再度考えてみると、それは身体経験の一回性やその体験の再現性といった問題を提起する。二次元に繰り広げられる図像と文字情報によるカタログと展覧会を訪れ作品を鑑賞するという体験とはどうしたって異なる。
体験するとはどういうことか。沖縄の人間として、本土の人間として、日本人として、芸術家として、生活者として、旅人として、そのような様々な位相をもつ一人の人間、その個人における記憶という次元においても、個々の人間を超えて集合的に形成され伝えられていくイメージやステレオタイプという次元においても、はたまたそのような体験を本の形における視覚情報へともう一度変換するカタログによる記録という次元においても、体験を保存するということはどのようなことなのか。そして、それらの保存された体験やあるいは現在進行形の体験をもとに、わたしたちはどのような沖縄像をつくらなければ(または、つくり続けなければ)ならないのだろうか。


[沖縄・プリズム 1872-2008 展]
東京国立近代美術館(2008年10月31日-12月21日).カタログは,東京国立近代美術館編集・発行,2008年,B5版,総頁数175頁.

[沖縄文化の軌跡 1872-2007 展]
沖縄県立博物館・美術館(2007年11月1日-2008年2月24日).カタログは,沖縄県立博物館・美術館発行,2007年,A4版,総頁数407頁.

2010年10月22日

[美博]新着カタログコーナー10月配架本

ザ・コレクション・ヴィンタートゥール 世田谷美術館
タブロオ・マシン(図画機械) 中村宏の絵画と模型 練馬区立美術館
バーネット・ニューマン展 川村記念美術館
橋本平八と北園克衛 三重県立美術館
アール・ヌーヴォー展 松屋
こどもの庭 東京都現代美術館
借りぐらしのアリエッティ×種田陽平 東京都現代美術館
ウィリアム・モリス展 うらわ美術館
ドガ展 横浜美術館
ポーラ美術館展 横浜美術館
白井晟一 群馬県立近代美術館
田村一村 千葉市美術館
バウハウス・テイスト バウハウス・キッチン パナソニック電工 汐留ミュージアム
誇り高き鍋島 サントリー美術館
稲垣仲静・稔次郎 兄弟展 練馬区立美術館

2010年10月27日

2009年度活動報告書 (2009年10月~2010年9月)

・メンバー:
定村来人(委員長)、安永麻里恵(副委員長)、任ダハム(副委員長)、伊藤由紀、堀江秀史、川野惠子、須田彩香、三上真理子、小坂井玲
相談役:永井久美子、信岡朝子、手島崇裕、佐々木悠介、安藤智子
今橋先生研究室アシスタント:坂田亜希子


・会議月日・活動報告:
2009年
●7月17日 引継ぎ会
 新委員の役割分担。MLメンバーリストの更新。
 今季委員会の活動目標:
1) 全国企画展一覧表(エクセル表)の精緻化および利便度の向上。
2) HP上の「展覧会寸評」ブログの活用。
3) 駒場美術博物館カタログ資料室との連携の強化。資料室利用方法の見直し。

●7月18日~21日 全国企画展調査用エクセル表フォーマット改善についてメールでのやりとり(第1回)。
●7月29日~31日 調査リストから抜けていた美術館、博物館の追加作業(第1回)。

●11月17日~25日 全国企画展調査用エクセル表フォーマット改善についてメールでのやりとり(第2回)および担当委員と委員長の小ミーティング(20日)。

●11月26日 第1回委員会ミーティング
ミーティング内容
・全国企画展調査用エクセル表フォーマット改善について担当委員からの説明。
→フォーマットは例年通りのものを使用。巡回展の抜き出しを作業内容に加える。

・『比較文學研究』96号に推薦する展覧会・評者候補の検討。
→東京都写真美術館「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」展(2009.11.28~2010.2.7)の下見依頼を決定。

→その他、神奈川県立近代美術館葉山館「白樺派が愛した美術」展、青森県立美術館「太宰治と美術」展、東京都現代美術館「ファッションの欲望 ラグジュアリー」展、大英博物館「DOGU」展と東京国立博物館「国宝 土偶」展などが候補に挙がった。

・駒場美術博物館カタログ資料室の利用環境に関して委員の意見を聞く。
→新着カタログの扱いについての提案。
→リクエストのシステム化についての提案。
→委員の代表と美術博物館のスタッフの方との間でミーティングの機会を設けること。

・HPの「展覧会寸評」ブログの活用方法について意見交換。
→美術博物館カタログ資料室の新着カタログの書誌情報をアップすることを検討。
→内覧会に行った人は「内覧会報告」をブログで行うようにする。

●12月7日 今橋先生、委員長(定村)、副委員長(安永)の三者ミーティング
・第一回委員会ミーティングで話し合われた内容について確認。

・11日に予定されている美術博物館スタッフ(坪井さん)とのミーティングに向けて、話し合うべき内容の確認。

・『比較文學研究』96号に推薦する展覧会・評者候補に関して:
→「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」展は取り上げないことに決定。
→宇都宮美術館「杉浦非水」展を新たに有力候補として挙げる。
→その他の候補:浦和美術館「オブジェの方へ―変貌する「本」の世界」展、府中市立美術館「ターナーから印象派へ」展、三井記念美術館の「ZESHIN 柴田是真」展など。

●12月11日 第1回美術博物館×院生委員会ミーティング
・院生委員会メンバーの資料室利用について:
→現委員および過去に委員を経験した現役院生は、平日(月~金)10:00~18:00は事務室で鍵を借りて資料室に入り(開架式として)利用することができることとする。
→そのため院生委員会は現役院生の委員メンバーのリストを作成して美術博物館に提出する。
→美術博物館は特別利用フォームをより使いやすいものに改定する。
→新委員になる人々は引継ぎのときに特別利用フォームを受け取り、その場で今橋先生の印をもらえるようにする。

・新着カタログの扱いについて:
→美術博物館は、新着カタログを優先してOPAC登録できるように図書館と交渉する。
→美術博物館の事務室内に新着カタログのコーナーを設ける。
→新着カタログ情報を院生委員会HPのブログにアップする。

・カタログ購入のリクエストのシステム化について:
→美術博物館は、図書館のWebリクエストサービスを使ってリクエストができるように図書館と交渉する。
→院生委員会は、全国企画展年間リスト制作後に委員会の総意としてのカタログ購入リクエスト(あくまでも希望として)をまとめ、美術博物館に提出するステップを設ける。

2010年
●1月21日 『比較文學研究』96号掲載展覧会・カタログ評は、三井記念美術館「ZESHIN 柴田是真」展、執筆者は定村来人に決定。

●1月29日 新着カタログ情報のブログ掲載開始。

●3月9日 駒場美術博物館に新着カタログコーナーを設置。また、4月から図書館のWebリクエストサービスを使ってリクエストができることが決定。司書の木村さんのご尽力によりカタログ資料のOPAC登録がほぼ終了。

●3月10日~29日 オリエンテーション用資料作成作業(メール連絡)。

●4月2日~11日 調査リストから抜けていた美術館、博物館の追加作業(第2回)。
4月5日、6日 新入生オリエンテーション

・5日は委員長が新入生に委員会の説明をする。懇親会では新入生の勧誘を行う。

・6日は駒場美術博物館の協力を得て、新入生および現委員を対象に美術博物館およびカタログ資料室の見学を行う。

●4月13日 全国企画展調査を各委員に依頼。作業開始。

●4月23日 現役院生の現・拡大委員メンバーのリストを作成して美術博物館に提出。
5月5日 2010年度全国企画展一覧、完成版をMLで配布。

●5月7日 専門分野調査への協力を比較のML上で依頼。

●6月1日 来季への引継ぎの日程を決定。(休み明けの10月に引継ぎを行うことを決定。)

●6月6日 専門分野調査結果、完成版をMLで配布。

●7月13日 来季委員へメールで引継ぎの連絡。

●9月2日 来季委員のMLへの登録。

●9月28日 美術博物館スタッフと次期委員長の顔合わせ、委員長の仕事(美博関連)の引継ぎ。

●9月30日 委員長、次期委員長、次期副委員長の引継ぎミーティング。

●10月4日 引継ぎ会
1)引継会(15:30~17:00)
2)美術博物館「カタログ感謝祭」(17:00~18:00)
資料室で副本が2冊目以上あるカタログおよそ300冊を、院生委員を務めてきた学生に譲ってくださるというイベント。
3)懇親会(19:30~21:30)

今季委員会の成果:
1)全国企画展一覧表のいっそうの充実を図ったこと。(調査対象ミュージアムの大幅追加、巡回展把握をよりシステマティックに行う工夫。)
2)HP上のブログを情報交換の場として利用する新たな試みを行ったこと。(内覧会報告、新着カタログ情報のアップ。)
3)駒場美術博物館スタッフとの話し合いの場を持ち、資料室の利用方法の見直し、新着カタログの扱い(新着カタログコーナーの設置)、カタログ購入リクエストのシステム化(Webリクエストサービスの利用)につなげたこと。

今季委員会の反省点:
・全国企画展年間リスト制作後に院生委員会の総意としての購入リクエストをまとめ、美術博物館に提出するステップを設ける案が出ていながら、今年度はそれを実行しなかったこと。

・院生専門分野調査アンケートフォームの見直しを行わなかったこと。

・ブログが本来の「展覧会寸評」の場としては、まだまだ十分に利用されていないこと。

・展覧会の見学会を行わなかったこと。

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