« 2007年12月 | メイン | 2008年5月 »

2008年2月 アーカイブ

2008年2月19日

『イメージの迷宮に棲む 柄澤斎展』――「一冊の本」としての展覧会、そして「一冊の本」の記憶としての展覧会カタログ(90号掲載)安藤智子

安藤智子
執筆時 :東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報 : 『比較文學研究』90号、2007年10月、146~152ページ

木口木版画の第一人者である柄澤斎氏の1971年から現在に至るまでの回顧展が、2006年7月から栃木県立美術館で、続いて10月から鎌倉の神奈川近代美術館で開かれた。栃木では「宙空の輪舞(ロンド)」と、鎌倉では「イメージの迷宮に棲む」とそれぞれの展覧会にタイトルが付けられていた。

柄澤氏は、これまでの創作活動の集大成である、この展覧会開催にあたって、雑誌のインタビューのなかで次ぎのように語っている。
「とにかく一冊の本でありたい。最終的に柄澤斎は本を作っていたんだと。つまり、いろんな形のものを、読めるような本、ストーリーを辿れるような本として、作っていたと最終的に見られればいいわけで、だから、今度の展覧会というのも回顧展という、そういう意味がすごくあるわけです。一冊の本としての美術展というか個展というかな」(1)
 つまり柄澤氏は、私たちの視覚に訴える「美術」の展覧会を、人が手にしてページをめくりながら、ストーリーを読み解き、それを味わっていく「書物」や「本」に重ね合わせるのだ。このような作家のコンセプトは、キュレーターを介し、展覧会に、そして展覧会カタログにどのように現れ得るのであろうか。
 そこで私は、展覧会が「一冊の本」であるという意味を重層的に捉えることを試みながら、「一冊の本」の記憶としての展覧会カタログを語りたいと思う。

柄澤斎氏は、何よりもまず「木口木版画」の作家である。「木口木版画」とは、通常の浮世絵などに代表される板目木版画とは異なり、目が詰まっていて硬質な黄楊や椿の木を横に輪切りにして版木とし、鋭利な小型の彫刻刀、ビュランによって細密な線を彫り込む版画の技法である。18世紀のイギリスにおいて実用化され、19世紀にはヨーロッパにおいて活字と共に印刷することが可能なために、書物の挿絵として愛好されるが、その後写真製版にその役割をとって代わられる。例えば展示されていた肖像画の一枚を見ると、ガラスが砕け散り、その無数の破片が舞う、一瞬の煌きを放つ時空に、何かを無表情で見つめるボードレールがいる。広い額、ガラス玉のような瞳、真一文字に結ばれた薄い唇が特徴的である。背景や陰影、そして髪の毛、顔面の皮膚、着衣、ガラスの破片の断面には、ルーペを必要とするほどの無数の極細の線刻が覆いつくしている。硬い黄楊の版木を細く彫り進めた線刻から、静的な画面に、作家の身体運動のリズムと息遣いが伝わってくる。その小さな紙面には、いつも目にするボードレールの面相というよりも、その奥に潜む破滅的で鋭利な感性が凝縮されている。
展示されている作品は、木口木版画、リーヴル・オブジェと呼ばれるコラージュによるオブジェ、水彩・素描画、墨の作品、そして本の装丁、装画、挿絵という多岐に渡るが、柄澤氏の仕事の基調にあるのは木口木版画である。私に限らず、柄澤氏の版画と遭遇した人は誰しも、その鮮烈でかつ豊潤なイメージと作家のヴィジョンの大きさに圧倒されたのではないだろうか。わずか10~20センチ四方の木版画が創造する漆黒の世界は、広大無限の宇宙、生命の神秘、叡智の蓄積、死との親密さと死への畏怖というような、あらゆるものを内包し、開示している。

柄澤氏は、1870年の日和崎尊夫氏の個展で木口木版画と出会い、これを自身の表現手段であると決め、日和崎氏を師として制作を始めている。師は陰刻(彫られた線が白く浮き上がる)を用いたが、柄澤氏はそれを踏襲せず、木版画の従来の方法である陽刻(彫り残された凸状の線が黒く刷られる)を選択している。
キリスト教の宗教観を映した『贖罪領』、暗闇で「メメント・モリ(死を想え)」と女性が密やかにささやく版画から始まり、一篇の抒情詩を織り成す『死と変容』のシリーズ、先のボードレールやランボー、ゴヤやブレダンなど西洋の詩人、画家、音楽家、そして中国や日本の歴史上の人物を表した肖像画のシリーズなどの柄澤氏の木版画は、文学から題材を借用している、また文学の色彩を帯びているという意味ではなく、「文学」と根源的に結ばれていることによって「文学的」である。次のような柄澤氏の言説をからも、制作過程における文学との密接な関係がうかがえる。
「言葉が絵に導かれ、絵が言葉に触発されるスリリングな制作過程は、私達に知への新たな開示をもたらしてくれて倦むことはない。精錬された紙質と印刷技術、念入りに仕上げられた造本の上で個々の仕事が一体となる時、詩は眼で見る版画であり、版画は眼で読む詩でもある。」(2)
このような版画における「言葉と視覚の関係」についての明確な指針は、「他の美術作品とは違い、完成された画面以前に翻訳されるべき世界のヴィジョンがある」(3)と断言しているように、版画の「翻訳」機能 という柄澤氏の考え方にも通底している。そもそも木口木版画の出自は、事件や出来事を伝える新聞の挿絵や、博物図鑑で解説される挿図であったのだが、現代においてその状況は様変わりをしていることに、柄澤氏は気付いていて、
「版画は版画というひとつの文化史的体系であって、触覚にかかわる形式のもので、美術ともリンクするけど、美術でない部分もたっぷりもっている。だけどそういうところにみんな意識がいかない」(4)
と「版画」について述べている。先に挙げた「死と変容」の木口木版画のシリーズについて、カタログの解説では、「初期からのテーマである遥かな宇宙空間への憧れ、人間の内面の欲望と葛藤、死の誘惑、そうしたいっさいを押し流す洪水などのイメージを連作によって展開させ、一篇の叙事詩のような豊潤なストーリーに結実させたものである」(5)とある。西洋伝統の根幹をなすキリスト教のテーマから自身の想像力を飛翔させ、深遠で広大なイメージを作り出す柄澤氏の創作は、例えばシュルレアリスムの作家たちが、イメージの突発的な現出や、全く異質なモチーフの並置によってわれわれの感覚を揺さぶる手法とは違っていて、まさしく文化史的体系と呼ぶべき叡智と思索の蓄積を濃厚に打ち出している。それらの文化史的体系のヴィジョンが結晶化した世界を私たちは柄澤氏の版画に見ているのだ。「文化史的体系」の翻訳は、肖像画のシリーズにおいても遺憾なく披露されているのであり、われわれが仰ぎ見る巨星たちは柄澤氏自身が理解し解釈した、まさしく「翻訳」されたコンテクストによって私たちに語られるのである。私は柄澤氏が芸術家たちを捉える、その知識の深さと洞察力、そしてそこから立ち上がる表現力に感じ入った。

このように「文化史的体系」である版画を一枚ずつ構成したのが、「一冊の本」としての展覧会である。私は、鎌倉での展覧会を見る機会を得たのであるが、柄澤氏の数多く作品を選抜し構成するキュレーターの水沢氏は、本の編集者であり、ストーリーを組み立てて、鑑賞者を展示空間に誘い込んでいる。私は、まさに展覧会のタイトルのとおり、「イメージの迷宮」に掬い取られたわけである。
そして栃木と鎌倉の会場での二つの展示は、同じ作品を扱っていても、違ったタイトルが付されているように、単なる巡回展ではなく、全く別の企図を持つ単独の展覧会として成立していることは興味深い。各々の展覧会の企画者のカタログ巻頭論文にも、展覧会の持つ意義、及び作品へのアプローチの仕方の違いがわかるであろう。栃木の学芸員、小勝氏は、柄澤氏の仕事を時系列的に網羅し、それを過去の展覧会の系譜のなかで位置づけ、版画の歴史とパラレルに語るという美術史家としての視点を明らかにしているし、一方鎌倉の学芸員である水沢氏は、自身の柄澤論を展開し、柄澤氏の版画が持つ世界の総体的な再現を主眼に置いている。
神奈川県立近代美術館の展示のあらましは、展示室1に木口木版画、展示室2にリーヴル・オブジェ(6)、庭を臨む半屋外の彫刻室に版画集『方丈記』と「Trans」と題された大きなオブジェ、そして柄澤氏愛用の道具であるビュランと版木があった。さらに、展示室3の天井の高い大きな空間には大きなサイズのモノタイプ(7)と墨の作品、展示室3から階段を昇った小さな空間には版画挿絵を含む装丁本の数々が陳列されていた。
のちほど水沢氏から次ぎのことを伺った。年代ものの羊皮紙や自然界の貝や鉱石、ぜんまい、歯車のコラージュによるオブジェが並んでいる展示室2は、オブジェの林で昆虫採集をするように見立てられている。それから、庭の池の水面が迫り、水面に浮かんでいるような彫刻室には、師である日和崎氏の死を機に、日本的なミニマリズムと精巧な技法により、柄澤氏が新境地を見せた『方丈記』が展示されているが、それらの版画は池の水面から上がる湿潤を含みながら鑑賞されることが期待されている。さらにその隣には、間近の水面に漕ぎ出て行く佇まいの船を模った「Trans」が展示されているという具合である。
展示室から展示室へと足を運び、本を読み進めて行くように、空間と作品が紡ぎだす物語である、柄澤氏の芸術世界の全体を、私たちは身体の五感全てによって受け取ることができる。

では、展示全体がストーリーを秘め「一冊の本」となっている展覧会は、カタログによってどのように表現されているのであろうか。
第一にこのカタログにおいて特筆するべきは、オリジナルの版画が収められているということである。作家自身がこの展覧会のカタログのために、一枚一枚刷り上げた、その一枚が私たちの手元に届くわけである。漆黒の表紙をめくった扉に、オリジナル版画が半透明の薄紙で包まれていて、その薄紙を開くと、ややクリーム色がかった紙に刷られた版画が現れ、作家のサインが添えられている。この版画によって展覧会で見た、数々の版画を思い出すだけではなく、実際に版画に「触れる」ことに大きな意味があるのだ。もともと木版画は本という形で制作され、本のページをめくる、また挿入された版画を触るという行為が伴って愛好されてきたのであり、木版画を鑑賞することは、建物の壁に(展覧会場であろうと教会であろうと)タブローを掛けて見ることとは全く異質の行為であることが、改めてわかる。先述したように、版画は「触覚にかかわる形式のもの」という柄澤氏のメッセージが、このオリジナル版画によって具現化されている。さらにこのオリジナル版画は、作品と私たち、そして作家と私たちの隔たりを一挙に縮めて、アンティームな雰囲気を醸し出し、展覧会の記憶を呼び覚ます触媒となる。
版画が私たちの「触覚」に訴えかけるものであることは、展示内容にも含意されていた。作家が実際に使っている道具、版木、ビュラン、アビニオン・プレス(19世紀の印刷機)が展示されているとともに、ビデオや柄澤氏自身のデモンストレーションによって木版画が刷り上るところを来館者が見る機会を設定している。また展覧会を告知するチラシの色黒の写真には、プレス機の台、台の上に置かれた版木、刷り上ったばかりの紙、そしてその紙を持つ作家の手が写し出されており、連続した制作工程が語られている。紙や道具を通して作家の手による仕事を理解することが、作品に触れる感覚を呼び起こし、木版画が出現する神秘を手繰っていく端緒になると感じた。
続けてカタログのページをめくると、巻頭の挨拶の後に、茅ヶ崎のアトリエでこちらを見ている柄澤氏の写真が掲載されており、オリジナル版画の作者である展覧会の主人公が現れる。その後には、神奈川県立近代美術館館長山梨氏による「イメージの血統―柄澤斎の仕事」と題された柄澤氏の仕事の紹介があり、そのあとに、先に言及したとおり、展覧会の企図を表明する小勝氏と水沢氏の論文が並ぶ。それから、作品が、木口木版画、コラージュ・モノタイプ、リーヴル・オブジェ、水彩・素描(細密画)、墨の作品、装丁・装画・挿絵という七つの手法によってカテゴリー分けされ、それぞれのジャンルについての解説がなされている。個々の作品には、タイトル、英文タイトル、制作年、制作手法、サイズ、これまでの展覧会暦、所蔵先など緻密で十分な情報が控えめに付与されてはいるが、各々の作品は叙述されてはいない。というのも、作品そのものが書物として物語を私たちに伝えているので、紙の上に表象された世界をまた別の人の言葉によってもう一度なぞることは鑑賞の妨げとなるためであろう。
そして数々の作品が紹介された後には、柄澤氏による「「城」にて」という物語が掲載されている。柄澤氏は、下野文学大賞を受賞したミステリー小説『ロンド』(2002年)の作者としても知られており、「言葉」によっても世界を表現し得る作家なのである。「男が星に向けて旅立つ。」という文から始まる、黒地に白い文字が浮き上がる見開き4ページの文章が、柄澤氏の版画の世界を鏡のように映し出し、さらにこのテキストの言葉と物語が彼の芸術観、人生観を投影しているために、ふたたび読者は柄澤氏の世界に惹き込まれる仕掛けになっている。
さらに巻末に、長門氏によって編纂された年譜、展覧会暦、参考文献は、今後の学術的な研究の一助となる完成度の高い資料に仕上がっている。とりわけ年譜においては、年ごとの出来事や展覧会などの柄澤氏の業績に加え、同年の柄澤氏の言葉が挿入されていることが特徴的である。その年の仕事と直接関わる、雑誌の記事や著書の一部が抜粋されて編まれているわけである。この長門氏のご苦労は大変なものであったろうと拝察するが、このような年譜は「言葉」を語る作家である柄澤氏の世界をさらに印象づけたのみならず、このカタログが、最後のページまで読者を惹きつける良質な「一冊の本」であることに大きく寄与している。ただ、巻頭の論文や作品解説、そして柄澤氏のテキストの英訳が巻末に付与されているにもかかわらず、この年譜の英訳がないことは、残念でならない。
そして、このカタログの図版は、これも水沢氏によると、版画の白地の部分がモアレを起こさないよう何度も試行した上で、4色オフセットで印刷されているとのことで、版画をできるだけオリジナルに近い状態で見せる努力が払われている。また、カタログ全編にわたって、論文や巻末の資料で引用された展示作品については、読者が参照するための作品番号が付いているという点にも、主催者側の配慮が感じられる。

以上のように「一冊の本」としてのカタログを見てきた訳であるが、この展覧会のカタログは、回顧展をそのまま写すという「記録」よりむしろ、私たちがその場で柄澤氏の作品を鑑賞し感じて考えることから生まれた「記憶」をとどめている。版画を「見る」「触れる」「読む」という行為を、自然と促すこのカタログは、私たちの五感を刺激し、さらに作品との、また作家との隔たりを消失させ、展覧会の記憶を覚醒する。
さらに重要なことは、展覧会、カタログ、そして鑑賞者との関係性を問うこの企てが、版画の本質に纏わる柄澤氏の芸術観を色濃く、そして忠実に反映していることである。柄澤氏にとって、版画も展覧会も「一冊の本」であり、「読まれるべき」ものであり、そして「触覚という形式にかかわるもの」であることを提起している。
この展覧会によって改めて「版画」を体験したことで、版画を研究する者は、その研究方法を慎重に検討しなければならないことを確認した。時にして、「テキスト」と「イメージ」の関係性を認めつつもそれらを切り離し、視覚イメージに特化して分析を進めることは、版画本来の姿を見失う危険性を孕んでいる。

『柄澤展』のカタログは、鑑賞者一人一人に親密に語りかけることができる版画という芸術ジャンルの本質が、展覧会カタログの在り方に結実している見事な例である。そして私の展覧会カタログ評が、この展覧会に訪れた一人としての証言の記となれば幸いである。


(1)『ギャラリー』Vol256、2006年8月。
(2)『柄澤斎展 版画、オブジェ、水彩、本 1971-2006』栃木県立美術館(2006年7月16日-9月3日)、神奈川県立近代美術館 鎌倉(2006年10月28日-12月24日)、193ページ。<以下『柄澤斎展』と表記。>(柄澤斎「版画を読む」、『版画藝術』No.53、1986年より抜粋された箇所。)
(3)『版画芸術』No.132、2006年、43ページ。
(4)『ギャラリー』Vol256、2006年8月。
(5)『柄澤斎展』41ページ。
(6)「リーヴル・オブジェとは、「文字どおり西洋の古書の「表紙」を素材として、そこに革や博物図版、古地図などを貼り込み、額装された「本の標本」のようなもので、柄澤はこれを「リーヴル・コラージュ」と称した。」というリーヴル・コラージュと、貝殻や鉱物、動物の骨、歯車やぜんまいなど博物館の収蔵庫に眠っていた雑多なものを作家自身の手で収集し、それらをなど標本箱の中に構成するボックス・オブジェの総称であると思われる。」(『柄澤斎展』147ページ。)
(7)「ふつうモノタイプとは版から一枚だけ刷られた版画を言うが、柄澤の手法は、まず緑がかった黒の版画用インクをゴムローラーで紙に盛り、木口の版木に押し付けて型取りした練りゴムを部分的な版とし、インクが乾かないうちにそれを何回も押しつけてかたちをつくるというものである。黒緑色の闇のなかからぼんやりとしたイメージが掬いだされる。」(『柄澤斎展』129ページ。)

「近代文人のいとなみ」展(90号掲載)佐藤温

佐藤温
執筆時 :東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程
雑誌情報 : 『比較文學研究』90号、2007年10月、152~156ページ

 成田山書道美術館は、初詣で有名な成田山新勝寺の本堂の奥、成田山公園として整備された広大な庭園の一角に位置する。筆者自身がそうであったように、書道専門というと先入観からこぢんまりとした美術館を予想するかも知れないが、実際に現れたのは重厚かつ壮大な建物であり、中に入れば吹き抜け状の展示スペースに配された巨大な拓本(「紀泰山銘」原拓。高さ約十三メートル)が来館者を迎えてくれる。その美術館の大部分に相当する一・二階をふんだんに使って「近代文人のいとなみ」を明らかにしようというのであるから、改めて期待を強くした。
 筆者は二〇〇六年の十一月に指導教員であるロバート・キャンベル准教授とそのゼミ生を中心としたグループで見学の機会を得た。作品は順路に従って概ね明治初年代から大正頃へという時間軸に沿って配置されており、展示の序盤に目を引いたのは「山紫水明処書画会合作」と題された一幅であった。これは文人墨客との交流が深かった鳩居堂の主人、熊谷直行が明治十一年(一八七八)に主催した書画展観会の席上で制作されたもの(会場の「山紫水明処」は京都における頼山陽旧宅)で、書画を展観し、合わせて煎茶の席を設け、香を楽しんだ参加者たちは、その雅会の空気を伝える書画を紙面を分け合いながら作成した。その共同作者たる山中信天翁・板倉槐堂・江馬天江ら六名は、それぞれ社会的位相は異なるものの、いずれも十九世紀前半に生まれて書画詩文といった文人的教養を身につけ、壮年期に幕末の動乱を経て維新を迎えた、いわば前近代的要素を色濃く持つ文人たちである。本展覧会は、こうした文墨の世界に生きた人々の姿を書という媒体を中心に浮かび上がらせつつ、前近代から近代へという時代の流れの中で文人世界が変容していく様子を追うことを試みた意欲的な展示であった。
 同時期の文人たちの実態については、近年文化史的研究の方面からロバート・キャンベル氏や宮崎修多氏らによる幕末・明治初期の文人の会合や出版についての研究が為され、美術史の側からも佐藤道信氏らの研究によって前近代的文人世界が近代美術制度の中に取り込まれていく様子が明らかにされつつあるなど、徐々に活発化している。本展覧会ではそうした成果を随所で踏まえており、その一例が、文人の交流とその「場」を書以外の媒体も展示しながら多角的に浮かび上がらせようという展示方法である。本展覧会の展示の中心は壁面に掛けられた書画幅であるが、加えてガラスケースに多くの稿本や版本などが陳列されていた。例えば近代の女性南画家の代表格である野口小蘋の画稿集、「写生下図帳」もその一つである。展示では当時の文人の交流の場に不可欠であった煎茶道具の図(茶会後には道具立てを記録する図録を作成することも少なくなかった)、そして会を彩った重鎮たち(岡本黄石・川田甕江ら)の肖像の箇所が公開されており、画に留まらず書も含めた文人世界における小蘋の存在感の大きさを想像させるものとなっている。そして更に観覧者がこの画集から再び壁面に視線を移すと、そこには小蘋に肖像画を描かれた甕江の書が展示されており、文人・書家としての甕江の存在を実感する、という鑑賞のプロセスが用意されていた。
 これについて実際に鑑賞した立場から感想を述べれば、こうした展示の意図に気が付くことで人脈とジャンルが絡み合う濃厚な文人世界というものを意識させられ、そのネットワークを辿る楽しみを感じることができたという実感がある。しかし、今カタログを参照しつつ振り返ってみると、会場内ではそうした展示意図、あるいは展示が作り出すストーリーはもっと鮮明に押し出されていたほうが良かったのではないか、という感想を抱く。
 筆者の場合は日頃研究対象として幕末・明治初期の文人の動向に関心を持っており、加えて当日は本展覧会に中心的に携わった同美術館学芸員の高橋利郎氏に解説を頂きながら鑑賞するという幸運にも恵まれたため、展示された書画と文人たちの世界を結び付ける上でそれほど苦労することは無かったが、今日決して著名ではない文人たちの営為を書を中心に取り上げるという、世間的にはまだまだ認知度の低いテーマを扱う以上、例えば当時の文人たちの会合の様子やその意義などを噛み砕いて説明したキャプションを設けて鑑賞者の理解を助けるなどの配慮が、やはり不可欠なものに思われるのである。
 だが一方で、展示者は実はそうした平明な解説と展示の質のバランスについて苦慮したのではないかと感じる部分もある。それを象徴するのが木戸松菊(孝允)の書幅「瓊浦客中詩」である。この作品は特別に強調されることなく展示されていたが、恐らく作者の知名度という点では本展覧会中一・二位を争う作である。これまで文人世界を縁遠く感じていた鑑賞者にとっては、この誰もが知る維新の立役者が、実は「松菊」というあまり知られない雅号を持ち、書画や詩文を愛し、奥原晴湖や大沼枕山らと交流を持つ文人の顔を持っていた、という事実は興味を惹かれるのではないだろうか。
故に、個人的にはそうしたトピックを押し出さない展示に淡白さと説明の不足を感じていたのだが、後になって改めて考えてみると、今回の展覧会は社会的位相やジャンルを越えて形成された趣味人たちの世界を展示会場に表現すべく、敢えて個々の文人の文人世界の外での顔を必要以上に目立たせてはいないのではないかとも感じた。つまり、世の喧騒から離れた自娯の世界を書画や詩文に見出していた文人たちの世界を描き出す上で、その世界に遊ぶ文人たちを政界や教壇・文壇に無理やり引き戻すようなことをしない配慮が展示には働いていた、と言っては流石に穿ち過ぎであろうか。
この後の展示は時代を明治二十年前後に移し、同時期のメディアと文人たちの関わりを、明治十五年(一八八二)から明治二十一年(一八八八)まで存在した漢学専門書肆、鳳文館を中心に提示する。会場には大沼枕山・依田学海・小野湖山・中村敬宇ら当時の東京を中心とした諸大家の詩文書画を掲載した月刊誌『鳳文会誌』や、石川鴻斎が鳳文館から出版した画法書『画法詳論』の自筆稿本などが陳列され、合わせて関わりのある文人たちの書が展示されていたが、このように書物を通じた文人たちの発信と読者の受容という見えないネットワークをしっかりと「文人のいとなみ」として捉える感覚はやはり高く評価すべきであろう。
 この鳳文館の倒産が象徴するように、明治二十年代から三・四十年代を経るに随って、これまで見てきたような文人世界を下支えする詩文書画の素養は次第に失われていく。しかし、渡仏して洋画を学びつつも書に表現の可能性を探った中村不折や、「書ハ美術ナラス」として美術界に議論を巻き起こした小山正太郎、そして文豪夏目漱石らの書画が順路の終盤にさり気無く展示されているのを目にした時、前近代の残滓が消えつつある中で、変容しながらもしたたかに生き続ける文人世界の姿を垣間見た気がした。
 このように、本展覧会は書を美術作品として提示するのみならず、文人たちの活動や人的交流といった可視化し難いテーマを映し出す媒体として取り上げた点で画期的なものであったが、そのカタログ『近代文人のいとなみ』にもそうした姿勢が随所に反映されている。
本カタログはA5版より少し大きい程度の手になじみやすいサイズで、ほぼ一ページに一作品ずつ作品写真と解説が配されている。小振りな書型ゆえ作品を大判で掲載することはできない(縦長の作品の場合、縦は約十八センチ程度に統一)が、その分一ページに一つの図版をゆったりと配置して傍に解説を付すことによって、作品成立の背景や作者の略歴など鑑賞に必要な情報を即時的に得られるような配慮が為されている。加えて、カタログ全体が展覧会の展示に沿った四章から成り、各章ごとに作品とそれに関わる論考をまとめた構成を採っていることにも窺われるように、本カタログは図録として「見る」と同時に研究入門書として「読む」ことを意識した作りとなっているのだが、その読み応えを支えているのが計七編に及ぶ以下の論考である。
「「書画」の近代」ロバート・キャンベル
「野口小蘋と文人たちの交流」平林彰
「近代文人の住まい―西園寺公望の文人趣味と別荘・坐漁荘」土屋和男
「憧れの文人画家―王建章をめぐる賞玩のいとなみ」小林優子
「煎茶趣味と書画文玩の鑑賞」西嶋慎一
「近代文人とそのいとなみ」高橋利郎
「心目を遊ばす詩書画の世界」永由徳夫
まず冒頭でキャンベル氏は、近代が文人たちにもたらした変化を、彼らの書画を見る「眼」を通して論じる。「スロールッキング」を理想とした前近代の書画鑑賞が、日々の公務に追われ、あるいは書画そのものが日々の公務と結びついていく近代文人たちの中で「余暇」へと収斂していく姿を文人たちの遺したテクストから取り上げた本稿は、前近代から不変なようであって実は確実に変容を迫られていく近代文人たちの世界へと読者を誘う導入部として効果的な役割を果たしている。
 続く平林氏の論文は、先述の野口小蘋が当時の文人サークルにおいて果たした役割や、その周囲を取り巻く文人・パトロンたちとの関係について検討を行ったもので、社会的位相や専門ジャンルの異なる文人たちを結びつけるキーパーソンとしての小蘋像を示している。ちなみに本カタログの表紙は跡見玉枝が明治二十六年(一八九三)に描いた「須永元送別会の図」を全面に配しているのだが、席上で談笑しあるいは揮毫し合う送別会出席者たち(石川鴻斎・巌谷一六・川田甕江・三島中洲ら)に交じって、画中には扇面を前に筆を取りつつ端座する小蘋の姿も見られ、本論文の取り上げる世界を髣髴とさせるものである点も付け加えておきたい。
 また、注目すべきは近代の文人たちの遊ぶ空間そのものである住まいに注目した土屋氏の論考が用意されている点である。建築史を専門とする氏は、小さく隠れたたたずまいの中に三保の松原と清見潟を一面に望む座敷をしつらえた西園寺公望の別荘・坐漁荘を紹介しながら、日常の激務を離れて自ら画中の人となりつつ自娯の世界を楽しんだ近代文人の姿をその建物の構造や配置に目を配りながら論じており、文化史や美術史とは一味違ったアプローチで文人たちの動向を検討する可能性を示している点で、近年の建築史の研究動向とあわせて興味深い一編となっている。
 小林氏の論文は幕末から昭和初期にかけて日本で称揚されていた画家王建章を扱ったもので、今日殆ど知られることのないこの明末清初の画家が、近代日本においては茗讌(煎茶会)の場で文人たちによってさかんに賞玩されていたことを記録や作品の箱書にも触れながら示している。この煎茶会は当時の文人たちにとっての重要な交流の場であり(先に紹介した「山紫水明処書画会合作」の作成された場でもやはり煎茶が会を彩っていた)、そこには中国風の室内装飾が施され、中国渡来の道具が珍重されるという小中華世界が広がっていた。続く西嶋氏の論文はこの世界こそが近代文人のいとなみの源泉たることを論じながら、珍重される作品に勤王運動・王政復古・維新といった時勢の反映を読み取りつつ、清朝の解体とともに中華趣味そのものが衰退していくまでを描いており、文人世界が近代化の中でたどった道筋をその会合の席上から読み取っている。
 そして、総括にあたる高橋氏の論文は、詩書画の混沌とした文人世界、文人を結び付ける場としての煎茶会とそこで流行した中国趣味、それを記録・発信する出版物において肉筆版下が果たした「場」の再現性、といったトピックに再度触れながら、詩文書画の三者が入り組んだ近代文人世界を包括的に捉える試みの重要性を改めて強調している。
 また、本カタログには掲載全作品の釈文・訓読を巻末に付すという、一見地味ながらも鑑賞・研究の上で非常に有益な配慮が為されているのだが、その作業を担当した永由氏は最後に近代文人たちの作品に共通する志向として超俗的なものへの憧れを見出しながら、詩書画を器用に操りつつそこに安逸の世界を作り出そうとしていた文人たちの姿を見ている。尚、この釈文・訓読に見られる丁寧な姿勢は、他にも作品解説・作者略歴などの基本的な部分で共通しており好感が持たれるが、展覧会と同時に単行本として出版されていることと合わせて、本カタログはまだまとまった研究の少ない近代文人研究への入門編として最適であると言えよう。
以上、カタログを一通り見渡してみると、それぞれの取り上げる題材は文人たちの遺したテクストや書画であったり、彼らのいとなみの中で賞玩される書画や茶道具であったり、あるいはそのいとなみの行われた場そのものであったりと多岐にわたっている。このことからも、本展覧会とカタログが書を中心としつつも、文人たちの人脈・交流の場とその形態といったトピックに目を配りながら、前近代から近代にかけて変容していく文人の世界を総合的に描き出そうとする配慮を怠っていなかったことが改めて窺われる。そうした意味で、既存の人物やジャンル、時代による縦割りではなかなか描き切れない文人たちの姿を立体的に捉えようとする近年の文人研究の流れを一層推進する展覧会であったと考えられ、今後の同美術館の動向には大いに期待したいと思っている。


[展覧会およびカタログ・データ]
「近代文人のいとなみ」展
成田山書道美術館(二〇〇六年十一月三日~十二月二十三日)。カタログは成田山書道美術館監修、淡交社発行、二〇〇六年、総頁数二〇七。ISBN4―473―03374―0。

About 2008年2月

2008年2月にブログ「掲示板」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年12月です。

次のアーカイブは2008年5月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。