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2006年9月 アーカイブ

2006年9月15日

「フルクサス」展(86号掲載) 小林 将輝

小林 将輝
執筆時 : 学習院大学、白百合女子大学非常勤講師
雑誌情報 : 『比較文學研究』86号、2005年11月、193~197ページ


現代芸術とは何か近寄りがたいものだというのは一般的な見解ではないだろうか。難解な作品を前にして、予備知識や心構えがなければ、鑑賞者は戸惑うばかりである。私自身、芸術とは「美を鑑賞する」ものであり、単にその美的な形態に感心し、それが翻って日々の生活の慰めになるようなものでいいと思うときがある。芸術に対してこのように保守的な考えを持つ私が、うらわ美術館で開催された「フルクサス展―芸術から日常へ」を訪れることになった。それは意外にも興味深い体験で、芸術と生活の関係を考える良い機会となった。うらわ美術館は、地元のゆかりの作家の作品の収集と並んで、日本で唯一の「本のアート」を収集している美術館として知られ、これまで意欲的な展覧会を催してきた。そのうらわ美術館が開館五周年を記念して、フルクサスを取り上げたのである。

フルクサスとは一概に定義が難しいのだが(注1)、リトアニア出身のジョージ・マチューナスを中心に組織され、世界中で展開された六十年代のアートムーブメントの一つである。その主要コンセプトは、日常生活と芸術の境界をなくすこととされる。マチューナスは六十五年に発表した「マニフェスト」において、一般的な芸術概念に対し、フルクサスを「アート・アミューズメント」と位置づけ、「何でもアートになりうるし、誰でもアートができる」とした(注2)。フルクサスのアーティストたちにとって、芸術はハイカルチャーに組み込まれるような自立した価値を持つ特権的、固定的なものではなく、誰もが楽しみながら積極的に関わることができるものである。例えば、フルクサスの音楽イベントの代表的なものでは、番号の振られた紙に従って、観客がそれぞれ自分の好きな番号のところで、なんでもいいから声を発するというものがある。観客が能動的に参加することで、偶然的な音の連なりからなる音楽が出来上がり、「作品」が完成するのである。

今回のうらわ美術館の展覧会では、マチューナスの活動した時期に焦点を絞り、約五〇〇点のフルクサス作品と資料が展示された。主要な展示物であるフルクサスの代表的な作品、出版物、資料などは充実しており、巨大な図版パネルによって当時のこの運動が見渡せるようになっていた。同時代の芸術動向の展示や、映像・音楽メディアによる紹介もなされ、この分野の広がりも見ることができた。特筆すべきは、幾つかのフルクサスの作品・イベントが再現されていた点であろう。それらは皆、鑑賞者が実際にふれて参加できるようなものであり、フルクサスを直接「体験」できるようになっていた。総じて見ると、国内のフルクサス展覧会としては非常に充実した展示であったといえるだろう。

個々の展示では、マチューナスが考案した『フルクサス・イヤーボックス』がまず目に入った。これは木製ケースに入った書籍の形態をしているものの、ページにあたる部分が封筒になっており、封筒にはそれぞれアーティストによる小作品が入れられている。同様のコンセプトに基づいて作られた『フルクサス・キット』は、トランクの中に多数のアーティストの小作品が仕切りの中に収められており、デュシャンの『トランクの中の箱』を思い起こさせる。マチューナスは出版活動を重視し、この他にも数多くのこの種の「出版物」を製作し、フルクサス・ショップという販売拠点を設けて通信販売を行った。実際は多くは売れなかったとはいえ、本やトランクといった携帯可能なものに多数の小作品を詰め込んだことや、一般の人がたやすく購入できるような体制を整えたことは、芸術を生活の身近なものにするというフルクサスのコンセプトをよくあらわしている。また、中に入れられたアーティスト個々の作品は、チープで日常的な素材を用い、それぞれ趣向を凝らしたものである。例えば『イヤー・ボックス』に収められているのは、小さな鏡が入っているだけの『セルフ・ポートレイト』(オノ・ヨーコ)、封筒に穴が開いており、そこに指を差し込んで感触を楽しめるようになっている『フィンガー・エンベロープ』(靉嘔)などがある。『フルクサス・キット』には、紙の小箱を開けると中にはまた一回り小さな箱が入っており、それが幾つも続く『エンドレス・ボックス』(塩見允枝子)、小さなボールと不可解な指示書が入った『ゲーム&パズル』(ジョージ・ブレクト)、あるいは映像作品『ゼン・フォー・フィルム』の16mmフィルムループ(ナム・ジュン・パイク)などが収められている。どれもただ鑑賞すればよいというものではなく、手に取ったり、何らかのゲーム的な操作をして、それが自然なリアクションを誘発するようなものである。小作品群はキッチュで、正直に言ってどれも批評に困るようなものであるが、おそらく批評する―されるというような態度とは相容れぬ性質を持っているのだろう。フルクサスの思想の一つに、ギャグやジョークの感覚に基づいて作品に関わるというものがある。つまり単純な面白さや、新奇さ、意外性などを重視したのである。ギャグやジョークは、大真面目に批評したりするものではない。フルクサスはこの点をうまく利用しているように思える。

この価値判断から逃れるような態度は、政治的なものへの無関心な態度とも言いかえることができる。フルクサスは明確な思想の表明でもなく、同時代のコンセプチュアルアートが熱心に取り組んできたような、現実の隠された(権力構造の)文脈を暴き出すことを目指すものでもない。一晩中議論をしているアーティストたちを尻目に、彼らは自らが「面白い」と思えるような作品やイベントに携わってきた。

芸術は審美的なものでもなく、かといって政治的なものでもないとしたら、フルクサスの言う「日常性」とは何であったのだろうか。「誰でもアートができる」というのは建前であろう。ギャグやジョークには質が求められるのであり、ある種の洗練さを必要とする。それを彼らは良く知っていたし、それを実践するのは彼らだと考えていたに違いない。なによりもマチューナス自身が、自らをチェアマンとしてフルクサスの組織化に熱心に取り組み、自らの意に沿わないアーティストたちを排除してきたのである。展示物を見たり鑑賞者参加型の作品を体験してみて、とまどったり、何か思い切ってそれに加わるのがためらわれるように私は感じたが、それはおそらくこのフルクサスの排他的な側面のせいではないだろうか。

展覧会から帰ってきて、いくつか印象に残った展示を思い出してみると、オノ・ヨーコの作品が思い浮かんだ。オノの鑑賞者参加型の作品が幾つか再現されていたが、それらはフルクサスのコンセプトと合致しながらも(注3)、それだけでは評価できない側面があった。『メンディング・ピース』は、テーブルの上に壊れたカップが置かれており、それを鑑賞者が接着剤や紐で直すというものである。美術館という日常とは離れた場所でテーブルに向かい、カップを修復をするという行為は、その行為自体を浮かび上がらせる。また、修復されたカップはいびつで、はっきりと裂け目が残るがゆえに、もとの形に戻すことに対する喜びはなく、むしろ参加者は「裂け目」や「壊れた」というイメージにとらわれてしまう。そしてそのイメージは、たやすく記憶や体験という個人的なものへと結びついてしまうだろう。作品が個人的なものを導くというこの点において、このイベントは他のフルクサスの作品とは異なっている。フルクサスは誰にでも理解できることを重視したゆえに、「エコノミカル」(注4)でシンプルなゲーム性を持っており、それゆえその基本的な仕掛けにおいては、アクション―リアクションが短い時間で機械的に生じるようにできている。靉嘔が、フルクサスでは「情緒」はなくなっていくと述べているように(注5)、鑑賞者が個人的な感情を投影するような余地はないのである。

オノと同じように、フルクサスのコンセプトを踏襲しつつも、その枠組みから外れるようなアーティストとして、もう一人塩見允枝子が思い浮かぶ。『スペイシアル・ポエム』シリーズの『ワード・イベント』では、塩見は世界各地のアーティストに白紙の紙を送り、その紙に何か言葉を書いて、現実のどこかに置くように指示した。書かれた言葉は塩見に返送され、小さな紙製の旗に印刷されて、世界地図の板に挿された。「広いコミュニケーション」(注6)を目指したこの作品は、アーティストが別の人に何かを指示をするという点でフルクサスのコンセプトに合致しているが、指示をする対象は世界へと拡大している。郵便のやり取りをとおしてつながる人間同士の関わり合いが視覚化され、世界がコミュニケーションのネットワークとしてたちあらわれてくる。現実の匿名の場は、そこに言葉がおかれたという事実とその行為者とコミュニケーションをとったという事実において、意味と方向付けが与えられるのである。一方、鑑賞者は旗を挿す作業を任されるのだが、作業を通じてそのネットワークを体感し、言葉が置かれている場面や、言葉の書かれた紙片が置かれた場所を想像することになる。そうして鑑賞者にとっても、世界の見知らぬ幾つもの土地が、ある関連性を持った詩的で親密なものへと変貌することになる。

オノや塩見の作品が特に印象に残ったのは、それが個人的なものや鑑賞者の想像力を媒介にして成立しているという点ではないだろうか。新奇なものや意外性を持ったものに対して、あえて積極的に関わっていこうという気になるためには、そこに自分自身を投影したり、個人的なものとの関連において、それらを結び付けることができるような場合である。そのときはじめて、鑑賞者にとって作品は親密なものとして日常性を獲得するのではないか。

展覧会カタログについても一言述べておきたい。フルクサスとそれに関連する同時代の芸術動向の作品とその資料など一次資料は、図版とコメントで十分に紹介されている。それに加え、マチューナスを中心としたアーティストたちの交友関係を網羅するアーティスト・マップ及び関連年表も載せられている。特にアーティスト・マップは、年ごとにそれぞれの交友関係の変化が分かるように丁寧に作られているのが良い。また、日本人でフルクサスに関わったアーティストらによる座談会「フルクサス・ユニバース」が採録されているが、これはフルクサスの内部から、その活動の多様な側面を語っている貴重な資料であり、実際にこの評論でも多く引用した。巻末の二次資料のリストは海外の資料が少ないものの、量的にはもうしぶんのないもので、今後フルクサス研究者にとって役に立つ情報となるだろう。ざっと見てみると、日本ではフルクサス批評やインタビューなどは多くあるものの、定本といえるような研究書はいまだ出ていないようである。フルクサスがその後のポスト・モダンの芸術に与えた影響は大きく、また、日本での受容や展開という点も大きな研究領域となりうる分野なので、これらの問題を含めた研究書の出版が今後望まれるだろう。カタログについて大きな問題を挙げるとすれば、掲載論文が一本もない点である。「座談会」というフルクサス運動の「内部」からの視点だけではなく、批評家や研究者の「外部」の視点も紹介することで、フルクサスに対する多方面からの理解が補強されたことを思うと残念な限りである。また、会場では「フルクサス・オリンピアード」に使われた卓球台や、塩見によってジュゼッペ・キアリのピアノ作品などが再現されていたのだが、それにも紙面を割いていなかったのも気になった。

展覧会について気になった点は、日本の収集物を中心に展示し、日本でのフルクサス受容をテーマの一つに据えたということであるが、そこから何か日本固有の現象が見えてきたのかということが、いまひとつはっきりしなかった。なるほど赤瀬川源平らによる『ハイレッド・センター』のイベントは、フルクサスと共鳴するかのような日本での独自の運動であったのだろうが、それ以上の理解は得られなかった。また、フルクサスをまず一般の人に知ってもらうということも展覧会の目的であったとのことであるが、もう少し展示パネルなどを増やして、現代芸術に疎い鑑賞者にも理解の手がかりを与えてほしかったというのが本音である。フルクサスがムーブメントとなった六十年代はすでに遠く、それをそのまま現代の鑑賞者が同じ新鮮さで接することは不可能であろう。


1 フルクサスFluxusとはラテン語で「流動」や「変化」を表す言葉で、マチューナスが一九六十二年にヴィースバーデンで正式にその名を用いた。
2 本展カタログ、三十九頁。
3 オノの作品がフルクサスの傾向に合致しているというよりは、フルクサスがオノのアイディアを積極的に取り込んだと言うのが正確であろう。オノは、フルクサスの黎明期である六十一年に鑑賞者参加型の作品をとおして、マチューナスに重要な示唆を与え、それが後のフルクサスの中心的なコンセプトになっていったのである。ちなみに、この時の作品は『メンディング・ピース』のような「情緒」的なものではなかったようである。『メンディング・ピース』が六十六年に発表されたことを考えると、オノ自身、鑑賞者参加型のコンセプトを自ら発展させていったことが伺える。Jon Hendricks, "Uncovering Fluxus - Recovering Fluxus", in Thomas Kellein, ed., Fluxus, London, Thames and Hudson, 1995, pp. 119-120.
4 同、一二三頁。
5 同、一一三頁。
6 同、一二三頁。

[展覧会およびカタログ・データ]
「開館五周年記念 フルクサス展―芸術から日常へ」展
うらわ美術館(二〇〇四年十一月二十日~二〇〇五年二月二十日)。カタログはうらわ美術館発行、二〇〇四年、総頁数二百二十五。

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